元南海の島本講平選手を知ってますか? 1971年 南海・高野線の中モズ駅からなんば行きの電車に乗り込んだ一人の青年。その右手には、ハンサムでスマートな姿とはおよそそぐわない鉄のかたまりがぶらさがっている。5㌔の鉄アレイだ。じろじろ見つめる周囲の目も気にせず約二十分間、どんなに空席があっても立ったままだ。南海の星とさわがれた島本選手の最近の毎日である。二刀流から打者一本でスタートした島本の野球人生は、もう二か月になるのにまだつぼみもついていない。ファームでの成績は八十六打数二十二安打、二割五分六厘、本塁打一本と期待されたほどではない。「右腕の弱さが一番の欠点だ。このため打球にも鋭さがなく、内角球にはほとんどつまってしまう」という岡本二軍監督。その右腕のパンチをつけるために考え出した鉄アレイ持ちだ。「こんな格好の悪いこと出来るかい。いっそのことドブに投げ捨ててしまいたい」と何度も思ったそうだが、しかし、そんなことではバッターとして生きていくことは出来ないと考え直した。いまでは「鉄アレイを持って歩く自分の姿が誇らしく思えてきた」という。しかし、外野か一塁かまだポジションも決まっていない。大阪球場でのゲームには全部ベンチ入りさせるという球団の方針もいまは「じっくりと育てる」に変ってはずされている。ベンチ入りしたのは四月当初だけ。その間二試合に代打に出てノーヒット。阪急・山田には内角をピシャリと速球を決められ三振、近鉄・太田との対決は球威に負けて平凡な遊飛。「山田さんの下からピューンとくる球はとても打てる気がしませんでした。一からやり直しです。いまはガムシャラに練習するだけです。二軍といってもやはりプロは違います」言葉は少ないが、自分自身へのきびしさが感じられる。球団は「球をとらえるセンスは天性のものがある」(沼沢コーチ)長所を伸ばしながら、いまでもファンレターが日に二十通は来るという人気を考えて一軍ベンチ入りをオールスター後においている。鉄アレイを持って歩く島本、その苦労がいつ実るだろうか。