SUPER GT(JGTC除く)のGT500で、ホンダのマシンでチャンピオンを獲得した選手は4人いますね

SUPER GT(JGTC除く)のGT500で、ホンダのマシンでチャンピオンを獲得した選手は4人いますね

匿名さん

SUPER GT(JGTC除く)のGT500で、ホンダのマシンでチャンピオンを獲得した選手は4人いますね。
そのうちの2人はレクサスに行っちゃいました。
伊藤大輔選手とロイックデュバル選手です。
デュバルがレクサスに行った理由は、2012年、ルマン24hに出るため1戦欠場したかったが、ホンダはフル出場してほしかった。
それで意見が食い違って、ホンダを離れた、ということらしいですけど・・・。
大輔はなぜホンダを離れたのでしょうか? しかも強豪ARTAでチャンピオン獲った翌年に・・・。
正直、レクサスに行ってよかったことと言えば、2010年に未勝利ながらタイトルを争ったことと(富士SCでは勝ちましたが)、12年SUGOでの優勝くらいしか思い浮かびません。
悪かったこと、1番は2008年HB撮影テスト中の大事故で重傷を負ったことです。
ほかにも、車が決まらず本来の力を出し切れなかったレースが多い気がします。
仮に2008年ARTAに残留したとしましょう。
開幕戦鈴鹿、予選をラルフに託したARTAでしたが、デグ1でコースオフ&クラッシュで最後尾。
あれは、鈴鹿超得意の大輔がアタックしていれば、51秒台は出せたと思います。
ヘビーウェットの2006年は2位に大差をつけてのPP、ドライの2007年では、前人未到の49秒台を叩きだし、またも2位に大差をつけてのPP。
2008年も、ウエイトを食らったものの、5位くらいならいけたと思うんですが・・・。
第2戦では、新人伊沢でさえも表彰台を獲れたのですから、大輔なら優勝も狙えたと思います。
07も勝ってますし。
まあ、ラルフのスティントでマシンが破損してましたが。
他にも、セパン、SUGOなどで勝機はあったはずです。
伊沢が大暴れでしたが、大輔なら、堅実にいけたと思います。
今考えても残念です。
なぜ、伊藤大輔選手はホンダ、ARTAを離れたのでしょうか? 土屋さんは止めなかったのでしょうか?

