元広島の河村英文投手を知ってますか? 1960年 七回の裏難波の打球を右手首に受けてベンチへ走りこんだ河村は、フンマンやるかたないといったゼスチャアをみせた。難波の一打を含めて五安打の散発、無得点に巨人を押え、完投シャットアウトは目の前。しかも七回は上田を一塁において「河村じゃ打てないだろう」という記者席の声を笑うように左翼へ2ラン、決勝点をたたきだしている。まったく河村ひとりで勝っているようなゲームだったのだ。広島ベンチうしろの通路は報道陣でいっぱい。しばらく河村は出てこず氷を割る音ばかりベンチからひびいた。ホウタイの中に氷を巻きこんで出ていた河村は竹内マネジャーにつきそわれて球場入り口を出て病院へ。むずかしい顔をした河村は「いまは全然痛まない。しびれてしまっているんだ。ゲームの方はどうなった?これで負ければモトも子もないからな」とさかんに得点を気にする。「まだ勝ったことがないんだからな。一勝くらいしないことにははずかしくて広島へ帰れないよ。難波へ投げた球?真正面にオレのところへとんできたのだからまん中だろうな。シュートをかけたんだが切れなかったらしい。ピッチングは見たとおり、カーブをほとんど使わなかった。シュートが割合よく落ちたんだが・・・。ホームランはまん中の直球だ。まぐれまぐれ、レフトの上はぬけると思ったがね」ホームランしたときの河村は一塁ベースあたりで自分で拍手、渦中を笑いにしてホームインした。そのあと五分もしないうちこんなアンラッキーが待ち構えているとは・・・。首からホウタイをつって右腕をかけ、真っ赤なジャンパーを羽織って電車道でタクシーを待っている河村を通る人はなにごとかというような顔をしてみていく。西鉄から広島へ移籍したばかり。三原前監督、川崎現監督(当時コーチ)と感情的に合わず、トレードされることをもくろんで昨年の後半は完全にサポタージュをやり、首尾よく広島へ移ったというサムライ。「さっき三原さんと通路で会ったよ。会釈はしたよ。すると先生妙な顔をして礼をしていったよ。もちろん話はしなかったがね」とこのときはニヤニヤする余裕が出てきた。プロ入りした一年目のキャンプに医者を連れて参加したり、逸話の多いのではプロ野球球界でも指折り。セ・リーグは大して打つ者がいないから楽だよ」などという、宣言をしたとおりの実力をこの日はハッキリみせたといっていいだろう。