
ポイント取れず...
トラブル
F1
マクラーレン
カナダ
#カナダGP #ハト トラ
#F1 #F1カナダGP
F1情報通のニュースまとめ
詳しく記事を読む
この記事に関連する乗り物ニュースまとめ
SNSで話題になっている乗り物ニュース
最新の自動車・バイクニュース一覧
2019年12月(1,770件) 2019年11月(4,517件) 2019年10月(4,915件) 2019年09月(4,463件) 2019年08月(4,282件) 2019年07月(4,935件) 2019年06月(4,566件) 2019年05月(4,817件) 2019年04月(5,094件) 2019年03月(5,011件) 2019年02月(4,256件) 2019年01月(4,708件) 2018年12月(3,839件) 2018年11月(3,597件) 2018年10月(4,069件) 2018年09月(3,233件) 2018年08月(4,165件) 2018年07月(4,923件) 2018年06月(4,723件) 2018年05月(4,959件) 2018年04月(4,917件) 2018年03月(4,017件) 2018年02月(2,475件) 2018年01月(2,655件) 2017年12月(3,603件) 2017年11月(4,795件) 2017年10月(6,265件) 2017年09月(5,734件) 2017年08月(5,964件) 2017年07月(5,859件) 2017年06月(6,468件) 2017年05月(6,715件) 2017年04月(7,007件) 2017年03月(7,102件) 2017年02月(4,555件) 2017年01月(4,095件)
F1(989件) ホンダ(580件) トヨタ(480件) ポルシェ(217件) BMW(206件) MotoGP(202件) アウディ(200件) マクラーレン(187件) スズキ(186件) 日産(183件) フェラーリ(182件) ランボルギーニ(143件) インディ(138件) Gpone(133件) スバル(127件) ジムニー(126件) マツダ(124件) ルノー(123件) 2018 モトGP(117件) ラリー(117件) イベント(112件) クー(112件) レイ(107件) GT-R(105件) レクサス(88件) スーパーGT(86件) 軽自動車(74件) スープラ(71件) motorsport.com(66件) クラウン(65件) 三菱(64件) ラッシュ(62件) WRC(62件) アイ(62件) honda(56件) スーパーフォーミュラ(55件) アストンマーティン(55件) ボルボ(53件) フォード(52件) クーペ(52件) ドライブ(51件) ターボ(50件) アヴェンタドール(47件) MG(47件) カローラ(46件) シビック(46件) 新型車(45件) フォーミュラE(45件) テスラ(43件) ロードスター(42件)
ケン・ブロックが中国の断崖絶壁で天空ドリフトを披露する「クライムカーナ2」が公開【動画】
2019-11-29 1445
トラブル
トラブル トラブル () とは、社会的な事故を指す。いざこざ、もめ事、悶着、面倒、問題、紛争、障害などとも言われる。 感情や利害の行き違いで発生し、小さいところでは口論、大きいところでは殴り合い、果ては法的手段まで、さまざまなレベルが考えられる。ここから派生して、物事が予定通り進まないこと全般を指す。 また近年、主に若者たちの間で、トラブルを動詞化して「トラブる」「トラブった」などという表現も盛んに用いられている。基本的に人間は社会においてトラブルを避ける事を由とするが、相手側からのレスポンスによってはトラブルというカテゴリーを解決する為に、新たなトラブルを生み出さざるを得ない環境もある為、巻き込まれた場合のジレンマは致命的な事もある。
F1
F1グランプリ
F1グランプリ(エフワングランプリ)は、フジテレビNEXTで日本向けに放送されるF1レース中継番組。正式名称は「Formula 1 World Championship xxxx」("xxxx"はその年の西暦)である。1987年から2011年までは地上波放送のフジテレビ系列、2012年から2015年まではBSフジでも放送されていた。
日本で初めてF1グランプリを全戦中継したのは『カーグラフィックTV』(テレビ朝日系列)でのダイジェスト版放送。F1放映権は1986年まではTBSが保持していたが、全戦中継することはなく月1回程度のダイジェスト番組が放送されるのみであった。
1987年から日本GPが再開されるのと中嶋悟が日本人初のF1シーズンフル参戦をすることになったことをきっかけに、フジテレビが日本GP分の放映権を取得しようとしたところ、FIAの方針によって全戦分の放映権を取得することになった。以来全戦中継を行っている。日本GPはゴールデンタイムで放送され、1991年の視聴率は20%を超えており、深夜帯の放送でも10%近い視聴率を獲得していた。しかし、1990年代以降F1ブームそのものが下火になり、一時期ほどの視聴率は獲得できていない。
2012年・2013年の2年間については、フジテレビのCS放送およびBSフジでの放送となると発表された。これにより、フジテレビ系列における地上波中継は2011年をもって終了することとなった。
2014年1月24日には、2014年の中継も前年までと同様であると発表された。放映権は複数年契約とされている一方で、2014年にはダイジェスト放送ではあるが地上波で3年ぶりに放送が行われることとなった(後述)。また、2014年8月27日には、2014年の日本グランプリはBS・CSでの放送に加え、地上波でも決勝当日の深夜に録画中継されることが発表された。
なお、フジテレビのF1の放映権の契約は2015年で一旦終了し
、FOX SPORTSが2016年 - 2022年のF1のアジア全地区でのテレビ放映権を獲得している。2016年2月9日にフジテレビが放映権を獲得したと発表したが、FOMと直接契約したのではなく、FOX SPORTSからサブライセンスを購入するかたちとなっているため、放送はCS放送のフジテレビNEXTでの生放送に限られ、フジテレビNEXTsmartでのネット配信は放送契約者のみ利用可能(後述)と変更され、フジテレビONEや2012年から地上波から移行して放送を行ってきたBSフジでの録画放送は行われないことになった。ただし、日本GPの決勝のみ当日深夜に録画放送される。
また、2016年シーズンの中継はNHKがWOWOWでの放送を目的とした放映権の買取交渉を行っており、関係者によるとフジテレビよりも好条件を提示していたが、NHKは現地にスタッフを派遣しての独自制作などは考慮していなかったため、NHKとWOWOWの放映権獲得には至らなかった。その一方でNHKはBS1で「F1世界最速への挑戦」と題した特別番組を不定期に放送しており、2016年3月26日に初回放送された第3回目の放送では開幕戦のレース映像が使用された(エンドロールには「映像提供 Formula One Management」との表記あり)。このホンダ製パワーユニットを追った番組は2シーズン4回以降続編が作られていない。また同シーズンよりワールドスポーツMLB内にて数分間・不定期に欠戦がありつつも、写真構成ではなくレース映像を1戦ごとに放送し続けている。
2017年もフジテレビが放映権を獲得、フジテレビNEXTでの生放送が継続される。前年に引き続き、日本GPの決勝をBSフジで録画中継する。2018年も同様。
中継に使用する映像は、当初は開催国のテレビ局の映像にフジテレビ独自のカメラからの映像をかぶせたり、編集したものを使いフジテレビが製作するオリジナルのテロップを使用していた。しかし、1994年からFOA(当初はFOCA)統括によるチェックが厳しくなり、オープニング後に「FIA FORMULA1 WORLD CHAMPIONSHIP」というアイキャッチが入るようになったほか(2003年以降は「F1」ロゴのアイキャッチが使用されている)、さらに厳しくなった1996年以降はスタジオトークなど局独自の映像以外、レースそのものにおけるオリジナルの映像やFOA中継で使用される以外のテロップ表示を禁じられた(このため一時はレース中に日本語テロップを全く表示できない状態となり、視聴者からの不評を招いた)。テロップについては2003年より規制が緩和されており、通常のFOA制作中継に重ねて局独自のものが挿入されている。2001年より一部地域を除き、番組の最初に「PERFECT SPORT SPECIAL」のアイキャッチが入る。また、地上デジタルテレビジョン放送では2006年からはデータ放送と連動、2007年からはHD対応の16:9サイズとなり(ただし映像はSD)、2011年からは国際映像がハイビジョン化された。
実況・解説・ピットレポートは、当初は全て現地から行っていた。しかし2001年第14戦アメリカGP以降は、地上波中継については日本GPを除き実況・解説を東京のスタジオで行う方式に切り替え、さらに2002年のサンマリノGPからは東京のスタジオにセットを構え、タレントの北川えりをレース前後の進行役に据え、実況と解説者が同スタジオでレースの模様を届ける方法に替わった。2003年からはタレントの永井大とモデルの山田優を「キャスター」に、ドライバー出身の片山右京やタレントの近藤真彦らを解説陣に据えた。これは2001年9月に9.11事件が発生したため、取材クルーがテロに巻き込まれるリスクを考慮した対応である。また、FOAの規制は厳しい反面、情報の提供は豊富であり、あえて現地にCS・地上波の2クルーを送り込む必要がなくなっていることなどが理由である。ただし、この方法だと生の臨場感、錯綜する情報への対応に支障が出ることなどから、2004年より再び実況および一部の解説者が現地に入るかたちに改められた。
当初から上記の方法は何の予告もなく中継スタイルが変更されたことや、レース途中で中継が中断され模型による状況解説が挿入されたために視聴者から戸惑いと不満の声が上がっており、モータースポーツの知識に乏しい芸能人の進行役の存在もしばしば議論の対象となっていた。一例として、当時『週刊オートスポーツ』(三栄書房)に連載されていた漫画『あんたが大将 オレさま烈伝』では、当時の番組スタイルを揶揄・批判する描写がしばしば登場している。長坂哲夫のように新スタイルへの不満を公言して一時中継から離れるものもいた(詳しくは長坂哲夫#来歴・人物を参照)。
2007年からは進行役を置かず、オープニング後、CMが明けてすぐにレース映像に入るスタイルに変更された。なお、ごく初期の中継において、副音声で小林克也が実況を行いながら適切な音楽を流す「F-1 MUSIC PIT」という中継方法をとったこともあった。
前述の通り、2011年をもって、地上波放送は姿を消すこととなった。
1989年から1994年にかけて、新日本プロレス中継などで有名であったフリー(元テレビ朝日)アナウンサーの古舘伊知郎を実況に採用する。マシンガン実況と呼ばれる名調子・比喩表現をF1実況に持ち込んだことで評判となり、F1ブームの立役者ともなった。事前取材が綿密な人物であるため、経年ごとにコメントに深さも見られるようになり、1993年のスペイングランプリでは「解説者」として中継ブースに座るまでに至った。
古舘の降板理由については、一般には心酔していたセナのサンマリノグランプリでの事故死が真っ先に挙げられるが、古館自身は齋藤孝との対談書の中で、「実況する際に必要なマシンカラーとチーム名称、ドライバーの名前とそのヘルメットカラー等が、毎年毎年目まぐるしく変わり、毎年毎年それをリセットして記憶し直し、それぞれを結びつける作業(例:マシンカラー+ヘルメットカラー=ドライバー名・チーム名)ができなくなったため」と説明している。
古舘の登場以後の実況は、絶叫や独自表現・比喩法を利かせたようなアナウンサーが目立つようになった。
2003年ごろから「応援」「サポート」の名目でタレントなどを起用し、番組宣伝を行わせる手法を取り入れたことも当中継の特徴であった。
芸能人を中継のゲストに呼ぶ行為自体は中継初期から行われていたが、初代プロデューサーの松野博文がバラエティ色の濃いスポーツ中継に否定的であったことから、当時のゲストは芸能人でもある程度モータースポーツ経験のある人間、もしくはF1ファンに限られていた。
しかし渡辺信治がプロデューサーとなった2003年以降、番組は全体的にバラエティ色を強める方向に向かった。2005年シーズン中に「F1モデル」をレギュラー番組として放送したことでも挙げられるように、女性をターゲットにしたハンサムなドライバーの紹介をし、タレントや女子アナに魅力を語らせてから、日本メーカーや日本人ドライバーを中心とした紹介VTRをいくつも挿入して、視聴者に訴えかけるようなことを例年工夫している。最も顕著だった例としては、2006年シーズンのトルコGPから日本GPまで、モデルの蛯原友里を筆頭としたCanCamモデルをサポーターズ(現地リポーター)として起用したことが挙げられる。トルコGPオープニングではチームやドライバー紹介もコメディチックになり、さらに合間合間にCanCamのロゴをバックに蛯原、押切もえ、山田優がダンスをするムービーがなぜか流れ、ナレーションが「Support by CanCam!!」と叫ぶなど、何を紹介しているのかわからない状態になり、日本GPでは小倉智昭とCanCamモデルがブースに入りコメントをするなど、ますますバラエティ路線を意識した番組作りに、インターネット上等で批判が巻き起こり、前述の通り実況担当の長坂アナは一時期F1実況から離れることとなった。
この間もCS放送では、当初からバラエティ色を極力排除した本来の中継スタイルで放送を続けていた(下記項目を参照)。
このような賛否を招いたタレント起用は、2011年にAKB48の大島優子が日本グランプリのレポーターを務めたのが最後となり、2012年からのBSフジでの放送はCS生中継の編集版が使われることになったため、上記のようなタレント起用は一切なくなり、一部BSフジ独自制作の場合でも、片山右京、近藤真彦、小倉茂徳、森脇基恭などモータースポーツ関係者がコメンタリーを務めるため、バラエティ色はほとんどない。
オープニングについては、2006年までは歴代の名車を再現したものなどやアラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、ニキ・ラウダ、ジル・ヴィルヌーヴ、中嶋悟、鈴木亜久里、片山右京、アイルトン・セナ、ミハエル・シューマッハの名ドライバーを中心にCGを多用したものが使用され、THE SQUAREの『TRUTH』のテーマ曲と共にF1名物となっていた。
2007年からはテーマ曲がQUEENの『FLASH』をアレンジした『Flash's Theme 2007 High Octane Mix』となった。しかし、オープニングがこれまでのF1マシンを多用したものから、アメリカンコミックを思わせるようなアニメーションに変更された。そのアニメにはF1とはかけ離れた、空を飛ぶマシンをアメリカンコミック風にデフォルメされたドライバー達が操縦し、悪者と思われる架空の青人もしくは黒人ドライバーの乗ったマシンが、シグナルポールに激突して爆発するシーンがあった。なお、第5戦スペインGP放送分より実車映像が挿入されているが、激突のシーンは以降もそのままだった。
翌2008年もテーマ曲は継続して使用されたが、件のアニメが廃止され、ネルソン・ピケ・ネルソン・ピケJr.、ケケ・ロズベルグ・ニコ・ロズベルグ、中嶋悟・中嶋一貴の親子ドライバーを中心に、キミ・ライコネン、ルイス・ハミルトン、フェルナンド・アロンソのトップドライバー、ジェンソン・バトン、ティモ・グロックの日本ワークスドライバー、日本人ドライバーの佐藤琢磨が紹介された。
2009年はテーマ曲が再変更され、屋敷豪太の『God only knows』を採用し、メロディアスで流麗な旋律が視聴者の好感触を誘った。映像は、2008年のレースのものが使われ、その後ルイス・ハミルトン、フェリペ・マッサ(シーズン途中まで)、キミ・ライコネン、ヤルノ・トゥルーリ、フェルナンド・アロンソ、ティモ・グロック、セバスチャン・ベッテル、中嶋一貴が紹介された。シーズンの途中からは、チャンピオンシップでトップに立っているジェンソン・バトン、マッサの代わりにはルーベンス・バリチェロも紹介されるようになった。
2010年も同じ曲であるが、その中の別のメロディを使用している。第3戦のマレーシアGPまでは曲の中にエンジン音を取り入れていた。ドライバーの紹介は3年ぶりに現役復帰した7度の世界王者ミハエル・シューマッハ、フェラーリに移籍した2005年と2006年の世界王者フェルナンド・アロンソ、同じくマクラーレンに移籍した去年の世界王者ジェンソン・バトン、バトンのチームメイトで2008年の世界王者ルイス・ハミルトンという4人の歴代世界王者に、去年最後までタイトルを争ったセバスチャン・ベッテルと2009年に印象的な走りを披露した小林可夢偉という2人の挑戦者(4チャンピオン+2チャレンジャー)という図式で紹介された。日本グランプリでは特別なオープニングが放送され、過去の鈴鹿の名場面や歴代日本人ドライバー(中嶋悟、片山右京、佐藤琢磨、鈴木亜久里)の映像が流された後、タイトルを争うマーク・ウェバー、フェルナンド・アロンソ、ルイス・ハミルトン、ジェンソン・バトン、セバスチャン・ベッテルと唯一の日本人ドライバー小林可夢偉が紹介された。
2011年はGreen DayのAmerican Idiot、原田憲のGIMCRACKが採用された。紹介されるドライバーは前年と同じであるが、ベッテルが2010年ワールドチャンピオンになったことで"5人の歴代世界王者+挑戦者"という図式となった。
日本国内でのF1の人気低迷、そして近年のトヨタ、ホンダ、ブリヂストンなど日本企業のF1からの撤退が相次ぎ番組スポンサーも付きにくくなっていたことなどの要因から、2012年1月19日にフジテレビは地上波放送の終了、そしてBSフジでの放送に移行することを発表した。なお、CSではこれまで通り全セッションを生中継する。フジテレビ広報部によると(2012年の時点では)「日本グランプリも地上波放送の予定はない」としている。
