ポルシェ924のデザイナーはジウジアーロでは? 社内デザインと今はなっています ●以前の質問と同じですが画像をピアッツアから944にしました

ポルシェ924のデザイナーはジウジアーロでは?	 社内デザインと今はなっています	 	 ●以前の質問と同じですが画像をピアッツアから944にしました

匿名さん

ポルシェ924のデザイナーはジウジアーロでは? 社内デザインと今はなっています ●以前の質問と同じですが画像をピアッツアから944にしました。
見比べてください 924/944のデザイナーは社内のハーム・ラガーイ(三期目のチーフで1946年生まれ・初めてのチーフが924。
後にボクスター、カイエンをやる)となっていますが、ジョルジェット・ジウジアーロまたの呼び名ジュジャーロ(1938年生まれ、10代よりベルトーネで数々のデザインチーフをし、世界で1番有名なカーデザイナーの巨匠)ではないですか? ★★★発表当時はジウジアーロになっていました。
いったい如何なっているのでしょう。
話が変わっています ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ●ピアッツア(1970年後半プロトタイプ発表)と924(1975年、生産型発売)のリアコンビランプがまったく同じデザインです。
ピアッツアの元の名前はアッソ・ディ・フィオーレで、この同じような車体プロトタイプのデザインを1973年からアッソシリーズとし、たしか5台を各メーカーに依頼され、発売までしたのがイスズです。
年代/経験ともはジウジアーロが上で経験の数が違います。
このリアランプのデザインは初代ゴルフもまったく同じで、昔から多くの車に提案し、多くの車種でジウジアーロデザインで市販されています ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 車は、数人の有名デザイナーの複合デザインの場合もあるので、社外から招いたジウジアーロが924のデザインをし、ラガーイが手伝ったのが事実ではないかと考えています この世界では、契約上と自社のアピールのため、社外デザイナーの名前を出さない場合も多くあります ビートはピニンですが、軽自動車サイズでは自由なデザインにならないため名前を伏せてとの契約でした。
後に本田から公表させています ヒットしたマセラッティーの初代ビトルボのシリーズは、ジウジアーロが全部デザインし売れました。
後にマルチェロ・ガンディー二が前下がりに見えるように元を大きく変えずリファインしまし、その後は初期のデザインを崩さないように社内デザインとしリファインし発表。
また、外がジウジアーロ、中がピニンなど多くあります デザイン工房はピニンと言えどもチーフが変わります 同じ工房でも10代からチーフで大きな仕事をし、今だにピニンとは違いデザインの主事をするジウジアーロが1番のデザイン会社を作り、デザインの偉大さ/数の多さで、世界1の巨匠と言われる所以です ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 余談 当方、2台ともに幼少時、大きなデザインの影響を受け、必ず乗ろうと思いいれ、成人になり手に入れた思い入れのある2台です。
ピニンなどのスパーカーは女性のボディーすぎてデザインとして興味を当時もってませんでした。
当時のスパーカーは真直ぐしか走れない品で、944から本当の走れる高性能車で911の性能を飛び超えていました。
ポルシェは911から944へ変えるつもりで販売し、サーキットラップも世界最高ラップを944ターボを長年維持していました。
アメリカで大ヒットしましたが他では売れなかった 。



























どうか社内事情など詳しい方、わだかまりを解決するためにご教授をどうか願います。

ジウジアーロとラガーイ共に携わったのはBMWのM1です。
924はコストを抑えるためにVWやaudiの部品を多く使用しているため、テールランプもゴルフと同じものを使用していたのかもしれません。
ラガーイは924のデザインに参加していますが、当時のチーフデザイナーはアトワーヌ・ラピーヌです。
ラガーイはその後ポルシェAGは退社し、フォード、BMW(この時にジウジアーロとM1をデザイン)を渡り歩きポルシェAGに出戻ります。
ラガーイがチーフデザイナーになるのは出戻った後で、944(フェイスリフトのみ)、968、993、986、996、カイエン、カレラGTまで携わりました。

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ポルシェ924のデザイナーはジウジアーロでは?	 社内デザインと今はなっています	 	 ●以前の質問と同じですが画像をピアッツアから944にしました

匿名さん

ポルシェ924のデザイナーはジウジアーロでは? 社内デザインと今はなっています ●以前の質問と同じですが画像をピアッツアから944にしました。
見比べてください 924/944のデザイナーは社内のハーム・ラガーイ(三期目のチーフで1946年生まれ・初めてのチーフが924。
後にボクスター、カイエンをやる)となっていますが、ジョルジェット・ジウジアーロまたの呼び名ジュジャーロ(1938年生まれ、10代よりベルトーネで数々のデザインチーフをし、世界で1番有名なカーデザイナーの巨匠)ではないですか? ★★★発表当時はジウジアーロになっていました。
いったい如何なっているのでしょう。
話が変わっています ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ●ピアッツア(1970年後半プロトタイプ発表)と924(1975年、生産型発売)のリアコンビランプがまったく同じデザインです。
ピアッツアの元の名前はアッソ・ディ・フィオーレで、この同じような車体プロトタイプのデザインを1973年からアッソシリーズとし、たしか5台を各メーカーに依頼され、発売までしたのがイスズです。
年代/経験ともはジウジアーロが上で経験の数が違います。
このリアランプのデザインは初代ゴルフもまったく同じで、昔から多くの車に提案し、多くの車種でジウジアーロデザインで市販されています ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 車は、数人の有名デザイナーの複合デザインの場合もあるので、社外から招いたジウジアーロが924のデザインをし、ラガーイが手伝ったのが事実ではないかと考えています この世界では、契約上と自社のアピールのため、社外デザイナーの名前を出さない場合も多くあります ビートはピニンですが、軽自動車サイズでは自由なデザインにならないため名前を伏せてとの契約でした。
後に本田から公表させています ヒットしたマセラッティーの初代ビトルボのシリーズは、ジウジアーロが全部デザインし売れました。
後にマルチェロ・ガンディー二が前下がりに見えるように元を大きく変えずリファインしまし、その後は初期のデザインを崩さないように社内デザインとしリファインし発表。
また、外がジウジアーロ、中がピニンなど多くあります デザイン工房はピニンと言えどもチーフが変わります 同じ工房でも10代からチーフで大きな仕事をし、今だにピニンとは違いデザインの主事をするジウジアーロが1番のデザイン会社を作り、デザインの偉大さ/数の多さで、世界1の巨匠と言われる所以です ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 余談 当方、2台ともに幼少時、大きなデザインの影響を受け、必ず乗ろうと思いいれ、成人になり手に入れた思い入れのある2台です。
ピニンなどのスパーカーは女性のボディーすぎてデザインとして興味を当時もってませんでした。
当時のスパーカーは真直ぐしか走れない品で、944から本当の走れる高性能車で911の性能を飛び超えていました。
ポルシェは911から944へ変えるつもりで販売し、サーキットラップも世界最高ラップを944ターボを長年維持していました。
アメリカで大ヒットしましたが他では売れなかった 。



























どうか社内事情など詳しい方、わだかまりを解決するためにご教授をどうか願います。

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