1986年。世界プロボクシングヘビー級では WBA、WBC、IBFと当時あった三団体を統一したヘビー級王者誕生のトーナメ

1986年。世界プロボクシングヘビー級では WBA、WBC、IBFと当時あった三団体を統一したヘビー級王者誕生のトーナメ

1986年。世界プロボクシングヘビー級では WBA、WBC、IBFと当時あった三団体を統一したヘビー級王者誕生のトーナメント企画を進めていました。まず86年11月にマイクタイソンがトレバーバービッ クか勝って史上最年少20歳でWBC王座を獲得、翌87年 3月にWBA王者のクラッシャーボーンスミス、8月にIBF王者のトニータッカーを退けて短期間に統一世界ヘビー級王者となりました。けた違いのタイソンの実力と勢いの賜物でした。 この統一世界ヘビー級トーナメントに背を向けた選手がIBF王者だったマイケルスピンクスでした。指名試合のトニータッカー戦を拒否して独立団体IUEだったかのローカル王者になって87年にクーニーとの試合を挟んで88年6月に統一王者のタイソンに挑戦して玉砕ー引退しました。結果的にスピンクスは2年延命したと言えるのだけど、もしもタッカー戦を拒否しないで対戦が実現していたらどうなっていたと思いますか? またバービックやスミスと対戦していたらどうなっていたと思いますか? 当時の無敵のタイソンでも巨漢のスミスやタッカーにはてこづって判定まで持ち込まれたき記憶しています。バービックはKO負けしたものの巨漢で、ライトヘビー級上がりのスピンクスでは苦戦したのではと思われます。スピンクスがタイソン以外で対戦したヘビー級選手はラリーホームズ、タククスタッド、クーニーの三人のみ。巨漢ではあったけどピークは過ぎていました。しかし何れもスピンクスは苦戦していた印象でした。スピンクスがタッカーとの指名試合を拒否したのはやったら分が悪いから避けたとの見方もありました。マイケルスピンクスフリークの私としてはそうではない事を願っているのですが… もし当時、マイケルスピンクスが他団体の王者のバービック、スミス、タッカーとやっていたらどうだったか、もう30年も昔の話ですが識者の回答をお待ちしています 。 プロボクシングヘビー級戦線。今思えばあの時代が一番ワクワクしながら見ていました…

ラリー・ホームズとの戦いで、スピンクスは 炭水化物を主に体重を上げていったと ジョー・小泉氏が解説をしていたのを記憶してます。 (記憶はあてにならないものですが) ホームズとの2戦はどちらも判定になりました。 しかし、ホームズは明らかに衰えていたと感じます。 そしてスピンクスが本格的にヘビーで戦うには 体重を増やし、それを筋肉に変える事がまだまだ 必要だったと思います。 そして、ステファン・タングスタット(24勝1敗1分)と 対戦しKO勝ち、その後ジェリー・クーニーと対戦 クーニーの生涯敗北はホームズ、スピンクス、フォアマンの 3選手だけ。けっこう強かったですね。 スピンクスとしましてはバービックやスミス、 タッカー等と戦う前に少々、力が落ちる相手でも ヘビー級に慣れる必要がありました。 そして一番の理由はタイソンと戦ってビッグマネーを 手にするまでは負けられないという理由もあったかと。 私の予想はバービックとは良い勝負でスピンクスの勝ち バービックは経験もありましたし決して弱くはなかった。 ジョームス・スミスとも判定まで行き、スピンクスの勝ち スミスは体が大きかったですが凄く強いという印象は ありません。タイソンと戦う前にもトニー・タッブス、 ラリー・ホームズ、ティム・ウィザースプーン、 マービス・フレイジャー等に負けていますし…。 3人の中ではタッカーを1番評価します。 タイソンと戦う前のジェームス・ダグラスにも勝って いますし、一番タフな感じでKO、判定でもタッカーの 勝ちだったのではないかと思います。 スピンクスは身長189cmとヘビー級でも遜色はなかったものの 20キロの体重差はスピードに長けていたとは言えない スピンクスには見る側以上の苦労はあったと思います。 当時のライトヘビーでは非常に存在感のある選手でした。

86に関する回答

【動画】車・バイクニュース

【動画だから100倍楽しめる】YouTube車・バイク動画(すべて見る)

見て楽しむニュース

【動画だから100倍楽しめる】見て楽しむ車・バイクニュース(すべて見る)

【速報】車・バイクニュース

完全無料で話題の車・バイクニュースがすぐに読める(すべて見る)

【話題】今話題の動画

SNSで1000いいね!以上の話題の動画(すべて見る)

この質問に答えてみる

1986年。世界プロボクシングヘビー級では WBA、WBC、IBFと当時あった三団体を統一したヘビー級王者誕生のトーナメ

1986年。世界プロボクシングヘビー級では WBA、WBC、IBFと当時あった三団体を統一したヘビー級王者誕生のトーナメント企画を進めていました。まず86年11月にマイクタイソンがトレバーバービッ クか勝って史上最年少20歳でWBC王座を獲得、翌87年 3月にWBA王者のクラッシャーボーンスミス、8月にIBF王者のトニータッカーを退けて短期間に統一世界ヘビー級王者となりました。けた違いのタイソンの実力と勢いの賜物でした。 この統一世界ヘビー級トーナメントに背を向けた選手がIBF王者だったマイケルスピンクスでした。指名試合のトニータッカー戦を拒否して独立団体IUEだったかのローカル王者になって87年にクーニーとの試合を挟んで88年6月に統一王者のタイソンに挑戦して玉砕ー引退しました。結果的にスピンクスは2年延命したと言えるのだけど、もしもタッカー戦を拒否しないで対戦が実現していたらどうなっていたと思いますか? またバービックやスミスと対戦していたらどうなっていたと思いますか? 当時の無敵のタイソンでも巨漢のスミスやタッカーにはてこづって判定まで持ち込まれたき記憶しています。バービックはKO負けしたものの巨漢で、ライトヘビー級上がりのスピンクスでは苦戦したのではと思われます。スピンクスがタイソン以外で対戦したヘビー級選手はラリーホームズ、タククスタッド、クーニーの三人のみ。巨漢ではあったけどピークは過ぎていました。しかし何れもスピンクスは苦戦していた印象でした。スピンクスがタッカーとの指名試合を拒否したのはやったら分が悪いから避けたとの見方もありました。マイケルスピンクスフリークの私としてはそうではない事を願っているのですが… もし当時、マイケルスピンクスが他団体の王者のバービック、スミス、タッカーとやっていたらどうだったか、もう30年も昔の話ですが識者の回答をお待ちしています 。 プロボクシングヘビー級戦線。今思えばあの時代が一番ワクワクしながら見ていました…

※未入力の場合「乗り物好き」として匿名で回答できます。

※未入力可能

全角10文字以上4000文字以内