日本の身だしなみを現す良い言葉があります。
「分相応」という言葉です。
分相応とは、その人の生活・実経験に相応しいか否かを的確に現す言葉です。
その逆は「分不相応」と言います。
で、大学生のお嬢さんに1000万のベンツですか? もし、お嬢さんが大企業の令嬢で夜な夜なドレスをめかしこんで社交界に出かける身分でしたら、まさしく1000万のベンツは分相応でしょう。
但しこの分相応にも条件があります。
それはこの1000万のベンツ、お嬢さん自らがハンドルを握るクルマではないのです。
制帽をかぶったお抱え運転手(ショーファー)が、白いドライバーズグローヴをした手で運転をし、お嬢さんは後部座席であれこれ指示を出す、いわゆる「ショーファードリブン」がサマになるクルマなのです。
これが1000万円を超えるベンツの正しい使い方です。
確かに若いお嬢さんがハンドルを握る「オーナードライバー」というのもアリかもしれません。
でも、モノがわかった大人ならお嬢さんが、なんだかベンツというブランドを使いこなしていないということを悟るでしょう。
あなたのお嬢さんは大企業令嬢ではないようですから、ベンツとの取り合わせは「分相応」とは言えず「分不相応」そのものです わかりやすい言葉で言えば、「野暮」であり「成金」です。
ニッポンの景気向上にベンツのような高級品への支出は絶対に必要です。
しかし、その支出をあなたの家族が出来る経済状況かを良く吟味すべきでしょう。
確かにお嬢さんの安全や生命については最大限の尊重がされてしかるべきです。
それは否定いたしません。
しかし、その安全がベンツでしか守れないと思われているようでしたら、ちょっとおかしいと思いませんか? 世の中には数多くの若いお嬢さんが自らハンドルを握ってクルマを運転しています。
で、彼女たちのご両親は彼女たちに安全を理由にベンツを与えていますか? またあなたのご主人は、そういうベンツを与えない家庭について「非人道的」と思われていますか? ベンツを買えない親とは、血も涙もないとんでもない親という事になってしまいませんか? 今の工業技術はかつての時代とは格段に進んでおり、ベンツでなければ生命が守れない、ということにはなっていません。
ニッポンは、カネがあればあらゆる分不相応なものでも手に入ってしまう時代になりました。
でもそれは本当に幸せなことなのでしょうか? そういったことを良く話し合ったらどうでしょうか?