1966年2月28日東京でルー・テーズはジャイアント馬場 のインター・ナショナル・ヘビ

1966年2月28日東京でルー・テーズはジャイアント馬場 のインター・ナショナル・ヘビ

匿名さん

1966年2月28日東京でルー・テーズはジャイアント馬場 のインター・ナショナル・ヘビー級王座に挑戦して馬場が勝利 して新聞紙の記事に難敵テーズから2フォールと書いてありま したが、馬場が、テーズに勝ったのは奇跡ですか? この年にテーズはバディ・オースチンに勝利してWWA世界王者 にもなっているからですか

この時期のインターヘビーのタイトルは、日本プロレスの看板タイトルで興行の目玉でした。
そのベルトをアメリカから呼んだテーズがアメリカに持ち帰ったら、日本プロレスの興行に支障を来たします。
だからこの場合言うまでもなく馬場の勝ちブックが用意されていたわけです。
ベルトの権威を高めるためには、名の通ったレスラーの挑戦を受けるのが一番です。
挑戦者がデビュー間もない前座レスラーばかりでは客の興味を引けず観たいとも思わないから観客動員にも悪影響にしかなりません。
わざわざ高いギャラ払ってまでしてテーズを呼んだのは、客の興味を引きチケットを買ってもらい、テレビの視聴率を上げるためです。
別に馬場さんとテーズが真剣勝負で強さを競う機会を作るためではありません。
もし仮にデーズがチャンピオンになってベルトをアメリカに持ち帰ったとしたら、日本プロレスにはメリットがまったくありません。
テーズもプロレスの世界で長年ビジネスをしてきたわけですから、指示されたブックが妥当なものなら、それにしたがいます。
この数年後の、国際プロレスでのグレート草津戦では、テーズのキャリアもプライドも無視したブックをテレビ局が提示してきたのに腹を立て、あえてブックを破ったのです。
尚テーズをブッキングしたグレート東郷も国際プロレスの吉原社長もデーズを同じ考えだったようです。

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1966年2月28日東京でルー・テーズはジャイアント馬場 のインター・ナショナル・ヘビ

匿名さん

1966年2月28日東京でルー・テーズはジャイアント馬場 のインター・ナショナル・ヘビー級王座に挑戦して馬場が勝利 して新聞紙の記事に難敵テーズから2フォールと書いてありま したが、馬場が、テーズに勝ったのは奇跡ですか? この年にテーズはバディ・オースチンに勝利してWWA世界王者 にもなっているからですか

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