BSフジでもこれまでの地上波放送と同様に予選と決勝の模様が中継されるが、CSとの差別化を図るため録画放送になる。基本フォーマットは予選が60分、決勝が1時間50分で、決勝の放送時間は23時開始を原則とする(ただし時差の関係もあるため固定ではない)など、予選については従来の地上波よりも放送時間が拡大、決勝も放送開始が従来より早まる。
2012年は、基本的にはCSでの放送内容を編集したものであったが、イギリスグランプリと日本グランプリにおいては、BSフジとCSは別の実況・解説陣で放送された。BSフジの実況は、前年までの地上波中継を模した雰囲気で進められた。独自テロップはイギリスグランプリでは無かったが、日本グランプリでは一部に用いられた。
2013年は、BSフジは半数近くのレースで独自の実況・解説陣となる。また、F1情報番組「Inside Line」を英語ナレーション・日本語字幕で不定期に放送した。
なお、前述の通り2016年以降はCSによる生中継のみとなったため、BSでの放送は実施されない(ただし、日本GPの決勝のみ録画放送される)。
2018年は日本GPのみ録画放送。BSフジに異動した塩原恒夫アナによる実況、川井一仁による解説であった(川井は前日に生中継されたCS放送でも解説を務めた)。レース中継前には子供やF1初心者向けの「F1ってな~に?」のコーナーがあったり、川井の解説が極力専用用語を排し分かりやすさに努めたものであるなど、CS放送との差別化が図られた。
2016年以降のこれらの番組の処遇は不明。
2012年からは、テーマソングとしてTHE SQUAREの『TRUTH』が復活した。オープニング映像では、当番組が開始した1987年からの歴代ワールドチャンピオンである、アイルトン・セナ、アラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、デイモン・ヒル、ジャック・ヴィルヌーヴ、ミハエル・シューマッハ、ミカ・ハッキネン、フェルナンド・アロンソ、キミ・ライコネン、ルイス・ハミルトン、ジェンソン・バトン、セバスチャン・ベッテルが紹介された。
その後もこれをベースにほぼ同じオープニング映像が使用されており、毎年若干の変更を加えている。
2013年は、前年紹介されなかった1987年ワールドチャンピオンのネルソン・ピケがセナの隣に追加された。
2014年は、ベッテルの後に2年ぶりのF1復帰となる小林可夢偉が追加された。また、ベッテルの写真が前年最終戦の表彰式での物に変更された。日本グランプリは特別なオープニングが作られ、メルセデスのルイス・ハミルトンとニコ・ロズベルグ、レッドブルのダニエル・リカルドとセバスチャン・ベッテル、フェラーリのフェルナンド・アロンソとキミ・ライコネン、ケータハムの小林可夢偉が紹介された。
2015年は、前年ワールドチャンピオンのハミルトンが最後に紹介され、ベッテルは前年までのハミルトンの位置に変更された。なお、今シーズンに参戦していない小林は外されている。
2016年は、この年よりBSでの日本GP録画放送でのみオープニング映像が使用されている。前年までと同じ映像だがF1マシンの風切り音などの効果音が追加されている。
2017年は、映像が一新され今シーズンのレース映像をダイジェスト風に編集した約15秒間のオープニングが放送された。
2018年は、2016年まで使用していた「F1 GRAND PRIX」のタイトルに続き、この年開催30周年を迎える鈴鹿サーキットでの日本GPの過去のレース映像となった。
1992年からBS放送局・WOWOWにて翌週、もしくは翌々週に決勝のノーカット再放送が行われ、1998年のフジテレビ721(現・フジテレビTWO)開局以降も並行して放送が続いていたが、2001年で放映を終了。また、フジテレビ721では金曜フリー走行1回目からの全セッションを生中継していたほか、下述のように実況・解説が地上波とCSで個別のものになる以前はオープニング・エンディングを除いて共通のソースを利用していた。
2003年からは2011年までは
と位置付け、2002年までの解説、レポーター陣をCS放送に起用した体制となっていた。
2008年からはフジテレビCSHD(現・フジテレビNEXT)対応の中継が開始。
現在は、フジテレビNEXTで金曜フリー走行を含む全セッションの生中継を行っている。
番組は基本的に東京のスタジオと現地の実況ブースの2元中継体制で、東京のスタジオでは実況者と解説者1名が伝え、現地では川井一仁が解説と現地での状況を伝える。このほかフリー走行の中継に津川哲夫や米家峰起が現地から出演することがある。また、今宮純、浜島裕英、森脇基恭、片山右京、松田次生も東京スタジオの解説で出演する。2012年からは、経費削減や治安問題等の理由で現地解説なしで川井一仁らが東京のスタジオで解説を行うレースもある。
レース全体の実況は地上波・BS独自と違い、比較的平坦である。また、地上波では披露されない、チームやマシンについての深い内容を解説する。2012年 - 2015年はBSフジでも解説がそのまま流用されることがあったため、解説陣が言葉の言い回しに気を遣っている様子も見受けられた。さらに音声切り替え(ステレオ2。一部のケーブルテレビ局の配信は除く)により、実況や解説のないサーキットでの音声のみを聞くことも可能である。
なお、CSでのF1中継は2007年まではフジテレビ721で、2008年からはフジテレビ721とフジテレビCSHD(現・フジテレビNEXT、スカパー!e2(現・スカパー!)では2008年のバーレーンGPから、スカパー!HD(現・スカパー!プレミアムサービス)では同年の日本GPから)両チャンネルのサイマル放送にて、土曜日のフリー走行3回目から予選、日曜日の決勝までリアルタイム生中継(日本グランプリのみ金曜日のフリー走行1回目から完全生中継)を行っていた。フジテレビ721が画面アスペクト比4:3で主音声・副音声ともにステレオ音声(ちなみに地上波アナログ放送の音声多重放送では技術的な問題により主・副 ともにモノラルとなる。地上デジタル放送では主・副 ともにステレオが可能)、フジテレビCSHDは画面サイズ16:9の放送(東京のスタジオ映像やオープニング映像などはハイビジョン映像、中継映像はハイビジョン映像または16:9SD映像)で副音声なしのステレオ放送であった。
2013年から、決勝の放送はピットレーンがオープンされるレーススタート30分前から開始され、レコノサンスラップの模様も中継される。2014年からは「フジテレビNEXTsmart」を開始、フジテレビオンデマンド、スカパー!オンデマンド、ニコニコチャンネル(日本グランプリから)などでフジテレビNEXTと同内容の中継を全セッション、インターネットでライブストリーミング配信や一定期間のアーカイブ配信を行っている。2016年シーズンは放送権の都合上ネット配信は原則として行われず、CS放送またはジュピターテレコム系CATVでのチャンネル契約者のみスカパー!オンデマンドまたはJ:COMオンデマンド経由でネット配信を受けることができ、リピート放送時の同時配信や見逃し配信、アーカイブ配信は行われない。
2015年はマルチメディア放送のNOTTVでも、一部を除く土曜日の公式予選と日曜日の決勝レースの同日録画放送を行う。2016年については上述の放送権に関する事情や、NOTTV自体が同年6月末で放送を終了したことから、放送されなかった。
2017年には、イギリスグランプリ開催前にロンドンで行われたイベント「F1 LIVE LONDON」の生中継を行った。
また、2015年まではフジテレビONEで翌月曜日に「F1 MONDAY」と称して全セッションの録画放送を行っていた。
2005年のシーズンオフからは、「F1 LEGENDS THE BEST GP」と銘打ったオフ企画を開始。これは、フジテレビが中継を開始する以前の1981年から1986年のグランプリを、2007年シーズンオフまでの3年間(その後2008年以降も継続)にわたり、視聴者リクエスト結果と解説陣の推薦するレースにより2年分ずつセレクトしたかたちで放送するものである。この企画には、従来シーズンオフになると翌年の開幕まで契約を解約する加入者が多かったことに対する解約防止策という側面もある。
また、2009年のシーズンオフは「F1グランプリの歴史」と題した企画を放送。これは世界的に全戦中継もなされていなかった1970年から1980年までのレース映像を放送するもので、全編英語ナレーション・字幕放送となっている。
日本グランプリ(以下日本GP)はフジテレビがタイトルスポンサーを務める、F1では珍しい放送局の冠レースであった(2009年まで)。2007年からは日本GPの開催地がこれまでの鈴鹿サーキットから富士スピードウェイに替わることとなったが、フジテレビが引き続き同グランプリの冠スポンサーを務めた。当時使用された優勝トロフィー(漆器を使ったもの)はフジテレビの美術スタッフのデザインである。
しかし、長年に渡って地上波での生中継は行われず、決勝当日の夜(時期によって放送開始時間は異なる)に録画放送されていた。
特に中継初年度の1987年の日本GPでは広告効果などの都合上生放送で行う考えがあったが、日本GPが行われる時間帯に当時デーゲームで行われたプロ野球日本シリーズ中継があり、さらには競馬中継の放映の関係もあり、視聴率や放映時間の確保などの関係上20時-22時のゴールデンタイムで録画放送された経緯がある。
中央競馬中継は、フジテレビおよび関西テレビにとってF1中継よりも長い歴史を有する番組であり、重要なコンテンツでもある。2014年まではこのような形で競馬中継ができない場合は、フジテレビが運営するBSフジで生中継を行った。また、グランプリシリーズの日程決定機関がテレビ局ではなくFIAであるため、日本中央競馬会(JRA)が重要と位置づけるGIレースと日程が重なることもある。
1994年4月17日に、TIサーキット英田(現 岡山国際サーキット)で開催されたパシフィックグランプリにおいて、初のフジテレビによる日本国内開催のF1グランプリレースの生中継が実現した。この日は中央競馬でも牡馬クラシックの第一戦皐月賞が開催され、競馬中継(『スーパー競馬』『ドリーム競馬』)もそれに対応して通常より30分早い14時30分からの放送となっていたが、パシフィックグランプリのレーススタート時間も12時30分と早い時間であり、両番組の時間的競合は発生しなかった。
日本グランプリの地上波生中継はその後も長く行われず、2005年10月9日に開催された2005年日本グランプリで初めて実現した。視聴率が関東地区で10.3%を記録したことから、翌2006年10月8日の決勝レースも生中継で放送。ちなみにこの放送ではF1では初めてとなるハイビジョン制作での中継となった。
2007年はF1日本GP決勝とGIレースのスプリンターズステークスが同じ9月30日開催(発走時間15:40)となったため、その処遇が注目されていたが、日本GPの生中継は13時10分から15時15分(最大延長15時35分まで)となり、レギュラーの競馬中継時間と15分重なることになるが、F1・競馬両レースを生中継するにはほぼ問題ないスケジュールとなった。ただ、日本GPのスタート時間が13時30分であること、さらに当日は雨天で2時間に及ぶレースとなったことから、最大延長時間の15時35分まで放送、ゴールの瞬間は放送できたものの、表彰式以降は非中継となった。競馬中継もスプリンターズステークス出走直前からの放送となっている。
2008年も決勝生中継は13時10分から15時15分であったが、前年と異なり天候が悪化することもなく、時間内にレースから表彰式・公式インタビューの一部まで放送された。ちなみに、この日の競馬はGI競走は設定されておらず(GIIの毎日王冠・京都大賞典)、予定通り通常より15分遅れで競馬中継が開始した。
2009年は2007年と同様に決勝とスプリンターズステークスが重なった上に、2007年よりもF1決勝開始予定時刻が遅い14時(当初は15時予定だった)となっており、両レースの開催時間が重なる可能性が発生、さらに同日にゴルフの「コカ・コーラ東海クラシック」(FNS系列の東海テレビ主催)最終日も行われた。このためF1を13時40分から15時45分、競馬を15時45分から16時20分(F1は15時40分までの放送予定だったが5分延長し、これに伴い競馬中継を5分繰り下げ・短縮して放送した)、ゴルフを16時20分 から17時50分(録画)で放送した。また地上波放送としては珍しく副音声での放送も行った。前日の予選では、ティモ・グロックのクラッシュなどで赤旗が3度も振られるなどし、セッション時間が大幅に延びたため、Q3(第3ラウンド)の途中で番組が終了。この予選中継の延長対応がなかったことに対し、1400件もの苦情電話が視聴者センターに寄せられた。ちなみに次のブラジルGP予選も雨の影響で予選が当初の時間より遅れたため途中から生放送となり日本GPに続いて予選の結果を伝えることができなかった。
2010年の日本グランプリは、トヨタ自動車の撤退を受け鈴鹿サーキットで10月10日に行われることが決定したが、決勝のスタート時刻が15時と、通常時の競馬中継(『みんなのKEIBA Races For Everyone』『KEIBA beat〜競馬×鼓動』)の開始時刻に重なったことから、F1の生中継は行われず、競馬中継後の16:00 - 17:50に録画中継で放送された。また、フジテレビがリーマン・ショックに端を発した一連の不況を受け、日本グランプリ再開から長らく務めてきた冠スポンサーを前年で降りた。
無料放送がBSに移行してからは、決勝は2012年は21時 - 22時40分、2013年は21時 - 22時50分、2014年は19時 - 20時40分、2015年は19時 - 20時50分、2016年は24時 - 26時、2017年は翌日の17時 - 18時55分、2018年は翌日の17時 - 19時でそれぞれ録画放送となっている。
2007年からほとんどのGPのホスト局が国際映像の制作をFOMに委託する中で、日本グランプリは2011年までフジテレビが国際映像の制作を継続した。2012年からは契約更新における予算削減の影響を受け、国際映像はFOMの制作に切り替わっている(2008年よりフジテレビが取り入れた5.1chサラウンド音声はCS放送でのみ継続されている)。
一方、今後の日本GPについて、2007年3月にFOAのバーニー・エクレストン会長が、「早ければ2008年からの日本GPは夜間開催にしたい」という意向を示していた。これが実現すればこうした問題は解決するほか、生中継となればゴールデンタイムでの放送となるが、安全性の問題やインフラ整備の問題があり、実現への障壁は大きい。
※時間はいずれもJST
日本GP・レースウィーク中には「日本GP前夜祭」を制作している。
当初はパドックの一角を借りてのささやかなイベントが行われ、歌手のアン・ルイスらが出演し、予選の回顧やF1関係者のゲスト出演から始まり、ミニゲームを経て、別撮りのT-SQUAREのライブを放映していたが、その後は古舘がホストとなって、ゲストを呼んでのスタジオ撮りとなり、またサーキット周辺にステージを設けるようになり、果ては独立した興行を打つようになった。前夜祭の名にふさわしく、大物ドライバーや中継陣、F1関係者が多数出演していた。興行化された1996年は、MAXのライブを開催したことから多くの熱狂的なMAXのファンが来場。イベント序盤にライブが開催されたため、それ以降の企画に来場者が盛り上がらなかったという本末転倒な事態に陥ってしまった。
1993年のゴールデン生中継の前夜祭では、鈴鹿サーキット入場口周辺の徹夜組を取材。携帯テレビを持参したファンがいたため、三宅正治が視聴番組を自番組と思い込んで確認したところ、NHKの時代劇を見ていたということがあった。
2012年以降はフジテレビNEXTにて前夜祭の放送が行われている。
1987年の開幕レースから使われているテーマ曲、『TRUTH』(THE SQUARE)が日本におけるF1、ひいてはモータースポーツ(レース)をイメージする代表的な曲となっている。その後は1999年・2000年に『GO FURTHER』(松本孝弘)が使用され、2001年から2006年までは『TRUTH』のアレンジバージョンが使用された。さらに2012年 - 2015年のBSフジでの放送では、『TRUTH』が再度使用され、2016年からの日本GP録画放送でも使用されている。
2007年・2008年はQUEENの代表作『FLASH』をブライアン・メイが新たにリミックスした『Flash's Theme 2007 High Octane Mix』が使用され、2009年は屋敷豪太の『God Only Knows』へと変更された。『GO FURTHER』以降はほぼ2年ごとに違った曲・アレンジが使用されている。
CS放送では2003年以降、『RESONANCE-T〜Truth Drum'n Bass Mix』がテーマ曲として採用されたが、2010年はテーマ曲・映像ともに地上波と共通となった。2011年以降はテーマ曲自体がなくなっている。
エンディングテーマは初期には『TRUTH』がそのまま使用されていたが、後に『In This Country』(ロビン・ザンダー)や『A Latchkey』(佐藤準)を始めとしてさまざまな曲が使用された。BSフジでは『TRUTH』の後半の一部が使用されている。
1988年までは紹介曲が固定されておらず、鳥山雄司の『Captain Haddock』や堀井勝美の『Hot Corner』などが使用された。
1989年〜1993年開幕戦にはスターティンググリッド紹介中のBGMにOVAドミニオンのサウンドトラックより『危険濃度』が使われていた。
近年は国内外のメタルなどのアーティストのナンバーをインストゥルメンタルで流すことが多い。
1992年から1993年にかけてドライバーごとのテーマ曲が設定されていた時期もあり、優勝ドライバーがゴールすると共にそのドライバーのテーマ曲が流れていた。例外として1992年のハンガリーGPは優勝者のアイルトン・セナのテーマ曲ではなく、2位でフィニッシュしてワールドチャンピオンを決定したナイジェル・マンセルのテーマ曲が流された。しかし1993年のポルトガルGPでは同じように2位でフィニッシュしてワールドチャンピオンを決めたアラン・プロストのテーマ曲ではなく、優勝者のミハエル・シューマッハのテーマ曲が流された。さらに予選中継でもポールポジションを獲得したドライバーのテーマ曲が流れていたが、デーモン・ヒルがポールポジションを獲得した1993年のフランスGPで流れたのは後にハンガリーGPで優勝した際に流れた「HEART OF EARTH」ではなく、ジョー・サトリアーニの「One Big Rush」であった。
