プロレス事情通の方に質問します

プロレス事情通の方に質問します

匿名さん

プロレス事情通の方に質問します。
今更という感がありますが、約15年前ほど前、因縁のあった「橋本真也」さんと「小川直也」選手ですが、小川選手がZERO-ONEのリングに参戦して橋本選手とタッグを組むようになりましたよね。
どういう経緯でタッグ結成に至ったのでしょうか? 橋本さんを引退→新日本プロレス退団に至らせた張本人なのにタッグを結成するまでの経緯をその当時まだ中学生だったので記憶がありません。
詳しい経緯をご存知の方教えて下さい。

2000年4月7日の橋本との最後の対戦以降、あくまでプロレスがしたかった小川だが、猪木は小川に総合格闘技を強制する。
小川はそんな猪木の元で試合をするのが嫌になり、他団体との交流戦に活路を見出そうとする。
そんな折、小川が目を付けたのが三沢光晴でした。
当時、全日所属の三沢はベイダーに勝利する等してプロレス界最強の呼び声も高かった。
小川は2000年6月に三沢が旗揚げしたばかりのノアに直談判して三沢とのシングルマッチでの対戦を求めたが、三沢はそれを拒否(そもそも三沢はプロレスでの実績が殆ど無かった小川を評価していなかった。
) そこで小川はある計画を思いつく。
かつてのライバルだった橋本と他一名でタッグを結成して、先ずノアの三沢のタッグチームと対戦させる。
恐らく橋本のチームは三沢チームに負けるだろうから、その時に小川自身がアピールして三沢との対決の約束を取り付けるというもの。
その対決の際のタッグパートナーとして、橋本を想定していた。
小川の計画が動き始めた日は、ノア大会の2001年1月13日大阪府立体育館でした。
三沢光晴・小川良成vs橋本真也・アレクサンダー大塚戦が実現(三沢 体固め アレク)。
小川の予想通りに橋本チームは負け、小川は試合終了後にマイクアピールで三沢との対戦を要求するつもりだったが、タッグとはいえ負けたことが悔しかった橋本は、試合後に小川より先にマイクで三沢に対してシングルマッチを要求してしまう。
橋本「三沢、次はシングルだからな!」 三沢「橋本、次はあるのかこの野郎!」 この事で小川のマイクアピールの計画が白紙となる。
橋本との対決に満足した三沢は、橋本の新団体であるゼロワン旗揚げ戦に協力することを決める。
そして2001年3月2日両国国技館で橋本真也・永田裕志vs三沢光晴・秋山準が行われる。
(三沢 ジャーマンからの体固め 橋本) この試合の直後に満を持して小川がリングサイドに乱入してマイクで「橋本、だらしねえ試合してんじゃねぇコノヤロー。
三沢受けてもらおうじゃねーか勝負を!」 と発言すると、三沢が小川にエルボーを打って掴みかかる。
その二人をノアとゼロワンの両団体の選手が入り乱れて制止に入る。
その騒動の直後に三沢がマイクで「お前らの思う通りにはしねえよ、絶対!」と発言。
小川との対戦を避けており、マイクでも暗に小川と対戦拒否と取れるコメントを残した三沢だが、あれだけ大騒ぎになり、小川との対戦から逃げたと思われたくなかったので、タッグマッチで対戦を受けることになった。
かくして小川と橋本のタッグが結成されたのです

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今更という感がありますが、約15年前ほど前、因縁のあった「橋本真也」さんと「小川直也」選手ですが、小川選手がZERO-ONEのリングに参戦して橋本選手とタッグを組むようになりましたよね。
どういう経緯でタッグ結成に至ったのでしょうか? 橋本さんを引退→新日本プロレス退団に至らせた張本人なのにタッグを結成するまでの経緯をその当時まだ中学生だったので記憶がありません。
詳しい経緯をご存知の方教えて下さい。

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