1990年12月船橋でパイオニアと新日本の対抗戦が行われました。パイオニア戦志にとってはこれが実質的に最後の大会となって

1990年12月船橋でパイオニアと新日本の対抗戦が行われました。パイオニア戦志にとってはこれが実質的に最後の大会となって

1990年12月船橋でパイオニアと新日本の対抗戦が行われました。パイオニア戦志にとってはこれが実質的に最後の大会となってしまいました。そこで行われたのが獣神サンダーライガー対スーパーセブ ンというドリームマッチでした。スーパーセブンは スーパータイガーに習い更にスケールアップを願ってウルトラセブンから改名した物でした。しかしながら、スーパーセブンが日の目を見たのは恐らくこの日だけだったと思います。以降、再び素顔の高杉正彦に戻りウルトラセブンとして登場するのは10 年後の2000年のIWAジャパンまで待たねばならなかった。90年代にセブンとして姿を見せたのはこのライガー戦のみ。高杉が国際ー全日本と渡り歩き、曲がりなりにも最高峰であったメジャー団体の新日本に滑り込めた。その年の5.5後楽園大会の健介戦は負けはしたけど気持ちの伝わる良い試合でした。そうしてようやくたどり着いたライガー戦でした。この試合、私はけして悪くはなかったと思います。いや、好試合に見えました。しかしなぜマスコミは惨敗的な筆致で試合を伝えたのか… それは多分にライガーのコメントにあったと思います。技術も気持ちも何も無い。潰してやろうと思った。 当時、一緒にするなと嫌悪感を示していた大仁田の事を新日本の中では一人だけあの人ほどプロレスに対して体を張っている人はいないと理解を示していたライガーがなぜセブンに対してああも嫌悪感を示したと思いますか? 確かにセブンはセンスが無くズンドコな面もあるけど、新日本の中継でも辻アナが言っていた雑草魂がありました。バックドロップにも見るべき物があった。ライガーとの試合もブランチャのやり合いもあり俺は酷評される試合ではなかったと思う。 11.1両国でIWGPJr.ヘビー級王者に返り咲いていたライガー。この試合にタイトルを懸けてという訳には行かなかっただろうけど 。セブンファンとしては見たかったけど♪ 当時、ライガーが26歳。セブンが35歳。 同じ光景として82年7月に新日本で行われたタイガーマスク対ウルトラマンが思い浮かびます。 当時、タイガーが25歳。マンが35歳。 実力差はあってウルトラマンは6敗1分でしたが、きっちり試合をこなしました。タイガーも技を受けない所もあったけどきちんと試合を成立させた。最近知ったのだけど ウルトラマンはこの時キャリア18年目の叩き上げの苦労人だった。タイガー戦の敗北を糧に翌83年にメジャータイトル(ナショナルミドル級)を初奪取。ある意味、付け焼き刃だったセブンとは物が違いました。しかしながら、セブンも全日本解雇ーパイオニア旗揚げー活動停止という辛酸をなめ尽くして来て、ある意味80年代前半の全盛期? よりもプロレスラーとしては覚悟があったと思うのです。 ライガーが怒った理由 ライガーに対して失礼な憶測になるけど、 彼は本当に特撮、特にウルトラシリーズが大好きです。9日のBSプレミアムのウルトラマン50周年記念特番に呼ばれて出演したのを見ても分かります。 ライガーはもしかしたらウルトラシリーズにおいて人気最高を誇るウルトラセブンというネームを使っていた高杉を快く思っていなかった部分もあったのではないかなと思うのです。何がスーパーセブンセブンだ ふざけやがってという。神聖なウルトラセブン、俺ならもっとグレードアップさせてたろうにという。 これはあくまでも私の独りよがりの妄想です。気分を害した方、お詫びします。 だがしかし、サンダーライガー対スーパーセブンは良い試合だったと思います。 あの時のライガーの心意をどう解釈しますか? セブンがしょっぱかったからと言われれば返す言葉もありませんが( ^∀^) 回答よろしくお願いします( ^∀^)