なお、この期間に優勝したドライバーはセナ・マンセル・ベルガー・パトレーゼ・シューマッハ・プロスト・ヒルの7人で、他のドライバーにテーマ曲が設定されているか不明であったが、これについては1992年のF1日本グランプリ前夜祭で古舘伊知郎が「ペリー・マッカーシーのテーマ曲も用意されています」と語っており、一応は全ドライバー分用意されていたことがうかがえる。その後、当時優勝できなかったジャン・アレジのテーマ曲が、CD『伝説のヒーロー~フジテレビ系「F1グランプリ」番組使用曲
』(EMIミュージック・ジャパン)に収録された。
同じく放送初期(1987年の数戦)の選手紹介の時に、メゾフォルテ の 『Rockall』 が使われていた。この曲はF1情報番組のF1ポールポジションでもよく使われていた。
同じく放送初期(1989〜1994年)の開幕戦(1989年日本GP)に行なわれていたチーム紹介中のBGMにOVAヴイナス戦記のサウンドトラックより『メインテーマ(ヴイナスの彼方へ)』が使われていた。
放送はF1の現地開催時間に応じて行われていて、フジテレビNEXTで生中継している。セッション開始予定時刻10分前に放送がスタートする。
放送はF1の現地開催時間に応じて行われていて、フジテレビNEXTで生中継している。セッション開始予定時刻10分前に放送がスタートする。
放送はF1の現地開催時間に応じて行われていて、フジテレビNEXTで生中継している。レコノサンスラップ開始予定時刻(フォーメーションラップ開始予定時刻40分前)に放送がスタートする。
走行セッションが延長した場合、セッション終了まで番組を延長して対応する。予選でセッションが翌日に順延した場合、セッションに合わせて急遽番組を編成する。
※以下はフジテレビ系列( - 2011年、地上波)、BSフジ(2012年 - 2015年)で放映していたときのものである。
放送はF1の現地開催時間に応じて行われていた。通常は土曜深夜に予選を放送し、翌日に決勝の模様が放送される。ただし、一部のフジテレビ系列局では土曜の予選を放送していない、またはフジテレビより遅れた時間で放送している局も存在していた。2010年現在地方局で毎戦予選を放送していたのは北海道文化放送、岩手めんこいテレビ、さくらんぼテレビ、東海テレビ、関西テレビ、岡山放送、高知さんさんテレビ、山陰中央テレビ、沖縄テレビの10局となっていた。なお、年一回の「FNSの日(27時間テレビ)」と重なる場合は放送時間が30分に短縮されていた(この場合のみ通常未放送地域でも放送、ただしFNSの日を放送していないテレビ大分は除く)。2011年は放送時間を30分に短縮した。
基本的にフジテレビNEXTで放送したものを1時間に編集して24:00 - 25:00に放送された。南北アメリカの国でのグランプリは、基本的に日曜日の15:00 - 16:00(一部例外あり)に放送されていた。
F1商業権を統括するFOAとの契約によりレース開催当日に放送開始することを義務付けられている。実際に完全履行しているのはCSチャンネルのフジテレビNEXTでの放送のみだが、地上波でも2011年までは23:50から放映されていた(それまでは時間帯が不定期だった)。これは、特にヨーロッパでの開催において日本時間ではプライムタイムと重なるが、「高い視聴率を確保しにくい」という理由で深夜帯での枠が与えられているため。その場合、23:45からの「FNNニュース」は通常10分のところを5分短縮、「すぽると!」はF1中継終了後、深夜枠にて20分間の放送などの編成がなされていた。
また、クロスネット局であるテレビ大分とテレビ宮崎の場合は日本テレビ制作「Going!Sports&News」の終了後、1時間遅れの24:50から放送されていた(その場合、テレビ大分では通常番組の「NNNドキュメント」はF1中継終了後、もしくは翌日の月曜深夜に放送する措置がとられていた)。クロスネット2局では特番などの影響でこれより数10分遅れることもある他、編成によってはFNSフルネット局と同時ネットになる場合もあった。
例外としてオーストラリアGPは時差の関係上夕方(2005年は13:00)から、モナコGP、イタリアGP、シンガポールGP(2008年)、日本GPは22:00もしくは22:30、または22:55から放送を行う場合がある。また日本GPは2005年から2009年まで午後1時台からの生中継を実施していた(後述)。また、北アメリカの国で行われる場合、時差の関係で当初は月曜深夜に放映されていたが、「結果が先に新聞などで流れてしまう」などの視聴者の声に応える形で月曜日の早朝に放映されるようになり、1995年以降生中継となったが、1992年のメキシコGPとカナダGPは月曜朝(録画放送)・月曜深夜(ダイジェスト)と2回放送していた。2010年ブラジルGPは前夜のプロ野球日本シリーズ中継延長の影響で、125分遅れの2010年11月8日3:00 - 4:25でかつ放送時間を85分に短縮して録画放送された。この場合はクロスネット局のテレビ大分とテレビ宮崎でも同時ネットで放送される(クロスネット2局では開始時間が22:00もしくは22:30、または22:55の場合は24:50からの時差ネットとなる)。
かつては1993年3月まではフジテレビ系列だった山形テレビ(現在はテレビ朝日系列)のほか、青森テレビと岩手放送(現:IBC岩手放送)(いずれもTBS系列)などの系列外局でも決勝レースのみ放送されていた。
なお1990年代後半まで、フジテレビ社内の映写室で生映像を見せるサービスを、モータースポーツジャーナリストやスポンサー、ドライバー関係者のために行っていたが、フジテレビ721(現フジテレビTWO)における生放送の開始(1998年)を受けてこのサービスは廃止となった。
基本的に決勝開催日の23時30分から25時10分(2012年は23時から24時50分)に、フジテレビNEXTで放送されたものを1時間40分(2012年度は1時間50分)に編集して録画中継していた。南北アメリカの国でのグランプリは、月曜日の22時から23時40分(例外として2015年のアメリカグランプリは月曜日の23時から24時40分)に放送された。開幕戦であるオーストラリアグランプリは2012年と2013年は17時から18時50分、2014年と2015年は17時から18時40分に放送された。
シーズン終了後の12月にはその年の総集編を特別番組として放映している。ブーム期には5時間の内容だったこともある。また、総集編は放映しない地上波系列局も存在する。CS放送では1999年から放送している。地上波放送では1988年 - 2009年、BS放送では2014年・2015年に放送された。
山本以外は現職のフジテレビアナウンサーである。
()は地上波初実況のGP
馬場、古舘、鈴木、下田以外はフジテレビアナウンサーである。
2006年の企画(トルコGP - )。日本グランプリを盛り上げる役割を担った。
小倉以外は山田優もモデルを務める小学館のファッション雑誌「CanCam」とのタイアップで、同誌のモデルから選ばれた。
マクラーレン
マクラーレン
マクラーレン・レーシング・リミテッド(McLaren Racing Limited)は、1963年にブルース・マクラーレンにより設立されたイギリスのレーシング・チーム。
1966年よりF1に参戦し続けている。にブルース・マクラーレンの事故死後はテディ・メイヤーがチーム運営を引き継ぎ、にロン・デニスが率いる「プロジェクト4」と合併した。
シーズン終了時点で、グランプリにおける優勝回数、ドライバーズタイトル獲得回数、ともにフェラーリに次ぐ歴代2位、コンストラクターズタイトル獲得回数ではフェラーリとウィリアムズに次ぐ歴代3位の記録を持ち、F1を代表する名門チームの一角に数えられている。
その他のレースカテゴリーでは、カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ(Can-Am)において1967年から1971年にかけ5年連続でタイトルを獲得した。インディ500、ル・マン24時間レースにおいても優勝を記録している。
2017年現在、世界三大レースである「モナコGP、ル・マン24時間レース、インディ500」の全てを制したコンストラクター(車体製造者)としても知られている(他にはメルセデスのみ)。
タイトルスポンサーはヤードレー(1972年 - 1974年)→マールボロ(1974年 - 1996年)→ウエスト(1997年 - 2005年シーズン半ば)→ボーダフォン(2007年 - 2013年)と変遷しているが、現在はタイトルスポンサーが不在のため、正式エントリー名は「マクラーレンF1チーム(McLaren F1 Team)」となっている。
1963年、ブルース・マクラーレン、テディ・メイヤー、テイラー・アレクサンダーらにより、ブルース・マクラーレン・モーターレーシングを設立。当初はタスマンシリーズなどにクーパーを走らせていた。
7月、フェラーリの元チーフメカニックであるナイジェル・ステップニーがチームから技術に関する秘密情報を持ち出し、マクラーレンのマシンデザイン部門を統括するマイク・コフランに提供したとされる疑惑である。
フェラーリはイタリアとイギリスに告発し、両国当局が捜査を進めていた。その中で家宅捜索に入ったマクラーレン関係者の自宅から、780ページ分に及ぶフェラーリの機密情報が記録されたディスクが発見されたことなどで徐々に表面化、FIAも独自に調査を開始した。
イギリス国籍のチームではあるが、チーム設立当初1968年から1971年まで、車体はマクラーレンのコーポレートカラーであるパパイヤオレンジに塗られていた。
1972年からはヤードレイ化粧品がスポンサーに付き、ボディーサイドにチームカラーのオレンジを残した白/オレンジに塗られた。
その後、マールボロとのパートナーシップにより、1974年からはマールボロのパッケージと同じ赤白に塗られたカラーリングが長らく用いられた。このカラーリングの赤の部分は、1974年と1975年にはパッケージと同じような赤で塗られたが、1976年以降はテレビや写真写りを考慮して蛍光レッドに変更された。
1997年にカラーリングが変更され、銀と黒を基調に赤をアクセントに用いるカラーリングが使用されるようになった。これは、マールボロとの契約終了に伴いマクラーレンが独自のカラーリングを施すことが可能となったことにより決められたものである。銀色は「シルバー・アロー」メルセデスへの配慮、と考えられているが、カラーリング全体については当初のタイトルスポンサーであるウェストを含め特定のスポンサーの意向によるものではない、と、ロン・デニスは述べている。ロン・デニスはことのほかこのカラーリングを気に入っており、今後(他チームやマールボロカラー当時のマクラーレンのような)色と色の境界を線で区切ったようなカラーリングは自分のチームの車体には用いたくない、と発言している。その発言通り、2006年にカラーリングを若干変更した後も、各色の境はグラデーションを用いたものとなっていた。このカラーリングを施すためには、通常の3倍の手間とコストがかかると言われている。カラーリング塗装は各GPごとに行われていた。
2015年、エンジンサプライヤーがメルセデスからホンダへ変更されたことに伴い、第5戦スペインGPからグラファイトグレーを基調とした新カラーリングに変更された。
2016年11月にロン・デニスが退陣したことに伴い、翌2017年からオレンジを基調としたカラーリングが復活した。2018年のMCL33では1968年から1971年と同じパパイヤオレンジが採用された。
上記したように、基本的にカラーリングはオレンジ色の時代、赤と白の時代、銀色の時代などに分けることが可能であるが、半世紀の歴史の中では例外もあり、1978年終盤の北米ラウンド2戦と1979年にロングビーチで開催されたアメリカ西GPではマールボロと同じくフィリップ・モリス傘下のビール会社レーベンブロイ(Löwenbräu)の水色と白のカラーリングにしているほか、1986年のポルトガルGPではマールボロの新製品マールボロ・ライトをPRするため、ロズベルグ車のカラーリングは本来は赤の部分が黄色に変更された。
マールボロとの契約終了に伴いカラーリングを変更した1996年末から1997年初めにかけてのシーズンオフと翌年のシーズンオフ、ウェストとの契約終了に伴いカラーリングに変更を加えた2005年末から2006年のシーズンオフにかけ、テストにおいて往年のオレンジ色のカラーリングを暫定のカラーリングとして用いていた。
フェラーリやマクラーレンが新人ドライバーを起用することはめったに無かったが、2007年のルイス・ハミルトン、2014年のケビン・マグヌッセン、2016年のストフェル・バンドーン(2017年にフル参戦)と、近年ではルーキードライバーを起用することが増えてきている。2000年代以前には1995年にケビンの父親であるヤン・マグヌッセンを1戦だけの代役として起用したこともある。
カナダ
カナダ カナダ(英・、 キャナダ、 キャナダ、カナダ)は、10の州と3の準州を持つ連邦立憲君主制国家である。イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国のひとつ。北アメリカ大陸北部に位置し、アメリカ合衆国と国境を接する。首都はオタワ(オンタリオ州)。国土面積は世界最大のロシアに次いで広い。 歴史的に先住民族が居住する中、外からやってきた英仏両国が植民地を建設し、1763年にこれらの植民地がすべてイギリス帝国に包括された。1867年の連邦化をきっかけに自治が進み、1931年ウエストミンスター憲章で完全独立が承認され、1982年憲法制定をもって政体が安定した。一連の過程においてアメリカと政治・経済両面での関係が深まった。第一次世界大戦のとき首都にはイングランド銀行初の在外金準備が保管され、1917年7月上旬にJPモルガンへ償還するときなどに取り崩された。1943年にケベック協定を結んだ(当時のウラン生産力も参照)。1952年にはロスチャイルドの主導でブリンコ(BRINCO)という自然開発計画がスタートしている。結果として1955年と1960年を比べて、ウラン生産量は約13倍に跳ね上がった。1969年、カナダ原油の輪出が初めて輸入を上回った。 カナダは立憲君主制で、連邦政府の運営は首相を中心に行われている。パワー・コーポレーションのポール・デズマレーは、1984年から首相のブライアン・マルルーニーと懇意であった。1994年、カナダは北米自由貿易協定(NAFTA)に加盟した。1999-2008年は経常収支が黒字で推移した。世界金融危機は証券業務が連邦法で規制されないことに論議を醸したが、2011年に法案が最高裁の違憲判決に潰えた。2018年、米国・メキシコ・カナダ協定に合意した。 日本政府による公式名は「カナダ」。日本における漢字表記は「加奈陀」であり、「加」と略される。中国語における表記は「」。国名はセントローレンス川流域イロコイ族の「村落」を意味する語「カナタ」(kanata)に由来する。連邦制を強調するため、「カナダ連邦」、「カナダ連邦政府」などの呼称が使われることもある。 1982年憲法が制定される前には複数の名称が存在したが、現在は公用語の英語とフランス語の双方で「Canada」のみが公式名と定められている。建国時には国号はカナダ王国()とすることも検討されていた。初めて「Canada」の名が使われたのは1791年のことである。 ファースト・ネーション(先住民)やイヌイットの言い伝えでは先住民たちは時の始まりからこの地に住んでいたとある。一方、考古学的研究では北部ユーコン準州に26,500年前、南部オンタリオ州には9,500年前に人類がいたことが示されている。 ヨーロッパ人の到来は西暦1000年にヴァイキングがランス・オ・メドーに居住したのが初めてであるが、この植民地は短期間で放棄されている。その後、1497年にイタリア人のジョヴァンニ・カボト(ジョン・カボット)がイングランドのために大西洋側を探検し、1534年にはフランスのジャック・カルティエがこれに続いた。 1603年に到着したフランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランは、1605年に初めてのヨーロッパ人定住地をポート・ロワイヤル(現ノバスコシア州アナポリス・ロイヤル)に築き、1608年にはケベックを建てた。これらは後にそれぞれアカディアとカナダの首都となった。 ヌーベルフランスの植民地の中ではカナダ人(Canadiens:フランス系カナダ人)はセント・ローレンス川流域に、アカディア人は現在の沿岸諸州に集中的に居住している。フランス人の毛皮商人とカトリック宣教師たちは五大湖、ハドソン湾そしてミシシッピー川流域からルイジアナを探検した。イングランドは1610年にニューファンドランド島に漁業基地を設け、南部(現アメリカ合衆国領)に13植民地を築いた。 1670年、ハドソン湾会社が設立された。毛皮の倉庫証券は通貨としても使われた。1689年と1763年に一連の北米植民地戦争が起こり、その結果、ユトレヒト条約(1713年)でノバスコシアが英国の支配下となり、七年戦争(フレンチ・インディアン戦争)のパリ条約でカナダとヌーベルフランスの大部分がフランスからイギリスへ割譲された。 1763年宣言はケベックをヌーベルフランスから分離し、ケープ・ブレトン島をノバスコシアに加えた。これはまたフランス系カナダ人の言語と信仰の自由を制限した。1769年にセントジョン島(現在のプリンス・エドワード・アイランド州)が独立した植民地となった。ケベックでの紛争を避けるため、1774年にケベック法が制定され、ケベックの領域が五大湖からオハイオ川まで拡大され、ケベックにおいてはフランス語とカトリック信仰、フランス法が許された。これは13植民地の多くの住民を怒らせることになり、アメリカ独立への動因となった。 1783年のパリ条約によってアメリカの独立は承認され、五大湖南部がアメリカへ割譲された。戦後におよそ5万人の王党派がアメリカからカナダへ逃れている。一部の王党派のために沿岸諸州のニューブランズウィックがノバスコシアから分割された。ケベックの英語話者王党派のために1791年法が制定され、フランス語圏のローワー・カナダと英語圏のアッパー・カナダがそれぞれ独自の議会を持った。