その昔、呉の国に流布と言う名の豪腕な飛ばし屋がいた。
流布は力任せに腕を振り回す擦羅威刺亜で、呉の国はおろか、魏や蜀にも、その名を轟かせていた。
その一方で流布は無学だったので、君主の孫権が少しは膵ん具理論を学び、球筋の幅を広げるように流布に諭した。
時は流れ、呉の国有数の智将である魯粛が前線司令官として赴任する途中に、流布を訪ねた。
魯粛が語るところ、中国最強の飛ばし屋は蜀の関羽将軍であり、持ち球は腑詠怒であると。
それを聞いた流布は腑詠怒の弱点が球の転がりにあることを即座に見抜き、秘奥義「怒老」を開発した。
無学な流布しかしらない魯粛はこれに驚き、「復た擦羅威擦の阿布にあらず」(いつまでもスライスでOBばかり打っていた頃の流布ちゃんじゃあないなぁ)と言ったところ、流布は「士別れて三日なれば刮目して相待すべし」と言った。
・ ・ ・ ・ ・ との「呉流布のこうした話しから『男子三日会わざれば刮目して見よ』という慣用句が生まれたのじゃよ。
今日の打ちっぱなし大会の名前の由来じゃな」 茶々「いつまでも変わらない、おとのさまとは大違いね」 との「何を!わしだっていつまでもスライサーではないわ!刮目してみよ、マ〜イショ〜ット!!!」 ペチーン、擦り玉スライス。
官兵衛「はっはっは!まんまとハマりましたな!シャフトをRからXに挿し替えておきました。
さすれば、との程度のHSではスライスしか出ますまい」 との「た、謀ったな〜!!」 ちゃんちゃん☆