レクサスの環境から言いますと 2007年で服部尚貴選手が引退しました。
これにより1つシートが空いた状況が生まれます。
また2009年からは車両規則が変更となり(←現車両規則。
今年で最後です) 新たにマシン開発が必要となりその能力を欲していた。
次にホンダというよりARTAの状況なんですが 07年ではオレンジ特急という呼び名を実況者が付けるほど 速かったのですが07年→08年にあたり体制が大きく変更しました。
その変更内容が「ホンダワークスからARTAを外す」ことです。
07年まではホンダワークスチームといえば童夢とARTA。
しかし08年からはホンダワークスを童夢だけにすることにしたのです。
これによって2連覇できるの・・・?という不安材料が出てきました。
以上によって伊藤大輔は自身の新たな挑戦と 来る新車両規則のための開発ドライバーとして レクサスへ移籍したのではないか、というのが大方の予想でした。
ただ開発ドライバーで引っ張ったならTom'sにも乗せても良かったと 個人的には思いますが、ドライバーが揃っていましたからね・・・。
さて、ならば移籍しなかったらどうだったかと言えば 08年シーズンは確かに新人の伊沢が速さを見せましたが この年1番だったのは復活したGT-Rです。
なぜならこの08年のGT-Rは特別に09年から始まる新車両規則を先取りした マシンになっており、レクサス(当時トヨタ)とホンダを引き離していました。
開幕の鈴鹿の予選はトップ3独占、1-2フィニッシュを鈴鹿、岡山、セパンの3戦で達成、 GT-R全チームが1勝以上を挙げる(←つまり純粋にマシンが速い) NISMOが開幕戦、第2戦を2連勝という前人未到の荒業を披露、 シーズン9戦あるなか7勝もあげる快挙達成。
レクサス、ホンダには不利な部分が多いシーズンでした。
伊藤大輔といえども、苦しいシーズンにはなったであろうと思われます。
ただ、GT-Rがウェイトで沈んだSUGOとARTAが奮戦した茂木では 勝機があったかもしれません。
さて、最後に伊藤大輔にとってこの移籍はマイナスかプラスか。
2010年こそチャンピオン争いを演じましたがそれ以外は確かに 悲惨なものがありました。
ペナルティ、アクシデント、マシントラブル・・・。
周回遅れなんてザラであり、次第にチーム内でも険悪なムードがあったようです。
スタッフ同士が今にも殴り合いの喧嘩に発展しかけたこともあり、伊藤自身も このチームそろそろ崩壊しそうだと感じていたようです。
ここまではマイナス。
ただ昨シーズンル・マンは勝ちましたね。
第3戦のセパンから 怒涛の追い上げを見せましたがこれがチームの結束力を もう1度高めたようです。
これにより第4戦では伊藤大輔が 数年ぶりのP.Pを獲得、レースではギリギリな状況の中 ル・マンに9年ぶりの勝利をもたらせました。
これは伊藤大輔には とても大きなプラスになっています。
崩壊しかけたチームを たてなおし、また新たに戦えるチームへと成長させました。
この成績を認められ今シーズンはTom'sのエースに抜擢されています。
怪我や勝てないシーズンが続き辛かったですが、それを乗り越えてきて 得られたものは大きいはずです。
この移籍は決して残念なものではありません。
ARTAのエースのときのように今シーズンはTom'sのエースとして レクサスに09年以来のチャンピオンをもたらすと信じています。
~補足を読んで~ 石浦選手はGT500へ昇格しています。
大嶋選手は更に経験を積むためヨーロッパへ勉強しにいきました。
ただ当時の石浦選手と引退した服部選手を比べればまだまだ 石浦選手は経験不足だな、という感じはあったのでしょう。
ベテランの服部に代わるドライバーは伊藤大輔しか居なかった というわけですね。
ワークスから外れた理由はARTA自体がメンテナンスを 自分たちでやりますと発表したから。
元々は童夢に頼んでいたようですが自分たちで行う方が やりやすいのでしょう。
ただ、今まで他のチームに任せていた 車両メンテナンスを自分たちで行うわけですからそこに 2連覇は大丈夫か?という大きな疑問が生まれたわけです。
なぜメンテナンスを自分たちでやるだけでそのような疑問が 生まれるかと言うと、メンテナンスといってもその内容は 車両の開発などもあります。
つまりこの2連覇大丈夫? というのは言い方を変えれば童夢のメンテがあったから ARTAは勝ててたんでしょ?だから自分たちでやって2連覇行ける? という結構ひどいものです。
実際09年は伊沢が頑張ってランキング3位 でしたが、それ以降の2010年から現在までARTAは1勝しか挙げていません。

セパン戦に関する回答

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匿名さん

SUPER GT(JGTC除く)のGT500で、ホンダのマシンでチャンピオンを獲得した選手は4人いますね。
そのうちの2人はレクサスに行っちゃいました。
伊藤大輔選手とロイックデュバル選手です。
デュバルがレクサスに行った理由は、2012年、ルマン24hに出るため1戦欠場したかったが、ホンダはフル出場してほしかった。
それで意見が食い違って、ホンダを離れた、ということらしいですけど・・・。
大輔はなぜホンダを離れたのでしょうか? しかも強豪ARTAでチャンピオン獲った翌年に・・・。
正直、レクサスに行ってよかったことと言えば、2010年に未勝利ながらタイトルを争ったことと(富士SCでは勝ちましたが)、12年SUGOでの優勝くらいしか思い浮かびません。
悪かったこと、1番は2008年HB撮影テスト中の大事故で重傷を負ったことです。
ほかにも、車が決まらず本来の力を出し切れなかったレースが多い気がします。
仮に2008年ARTAに残留したとしましょう。
開幕戦鈴鹿、予選をラルフに託したARTAでしたが、デグ1でコースオフ&クラッシュで最後尾。
あれは、鈴鹿超得意の大輔がアタックしていれば、51秒台は出せたと思います。
ヘビーウェットの2006年は2位に大差をつけてのPP、ドライの2007年では、前人未到の49秒台を叩きだし、またも2位に大差をつけてのPP。
2008年も、ウエイトを食らったものの、5位くらいならいけたと思うんですが・・・。
第2戦では、新人伊沢でさえも表彰台を獲れたのですから、大輔なら優勝も狙えたと思います。
07も勝ってますし。
まあ、ラルフのスティントでマシンが破損してましたが。
他にも、セパン、SUGOなどで勝機はあったはずです。
伊沢が大暴れでしたが、大輔なら、堅実にいけたと思います。
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なぜ、伊藤大輔選手はホンダ、ARTAを離れたのでしょうか? 土屋さんは止めなかったのでしょうか?

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