この分断策は1837年にローワーとアッパーの両方で反乱が起きて無意味となった。 アッパーおよびローワー・カナダは米英戦争(1812年戦争)の主戦場となった。カナダ防衛は英国系北アメリカ人に一体感をもたらした。穀物法制定(1815年)と人身保護法廃止(1816年)により、英国とアイルランドからの大規模な移民が始まった。1817年にモントリオール銀行ができて、合衆国とは対照的な勅許銀行体制の原点となった。 1837年に責任政府を求める反乱が起こり、その後のダラム報告では責任政府とフランス系カナダ人の英国文化への同化が勧告された。1840年憲法法により、アッパーおよびローワー・カナダはカナダ連合に合併した。イギリス系政治家ロバート・ボールドウィン()が1838年にトロントでダラム伯爵(ジョン・ラムトン)と会談した折、責任政府の原則に関する詳細な覚書を手渡し、ダラム報告書に影響を与えていた。このボールドウィンがフランス系政治家ラフォンテーヌ()と協力した。 1846年に英国と米国によるオレゴン条約が結ばれオレゴン境界紛争が終結した。1849年に英領北アメリカ植民地全土に責任政府が設置された。オレゴン条約によってカナダは北緯49度線に沿って西へ境界を広げ、バンクーバー・アイランド植民地(1849年)とブリティッシュコロンビア植民地(1858年)への道を拓いた。また、ルパート・ランドと北極圏地域の既得権を分解し企業家を育てた。ニューファンドランドには大西洋横断電信ケーブルが敷設された。 フェニアン襲撃に対応しながら憲政会議を重ね(写真参照)、1867年7月1日に1867年憲法法が採択された。オンタリオ・ケベック・ノヴァスコシア・ニューブランズウィックが統合され、「カナダの名の下の一つの自治領」である連邦がつくられた。カナダはルパートランドと北西地域を合わせたノースウエスト準州を統治することが前提とされた。この地では不満を抱いたメティ(フランス系と先住民の混血)によるレッド・リヴァーの反乱が起こり、1870年7月にマニトバ州がつくられた。ブリティッシュコロンビア植民地とバンクーバーアイランド植民地(1866年に合併)は1871年に、プリンスエドワードアイランド植民地は1873年に、連邦へそれぞれ加入した。後者は極端に面積が小さいのに連邦の一州となった他、さまざまな経済利権を連邦から勝ち取った。 保守党のジョン・A・マクドナルド首相 は萌芽期のカナダ産業を守るための関税政策を制定した(ナショナル・ポリシー)。西部を開拓するために政府はカナダ太平洋鉄道をふくむ3本の大陸横断鉄道を助成した。自治領土地法により開拓者のために大平原が解放され、そしてこの地域の治安維持のために北西騎馬警察が設立された。1898年、ノースウェスト準州でのクロンダイク・ゴールドラッシュの後、政府はユーコン準州を設置した。自由党のウィルフリッド・ローリエ政権下ではヨーロッパ大陸からの移民が大平原に定住し、アルバータとサスカチュワンが1905年に州に昇格している。 1900年から1913年までイギリスの対カナダ投資額は40倍に増えて総額17億5000万ドルとなった。その6割が公債・鉄道に集中した。逆にアメリカからの投資は、総額こそイギリスの1/3強であったが6割以上が工業と鉱産・森林資源に投下され、しかも経営権をともなう普通株の取得やカナダに子会社・分工場を設立する直接投資であった。分工場はカナダ企業として各自治体からの助成を獲得した。その製品はカナダ産として優遇を受けながら大英帝国へ輸出された。カルテルとして名高い1909年10月9日のゲーリー晩餐会にはカナダの製鋼会社も参加した。1909年から企業の合併ブームが起こった(詳細)。 1914年、英国の宣戦布告に伴いカナダは自動的に第一次世界大戦に参戦、志願兵を西部戦線へ派遣した。彼らは後にカナダ軍団の一部となり、ヴィミーリッジの戦いやその他の大きな戦いで重要な役割を果たしている。1917年には保守党のロバート・ボーデン首相がフランス語圏ケベックの住民たちの反対にもかかわらず徴兵制を導入して徴兵危機が起こっている。第一次世界大戦のとき首都にはイングランド銀行初の在外金準備が保管され、1917年7月上旬にJPモルガンへ償還するときなどに取り崩された。JPモルガンは連邦債・州債・カナダ企業証券の引受大手であった。 1919年にカナダは英国とは別個に国際連盟へ加盟した。この時期ヴィクター・キャヴェンディッシュが総督であった。1922年4-5月、入国審査に職種要件を枢密院令により設けた。英米系移民は適用から除外された。ミルナー幼稚園出身のレオ・エイマリ()が移民法()の導入へ尽力した。英国政府と汽船会社の共同助成により、農民となる少年移民が粘り強く集められた。1928年、カナダへやってきたエイマリにウィリアム・ライアン・マッケンジー・キングが移民政策は採算が合わないと主張した。この年カナダは他の植民地を引き離して最高値の27,521人のイギリス移民を受け入れた。 1920年代、カナダの生命保険は証券投資に国内およびアメリカの投資銀行を利用し、これらとの関係を深めた。 1931年、ウエストミンスター憲章によりカナダの独立が承認された。同年9月に通貨の対米ドル相場が急落して、合衆国からの資金調達ができなくなった。この年マニトバ州の小麦プールが破産した。小麦プールとは、霜などから作物を守れる倉庫の持てない農民が共同設立した会社で、資金を担保にモントリオール銀行などから金を借りて、作物の買いつけ・貯蔵運搬・輸出営業を全て担う、民主的アグリビジネスであった。多くの市町村から州に至る自治体の財政難に苛まれながら、1934年にカナダは合衆国と互恵通商協定を交渉しつつ、カナダ銀行を創設した。 1930年代の大恐慌にカナダ国民は大いに苦しめられた。このため社会主義政党の協同連邦党が誕生した。1935年からのマッケンジー・キング率いる自由党政権は、1936年7月より本国イギリスからの資金流入が鈍った(詳細)。1939年に第二次世界大戦が勃発し、キングは9月10日に独自に対独宣戦布告した。急ごしらえの訓練を経て、12月カナダ軍が英国に到達した。カナダ軍は大西洋の戦い・ディエップの戦い・ノルマンディーの戦いに参加しナチス・ドイツを打倒した。この大戦では110万人のカナダ人が軍務に従事した。カナダ経済は戦争需要による好景気に活気づいた。1940年代から1950年代には、サスカチュワン州のトミー・ダグラス知事が福祉政策をとった。1945年の終戦後にカナダは国際連合の原加盟国となり、再びアメリカへ接近した。ミドルパワーとして自らを国際社会に売り込んだのである。 1950年12月、イギリス供給省が20年間のアルミニウム供給契約をアルキャンと結んだ。1952年にはロスチャイルドの主導でブリンコ(BRINCO)という自然開発計画がスタートしている。1951年12月から1955年11月までの期間、SGウォーバーグ、N・M・ロスチャイルド&サンズ、サミュエル・モンタギュー、ロバート・ベンソン()、ハンブローズ(現ソシエテ・ジェネラル)などが次々とカナダへ投資子会社を設立した。1952年からリオ・ティントが進出の勢いを加速させた。1956年スエズ危機をめぐりアメリカへカナダが接近すると、翌年にインペリアル・ケミカル・インダストリーズと製紙会社のボウォーター()のイギリス系商社が一斉にカナダへ大規模投資をくりだした。そしてカナダ横断パイプラインが敷設されだした(詳細)。建材を提供したラファージュは、1956年カナダのセメント業界で75%ものシェアを獲得したが、同年マルセル・デモン()の発案でバンクーバーに容量2万トンの工場を建設し、翌々年から稼動させた。 第二次世界大戦は、第一次世界大戦よりも一層、イギリス対外資産を減少させた(1939-45年に約11億ポンド減)。主因はドル資産を中心とした資産売却であった。この減少過程を投資受け入れ国別に見ていくと、1939-45年の絶対額ではインド・パキスタンの減少額が最大であり、次いでカナダ、アメリカとなっている。1946-48年では絶対額でアルゼンチンの2.67億ポンドが群を抜いており、あとはカナダ、ニュージーランド、オーストラリア、ブラジルとつづく。カナダが上位に来ないのは、カナダの対外問題大臣サン・ローラン()の意向である。彼はイギリスのカナダ証券売却に強く反対し、対英借款交渉では見返りにカナダへ投資するように要求していた。カナダの経常収支は、特にアメリカに対して赤字基調であり、それが主に、巨額のアメリカ資本で埋め合わせられていた。そこでカナダはイギリスのシェア拡大を望んだのである。1950-51年、アルキャンへ供給省から1800万ポンドと2300万ポンドが投資された。1952年夏、アメリカ復興金融公庫()から受けていた融資を返済したイギリスは、担保として凍結されていた巨額のアメリカ証券を処分できるようになった。イギリス大蔵省はおよそ5億USドル分を保有・売却した。1952年8月、大蔵省とイングランド銀行は、売上げを英国企業によるカナダ投資へ使うことに合意した。この英国企業を新設するかどうかは議論されたが、最終的にはシティのマーチャント・バンクを通じて資金を投下することになった。 実際にSGウォーバーグやロスチャイルドを具体例とするマーチャント・バンクが投資子会社を設立した。その資金は当時でいうところのフリンジ・バンキング、後にセカンダリー・バンキングと呼ばれ社会問題化するホールセールから出ていた。しかしマーチャント・バンクはシティに対する忠誠心が低い者もあった。SGウォーバーグはイングランド銀行の庇護する引受商社ではなかったのである。セカンダリー・バンキングの機動性はモルガンの考案した米国預託証券によっていたので、シティ外の機関投資家もセカンダリー・バンキングへ参入し、苛烈な競争を展開した。カナダでは1967年銀行法の付帯条項で銀行金利が自由化され、住宅用モーゲージ貸出がスタートした。1969年、カナダ原油の輪出が初めて輸入を上回った。この傾向は1970年代まで続き、石油の国際収支は1962年の1億7400万ドルの赤字から、1972年には3億3400万ドルの黒字へと変わった。 1960年、カナダ権利章典が制定された。これは州の同意が得られなかったので連邦権限の範囲で運用された。1965年に現在のサトウカエデの葉の国旗が採用・掲揚された。1969年には二カ国語公用語が実施された。1971年には多文化主義が宣言されている。ケベックでは近代からナショナリスト運動()が続いており、1960年代の経済改革(静かなる革命)につながった 。1970年に運動がエスカレートしケベック解放戦線がオクトーバー・クライシスを引き起こした。このころから1982年のカナダ憲法制定にかけて、首相のピエール・トルドーが連邦の一体化を強力に推進した。 1963年から1968年にかけて、SGウォーバーグを媒介にカナダ経済はユーロ債市場とリンクした。機関化に伴い、ユニバーサルヘルスケア制度・年金制度()・学生ローンといった社会民主主義的諸制度も創設された。これらの政策については地方政府、特にケベックとアルバータが管轄権の侵害であると反対している。1970年、ムーディーズのカナダ証券協会()が発足。1973年、新生マニトバ・プールが事実上の小麦独占体となった。1975年、企業集中に関する王立委員会()が開かれた。構成員は三人だけである。まず一人目がロバート・ブライス、二人目が税務専門家のディッカーソン(Robert Dickerson)であり、三人目のピエール()は今日のトタルであるペトロフィナ・カナダ社長でカナダロイヤル銀行の重役だった。パワー・コーポレーション()が同会議を利用し、エドワード・プランケット・テイラーのアーガス・コーポレーションを買収しようと三年間も調整を試みた。一方、投資信託のパトナム()がパワー・コーポレーションの計算で、アメリカのアセット・マネジメント市場に、これからずっと利用できるような貪欲ともいえる足がかりを提供した。 1981年、パワー・コーポレーションがBNPパリバとコンパニー・ナショナル・ア・ポトファイの二社をともない、ベルギーの投資銀行グループ・ブリュッセル・ランバートに参加した。パワー・コーポレーションのポール・デズマレー()は、1984年から首相のブライアン・マルルーニーと懇意であった。 1982年に英国カナダ法の改正によるカナダ憲法成立が決まり、「権利と自由憲章」がつくられカナダは完全な主権国家となった。 ケベック分離派のテロリズムの10年後に当たる1980年に、ケベック州の連邦からの分離に関する住民投票が行われたが拒否され、1989年には憲法改正も試みられたが失敗している。1987年、カナダ版ビッグバンで銀証分離が撤廃され、これを機会に外資の参与する形で国内大銀行が証券会社を買収していった。1989年、ポール・デズマレーがドムタール(Domtar)買収に失敗。ドムタールは王立委員会のときアーガス側企業であった。1993年から首相のジャン・クレティエンは、1990年に自由党党首となるまでパワー・コーポレーションの重役であった。マルルーニーとクレティエンの政権リレーにより北米自由貿易協定が実現した。参加したメキシコには負い目があった(ニューヨーク連邦準備銀行#機関化サロン)。1995年に二度目の住民投票が行われたが、50.6%対49.4%の小差で拒否された 。1997年に最高裁から州による一方的な連邦脱退は違憲であるとの判断が下され、交渉による連邦からの脱退を規定した法律が定められた。 国内の先住民問題ではオカ、イペルウッシュ、ガスタフセン湖で土地問題を巡り様々な法廷闘争と幾度かの暴力沙汰が起きた。1999年にカナダ政府はイヌイットの自治政府であるヌナブト準州をつくり、ブリティッシュコロンビア州では土地問題でニスカ族との最終合意に達している。2008年には首相が先住民を対象とした寄宿学校問題()で過去の政府の行いを謝罪している。 カナダの経常収支は述べたように赤字基調なのであるが、1999年に黒字に転じて、世界金融危機後ふたたび赤字となった。黒字の期間にはシャドー・バンキング・システムが発達した。銀行の負債に対して50%以上の規模を維持し、赤字期間の割合が低いという相関を示したのである。この期間はMMFの残高が400億カナダドルより高い水準を保った。 問題の期間に粉飾決算も事件化した。2002年、YBM磁石(YBM Magnex International, Inc.)が倒産した。トロント証券取引所に対して、YBM磁石はマグネットの製造と販売から何億ドルもの収入を得ていると虚偽の報告をしていた。その虚偽報告を受け、同社の株価は1994年の7月から1998年3月にかけて1株当たり10セントから20.15ドルまで上昇した。YBMはロシアの暴力団が保持していた企業である。その暴力団は企業所有を隠し、同社を合法的企業と見せかけ、上場できるようペーパーカンパニーのネットワークを準備して、弁護士や会計士に賄賂を払っていた(資金洗浄)。会計業務を担当していた二社(Deloitte & Touche, Coopers & Lybrand)は最終的に同社の財務諸表を適正と認めることを拒否した。2004年にはノーテルネットワークスの会計不正が明らかになった。ノーテルは一昨年の利益を粉飾して、7億3200万ドルから4億3400万ドルまで減少させていた。2005年6月に株主らと訴訟上の和解に至り、原告側に現金で5億7500万ドルを支払い、6億3000万の株式を発行することになった(総株式数の14.5%)。 ノーテルは世界金融危機で外資に機関化された。危機は証券業務が連邦法で規制されないことに論議を醸したが、2011年に法案が最高裁の違憲判決に潰えた。この年6月1-2日、トロント証券取引所に上場する一企業の株価が崩落、翌2012年3月30日に倒産した。それは嘉汉林业()である。上場した1995年から資本金およそ9億カナダドルを虚偽表示し、さらに粉飾決算を繰り返していた。十数億ドルに達するねずみ講であった。 MMFが勢いを殺がれてからもシャドー・バンキングは健在である。一般のミューチュアル・ファンドとレポ取引の規模は拡大し続けている。レポ取引は総額でミューチュアル・ファンドほど拡大していないが、内訳としてリバース・レポの増額がレポの減額を補って余りある点に注目できる。リバース・レポの牽引役はカナダ六大銀行である。そしてこれらがリバース・レポで借り入れている証券で増えているのは、危機の地雷ともいえたMBSである。 カナダは一層巨額の直接投資をアメリカと交換するようになっている。他方、カナダの銀行の2/3は資金洗浄排除措置が著しく甘いと指摘されている。アメリカでは銀証分離をくぐるためシャドー・バンキングを発達させているが、しかしカナダではユニバーサル・バンクが通用するため銀行の規模がシャドー・バンクに対して大きめで、銀行がレポのようなシャドー・バンキングを行っている。米加経済は関係をより緊密にする一方で、金融の実情に対して臨む態度が対照的である。 2018年1月、コロラド消防警察年金組合(Fire & Police Pension Association of Colorado)が、カナダロイヤル銀行、トロント・ドミニオン銀行、スコシアバンク、モントリオール銀行、CIBC、カナダ・ナショナル銀行、バンカメ、ドイツ銀行、そしてHSBCを訴えていることが分かった。これら9行が2007年8月9日から2014年6月30日まで、カナダドル取引金利(Canadian Dollar Offered Rate)を操作して原告に損害を与えたという。被告らは、この金利にリンクした巨額のデリバティブを原告から借りていたので金利低下を企図したものとされている。カナダドル取引金利は銀行引受手形の金利であり、カナダ当局は2013年1月から操作の疑いをかけていた。 同年10月、デロイト・カナダがバンロー(Banro Corporation)という鉱業からの独立性を守っていないとして35万ドルの制裁金を命令される見通しであることがわかった。南アフリカにもつコンサルタント子会社(Venmyn Deloitte)が手の込んだ粉飾資料を提出した疑いである。 1982年憲法第33条はカナダ憲法最大の特徴をなす。連邦議会・州議会の立法に対して最高裁が違憲判断を下したときでも、立法府が譲らなければ違憲判決の発効を先延ばしできるのである。猶予は最長5年間だが何度も更新できる。この制度を利用したケベック州の反動が立憲してすぐに起こった。しかし多様な経済政策が問題の顕在化を防いでいる。 政体は立憲君主制である。