匿名さん
長嶋と王は監督になってから苦難の日々が続いたと言われていますが、両氏のどちらの方が監督をしていて辛かったと思いますか? 長嶋は現役を引退した翌年の1975年から川上前監督の後釜にになりましたが、V9主力選手の引退と高齢化が顕著になって、1年目は最下位に終わりました。
翌年以降、大胆なトレードの敢行によってペナント2連覇を果たしますが日本一になれず、最後には成績不振によって、1980年に第一次巨人監督を解任されました。
時は流れ、第一次監督解任から12年後の1992年オフに現場復帰し、ドラフトで松井を引き当て、第二次巨人監督がスタートしました。
第二次では、FA制度によって、他球団から主力選手を獲得する補強を毎年敢行しましたが、隔年でしかペナント優勝、日本一にはなれず、大型補強しても優勝できなかったシーズンにはマスコミからは監督としての資質と辞めろコールが飛び出しました。
一方の王は、第一次藤田巨人で助監督を務め監督になりましたが、優勝したチームを引き継ぎながら3年間優勝から遠ざかり、ファンやマスコミからは王の巨人監督としての資質に疑問を呈されました。
そんなこともあって、王は監督5年目のシーズン終盤に、球団から解任を言い渡されました。
巨人監督を解任されたときの王は腸が煮えくり返るほど頭に来ていたらしく、「再び巨人監督に復帰して日本一になり、球団を見返してやる」思いで、評論家生活を送っていたそうです。
皮肉なことに、長嶋の2度目の巨人監督復帰で王の夢は幻となり、そんな折にダイエーから監督オファーを受けて、福岡へ行きました。
王はダイエー監督になっても巨人監督時代と変わらず、コーチの助言には耳を貸さない采配をし続け、それが負けにつながりました。
ダイエー監督2年目のある日、暴走したファンが移動するバスに向かって生卵を投げつける事件が起こりました。
その事件があった試合では、「お前らプロか?」「その采配が王間違い」「頼むから辞めてくれ」党の横断幕が掲げられました。
王はこの一件を受けて、「ファンに認められるには勝つしかない。
それがプロなんだ」と言い聞かせ、その後の常勝軍団をつくるきっかけになったそうです。