ライガー戦でのセブンの体が全てです。若手時代の高杉の写真見たら筋肉質で練習してるなって思えますが あの試合の時は・・・・ それでも当時バリバリのライガー相手にあのぐらいの試合ができたのだから セブンはセンスが無くズンドコは間違い 私はセブンに関する質問で一貫して回答してますが 高杉はアマチュア時代の横浜スカイジムを経て国際の若手時代に基礎はそれなりにできてたので メキシコで泥水飲んで最低2年辛抱してたらもっと上に行けたが持論です。メキシコで辛抱できずに 中途半端な状態で帰国して 付け焼刃のセブン変身が最悪のシナリオでした。私の想像ですが ライガーはウルトラセブン世代 スーパーセブンを名乗る限りは コンデションを調整して見た目でも試合内容でもセブンと言う名前にふさわしいレスラーであってほしかったと思いますよ だから厳しい言葉が出たのだと思います。同じパイオニアでも剛なんかより高杉の方が全然上です。

憶測に関する回答

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1990年12月船橋でパイオニアと新日本の対抗戦が行われました。パイオニア戦志にとってはこれが実質的に最後の大会となって

1990年12月船橋でパイオニアと新日本の対抗戦が行われました。パイオニア戦志にとってはこれが実質的に最後の大会となってしまいました。そこで行われたのが獣神サンダーライガー対スーパーセブ ンというドリームマッチでした。スーパーセブンは スーパータイガーに習い更にスケールアップを願ってウルトラセブンから改名した物でした。しかしながら、スーパーセブンが日の目を見たのは恐らくこの日だけだったと思います。以降、再び素顔の高杉正彦に戻りウルトラセブンとして登場するのは10 年後の2000年のIWAジャパンまで待たねばならなかった。90年代にセブンとして姿を見せたのはこのライガー戦のみ。高杉が国際ー全日本と渡り歩き、曲がりなりにも最高峰であったメジャー団体の新日本に滑り込めた。その年の5.5後楽園大会の健介戦は負けはしたけど気持ちの伝わる良い試合でした。そうしてようやくたどり着いたライガー戦でした。この試合、私はけして悪くはなかったと思います。いや、好試合に見えました。しかしなぜマスコミは惨敗的な筆致で試合を伝えたのか… それは多分にライガーのコメントにあったと思います。技術も気持ちも何も無い。潰してやろうと思った。 当時、一緒にするなと嫌悪感を示していた大仁田の事を新日本の中では一人だけあの人ほどプロレスに対して体を張っている人はいないと理解を示していたライガーがなぜセブンに対してああも嫌悪感を示したと思いますか? 確かにセブンはセンスが無くズンドコな面もあるけど、新日本の中継でも辻アナが言っていた雑草魂がありました。バックドロップにも見るべき物があった。ライガーとの試合もブランチャのやり合いもあり俺は酷評される試合ではなかったと思う。 11.1両国でIWGPJr.ヘビー級王者に返り咲いていたライガー。この試合にタイトルを懸けてという訳には行かなかっただろうけど 。セブンファンとしては見たかったけど♪ 当時、ライガーが26歳。セブンが35歳。 同じ光景として82年7月に新日本で行われたタイガーマスク対ウルトラマンが思い浮かびます。 当時、タイガーが25歳。マンが35歳。 実力差はあってウルトラマンは6敗1分でしたが、きっちり試合をこなしました。タイガーも技を受けない所もあったけどきちんと試合を成立させた。最近知ったのだけど ウルトラマンはこの時キャリア18年目の叩き上げの苦労人だった。タイガー戦の敗北を糧に翌83年にメジャータイトル(ナショナルミドル級)を初奪取。ある意味、付け焼き刃だったセブンとは物が違いました。しかしながら、セブンも全日本解雇ーパイオニア旗揚げー活動停止という辛酸をなめ尽くして来て、ある意味80年代前半の全盛期? よりもプロレスラーとしては覚悟があったと思うのです。 ライガーが怒った理由 ライガーに対して失礼な憶測になるけど、 彼は本当に特撮、特にウルトラシリーズが大好きです。9日のBSプレミアムのウルトラマン50周年記念特番に呼ばれて出演したのを見ても分かります。 ライガーはもしかしたらウルトラシリーズにおいて人気最高を誇るウルトラセブンというネームを使っていた高杉を快く思っていなかった部分もあったのではないかなと思うのです。何がスーパーセブンセブンだ ふざけやがってという。神聖なウルトラセブン、俺ならもっとグレードアップさせてたろうにという。 これはあくまでも私の独りよがりの妄想です。気分を害した方、お詫びします。 だがしかし、サンダーライガー対スーパーセブンは良い試合だったと思います。 あの時のライガーの心意をどう解釈しますか? セブンがしょっぱかったからと言われれば返す言葉もありませんが( ^∀^) 回答よろしくお願いします( ^∀^)

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