公式にはイギリス国王が国家元首(但しカナダではあくまでカナダ国王の扱い)となる。形式的にはカナダ総督がカナダ国王の代理を務め、また実質的な首長は、総選挙により選出される連邦政府の首相である。 現行のカナダの憲法は1982年に施行されたため「1982年憲法」と呼ばれている。この憲法により、二言語多文化主義・ケベック州の特殊性・原住民居留地の特殊性などが認められている。 政府は、議院内閣制を採用している。カナダは、歴史的に各州の合意により連邦が設立された経緯があることから、州に大幅な自治権が認められており、それぞれの州に首相、内閣及び議会がある。このためカナダにおける政治とは、州政府対連邦政府の駆け引きそのものということもできる。 立法府たる議会はオタワに所在し、カナダ議会は上院定数105名、下院定数338名の二院制を採用している。 主な政党には中道右派・保守主義のカナダ保守党、中道左派・リベラリズムのカナダ自由党の二大政党と、中道左派・社会民主主義政党の新民主党、ケベック州の地域政党である左派のブロック・ケベコワ、環境保護主義のカナダ緑の党がある。 1993年の下院総選挙で、与党・カナダ進歩保守党が改選前の169議席のうち167議席を失うという大惨敗を喫したことは、議会制民主主義が発達している先進国の政権与党が壊滅的な敗北を喫した例として、小選挙区制のモデルケースの一つとなる歴史的選挙であった。 一般的にアメリカ合衆国よりもリベラルな国民性で知られ、死刑制度を廃止している。 1989年のモントリオール理工科大学虐殺事件をきっかけに銃規制が強化されており、拳銃の携帯については一般には認められておらず、拳銃を携帯できるのは警察、軍、司法関係と現金輸送を行う民間業者など非常に限られている。 しかしながら、農村部を中心に狩猟が非常に盛んであり猟銃の保持率は高いが、銃を使った犯罪発生率は極めて低い。 カナダは1950年代から1990年代にかけて数多くの国連平和維持活動に参加し、なるべくなら集団安全保障体制を望んでいた。しかしキューバ危機の後NATOへ急接近した。2001年にはNATO主導のアフガニスタン紛争にも派兵している。 一方で、2003年のイラク戦争への参加は拒否した。 カナダは英連邦に加盟している。カナダは世界の先進7ヶ国(G7)および主要8ヶ国(G8)の一つである。 カナダは10の州(プロビンス、province)と3つの準州(テリトリー、territory)に区分されている。 人口は2015年7月1日の推計値。 カナダの国土は北アメリカ大陸の北半分を占める。南および西はアメリカ合衆国と接する。東は大西洋、デイビス海峡、西岸の一部は太平洋、北はボーフォート海、北極海に面する。国土の中央部のウィニペグ湖からロッキー山脈にかけては、広大なプレーリー地域である。水路となる五大湖の北にはカナダ楯状地が広がる。 ロシアに次いで世界で2番目に広大な国土を持つ国であり、北アメリカ大陸の約41%を占めている。なお、カナダの領土の54%は森林で占められている。ノースウエスト準州北西は湿地帯であり、地面や湖が凍る冬季でないと車両の通行が困難である。 人口密度は3.2人/kmで、国土の多くは北極圏内にある。人の住める地域は面積に比して少ない。カナダ人の80%はアメリカ合衆国との国境から200km以内に住んでおり、人口の約40%がオンタリオ州に集中している。人口が最も多い地域は五大湖、セントローレンス川周辺である。そして、大半のカナダ人は、アメリカ合衆国とカナダ国境線に沿って約500キロ幅の細長い帯状に住んでおり、それより北は人口が極端に少ない。 太平洋側の西海岸沿岸部を除き、ほぼ全域が亜寒帯・寒帯に属する。 バンクーバーやビクトリアなどが位置する西海岸の沿岸部は暖流の影響で温帯の西岸海洋性気候に属し、夏は涼しく乾燥していて過ごしやすく晴れる日が多いが、冬は温暖で雨が多い。北米屈指のスキーリゾートのウィスラーなどが位置するロッキー山脈の西側の山岳地帯は世界有数の豪雪地帯となっている。 アルバータ州からサスカチュワン州、マニトバ州にかけては、亜寒帯湿潤気候、湿潤大陸性気候に加えてステップ気候も広がり降水量が少なく乾燥している。夏は比較的気温が上がるが、乾燥していて過ごしやすい。一方、冬は零下50度近くまで下がることもあり、シベリアに匹敵する酷寒地である。特に中央部に位置するウィニペグは大陸性の気候が顕著であり、レジャイナやサスカトゥーンなどと並び北アメリカで最も寒い都市(アラスカのアンカレッジよりはるかに寒い。)とされる。 トロントやモントリオールなどの大都市が位置し、人口が集中するセントローレンス川沿いは亜寒帯湿潤気候に属し、夏は比較的湿度が高く蒸し暑くなる。トロントなどのオンタリオ州南端部ではそれほど厳しい寒さとはならないが、オタワやモントリオールなどでは最寒月の平均気温が-10度以下となり、-30度程度まで下がることもあるほど、寒さが厳しく降雪量も多い。ノバスコシア州やニューファンドランド島などの大西洋側沿岸地方はより海洋性の気候の特色を有していくことになり、冬季は低気圧の発達により豪雪地帯となる。 北極圏などの北部地域は寒帯に属しツンドラ気候が分布し永久凍土が広がっている。 カナダ国内における最高気温極値はサスカチュワン州のとで観測された45 °C、最低気温極値はユーコン準州ので観測された−63 °Cであり、これは、アメリカ大陸で最も低い気温である。 IMFによると、2010年のカナダのGDPは1兆5636億ドル(約130兆円)であり、世界第9位である。20世紀初めまで経済の主体は農業だったが、モントリオールやトロントが金融センターとなって、現在では世界有数の先進工業国となった。工業は自動車産業や機械産業が成長し、近年はIT産業が発展してきている。カナダでは唯一の発券銀行として中央銀行のカナダ銀行があり、通貨カナダドルを発行、管理している。1ドル=100セントである。2012年3月29日にカナダ政府は実用性や製造コストなどの問題や理由により1セント通貨の製造を廃止することを発表している。世界金融危機のときにカナダ銀行総裁であったマーク・カーニーは、2013年からイングランド銀行総裁を務めている。カナダは京都議定書に署名はしたものの2011年12月に脱退を表明した。2009年の気候変動実績指標では最下位のサウジアラビアに次ぐ59位であり、二酸化炭素排出量は10年前より25%も増えている。 王有の鉱山会社 があるほど力を入れている。 鉱物資源に非常に恵まれており、世界シェア10位に入る鉱物が17種ある。以下では2003年時点の統計データに基づく。有機鉱物資源では、天然ガス(6565千兆ジュール、3位)、燃料となる褐炭(3695万トン、9位)のほか、石炭(2954万トン)と原油(9111万トン)の産出量も多い。ダイヤモンドの産出量も1120万カラットに及び、世界第6位である。 金属資源では、 ウラン鉱(1万トン、1位、世界シェア29.2%)、カリ塩鉱(820万トン、1位、世界シェア30.9%)、 イオウ(903万トン、2位)、鉄鉱(1980万トン、3位)、銀鉱(1309トン、3位)、タングステン鉱(2750トン、3位)、ニッケル鉱(16万トン、3位)、亜鉛鉱(100万トン、4位)、コバルト鉱(4304トン、5位)、塩(1335万トン、5位)、鉛鉱(15万トン、5位)、金鉱(141トン、7位)、アンチモン鉱(143トン、8位)、銅鉱(56万トン、8位)が特筆される。このほか、マグネシウム鉱、リン鉱も採掘されている。銀は大不況 (1873年-1896年) のころからコバルトなどの工業用金属を選鉱するときに副産物として生産されており、世界的な供給過剰と価格の下落を引き起こした。 カナダは第二次世界大戦のころベルギー領コンゴやチェコスロバキアと並ぶ世界的なウラン供給国であった。2000年となっては日本の天然ウラン輸入元における取引額1位であった。 最大の貿易相手国はアメリカで、輸出の5分の4以上、輸入の約3分の2を占める。鉱物、木材、穀物は現在も重要な輸出品だが、近年は工業製品が中心となっている。アメリカへの輸出品で最も多いのは、自動車と関連部品である。1989年にアメリカとのFTAが発効し、1994年にはメキシコも加わってNAFTAが結ばれた。アメリカ以外の主要輸出相手国は日本、イギリス、中国、メキシコ、ドイツ、イタリア。主要輸入相手国は中国、メキシコ、日本、イギリス、ドイツである。主要輸出品は、自動車および自動車部品、精密機器、原油、天然ガス、金属および金属製品、産業用機械、通信機器、化学製品、木材、パルプ、小麦、魚類(サケ類、イクラ、マグロ等)、メープルシロップなど。輸入品は自動車部品、自動車、機械、化学製品、コンピューター、原油、通信機器などである。 カナダの人口は連邦化時点から単調増加を続けている。カナダでは社会保険番号が国民識別番号として運用される。 2011年国勢調査によると、ヨーロッパ系白人が76.7%、黒人2.9%、先住民4.3%、中南米系やアジア系などを含むその他が16.2%となっている。その他の内訳は東アジア系(4.8%)、南アジア系(4.8%)、東南アジア系(2.8%)、西アジア・アラブ系(1.8%)、ラテンアメリカ系(1.2%)、混血(0.5%)、その他(0.3%)となっている。カナダの人種統計では、白人、先住民族以外を有色人種と分類し、全人口の19.1%を占めている。はさらに北アメリカインディアン系をまとめた呼称であるファースト・ネーションズ (First Nations) (2.6%) 、インディアンとヨーロッパ白人の混血のメティ(1.4%)、エスキモー民族のイヌイットの3つに分類されている。 カナダとアメリカの人種構成の違いは、もともと黒人奴隷がほとんど存在しなかったために黒人(2.5%)が非常に少なく、イギリス系、フランス系が人口の半数を占めていることである。アメリカと同じくアイルランド系とドイツ系とイタリア系も多いが、カナダはウクライナ系が非常に多いのが特徴で、ウクライナ・ロシア以外では最大規模である。またアメリカで非常に多いスペイン語圏出身者が少ない。アジア系が多いといってもカナダは大英帝国の植民地だった影響で大多数は南アジア系、中国系(特に香港など広東語圏)であり、逆にアメリカに多いアジア系の日系、韓国系、ベトナム系は比較的少ない。特にバンクーバーとトロントは巨大なアジア系人口を抱え、この2都市では白人は人口の半数弱を占めるに過ぎない。一方、アフリカ系は主に、トロント、モントリオールに集中している。1999年に中国系のエイドリアン・クラークソン、続いて2005年にハイチ系のミカエル・ジャンが総督に就任するなど、リベラルな国民性も合わせて人種には寛容な姿勢を示している。 中国系カナダ人は、1850年代、ゴールドラッシュや鉄道建設の労働者としてカナダに流入したのが始まりである。カナダは中国系の排斥を意図して、人頭税を課したり、中国系排斥を狙った中国人移民法を1920年代に成立させている。これについて、カナダ政府は2006年に謝罪した。カナダには、政府関連事業に80万カナダドル(約7500万円)を5年間、無利子で融資した場合、永住権を獲得できるプログラムが有り、このプログラムに申し込む半数は中国系とされる。カナダでは、この投資額を引き上げる動きがあり、中国系を排斥する意図があるのではと一部で指摘されている。2015年2月、中国人移民の急増に耐えかねたカナダ当局は、このプログラムを打ち切っている。 2006年の調査では住民の祖先は、イングランド系21%、フランス系15.8%、スコットランド系15.2%、アイルランド系13.9%、ドイツ系10.2%、イタリア系5%、中国系4%、ウクライナ系3.6%、オランダ系3.3%、ポーランド系3.1%、インド系3%である。また、3.8%のカナダ人が先住民族の血を引くと回答している。3分の1の国民が自らの民族をカナダ人であると主張しているが、これは、移民である祖先の出身国の民族意識よりも、民族的アイデンティティそのものはもはやカナダ人であると主張する人たちであり、大多数はイギリス系とフランス系であると思われる。 英語(カナダ英語を参照)とフランス語(を参照)が1969年に制定された公用語法によって認められている公用語である。この公用語法では、連邦政府における英語とフランス語が平等な地位にあることが定められた。連邦裁判所、連邦議会(カナダ国会)や連邦政府機関のすべてで英仏二カ国語が平等に扱われる。カナダ国民は、十分に需要がある場合には連邦政府の行政サービスを英語またはフランス語にて受ける権利があり、公用語の少数派側であっても、すべての州・準州にて教育を受ける権利が保障されている。 2006年国勢調査によると、国民の約58%が英語、約22%がフランス語を第一言語としている。約98%が英語かフランス語のどちらかを話し(57.8%が英語のみを、13.3%がフランス語のみを、17.7%が両言語を話すことができる) フランス語が主に使われている地域はケベック州、オンタリオ州のオタワなどの東部地域と北オンタリオ地方、ニューブランズウィック州のアカディア人の多い地域、およびマニトバ州の南部である。このうち、ケベック州はフランス語(ケベック・フランス語を参照)のみを、ニューブランズウィック州は英語とフランス語を州の公用語とし、他州は英語のみを州の公用語としている。 なお、ユーコン準州では英語とフランス語が、ヌナブト準州では英語、フランス語、イヌクティトゥット語、イヌイナクトゥン語が、ノースウエスト準州では英語、フランス語、イヌクティトゥット語、イヌイナクトゥン語、クリー語、ドグリブ語、チペワイアン語、サウススレイビー語、ノーススレイビー語、グウィッチン語、イヌビアルクトゥン語も公用語となっている。 公用語以外の言語を使う住民も600万人ほどおり、中国語(広東語が多い)の話者が103万人、イタリア語が45万人、ドイツ語が44万人、などである。また先住民の中には個々の部族の言語を使うものもいるが、多くの言語はだんだんと使われなくなっていく傾向にある。 カナダでは移民社会を構成しているので、200語以上の言語が国勢調査で母語として回答されている。中国語を母語とする人口は全体の3.3%であり、英語、フランス語に続く第三位の母語となっている。第四位はパンジャブ語であり増加中である。その他に母語として多いのはスペイン語、アラビア語、タガログ語、ウルドゥ語である。 カナダでは二カ国語主義の国家ではあるものの、英語とフランス語の両方で会話が出来るのは人口の17.4%である。ケベック州在住の英語話者の69%はフランス語も話せ、ケベック州以外に在住のフランス語話者の83.6%が英語も話せる。 2001年の国勢調査によると、キリスト教徒が多数(77%)を占める。内訳はアングロアメリカ圏でありながら、カトリックが43.2%と最も多い。次にプロテスタントが29.2%、正教会・東方諸教会が1.6%となっている。 ムスリムが2%、ユダヤ教徒が1.1%、仏教徒が1.0%、ヒンドゥー教徒が1.0%、シーク教徒が0.9%。無宗教は16.5%である。 プロテスタントの力が政治的にも文化的にも強い影響力を持っているアメリカ合衆国と比べるとカナダはより世俗的である。これは教会出席率にも表している。アメリカ合衆国では 毎週教会に通う人の割合が43%で、全く通わない、もしくはほとんど行かないという人の割合はわずか8%である。一方、カナダでは毎週教会に通う人の割合が20%にとどまり、全く通わない、もしくはほとんど行かないという人の割合は38%と逆転している。 カナダでは、2005年7月20日に「市民結婚法()」が成立し、結婚を「すべての他人を除外した2人の人物の合法的な連合」と定義している、つまり異性間の結婚と同性間の結婚に区別がなく現在世界で最も容易に同性結婚をすることが可能である。 各州が運営するMedicareにより、一般税収を原資とした公費負担医療が実施されている。診察などは無料提供されているが、薬剤等を含む医療費における自己負担率は30%ほど。 カナダの文化はしばしば「進歩的、多様で、多文化主義的」とされる。先住民の文化から、移住してきたヨーロッパ系の文化、さらに近年の様々な国からの移民の持ち込む幅広いものが含まれ、混じり、重なり、形成されている。その中で政治的にも多文化主義が憲法で守られ、政策的にも推進されてきた。ケベックでは文化アイデンティティーは強く、仏語話者の評論家はケベック文化は英語圏と違った独自性を持つと強調する。しかしながらカナダは全体として、「文化のモザイク」(様々な人種・民族・地域文化が共存する)を形成しているとされる。国の政策でもユニバーサルヘルスケア、富の再分配のための高い税金、死刑廃止、貧困撲滅への努力、多文化主義推進、厳しい銃規制、同性結婚合法化などが挙げられ、カナダの政策や文化上の社会的価値観を反映している 。カナダ料理の多様性は、カナダの経済社会がサラダボウル化していることを特に分かりやすく表現している。 『赤毛のアン』の作者L・M・モンゴメリはカナダの文学者である。またサイバーパンクSF作家であるウィリアム・ギブソンはアメリカ合衆国出身だが、徴兵を拒否しカナダに移住したため、「カナダの作家」として扱われることがある。また、マーガレット・アトウッドもカナダの作家である。 カナダの音楽は先住民族やヨーロッパからの移民をはじめとし、様々な人々によって創造・継承されてきた。1600年代以降より、カナダでは国際的に著名な作曲家、演奏家などの音楽家を輩出してきた。17世紀以降では教会や集会所、邸宅の大広間、学校、コンサートホール、レコード会社、ラジオ・テレビ局など様々な音楽のインフラが形成されてきた。これらの音楽はアメリカ合衆国からの影響を大きく受けながらも、「カナディアン・ロック」と言うジャンルを生み出した。 ポピュラー音楽・ロックの分野ではニール・ヤングやジョニ・ミッチェル、ザ・バンドらの優れたミュージシャンを輩出した。また、ゴードン・ライトフット、ゲス・フー、BTO、レナード・コーエン、アン・マレー、ラッシュ、ポール・アンカ、セリーヌ・ディオン、ニッケルバック、アヴリル・ラヴィーン、ダニエル・パウター、ジャスティン・ビーバー、ドレイクらもカナダ出身である。ジャズでは、オスカー・ピーターソンが国際的に成功した。 カナダ記録芸術科学アカデミー()がカナダの音楽産業を代表し1970年よりジュノー賞の授与を行なっている。またカナダにおける音楽の放送はカナダ・ラジオテレビ通信委員会によって規制されている。 クラシック音楽の分野では、20世紀半ばに活躍したマレイ・アダスキン、ジョン・ワインツワイグなども著名であり、また独創的なバッハ解釈で名高いグレン・グールドなどはトロント生まれである。