元中日のマーシャル選手・ニーマン選手を知ってますか? 1963年 国鉄の打撃練習をいかめしい顔つきでベンチ前に突っ立ったまま観察したニーマン

元中日のマーシャル選手・ニーマン選手を知ってますか? 1963年  国鉄の打撃練習をいかめしい顔つきでベンチ前に突っ立ったまま観察したニーマン

匿名さん

元中日のマーシャル選手・ニーマン選手を知ってますか? 1963年 国鉄の打撃練習をいかめしい顔つきでベンチ前に突っ立ったまま観察したニーマン。
「気楽にやるさ」と江藤の隣に腰をかけてニコニコするマーシャル。
試合前の態度は同じ大リーガーでもまったく対照的だった。
「あれが先発の金田かね」ニーマンは金田のピッチングもみのがさない用意周到さ。
「試合は見たくない」はずのパトリシア夫人も貴賓席で観戦だ。
いいところを見せたいニーマン。
だがスターいじめで定評のある金田にかかってノーヒット。
二人合わせて3三振という成績だった。
杉浦監督は「はじめてだし、金田の調子もよすぎた。
しかたがないよ」とかばっていたが、ニーマンもマーシャルも口をそろえて「金田のスネークボールにやられた」といっていた。
スネークボールとは落差の大きいスピードを殺したカーブのことで、ヘビのようにグニャグニャ曲るという意味らしい。
当の金田は「二人ともいいスイングをしているで。
ボールをよく見て食いついてきよる。
まだ調子を出していないようだが、ワシはきっと彼らは働くとみている。
ニーマンにはすごみを感じるし、マーシャルもスキのないバッティングをしよる」と杉浦監督と同じようなことをいっていた。
昨年渡米したときワールド・シリーズで代打に出たニーマンを見ている金田は、マーシャルとも日米野球で対戦ずみだ。
「金田はいい投手だ。
まったく打ちにくい球を投げる」という二人。
あれでは打てないといわんだかりだ。
カーブをスネークボールといったニーマンが四回の二度目の打席で大きな声をだして文句をいったのもこの球をつづけられて2ストライクをとられたときだ。
スピードには自信があって大きなカーブは目を狂わせたようだ。
それでもマーシャルが八回、三塁側に絶妙の送りバントをみせたのが両外人の唯一のいいプレーだった。
吉田正男氏は「逆逆をついた金田のピッチングが二人の打力を完全に上まわっていた。
スピードにはビクともしない外人でも、カーブでカウントをとられては手の出しようもなかった。
マーシャルは初打席で2-2から一球胸もとをつかれたあと、外角速球をから振り。
第二打席では内角球につまって内野フライ。
ニーマンは第一、第三打席とも2-0、2-2から、第一打席はカーブ、第三打席は速球をみのがしているように、球についていけないのはコンディションが未調整のためだ。
キャンプ、オープン戦とかなりの時間をかけている現在、彼らが調子を出していないのは理解できない」といっている。

