匿名さん
スポーツ関係者などが、スポーツ選手の活躍に対してよく、「子供たちに夢を与えた」とか「多くの青少年に夢を与えた」という言い方をします。
しかし、肝心な前段が抜け落ちていないでしょうか。
野球選手であれば「野球少年たちに夢を与えた」、プロサッカー選手であれば「サッカーに取り組む青少年に夢を与えた」という表現をするべきですよね? スポーツ選手の活躍を見て、子供たちや若者みんながその競技を好きになったり、やり始めるわけではないし、子供たちの半分は、体育の授業以外でスポーツをやることはなく、無関係です。
スポーツと無関係な子供や若者に、スポーツ選手がどんな夢を与えるのでしょうか?? ほかにも、宇宙飛行士になった人や、ノーベル賞になった人とかも、同じように表現をされますが、もちろん、勉強をした人がそうなれるわけですけれども、子供の頃から具体的になにをしていったら、そうなれるのかというものがなく、「勉強が得意な子供に夢を与えた」というのもおかしいし、多方面への取り組みが必要になるので、「子供に夢を与えた」と、不特定な表現がされることは、やむを得ないと思います。
片やスポーツの場合、特定することができます。
野球選手やサッカー選手になるためには、子供の頃から野球やサッカーをやっていなくては、なれません。
勉強を熱心にやっていても、他の色々なスポーツをやっていても、野球やサッカーの選手になることは、無理なのです。
だから、野球選手の活躍は「野球少年たちに夢を与えた」、サッカー選手の活躍は「サッカー少年に夢を与えた」が、正確な表現なのに、どうして、スポーツとは関係のない多くの子供たちや若者にまで、夢を与えたような表現をするのでしょうか。
同旨の質問を何度かしていますが、未だに「そうか!」と納得のいくような回答を得られたことがないので、再度、質問します。
【質問の主旨】 スポーツ関係者などが、スポーツ選手の活躍に対してよく、「子供たちに夢を与えた」とか「多くの青少年に夢を与えた」という言い方をしますが、野球選手の活躍は「野球少年たちに夢を与えた」、サッカー選手の活躍は「サッカー少年に夢を与えた」が、正確な表現なのに、どうして、スポーツとは関係のない多くの子供たちや若者にまで、夢を与えたような表現をするのでしょうか。
スポーツ選手の活躍を見て、子供たちや若者みんながその競技を好きになったり、やり始めるわけではないし、子供たちの半分は、体育の授業以外でスポーツをやることはなく、無関係です。
スポーツと無関係な子供や若者に、スポーツ選手がどんな夢を与えるのでしょうか??