元日本ハムの片岡建投手を知ってますか? 1975年 「野球人生、もう一度、一からやりなおしです」-ニッコリ笑って日ハム

元日本ハムの片岡建投手を知ってますか? 1975年  「野球人生、もう一度、一からやりなおしです」-ニッコリ笑って日ハム

元日本ハムの片岡建投手を知ってますか? 1975年 「野球人生、もう一度、一からやりなおしです」-ニッコリ笑って日ハムのバッティング投手・片岡建選手(28)が、現役を引退。先乗りスコアラーとして第二のプロ人生を歩み始めた。四十五年、リッカーからドラフト一位で入団したのに、左足肉離れを再発。結局1勝もできず大方の期待を裏切ったが、持ち前のスピードとコントロールはバッティング投手で花開き、張本の恋人といわれる名物選手となっていた。「ハリさんの移籍とともに僕も現役を引退ですよ」ごくろうさまでした。生まれたて、ホヤホヤの先乗りスコアラーさんは、多忙なオフを送っていた。六日、神奈川・金沢文庫の自宅。机に向かって、ことしのチーム成績の整理だ。実は、スコアラーの仕事は三年ほど前から手を染めている。バッティング投手との二足のワラジ。張本の恋人としての役割は、それほど重大だったことになる。「ユニホームを脱ぐことには別に抵抗はなかったです。これからすべてを勉強しなきゃいかんという気持ちだけ。ただ、こんな若いのにあえてボクを先乗りスコアラーに選んでくれたことには責任を感じますね」専任の先乗りスコアラーとしての一本立ち。「バッティング投手として選手も横から見たきた目。見習スコアラーとして出す報告書の確かさ。そのへんを買われたんでしょうね」(岩本ファームディレクター)入団時にはドラフト一位とチヤホヤしておきながら、ひとたび不運な故障に見舞われると「契約金ドロボー」とののしる冷たい世間の風も、十分に知りつくしている偵察情報に重点を置く大沢野球が自信を持って送り出す偵察隊長だ。その新米の先乗りスコアラーさんが最近頭に来てること。彼氏張本のことである。「セ・リーグの投手の中に、3割はもう無理だろうなんていってる人がいる。バカにしてたらやられるよ。ことしだって、技術的にはどこも悪くなかった。成績が悪かったのは、他にそれだけ心配事があったということになる。打たれてから泣いたって知らんよ」なるほど恋人だけのことはある。四年間、張本のために投げつづけた球はざっと約5万2千球。試合前にその日の好、不調を予想し、それがピタリと当るのは毎度のことだった。その張本の移籍とともにやっと二足のワラジにサヨナラをする。かたわらにルイスビル製の破れたグラブ。四年間、バッティング投手をつとめた間、使いつづけたものだ。「これもちょうど、引退の時が来たんだね」-初めて見せるしんみりした表情。これからはペンを持っての床ガラスだ。まだ独身。「いままでだってお嫁さんが見つからなかったのに、今度の仕事は半年も出ずっぱりで、ますますむずかしくなるなあ」0勝1敗。投手・片岡のこれがプロ成績のすべてだ。

知らなかったので調べました。 横浜商業高校では、エースとして1964年の夏の甲子園神奈川県予選の準決勝に進出するが、鎌倉学園の林千代作中堅手に本塁打を喫し敗退。 卒業後は神奈川大学へ進学。 神奈川五大学野球リーグでは3度の優勝に貢献。 1966年の全日本大学野球選手権大会では準決勝に進出するが、延長11回、日大に敗れた。 大学同期に村越稔捕手がいる。 卒業後にリッカーへ入社。1969年の都市対抗に出場し1勝をあげる。 1969年ドラフト会議で東映フライヤーズから1位指名を受け、翌年の都市対抗後に入団。 1971年には24試合に登板するが、その後はあまり登板機会に恵まれず、1975年限りで引退。 直球に威力があり、シュートとカーブを武器にした。 引退後は球団職員となる。 通算33試合登板 0勝1敗 防御率4.12 12 (1970年 - 1973年) 55 (1974年 - 1975年)

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元日本ハムの片岡建投手を知ってますか? 1975年  「野球人生、もう一度、一からやりなおしです」-ニッコリ笑って日ハム

元日本ハムの片岡建投手を知ってますか? 1975年 「野球人生、もう一度、一からやりなおしです」-ニッコリ笑って日ハムのバッティング投手・片岡建選手(28)が、現役を引退。先乗りスコアラーとして第二のプロ人生を歩み始めた。四十五年、リッカーからドラフト一位で入団したのに、左足肉離れを再発。結局1勝もできず大方の期待を裏切ったが、持ち前のスピードとコントロールはバッティング投手で花開き、張本の恋人といわれる名物選手となっていた。「ハリさんの移籍とともに僕も現役を引退ですよ」ごくろうさまでした。生まれたて、ホヤホヤの先乗りスコアラーさんは、多忙なオフを送っていた。六日、神奈川・金沢文庫の自宅。机に向かって、ことしのチーム成績の整理だ。実は、スコアラーの仕事は三年ほど前から手を染めている。バッティング投手との二足のワラジ。張本の恋人としての役割は、それほど重大だったことになる。「ユニホームを脱ぐことには別に抵抗はなかったです。これからすべてを勉強しなきゃいかんという気持ちだけ。ただ、こんな若いのにあえてボクを先乗りスコアラーに選んでくれたことには責任を感じますね」専任の先乗りスコアラーとしての一本立ち。「バッティング投手として選手も横から見たきた目。見習スコアラーとして出す報告書の確かさ。そのへんを買われたんでしょうね」(岩本ファームディレクター)入団時にはドラフト一位とチヤホヤしておきながら、ひとたび不運な故障に見舞われると「契約金ドロボー」とののしる冷たい世間の風も、十分に知りつくしている偵察情報に重点を置く大沢野球が自信を持って送り出す偵察隊長だ。その新米の先乗りスコアラーさんが最近頭に来てること。彼氏張本のことである。「セ・リーグの投手の中に、3割はもう無理だろうなんていってる人がいる。バカにしてたらやられるよ。ことしだって、技術的にはどこも悪くなかった。成績が悪かったのは、他にそれだけ心配事があったということになる。打たれてから泣いたって知らんよ」なるほど恋人だけのことはある。四年間、張本のために投げつづけた球はざっと約5万2千球。試合前にその日の好、不調を予想し、それがピタリと当るのは毎度のことだった。その張本の移籍とともにやっと二足のワラジにサヨナラをする。かたわらにルイスビル製の破れたグラブ。四年間、バッティング投手をつとめた間、使いつづけたものだ。「これもちょうど、引退の時が来たんだね」-初めて見せるしんみりした表情。これからはペンを持っての床ガラスだ。まだ独身。「いままでだってお嫁さんが見つからなかったのに、今度の仕事は半年も出ずっぱりで、ますますむずかしくなるなあ」0勝1敗。投手・片岡のこれがプロ成績のすべてだ。

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