また、モントリオール交響楽団はシャルル・デュトワが指揮者を務めている間に実力を高め、北米大陸屈指のオーケストラとして知られるようになった。作曲家のマリー・シェーファーはサウンドスケープの提唱者であり「魔法の歌(マジック・ソングズ)」「ガメラン」等の作品がある。 その他、カナディアン・カントリーミュージック賞、ケベック音楽に授与されるフェリックス賞など、様々なジャンルの音楽に授与される音楽賞が設けられている。 カナダは公用語として英語とフランス語の両方を採用しており、両言語の映画が制作されている。なお、カナダにおける映画制作の主な拠点となっているのは、トロント、モントリオール、バンクーバーである。このうち、モントリオールではモントリオール世界映画祭という、比較的名の知られた映画祭が開催される。 カナダ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が5件、自然遺産が6件存在する。さらにアメリカ合衆国にまたがって2件の自然遺産が登録されている。 祝日は概ね、カトリックに傾くほど数が多い。世界史全体において、プロテスタントの隆盛に伴い減らされてきた。 この他にも、いくつかの州で設定されている祝日、州ごとに設定された祝日などがある。 英連邦の一員であるカナダであるが、スポーツ文化においては旧宗主国イギリスの影響はあまり残っていない。隣国アメリカ合衆国とも一線を画す独自のスポーツ文化が存在する。 アイスホッケーは現在カナダで最も盛んなスポーツであり、国技にも制定されている。カナダの国土はアイスホッケーに非常に適した自然環境であり、冬の間は子供から大人までが娯楽でアイスホッケーを楽しむという人も多い。約58万人のカナダ人がアイスホッケーの競技者登録をしており、カナダ国内にはホッケー選手230人に一つの割合でインドアのアイスホッケーリンクが存在している。 北米最大のプロリーグであるNHLは1917年にカナダで設立され、その後アメリカ合衆国へと拡大した。現在カナダ7チーム、アメリカ合衆国23チームの計30チームからなる。NHL選手の半数以上がカナダ人である。 男子はオリンピックでは初採用となった1920年のアントワープ五輪から1952年のオスロ五輪まで7大会で金メダル6度、銀メダル1度の圧倒的強さを誇っていたが、ソビエト連邦や欧州諸国の台頭に伴い、長らく金メダルから遠ざかった。2002年のソルトレイクシティ五輪では50年ぶりの金メダルを獲得し、2010年の地元開催となったバンクーバー五輪では男女とも金メダルを獲得している。 野球は隣国アメリカ合衆国の影響を受け、カナダでもポピュラーなスポーツの1つである。パンアメリカン競技大会では2011年、2015年(男子)と2大会連続で優勝を果たし、優勝回数はキューバに次いで2番目に多いなど、野球強豪国の一つである。 カナダ最大の都市トロントを本拠地とするメジャーリーグベースボール(MLB)のトロント・ブルージェイズ(1977年設立、アメリカンリーグ東地区)はアメリカ合衆国外に本拠地を置く唯一の球団である。ブルージェイズは世界初の本格的開閉式ドーム球場ロジャース・センター(旧称スカイ・ドーム)を本拠地としており、1992年、1993年にはワールドシリーズを連覇した。当時はブルージェイズがMLB屈指の強豪球団であったため、にはMLB史上初めて年間観客動員が400万人を突破した(1993年まで継続)。 近年でもに地区優勝、にワイルドカードでプレーオフ進出などの好成績もあり、2016年の観客動員数はリーグ最多だった。しかし、かつてカナダに本拠地を置くもう1つの球団として「モントリオール・エクスポズ」(1969年設立、ナショナルリーグ東地区)が存在したが、フランス語圏であるモントリオールは英語圏に比べて野球の認知度が低く、慢性的な財政難に悩まされ、2005年にワシントンD.C.に移転し球団名もワシントン・ナショナルズに改めた。 ラリー・ウォーカー、1993年に日本の中日ドラゴンズでプレー経験もあるマット・ステアーズ、ジャスティン・モルノー、ジェイソン・ベイ、ジョーイ・ボット、エリック・ガニエ、ラッセル・マーティン、マイケル・ソーンダース、ブレット・ロウリーらが有名である。 カナディアンフットボールはカナダでは単にフットボールと呼称し、隣国アメリカ合衆国で盛んなアメリカンフットボールに非常によく似たスポーツである。カナダではアイスホッケーに次いで人気のあるスポーツであり、国内8チームからなるプロリーグカナディアン・フットボール・リーグ(CFL)の優勝決定戦グレイ・カップはカナダ最大のスポーツイベントである。 バスケットボールの考案者はカナダ人のジェームズ・ネイスミスであり、カナダの人気スポーツの1つとなっている。特にノバスコシア州やオンタリオ州の南部で盛んである。トロントを本拠地とするNBAトロント・ラプターズ(1995年設立)は現在アメリカ合衆国外に本拠地を置く唯一のNBAチームである。ラプターズの設立と時を同じくして、バンクーバーにもバンクーバー・グリズリーズが設立されたが、こちらは観客動員の低迷による経営難に悩まされ、2001年にテネシー州メンフィスへと移転した。NBAでも多くのカナダ人選手が活躍しており、2年連続でシーズンMVPを獲得したスティーブ・ナッシュはその代表格である。 旧宗主国イギリスの国技の1つであるサッカーの人気は一部の移民一世世代を除いては、これまで隣国アメリカ合衆国と同様あまり高くなかった。しかし、近年はFIFAワールドカップ、UEFA欧州選手権などのテレビ中継の人気が高まり、認知度が高まりつつある。大会開催中には自身または親世代の出身国チームの応援をする人々が増えており、各民族コミュニティーでは集まってテレビ観戦するなどの機会が増えている。 2007年にはメジャーリーグサッカー(MLS)で初めて米国外を本拠地とするトロントFCが誕生し、MLSのチーム中で最高の観客動員数を誇っている。2011年にはバンクーバー・ホワイトキャップス、2012年にはモントリオール・インパクトの参戦が決定した。さらには、オタワにもMLSチーム参加が検討されている。2007年にはFIFA U-20ワールドカップが開催されている。日本人でもバンクーバー・ホワイトキャップスの工藤壮人が在籍している。サッカーカナダ女子代表は2012年のロンドンオリンピックで3位に入り初の銅メダルを獲得。2015 FIFA女子ワールドカップの開催国である。 2026年にはアメリカ合衆国、メキシコとともに2026 FIFAワールドカップの共同開催国となる。 カナダではフォーミュラ1のカナダグランプリが1967年から毎年開催されている(2009年のみ不開催)。1978年からはモントリオールのジル・ヴィルヌーヴ・サーキットが使用されている。また、インディカー・シリーズもトロント、エドモントンの市街地コースで開催されている。NASCARのカナダ国内選手権「NASCAR Canadian Tire Series」も国内各地で開催されている。 カーリングは国民的なスポーツであり、現在行われている国際ルールはカナダで確立したもので、1807年に王立カーリングクラブが設立されたカナダは、現在も強豪国の1つである。ラクロスは北米プロリーグであるメジャーリーグ・ラクロスのチームもある。 カナダでは冬季オリンピックが2回、夏季オリンピックが1回開催されている。 夏季オリンピック 冬季オリンピック カナダではパンアメリカン競技大会が3回開催されている。3回開催された国はカナダのみである。
トラ
トラ トラ(虎、"Panthera tigris")は、食肉目ネコ科ヒョウ属に分類される食肉類。 インド、インドネシア(スマトラ島)、タイ王国、中華人民共和国(雲南省、吉林省、黒竜江省、チベット自治区)、ネパール、バングラデシュ、ブータン、マレーシア(マレー半島)、ミャンマー、ラオス、ロシア東部。 カンボジア、中華人民共和国の一部(広東省、江西省、湖南省、浙江省、陝西省、福建省)、朝鮮民主主義人民共和国、ベトナムでは絶滅したと考えられている。アフガニスタン、イラン、インドネシア(ジャワ島、バリ島)、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、シンガポール、中華人民共和国の一部(上海市、重慶市、天津市、北京市、安徽省、河北省、河南省、貴州省、江蘇省、湖北省、山西省、山東省、四川省、遼寧省、広西チワン族自治区、新疆ウイグル自治区)、トルクメニスタン、トルコ、パキスタンでは絶滅。 模式標本の産地(模式産地)はアジアとされていたが、後にベンガルとされている。 体長140 - 280センチメートル。尾長95 - 119センチメートル。メスよりもオスの方が大型になる。腹部の皮膚は弛んで襞状になる。背面は黄色や黄褐色で、黒い横縞が入る。縞模様は藪などでは周囲に溶けこみ輪郭を不明瞭にし、獲物に気付かれずに忍び寄ったり待ち伏せることに適している。腹面や四肢内側は白い。黒化個体の発見例はないが、インドでは白化個体の発見例がある。 鼻面は太くて短く、顎の力が強い。前肢の筋肉は発達し、後肢は前肢よりも長い。これにより前肢は長い爪も含め獲物を押さえつけることに、後肢は跳躍に適している。 出産直後の幼獣は体長31.5センチメートル - 40センチメートル、尾長13 - 16センチメートル。体重780 - 1,600グラム。縞模様はあるが、体色は成獣よりも明色。 とはインドに生息するベンガルトラの白変種で、アルビノとは異なる白化型であり、正式名は「ベンガルトラ白変種」という。ホワイトタイガーは、普通のトラでは黄色になる部分の毛が白色もしくはクリーム色で、黒い縞模様の部分も色が薄い。縞模様は個体によっては茶色だったり、または縞がないかあっても極めて薄いスノーホワイトと呼ばれるパターンもある。虹彩の色は青である。白化型の遺伝にはメンデルの法則が当てはまるとされる。かつてはインド北部や中東部に数頭いたといわれるが、トラ全体の数が減ってしまった現在では全世界でも250頭あまり、国内には30頭ほどしかいない希少種で、飼育下でしか目にすることができない。 アムールトラの白化個体に関しても目撃情報はあるが、確かな記録はない。 ホワイトタイガーはインドでは神聖なものとされ、中国及び日本でも白虎として崇められた。また近年ではサーカスの目玉として脚光を浴びる事もある。現在、日本では各地の動物園やサファリパークなどで20頭前後が飼育されている。 上記以外の体色も目撃された例がある。 以下の分類・和名は小原(2000)に従う。 2015年に頭骨の比較や分子系統解析の結果から、亜種間の頭骨の測定値が重複すること・常染色体やX染色体・Y染色体などに差異がないこと・ミトコンドリアDNAの分子系統解析で大きく2系統に分かれるがそれ以外の差異は小さいことなどから、本種をユーラシア大陸産とスンダ列島産の2亜種のみとする説が提唱された。以下の分類・分布・形態はIUCN SSC Cat Specialist Group(2017)に従う。 熱帯雨林や落葉樹林・針葉樹林・乾燥林・マングローブの湿原など様々な環境に生息する。木に登った例もあるが、通常は木に登らない。夜行性だが、主に薄明薄暮時に活動し昼間に活動することもある。群れは形成せず、繁殖期以外は単独で生活する。行動圏は獲物の量などで変動がある。平均的にオスは数十平方キロメートル、メスは20平方キロメートルの行動圏内で生活し、雌雄の行動圏は重複する。縄張りの中を頻繁に徘徊し、糞や爪跡を残す、肛門の臭腺からの分泌物を含む尿を木や岩・茂みに撒くなどして縄張りを主張する。温暖な地域に生息する個体は避暑のため水に浸かる。泳ぎも上手く、泳いで獲物を追跡することもある。河川を6 - 8キロメートル渡ることもあり、まれに29キロメートルを泳ぐこともある。8 - 10メートルを跳躍することもあるが、通常は5 - 6メートル以下。 食性は動物食で、主に哺乳類を食べる。 具体的にはイノシシ、"Cervus canadensis"、アクシスジカ、サンバー・ニホンジカ・ノロ類・バラシンガジカ・ヘラジカ・ホッグジカ"Axis porcinus"などのシカ類、シベリアジャコウジカ"Moschus moschiferus"、アジアスイギュウ・ガウル・ニルガイ・バンテン・ブラックバックなどのウシ類などを食べる。 ツキノワグマやナマケグマ・ヒグマ・ヒョウなどの他の肉食獣も捕食する。 大型の獲物がない時はヤマアラシ類などの齧歯類、キジ科などの鳥類、カメ類・ワニ、カエル、魚類などの小型の獲物も食べる。 まれにアジアゾウやインドサイの幼獣、マレーバクを襲うこともある。家畜や人間を襲うこともある。 1日あたり平均6 - 7キログラムの肉を食べるが、一晩で25キログラムの肉を食べることもある。獲物を待ち伏せることもあるが、主に一晩あたり10 - 20キロメートルを徘徊し獲物を探す。獲物を発見すると茂みなどに身を隠し近距離まで忍び寄り、獲物に向かって跳躍して接近する。主に獲物の側面や後面から前肢で獲物を倒し、噛みついて仕留める。狩りの成功率は低く10 - 20回に1回成功する程度。獲物は茂みの中などに運び、大型の獲物であれば数日に何回にも分けて食べる。 繁殖様式は胎生。繁殖期は地域によっても異なりインドの個体群は雨期が明けると交尾し、主に2 - 5月に繁殖する。発情期間は数日だが、約2日間に100回以上の交尾を行う。妊娠期間は96 - 111日。1回に1 - 6頭の幼獣を産む。メスのみで幼獣を育てる。授乳期間は3 - 6か月。出産直後の幼獣は眼も耳も閉じているが生後6 - 14日で開眼し、生後9 - 11日で耳が開く。生後4 - 8週間で巣から出るようになる。幼獣は生後18 - 24か月は母親の縄張り内で生活し徐々に独立する。生後2年で幼獣の半数は命を落とし、オスが幼獣を殺すことも多い。オスは生後4 - 5年、メスは生後3 - 4年で性成熟する。寿命は約15年と考えられ、飼育下では26年の記録がある。 骨が漢方薬になると信じられている。中国には虎骨酒がある。 開発による生息地の破壊、薬用や毛皮用の乱獲、人間や家畜を襲う害獣としての駆除などにより生息数は激減している。20世紀に入ると3亜種が絶滅した。19世紀における生息数は約100,000頭と推定されている。生息地を自然保護区に指定したり、獲物も含めた生態に関する調査などの保護対策が行われている。1975年のワシントン条約発効時には亜種シベリアトラを除いてワシントン条約附属書Iに(亜種シベリアトラはワシントン条約附属書II)、1987年に全亜種を含む種としてワシントン条約附属書Iに掲載されている。亜種や地域ごとの生息数に関する調査では 亜種シベリアトラの1994年における飼育個体は632頭とされる。 日本ではパンテラ属(ヒョウ属)単位で特定動物に指定されている。 19世紀にネパール、インド国境付近に出没したチャンパーワットの人食いトラの被害者数は436人であり、ギネス世界記録に認定されている。 21世紀においてもトラが人を襲う被害は続いており、2018年インド、マハラシュトラ州では、2年間に13人を殺害した雌のトラが射殺されている。 中国では百獣の王といえば虎であり、獰猛な野獣としての虎は古くから武勇や王者のイメージとして受容され、軍事的シンボルや建国・出生譚、故事成語などに結びついている。また、虎と人間の生活が密接だった古代の中国や朝鮮など東アジアでは、虎をトーテムとして崇拝した氏族があり、その名残りから魔除けや山の神として一般的な崇敬の対象になった。虎は龍と同格の霊獣とされ、干支では年の始めに当たる寅に当てられている。 一方で、虎は凶悪・危険・残酷といったマイナスのイメージとして比喩される。虎による被害の多い地域では虎にまつわる多くの民話が伝承されているが、ネガティブなイメージをもって語られるものが多い。 古代より日本人にとって虎の皮は海外との交易で輸入される唐物の代表だった。『続日本紀』などに記録されている渤海使の献進物の中にも虎の皮が含まれている。虎皮は朝議では五位以上の貴族しか身に付けることができず、ときには病気や祟りから身を守る呪物として用いられた。他に虎の強さのイメージを利用した例として、虎皮を材料に利用した鎧がある。平貞盛から平維盛まで9代に渡って継承された「唐皮」などが有名である。 中国武術には虎をモチーフにした虎形拳、あるいはそれに類する名称のものが複数系列にわたって存在する。日本にはトラは生息していないが、大陸のトラの存在は古くから知られており、多くの絵師がトラを題材にした浮世絵などを残している。 虎をモチーフにした伝説の生物としては四神の白虎、鯱、さるとらへび、人虎、開明獣などがある。 また、鬼の虎褌など、見知らぬ異国の住人である鬼と凶悪な虎の複合した観念が、平安末期以降に『地獄草紙』や『桃太郎』などの作品に見られるようになる。 ヨーロッパにその存在が知られるようになったのは、アレクサンドロス3世(大王)のインド遠征によるもので、ペルシア語のthigra(鋭い・尖った)から、ギリシア語でtigrisと呼ばれるようになり、英語・ドイツ語のtigerへと変化した。ヨーロッパで最初にトラが持ち込まれたのは、紀元前19年にローマ皇帝アウグストゥスにインドの使者がトラを献上した時と言われている。 なお、アニマルプラネットで50,000人から世界で一番好きな動物をアンケートした所トラが一位となった。 虎退治を題材とする伝説などのフィクションは古今東西にあり、その多くは登場人物の武勇を表現するために使用された。『水滸伝』の行者こと武松や黒旋風の李逵が有名である。同作品には実際作中で虎退治を確認できないが、虎殺し(打虎将)の異名を持つ人物も登場する。 『日本書紀』の欽明6年(545年)には百済に派遣された膳臣巴提便が子供を食べた虎を倒しその皮を剥いだとあり、その武勇談は中世の『宇治拾遺物語』にも「遣唐使の子、虎に食るゝ事」という説話として採録されている。 また豊臣秀吉の家臣加藤清正が朝鮮出兵中に虎狩りをした逸話は良く知られており、これにあやかって明治時代以降、多くの日本人が虎狩りを行っている。なかでも旧尾張藩主の徳川義親はシンガポールで虎狩りを行い、「虎狩りの殿様」として知られている。 一休宗純が屏風に描かれた虎を退治するよう言われ、「ではまず虎を屏風から追い出してください」と切り返す頓智も一休噺他数々の作品で取り上げられてきた。アニメ「一休さん」でも足利義満が同様のことを発言し、一休を困らせようとしたが、この言葉で切り崩す話がある。 強い者、豪傑の代名詞としてよく用いられる。中国の小説『三国志演義』では蜀の劉備に仕えた武将のうち武勇に優れた5人を五虎大将軍と呼び、特に張飛はその立派な髯(ひげ)を虎髯と呼ぶなど、勇猛ぶりを虎に喩えられた。 日本でも戦国大名武田信玄や上杉謙信は、後世にその武威をそれぞれ甲斐の虎、越後の虎と、虎に喩えられた(どちらかを龍と呼ぶケースが多い)。第二次世界大戦中には山下奉文陸軍大将がマレーの虎(英:Tiger of Malaya)という異名を取った。 兵器にも、虎の名を冠する物が多い。ナチス・ドイツの重戦車ティーガーI、ティーガーII、イギリスの巡洋戦艦タイガー、アメリカの戦闘機F-11タイガー、F-5タイガーIIなどが有名。 日本では虎の体色は「黄と黒」と表される。例えば「警戒ロープ」・「警戒用テープ」はその色(黄色と黒)から、「虎ロープ・虎ヒモ(トラロープ・トラヒモ)」・「トラテープ」と呼ばれることがある。同様にセーフティーコーン(パイロン)間を繋ぐ縞模様の棒も「トラバー」と呼ばれる(工事現場などで使用されている)。しかし、実物および写真を見ても厳密には黄色ではなく、ある程度誇張されたあるいは比喩的な表現である。日本での「黄と黒」の表現が何に由来するかは不明である。 生物名としてトラを使う例は多い。一つには縞模様をトラに見立てたもの、トラマルハナバチ・トラカミキリ・トラフグなどがある。特に黄色と黒の縞に対して使うが、普通の縞模様を指す例もある。またトラフシジミなどのように虎斑という語もある。他には虎の尾は太くて、それを立てる行動があることから、細長くて立ちがちなものを虎の尾という。トラノオシダ・オカトラノオ・ウミトラノオ・ミズトラノオ(一回り小さいとミズネコノオ)などがある。 アメリカでは虎の体色はオレンジと黒とされる。虎をモチーフにしたスポーツチームのチームカラーも、MLBのデトロイト・タイガースやNFLのシンシナティ・ベンガルズのようにオレンジと黒の2色となることが多い。 虎の入ったことわざや慣用句においては、「強いもの」「何より恐ろしいもの」の代表として使われる例が多い。 その他、虎の習性を讃えたものもある。 タイガーズアイ(虎目石)、レッドタイガーズアイ(赤虎目石)といった名が付けられた宝石もある。 古代中国では虎をモチーフにした形状の敔という打楽器が生まれた。 日本には虎拳という拳遊びがあり、戦時中の千人針では、虎の刺繍もなされた。 2003年の「今年の漢字」は、阪神タイガースの18年ぶりのセ・リーグ優勝による全国フィーバーの影響で「虎」となった。