マーシャル選手 知ってますよ。
1950年にシカゴ・ホワイトソックスと契約し、1958年にボルチモア・オリオールズでようやくメジャー初昇格。
1958年シーズン途中にシカゴ・カブスに移籍し、その後もサンフランシスコ・ジャイアンツ(1960年 - 1961年)→ニューヨーク・メッツ(1962年)→ピッツバーグ・パイレーツ(1962年)と計5球団を渡り歩く。
1963年、日本プロ野球初の現役メジャーリーガーとして中日ドラゴンズに移籍(それまで日本球界では、兵役中にアルバイトとしてプレーしたレオ・カイリーや、ラリー・ドビーなど戦力外通告を受けたメジャー経験者がプレーしたケースはあったが、マーシャルは前年までメジャーのレギュラー野手だった)。
オープン戦では大スランプでファンをやきもきさせたが、公式戦に入るとメジャーの貫禄を見せて打ちまくった。
江藤慎一、ボブ・ニーマン(後に移籍してきた葛城隆雄)とクリーンナップを組んだ。
特に巨人戦には滅法強く、バントヒットも得意にしていた。
1964年6月17日の巨人戦(後楽園)で5回表、マーシャルはレフトフェンス際に大飛球を放った。
レフトの相羽欣厚がジャンプしてこのボールを取ろうとした直前、レフトスタンドのファンが身を乗り出してこのボールを取ってしまった。
球場の観衆は最初は「ホームランか?」と色めきたったが、レフト線審は「ファンがボールを取らなければ捕球できた」と判断してアウトを宣告。
中日側はこの判定を不服として審判団に猛抗議し、一時監督の西沢道夫が「没収試合も辞さない」とベンチ内の選手を引き上げさせたが、球団フロントや球場にいた鈴木龍二セ・リーグ会長の説得もあって「提訴試合」とする事を条件に試合は再開された。
この事は「幻のホームラン事件」としてしばしば紹介されている。
オールスターゲームに3年連続出場を果たし、1964年に中日球場で開催された第2戦ではMVPを獲得。
得た副賞の軽自動車をたいそう気に入って球場への足代わりに使っていたという。
1965年引退。
帰国後はメジャー球団のコーチやマイナーの監督を歴任し、カブス(1974年途中 - 1976年)→オークランド・アスレチックス(1979年)では監督を務めた。
アスレチックス時代は、首位打者に盗塁王を獲得したリッキー・ヘンダーソンをマイナーから抜擢した。
1981年からは親友だった監督の近藤貞雄に招聘され、古巣・中日の一軍総合コーチに就任。
ケン・モッカを日本に紹介したほか、平野謙をレギュラーに押し上げ、1982年のリーグ優勝に貢献。
1983年退任。
その後はアメリカに帰国し、ヤンキース→ホワイトソックス傘下のマイナーリーグ監督を歴任。
1998年にはアリゾナ・ダイヤモンドバックスの創設に尽力し、現在はチームのシニアアドバイザー(太平洋沿岸地区担当)を務めている。
相手チームのファンの一人が打席のマーシャルに対し、「マーシャルの子供は『子マーシャル!』」という野次を飛ばしたところこれが観客に受け、場内は爆笑で包まれたという(「中日スポーツ」記事より)。
NPB通算408試合出場 1501打数 402安打 78本塁打 252打点 打率.268 MLB通算410試合出場 852打数 206安打 29本塁打 106打点 打率.242 オールスターゲームMVP:1回 (1964年 第2戦) オールスターゲーム出場:3回(1963年 - 1965年) 背番号 27(1958年) 44(1958年) 12(1959年) 25(1960年 - 1961年) 6(1962年) 14(1962年) 6(1963年 - 1965年) 1(1974年 - 1976年、1979年) 62(1981年 - 1983年) ニーマン選手 知らなかったので調べました。
ケント州立大学出身。
1948年にシンシナティ・レッズと契約。
1951年9月14日にセントルイス・ブラウンズでメジャーデビューし、初打席初本塁打・その次の打席でも2打席連続本塁打を放つという華々しいデビューを飾った。
デビュー戦の2本塁打はメジャー初だった。
その後、デトロイト・タイガース、シカゴ・ホワイトソックス、ボルチモア・オリオールズ、セントルイス・カージナルス、クリーブランド・インディアンス、サンフランシスコ・ジャイアンツを経て、1963年に中日ドラゴンズに入団。
中距離打者で、シャープなバッティングが売り物だった。
よく、眼鏡をかけてプレーしていたり、国鉄スワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)の大エース金田正一をよく打ち込んでいたためか、子供たちから月光仮面と言われ親しまれた。
しかし、入団当時36歳という高齢から年齢的な衰えは隠せず、1シーズン限りで退団した。
その年限りで引退。
その後、インディアンス、ドジャース、アスレチックス、ホワイトソックス、ヤンキースでスカウトを務めた。
1985年、カリフォルニア州コロナで58歳で死去。
NPB通算110試合出場 355打数 107安打 13本塁打 53打点 打率.301 MLB通算1113試合出場 3452打数 1018安打 125本塁打 544打点 打率.295 背番号 19 (1951年 - 1952年) 5 (1953年 - 1954年) 18 (1955年 - 1956年) 3 (1956年) 4 (1956年 - 1962年) 20 (1962年) 5 (1963年)

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元中日のマーシャル選手・ニーマン選手を知ってますか? 1963年  国鉄の打撃練習をいかめしい顔つきでベンチ前に突っ立ったまま観察したニーマン

匿名さん

元中日のマーシャル選手・ニーマン選手を知ってますか? 1963年 国鉄の打撃練習をいかめしい顔つきでベンチ前に突っ立ったまま観察したニーマン。
「気楽にやるさ」と江藤の隣に腰をかけてニコニコするマーシャル。
試合前の態度は同じ大リーガーでもまったく対照的だった。
「あれが先発の金田かね」ニーマンは金田のピッチングもみのがさない用意周到さ。
「試合は見たくない」はずのパトリシア夫人も貴賓席で観戦だ。
いいところを見せたいニーマン。
だがスターいじめで定評のある金田にかかってノーヒット。
二人合わせて3三振という成績だった。
杉浦監督は「はじめてだし、金田の調子もよすぎた。
しかたがないよ」とかばっていたが、ニーマンもマーシャルも口をそろえて「金田のスネークボールにやられた」といっていた。
スネークボールとは落差の大きいスピードを殺したカーブのことで、ヘビのようにグニャグニャ曲るという意味らしい。
当の金田は「二人ともいいスイングをしているで。
ボールをよく見て食いついてきよる。
まだ調子を出していないようだが、ワシはきっと彼らは働くとみている。
ニーマンにはすごみを感じるし、マーシャルもスキのないバッティングをしよる」と杉浦監督と同じようなことをいっていた。
昨年渡米したときワールド・シリーズで代打に出たニーマンを見ている金田は、マーシャルとも日米野球で対戦ずみだ。
「金田はいい投手だ。
まったく打ちにくい球を投げる」という二人。
あれでは打てないといわんだかりだ。
カーブをスネークボールといったニーマンが四回の二度目の打席で大きな声をだして文句をいったのもこの球をつづけられて2ストライクをとられたときだ。
スピードには自信があって大きなカーブは目を狂わせたようだ。
それでもマーシャルが八回、三塁側に絶妙の送りバントをみせたのが両外人の唯一のいいプレーだった。
吉田正男氏は「逆逆をついた金田のピッチングが二人の打力を完全に上まわっていた。
スピードにはビクともしない外人でも、カーブでカウントをとられては手の出しようもなかった。
マーシャルは初打席で2-2から一球胸もとをつかれたあと、外角速球をから振り。
第二打席では内角球につまって内野フライ。
ニーマンは第一、第三打席とも2-0、2-2から、第一打席はカーブ、第三打席は速球をみのがしているように、球についていけないのはコンディションが未調整のためだ。
キャンプ、オープン戦とかなりの時間をかけている現在、彼らが調子を出していないのは理解できない」といっている。

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