プロレス・スターウォーズがフレッシュジャンプに連載されていた1984年当時、それまでは全米各地のプロモーターが地元密着で興業を行い、観戦チケットの売り上げと、地元ローカルTVの放映権収入の2つが、主な収入源となっていました。
1980年代のアメリカマット界は、観客動員数が危機的状況にあったかというと、決してそうではありませんが… 活気のあるテリトリーでは観客の数は多いのですけど、一部の地域でテリトリーが崩壊することも実際に起きていました。
プロレス・スターウォーズの第1話で、「稼げるテリトリーで稼げ!」というフリッツ・フォン・エリックのセリフがありますが、ライブ興業での収益が前提になっている時代だからこそのセリフといえるでしょう。
しかし、1984年当時…。
この頃には既にビンス・マクマホンがプロレスビジネスの新機軸に乗り出していました。
それは「中継放送による収益」、つまりPPV(ペイ・パー・ビュー)です。
1980年台にアメリカで導入されていったケーブルTVによって、(多少のタイムラグはあったとしても)遠く離れたテリトリーであっても興業を中継できるシステムが実現し、なおかつ視聴料をとるというPPVが導入されました。
ビンスは、会場内だけでの観戦チケットの収益だけではなく、今後はPPVによる収益が大きな割合を占めるであろう業界の未来を予見し、レッスルマニアなどといった大きなイベントの企画だけでなく、人材の確保、芸能界やその他のプロスポーツ界とのコネクション作りに力を入れたのです。
これはビンスだけが予見していた事で、他のライバル勢力であるNWAやAWAは、旧態依然としたライブによる収益を頼りにしていました。
というより、TVやPPVを活用する発想が皆無だったのかもしれません。
ビンスの狙いは的中し、レッスルマニアという巨大なイベントを大成功させ、NWAやAWAの力を奪い業界のトップに躍り出る事となります。
新にライバルとしてWCWが誕生し、一時はWCWの攻勢に押される事もありましたが、終わってみればWCWは内部腐敗から崩壊し、WWE1強の時代を作り上げたのは今さら説明するまでもないでしょう。
WWEにとって、必要なのは視聴者の指示を集められるスーパースターの確保であり、映像コンテンツを展開できるテリトリーの拡大です。
有能であれば、国籍関係なくスーパースターとして重用していきます。
多様な国籍のスーパースターが在籍する事で、米国以外での映像コンテンツ配信や、ツアーで遠征した際の集客にも繋がります。
同時に、他のテリトリーで活躍する有望な人材をヘッドハンティングしたり、とにかく多様な人材の確保に余念がなかったのは昔からです。
「プロレス・スターウォーズ」では、米国マット界がライブ興業による収益が狙いで、興行権を奪うために日本侵略するというシナリオでした。
現在ではPPVなどの映像コンテンツがあるので、わざわざ興行権まで狙う必要がないのですが、異国の地においてWWE人気が過熱すると、これはこれで現地の団体の弱体化を招きかねないので、脅威といえなくもありません。