ルノーF1、カナダGPではチームオーダーがあったことを明かす。「どうしても結果が必要だった」
2019-06-12 102
フェルスタッペン、レッドブル離脱の噂を否定「チームを去るなんて考えたことすらない。ここが自分の居場所だ」
ルノーF1アビテブール「カナダで自分たちがやれることを証明した、シーズンの再出発だ」
観戦した多くのファンの気持ちから乖離した、ベッテルへのペナルティ。規則に縛られたF1の限界【今宮純のカナダGP分析】
2019-06-12 122
クビアト「パワーとストレートスピード不足は結果を左右する」と改善を望むも、ホンダPUの信頼性と安定感を評価
2019-06-12 151
「必要以上にスタッフの士気を下げたくなかった」ハースF1代表、暴言を吐いたマグヌッセンを理解し謝罪を容認
ボッタス、F1スペインGP以降はハミルトンに及ばないレースが続くもプレッシャーは否定
2019-06-11 112
元F1王者ロズベルグ、ベッテルへのペナルティは妥当と主張「安全にコースへ戻るべきだが、彼はそうしなかった」
ノリスとマクラーレン、F1カナダGPで突然発生したマシントラブルに首を傾げる
ホンダ、F1フランスGP・ポールリカールでアップグレードPUを投入?
F1カナダGP、ラスト2周でのポイント獲得にトロロッソ・ホンダの可能性が見えた【モータースポーツ】
2019-06-11 89
クビサ「ハンドリングが悪化し、グリップも不足。魔法のような解決方法はない」ウイリアムズ F1カナダGP日曜
2019-06-11 121
マグヌッセン「無線にチームを批判する意図はなかった。もっと良い結果で報われるべき」ハース F1カナダGP日曜
2019-06-11 158
ライコネン「厳しい週末だった。今後投入するパーツが機能すれば、また入賞を争えるはず」アルファロメオ F1カナダGP日曜
サインツJr.「捨てバイザーがブレーキダクトを塞いだせいで、序盤のピットインを強いられた」:マクラーレン F1カナダGP日曜
2019-06-11 162
ペレス「週末を通してあまり好調ではなかったが、ダメージを最小限に抑えた」レーシングポイント F1カナダGP日曜
F1第7戦カナダGP 決勝トップ10ドライバーコメント(2)
2019-06-11 158
元F1王者ロズベルグ「カナダGPのベッテルへの裁定は妥当、コントロール下にあろうがなかろうが危険な復帰」
F1カナダGP、48周目、トップを走るヴェッテルになにが起こったのか【モータースポーツ】
2019-06-11 142
F1第7戦カナダGP 決勝トップ10ドライバーコメント(1)
F1、ついに2021年よりコスト制限を義務化か。上限は約190億円、ドライバーらの報酬は含まれず
ボッタスはここ2レースでハミルトンに対して取りこぼしちゃってるね
F1カナダGP:フェラーリのビノット「忙しくてルクレールにベッテルのペナルティのことを伝え忘れた」
F1カナダGP:レッドブルのガスリーはルノー勢の後塵を拝する8番手、厳しい結果に
ストロール、PUトラブルを乗り越え母国で入賞「厳しい道のりだったが、皆の努力が報われた」:レーシングポイント F1カナダGP日曜
2019-06-10 116
ルノー、2019年初のダブル入賞で“ビッグスマイル”。「メルセデスとバトルができた。誇りに思える週末」とリカルド:F1カナダGP日曜
2019-06-10 122
ルクレール3位「自分のレースに満足。いずれ勝てる日が来る」:フェラーリ F1カナダGP日曜
2019-06-10 156
2位降格のベッテル「故意にハミルトンを押し出したわけじゃない。大勢のファンがペナルティに不満を感じている」:フェラーリ F1カナダGP日曜
2019-06-10 168
F1カナダGP、5位までポジションを上げたフェルスタッペンと表彰台を狙いながら8位に敗れたガスリーの明暗【モータースポーツ】
2019-06-10 83
ボッタス4位「オーバーテイクが本当に難しく、思うように順位を上げられず。予選のミスが高くついた」:メルセデス F1カナダGP日曜
2019-06-10 162
トラブルの不安を抱えていたハミルトン「正しい形で勝ちたかった。今週末のフェラーリは直線がとにかく速かった」メルセデス F1カナダGP
「カナダGPの真の勝者はセバスチャンだ」フェラーリF1代表、ベッテルのミスを認めるも“悪い意図はなかった”と主張
レッドブル・ホンダF1密着:モナコの優勝争いから一転、カナダGPはフェルスタッペンの奮闘実らずトップ2チームに力負け
2019-06-10 163
リタイアのアルボン「スタート直後の接触で、レースは終わったようなものだった」:トロロッソ・ホンダ F1カナダGP日曜
2019-06-10 109
クビアト「11位なんてまっぴらだった!」終盤マクラーレンを抜き1点をつかむ:トロロッソ・ホンダ F1カナダGP日曜
レッドブル代表「フェルスタッペンが強力なレースをしたが、期待していたような週末にはならなかった」:F1カナダGP日曜
2019-06-10 143
ガスリー8位「マシンの感触がよかっただけに、この結果は悔しい。トラフィックで速さを発揮できなかった」:レッドブル・ホンダ F1カナダGP日曜
F1カナダGP:フェルスタッペン、9番グリッドから確実に5位を持ち帰る「今日は5位が現実的に望める位置」
F1カナダGP:ルノーがレース終盤ヒュルケンベルグにオーダー発令、ヒュルケンイライラ
F1カナダGP、メルセデスAMGのハミルトンが今季5勝目、トップゴールのヴェッテルは2位に降格【モータースポーツ】
2019-06-10 151
フェルスタッペン5位「トップグループに追いつけるだけの速さはなかった。さらなる努力が必要と実感」:レッドブル・ホンダ F1カナダGP日曜
2019-06-10 120
「彼らにレースを奪われた」。ベッテル、ペナルティで勝利を失い怒り収まらず。フェラーリは控訴の意志を示す
2019-06-10 113
ホンダ搭載車3台が入賞「挽回図るも表彰台争いには至らず。競争力向上のためさらに開発を続ける」と田辺TD:F1カナダGP日曜
フェラーリ、F1カナダGP決勝でのベッテルへの裁定に異議申し立ての意向
【ポイントランキング】F1第7戦カナダGP終了時点
2019-06-10 128
F1第7戦カナダGP決勝:トップチェッカーのベッテルに無情のペナルティ、優勝はハミルトンの手に。ホンダ陣営は挽回叶わず
2019-06-10 131
【順位結果】F1第7戦カナダGP決勝
2019-06-10 148
2019年 F1 第7戦 カナダGP 決勝結果“...厳しい”
【動画で見る結果速報】2019年F1第7戦カナダGP優勝は、メルセデスのハミルトン!ポールスタートのベッテルは2位!F1第7戦カナダGP決勝レース結果(動画付き)
2019-06-10 775
サインツは3グリッド降格、マグヌッセンはピットスタート/F1第7戦カナダGP暫定グリッド
2019-06-09 103
F1第7戦カナダGP予選トップ10ドライバーコメント(2)
2019-06-09 112
F1第7戦カナダGP予選トップ10ドライバーコメント(1)
2019-06-09 159
2019年F1第7戦カナダGP、20人のドライバーの「持ちタイヤ」
ルノーが2010年以来のセカンドロウ「4番手がこれほどうれしいなんて! まるでポールを獲ったような気分」とリカルド:F1カナダGP土曜
2019-06-09 152
フェラーリはメルセデスの開幕7連勝を止められる?
ボッタス予選6番手「壁に当たらなくてツイてたが、結局誇れるようなラップを走れなかった」:メルセデス F1カナダGP土曜
2019-06-09 162
ハミルトン予選2番手「フェラーリの“パーティーモード”にはかなわない」:メルセデス F1カナダGP土曜
2019-06-09 142
ルクレール「セットアップをQ3に合わせて最適化することができなかった」。ペナルティ確定も3番手は変わらず:フェラーリ F1カナダGP土曜
ベッテルが2019年初ポール「苦労してきただけに格別な気分。明日もまた歌えるといいね!」:フェラーリ F1カナダGP土曜
2019-06-09 104
アルボン予選14番手「一日で大きく進歩したものの、Q3には届かず」:トロロッソ・ホンダ F1カナダGP土曜
F1カナダGP予選:リカルド殊勲の4位でヒュルケンベルグに6連勝、ルノーのマシンを掴んだ
第7戦カナダGP予選、レッドブル・ホンダのピエール・ガスリーが5番手。ポールはフェラーリのセバスチャン・ヴェッテル【モータースポーツ】
2019-06-09 101
ガスリー予選5番手「今日はわずかに届かなかったが、決勝でトップ3にチャレンジする」:レッドブル・ホンダ F1カナダGP土曜
2019-06-09 112
レッドブル代表「フェラーリ&メルセデスと同じ戦略を試みたが、ミディアムタイヤでQ3に進める速さはなかった」:F1カナダGP土曜
2019-06-09 106
フェルスタッペン11番手、9番グリッドスタートへ。「戦略が失敗し、ラストチャンスの周に赤旗だなんて…」:レッドブル・ホンダ F1カナダGP土曜
2019-06-09 152
ホンダ勢の3台が予選Q2で敗退「全員トップ10に残る速さがあったが不運だった。決勝で好結果を狙う」と田辺TD:F1カナダGP土曜
2019-06-09 122
F1カナダGP予選:マクラーレンのサインツに3グリッド降格ペナルティ、アルボンのアタック妨害で
【動画で見る結果速報】2019年F1第7戦カナダGP予選結果。予選ポールは、セバスチャン・ベッテル(フェラーリ)
2019-06-09 758
【順位結果】F1第7戦カナダGP 予選
2019-06-09 140
好調フェラーリが1-2【タイム結果】F1第7戦カナダGP フリー走行3回目
2019-06-09 100
2019年 F1 第7戦 カナダGP 公式予選結果“波乱のQ2”
2019年 F1 第7戦 カナダGP フリー走行3“ペイント剥がし”
ルクレール、バクーでの失敗を経てフェラーリ仕様にアップデート
【ブログ】突貫工事でピットビルが現代仕様に大変身/F1第7戦カナダGP現地情報
2019-06-08 129
ホンダF1田辺TD カナダGP初日インタビュー:フェルスタッペンのウォール接触は影響なし。「PUに関しては、ほとんどメニューをこなせました」
2019-06-08 106
ボッタス3番手「わずかながらパワーが向上し、心強い」。トラブルは新パワーユニット導入とは無関係:メルセデス F1カナダGP金曜
2019-06-08 102
クラッシュのハミルトン「自分のミスでロングランの機会を逃した。セットアップに苦労することになりそう」:メルセデス F1カナダGP金曜
2019-06-08 136
フェラーリ初日1-2も「今のところ僕らは最速ではない」とベッテル:F1カナダGP金曜
ハースF1、タイトルスポンサー『リッチ・エナジー』社からの要請でブランドロゴをマシンから削除
2019-06-08 122
ルクレール最速「予選の予想はまだできない。ライバルとの戦いに備えてさらなる進歩を目指す」:フェラーリ F1カナダGP金曜
2019-06-08 146
アルファロメオがリリースでライコネンを弄るのはレギュラー化するんですかねぇ
クビアト15番手「あまり相性がよくないサーキット。それでも予選までに改善できると信じている」:トロロッソ・ホンダ F1カナダGP金曜
アルボン14番手「ペースが足りない。予選までに解決法を探し出す必要がある」:トロロッソ・ホンダ F1カナダGP金曜
ガスリー12番手「フェルスタッペンの事故は見ていない。チームからの指示がかなり遅かった」:レッドブル・ホンダ F1カナダGP金曜
2019-06-08 168
フェルスタッペン13番手「ガスリー車の後ろで態勢が乱れ、ウォールにヒットした」:レッドブル・ホンダ F1カナダGP金曜
ホンダ田辺TD「順位を見ればやるべきことが多いのは明らか」。新エレメントの投入も明らかに:F1カナダGP金曜
ボッタス、パワーユニットのアップグレード投入も「トップスピードではフェラーリには敵わない」
2019-06-07 173
フェラーリF1のタイトル獲得の望みを維持するためには「今後数戦が非常に重要」とベッテル
2019-06-07 135
ピエール・ガスリーインタビュー:「ばかばかしい話に付き合っている暇はない」と交代報道に呆れ顔。カナダでは2強相手に自信
2019-06-07 104
F1第7戦カナダGP、7日金曜日開幕、メルセデスAMGの連勝を止めるのはどこか【モータースポーツ】
2019-06-07 159
F1カナダGP木曜会見:トロロッソでの最多出走回数に並んだクビアト。「ちょっと、歳をとった気分」
2019-06-07 117
メルセデスF1、カナダに“フェーズ2”パワーユニットを導入。2019年初のアップグレード
2019-06-07 201
レッドブル・ホンダのガスリー、シート喪失報道を強く非難。チームとの信頼関係を強調
F1カナダGP初挑戦もシミュレーター上では「以前から好みのサーキット」とノリス
2021年のF1から週末のスケジュールが3日間に短縮され、金曜からパルクフェルメ規定適用らしい
マクラーレンのマシンがいつの間にか結構文字だらけになったと話題
F1グランプリ観戦が10倍楽しくなる方法
フェルスタッペン、シーズン序盤6戦に満足「ホンダとの良好な関係がさらに大きな成功をもたらすはず」
2019-06-06 149
ウイリアムズF1のラッセル、フェルスタッペン人気に抗えないオランダGPは「退屈な展開になる」と予想
レッドブル首脳「ホンダはイタリアで“ナンバー4エンジン”を導入する」。大幅なパフォーマンス向上を予想
トロロッソ・ホンダのアルボン「パフォーマンスが安定し、すべてがうまくいき始めている」。初のF1カナダGPでのポイント獲得に自信
メルセデスF1、標準化ギヤボックスの導入撤回を支持「コスト削減に繋がらないのであれば、使用すべきでない」
2019-06-05 105
レッドブル・ホンダ今シーズン初優勝のチャンスはF1シンガポールGPだろうとマルコ博士
2019年F1 テレビ放送/ネット配信予定(第7戦カナダGP)|DAZN放送時間
2019-06-05 541
ホンダF1田辺TD「ジル・ビルヌーブ・サーキットではパワーユニットの性能が重要になる。今回もいいパフォーマンスを見せたい」:カナダGPプレビュー
リカルド、レッドブルF1時代の僚友を比較。ベッテルへの敬意を示すも「フェルスタッペンの方が速い」
ニコラス・ラティフィ、母国カナダでウイリアムズF1からフリー走行に参加へ。クビサのマシンをドライブ
【F1チームの戦い方:小松礼雄コラム第6回】モナコの勝負を決めたピットストップ。“遅すぎた”ライバルと判断ミスに泣く
2019-06-05 131
レッドブル首脳、ヒュルケンベルグ起用説を完全否定「ガスリーにも説明した」
2019-06-05 158
サインツJr.、3戦連続での入賞を果たすもF1カナダGPに向けては自信過剰にならないよう戒める
クビアト、トロロッソ・ホンダのカナダGPでの競争力に期待。「ここ最近の結果で前向きな気持ちになれる」
2019-06-04 113
メルセデスのトト・ウォルフ「F1カナダGPのコース特性のおかげでライバルが有利になるかもー」
ハースF1、トップ3チームに次ぐ4番手に自信「大混戦の中団チームのなかで、最速のマシンがある」
2019-06-04 125
2018年のF1カナダGPで優勝を飾ったベッテル。「今年も好結果を出すために最大の力を尽くす」
2019-06-04 156
フェラーリF1、問題解決のためのプログラムを開始するもカナダGPでは投入の予定なし
2019-06-04 159
メルセデスF1、カナダGPではライバル勢有利と予想「モントリオールはタイムを稼げるコーナーが少ない」
2019-06-04 127
ホンダ、F1フランスGP・ポールリカールでアップグレードPUを投入?
どうして車のシフトレバーはコラムシフトに移行しないんだろう
2019-06-11 342
加賀山就臣 2019鈴鹿8耐への意気込みを語る!
F1カナダGP、ラスト2周でのポイント獲得にトロロッソ・ホンダの可能性が見えた【モータースポーツ】
2019-06-11 89
【オートバイ杯ジムカーナ】第2戦 フォトレポート(その2)
2019-06-11 124
ボルボV90/V90クロスカントリーのディーゼルモデル限定車「ノルディックエディション」発売
2019-06-11 103
樹木希林の遺作にして世界デビュー作『命みじかし、恋せよ乙女』公開決定
2019-06-11 409
【海外試乗】メルセデス・ベンツEQCは、メルセデスらしい乗り味と正確なハンドリング性能を持つBEV(フルバッテリーEV)
2019-06-11 145
ボルボV60 PHEVモデルにベースグレードを追加、さらにV60CCの仕様変更と、V60シリーズに2つの話題
2019-06-11 116
【コラム】モリゾウの決意〜GRプレジデントが語った新型スープラ開発秘話
2019-06-11 133
令和最初の運試し!Ninja ZX-10R SE試乗&2万円旅行券当てよう!
2019-06-11 371
【比較】レインXの撥水剤「元祖」と「らくヌリ」どっちがいいの?
カーアクションの撮影がCGではなくリアルに豪快すぎてすごすぎる(撮影風景を納めた動画)
映画でよくあるカーチェイスシーン。CGで加工された映像ではなかった。リアルに車両を使って撮影される撮影風景が豪快すぎる。
映画のカーアクションシーンの撮影の舞台裏
レプリカマシンを数多く用意し、ぶっ壊しながら撮影する風景
映画ではな見られないカーチェイスシーンの撮影風景がすごすぎる
たった数分の映像に込められた撮影の努力がすごすぎる
ネットのコメント
「ワイスピは全部大変やー」
「クソ高ぇ車が廃車レベルになってて草」
「きっと全部外見だけのレプリカですよ」
「絶対やりたくない!」
「自分はやってみたいですね❗️今までやっていた事を=する挑戦してたいです笑っ」
「ワイスピかー‼️」
「今日は帰ったらワイスピ観るか♪(*^。^*)車大好きやわ。」
「やっぱワイスピはかっこいい🥰」
「ワイスピだぁ」
「日本は100%以上出来ない」
ランボルギーニ Lambo V12 Vision Gran Turismo が公開[動画あり]
ランボルギーニ初となる「ビジョングランツーリスモ」を発表。「FIA-GT選手権2019ワールドファイナル」において発表されたランボルギーニの映像がこれ
ランボルギーニ Lambo V12 Vision Gran Turismo
6.5L V12 + 48v
最高出力:807hp
0-100km/h: 2.8秒
最高速度:350km/h
11月24日にモナコで開催された
FIA-GT選手権2019ワールドファイナル
で発表されたランボルギーニの仮想スーパーカー
イタリア・サンターガタにあるランボルギーニのデザイン部門、「チェントロスティーレ」が手がけたマシン。
ネットのコメント
「バットマンの、世界🤩🤩🤩」
「CGみたいですね✨」
「個人的にカッコいいとは思わなかった…(;´∀`)
ウラカンかガヤルドの方が私は好きですね」
「行き着く先はTAMIYAかサイバーフォーミュラってことでいいのかな?」
「全身から漂うミニ四駆感。若しくはサイバーフォーミュラ感」
「でもお高いんでしょう?」
「350kmしか出ないじゃん。」
「燃費めっちゃ悪そう(6,5L,V12+48v)」
「アスラーダやん!ワラ」
「いかにタミヤのミニ四駆デザイナーが先駆者だったか分かる!」
「めっちゃサイバーフォーミュラのアスラーダ意識してるじゃん‼️
かっこいいなぁ〜🏎」
「空飛びそう☺️」
「サイドふぇんだぁ〜が視界をアレする!」
「リッジのデビルカーみたいやね」
「バットモービルみたい」
「ミニ四駆でこんなのなかったけ?」
「したがわのぞきこんだら、ミニ四駆(MAシャーシ)になってそう…」
「バットマンで出てきそう笑」
「なんだよコレ…完全にバット◯ービルやんけ…!」
ラリーの激しすぎる走りに適応した完璧な足回りのセッティングが凄い!
あれた路面を高速で走り抜けるラリーマシン。路面に張り付くような走りをするラリーマシンの完璧すぎる足回りの性能がよーくわかる動画
ラリーの激しすぎる走りに適応した完璧な足回りのセッティングスゴっ😏
思わず、凄い!と思ってしまう動画がこちら
市販車の性能を高めるための車両開発の一旦を担うラリー競技。
ラリーで鍛えられた車のノウハウを市販車に活かせばどれだけ性能が高いかわかる。
凹凸の激しい路面を高速で走るラリーマシン。
路面にはいつき流れるように走り抜けるラリーマシン。
ラリードライバーの神業的なドライビングテクニックもさることながら、
路面を捉え続ける足回りのセッティングの素晴らしさが伝わってくる映像がこれ
ネットのコメント
「ラリーしてるときのたまのオンロードで車がめっちゃ変な挙動するの好き(語彙力」
「※早回しではありません…😱」
「今のWRカーは空力で押さえつけてますからね。」
「街乗り
乗り心地良さそう😊」
「街乗り(100km/h)」
「みんな溝落とし🤗」
「猫足で運動神経の良さが伺える」
「こういう動きができるセッティングが欲しい。」
「ラリーやとエンジンのパワー(特にトルク)も大事やけど
それ以上に足周りのセッティングって凄い重要やもんね
ある意味F1以上なのかも」
「何が凄いってこのマシンを操れる頭のネジがぶっ飛んだドライバーなんだよなぁ...」
「グラベル用はともかく、ターマック仕様がたったこれだけの低さで底付きしまくらないでしなやかに走っちゃうってのが凄い…。」
「良い足だ、ロールは最小限に抑え上下方向の力はちゃんと吸収してくれている
って玄人っぽく言ってみたい!」
「クローズドサーキットでは味わえない醍醐味がラリーには有るけどね…
まともじゃないよ、この人達は😅」
「ヤリスかっけぇ」
「すげぇんだけど…
狂気の沙汰よね(;°;ω;°;)
↑↑↑
褒めてます。」
「市民が普段使ってる公道をレース会場にして時速100キロとかで駆け抜けていくので、すごく親近感があり、WRC が好きになりました(^^)」
「45秒のとこ火花出してるし立て直し頭おかしいかっこ良過ぎる」
「フォーカスかっこえ〜」
「F-1より遥かに面白いよね。」
「あとジャンプした後着地でお釣りが来ずに着地1回で吸収するのも凄いと思う」
「ヤリスカッコええわぁ~(*´ω`*)」
「FF外から失礼します。おいおい、何で車が底擦ってあさっての方向向き始めるのに、修正出来るんだよ?www
人間辞めましたみたいwww」
「アクセルの使い方が絶妙だな
真似出来んw」
「サスがすっごい仕事してるw
イニDのタイヤ溝に引っ掛けるのもここではデフォw」
フォーミュラEと「アナと雪の女王」がコラボしたPRが斜め上をいっている動画
フォーミュラEの公式PR動画が斜め上をいっている。レースの模様と「アナと雪の女王」の映像を合わせたPR動画。レースの一部始終を面白おかしくPRする動画がいけてる
フォーミュラEのPR動画があいかわらず、ななめ上をいってて好き😏
市街地レースのフォーミュラEの映像に「アナと雪の女王」の映像をコラボレーション。
スリップシーンは、凍結路面に。
クラッシュシーンは、オラフの仕業にしたりと
通常のレース映像を何倍も面白く楽しくさせたPR映像がこれ。
エキサイティングなレースをちょっとだけパロった動画にしただけで
ここまで面白いPR動画にしてしまうやり方は、フォーミュラE公式でよく行われる手法。
この効果で2019/2020のフォーミュラEも人気が出ると良いですね。
ネットのコメント
「オラフに厳しい」
「オラフ毎回砕かれるw」
「いよいよ今日開幕ですよね」
「今シーズンからしっかり見ようと思ってます!楽しみですね」
「フォーミュラEって遊び心あって良いよね」
ポルシェが軽快に雪道をドリフトして駆け抜けていく動画
圧倒的なパワーをもつポルシェが雪道を軽快にドリフトしながらコーナーを流して走行する映像が非常に美しすぎる
これが雪国の日常😏
世界に誇るスーパーカーのポルシェ。
雪道で華麗にドリフトをするポルシェ。
持て余すパワーを上手にコントロールして雪道を華麗にドリフトするポルシェの姿に
なぜか見とれてしまう動画がこちら
ネットのコメント
「ウマイ」
「あるある」
「んなこたーないw
田舎道でウッカリわたわたするとなる」
「交差点あるあるやな!
交差点はよう滑る笑笑」
「GT2いいね」
アフターファイアを自由に発生させるアフターファイアキットとは?
海外で流行っているスーパーカー動画。空吹かしをさせてアフターファイアを発生させるというもの。こんなにも簡単にアフターファイアって出るものなの?と疑問に思う人もいるだろう。アフターファイアを自由に発生させる方法は?
アフターファイアとは、不燃焼したガスがマフラーを通過する際に、熱を帯びたマフラー付近で爆発的に発火する事象をよんでいるが、
意図も簡単に発生させることは可能なのだろうか?
もちろん、空吹かしを繰り返すことで熱をおび始めると比較的発生させることができるアフターファイア。
しかし、海外では「アフターファイアーキット」と呼ばれる発生装置が存在する。
日本では販売されていないので海外から取り寄せることになる。
海外相場では3万円弱くらい。
仕組みは単純で、スイッチを押すと
エンジン内の点火を止め、不燃焼ガスを意図的に発生させる。
マフラーに穴を開けてプラグを取り付けてあり、
そのブラグが発火させるというもの。
ここまでくると意図的に着火させるパーツで、パフォーマンス以外にメリットは内容だ
ネットのコメント
「元気だねえ〜何かいい事でもあったのかい?」
「言い方があまい
やり直し」
「GTRいいですよね~💕」
「最新式のストーブです
一家に一台いかが?(笑)」
「アフターファイヤーと言うかアフターバーナー?」
「フレイムスロワーじゃないかな?」
「いい音やなぁ」
日産のs15シルビアにトヨタの2jzを搭載!圧倒的なパワーを手に入れたシルビア
日産を代表するスポーツカー、s15シルビア。パワーを得るために行われたエンジンスワップはトヨタの2jzエンジン。900馬力に達するエンジンパワーをえたシルビアが放つ圧倒的なパワー。
トヨタの2jzを搭載した日産のs15シルビア💨🔥
夢のエンジンスワップ?
日産のS15シルビアは、7代目となるシルビアで
直列4気筒SR20DET(ターボ)
250ps/6,400rpm
さらなるパワーアップを検討する場合、2リッターのSR20DETではやや役不足になる。
ハイパワーエンジンの代表格でもあるトヨタの2JZエンジン
3リッターの直列6気筒エンジン ツインターボ
s15シルビアが1000馬力近いハイパワーを手に入れることができる魔改造
コンパクトなFRスポーツに1000馬力のハイパワーエンジンを搭載したまさに「羊の皮をかぶった狼改造」がこれだ
すでに2JZに載せ替えるためのエンジンマウントパーツも登場しているほど
メジャーなエンジンスワップとなっている
ネットのコメント
「マシンガンみたいw」
「もはやシルビアとは言えない」
「もはやダイナマイトwww」
「ミスファイアリングにしてるのかな?」
「元気だねぇ〜!」
「おぉぉー!!耳が幸せ!」
「ミスファイつけてるのかな?」
「こういう車って動画だから派手だねぇと笑って見てられるけど隣近所の奴がこういうの乗ってたらウルサイとしか思わないんだろうなぁw」
ここまでできる最高の溝落とし。イニシャルDにも登場する溝落としをリアルでやってみるとこうなる
人気アニメ「イニシャルD」でも登場した溝落とし。昔からラリー競技で行われている溝落とし。リアルな溝落としのドラテクは年々進化を続け今ではこうなっている
この溝落とし最高にいい👍
自動車のイン側のタイヤをわざと溝に落とすことでより高い速度でコーナーをクリアするドライビングテクニックが
この溝落とし。
ミリ単位でコーナーの状況を見極めてタイヤを溝に落とし込む技術が必要。
ミスをすると足回りにも負荷がかかりクラッシュの引き金にもなりかねない溝落とし。
リスクをおかしながらも、高速コーナリングを実現するために攻めまくる1台のマシン
ネットのコメント
「インカット
観ていて気持ちいいですね」
「ルパーン」
「これはただのショートカット」
「藤原拓海と同等❗」
「リアル頭文字D」
走行中のランボルギーニが見せつける夜のアフターファイア
夜の高速を走るランボルギーニが走りながら奏でる爆音とアフターファイア。夜だけに美しい炎がはえて美しい。
走ってる最中のアフターファイア🔥はいいよな😏
ランボルギーニといえば、停車中に空吹かしをすることでアフターファイアを炸裂させる映像が多く見受けられる中、
今回の動画では走行中のランボルギーニから放たれるアフターファイアの映像なのである。
美しいエキゾーストサウンドと共に放たれるアフターファイアの美しさとは
ネットのコメント
「TAXi 3」
「ロケットエンジン点火‼️」
「ほぼニトロにしか見えん」
「憶測ですが本物のNOSは青い炎出ないと思います。」
「地上の戦闘機。✨」
「ずーーっと出っぱなしって凄い😳ガスバーナーでもマフラーに入ってるん?🙄」
「ニトロかな?」
「もはやジェットエンジン」
「ブーストオン!
エンジン臨界点へ
カウントスタート!!」
「戦闘機のアフターバーナーじゃん」
「どうせなら空を飛んで欲しい。」