元阪神の柿本実投手を知ってますか? 1969年 二ケタ以上のヒットを打たれながら、完封勝ち。今シーズン、両リーグを通

元阪神の柿本実投手を知ってますか?  1969年  二ケタ以上のヒットを打たれながら、完封勝ち。今シーズン、両リーグを通

元阪神の柿本実投手を知ってますか? 1969年 二ケタ以上のヒットを打たれながら、完封勝ち。今シーズン、両リーグを通じても見当たらないちゃめっ気たっぷりの柿本らしい珍記録? だった。失礼だが、思いもかけない、という表現がピッタリだろう。今季大洋戦初先発のマウンドも、伊藤が発熱で急におはちがまわってきたもので、柿本自身「打順がオレに一回くらいまわってくればめっけもの」というくらいの自信のなさだったから、話がはずむのも無理はない。盛んに「びっくりしてもうて」を連発する。びっくりしたのは完封された大洋の方だっただろうが「六回ごろから、これはひょっとしたら」と気持ちを締め直したそうだ。第一打席では、ナインのだれもがあまり信用していない自称スイッチ・ヒッターぶりを披露したり、投げたあとからからだを大きく左へ傾けるカージナルスのギブソンばりのピッチングをみせたり(七回、近藤昭に打たれた中前安打は、あまりからだをかっこよく泳がせすぎて足をすべらせ、投ゴロが中前へ抜けたもの)とにかく昼寝したくなるような盛り上がりのない試合を一人で楽しんでいた。「もうそろそろ点をとられてもいいころと思っていた」六回をすぎてもいっこうにタイムリーが出ない。「ことしはじめて」という長丁場の七回にいどんで「はじめて完投(完封ではない)を意識した」という。「そんなに気をつけて球を散らしたわけやないが、うまく田淵がリードしてくれた。ここが今シーズンのオレの度胸のみせどころと観念して、いうとおり投げてやったんや」スピードは平凡、変化球も最優秀投手になった中日時代の切れ味はもうない。たよりは打者とのかけひきと度胸の二つしかないのだ。その度胸男がベンチをあわてさせたのが九回の守りだ。一死一塁で代打重松、というところで柿本は田淵を呼んだ。一塁ベースを指さしていたのは「歩かそうか」の相談だったのか。これをみた後藤監督。「冗談じゃない。オイ、カキ、勝負や、勝負ー」とびっくりぎょうてん。「中日時代から重松には相性が悪いし、あともう代打もいないようだったから」としゃあしゃあとしていたが、あのケースで二塁にわざわざ走者を進める手はない。昨年九月六日の広島戦以来の完封勝ちを前にして、やはり緊張していたのだろうか。阪神のヒットはわずかに三本だったよ、と聞かされ「エッ、三本?知らんかったな」とまた丸い目を開いて「知らんかってよかったわ」ということばが結びのひと声。もしこの日のダブルヘッダーに連敗すれば、大洋と入れ替わって三位転落の瀬戸ぎわに立っていた阪神。第一試合に勝ってそのピンチを脱した意義ある柿本の完封勝利だった。

知らなかったので調べました。 苅田高校時代は内野手(三塁手)。 準硬式の豊岡セメントで投手に転じ、硬式の日炭高松では深見安博監督の指導を受けた。 1960年に南海ホークスへ入団するが、出場機会に恵まれなかった。 わずか1試合に登板しただけで自由契約となり、翌1961年に中日ドラゴンズへ移籍。 近藤貞雄コーチの指導を受け、それまでのオーバースローからサイドスローに転向し才能が開花、1962年・1963年と2年連続で20勝をマーク。 権藤博・板東英二・山中巽らとともに主力投手陣の一角を占め、1962年の開幕戦でプロ初完投勝利を記録(開幕戦での初完投勝利は日本プロ野球史上初)。 1963年には最優秀防御率のタイトルも獲得したが、同年8月28日対阪神戦の2回の打席で、1球毎に左右の打席を入れ替わった後、6球目に三振した(相手投手は村山実)。 強気のピッチングと人を食った言動でも話題を集め、個性派選手として人気があった。1965年4月12日対巨人戦で、長嶋茂雄に対して際どいシュートを投げたことから乱闘騒ぎになり、金田正一ら2選手が退場処分を受けた。 なお、柿本はこの試合でそのまま完投し、勝利投手となっている。 その後1966年に佐藤公博との交換トレードで、阪急ブレーブスに移籍したが、その年に自由契約となり、1967年に阪神タイガースへ移籍。 阪神では主にリリーフ投手として活躍し、1969年のシーズン終了後に現役を引退。引退後は阪神の二軍投手コーチ(1970年 - 1971年)・一軍投手コーチ(1972年 - 1973年)を経て、現在は兵庫県西宮市でブライダルサロン「柿本」を経営。オールスター出場3回。 通算1402.1イニングを投げて暴投0という記録も持つ。 スライダー、シュート、シンカーを武器としていた。 通算308試合登板 83勝71敗 防御率2.55 最優秀防御率:1回 (1963年) オールスターゲーム出場:3回 (1962年、1963年、1965年) 背番号 20 (1960年) 45 (1961年 - 1966年) 41 (1967年 - 1969年) 72 (1970年 - 1973年)

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元阪神の柿本実投手を知ってますか?  1969年  二ケタ以上のヒットを打たれながら、完封勝ち。今シーズン、両リーグを通

元阪神の柿本実投手を知ってますか? 1969年 二ケタ以上のヒットを打たれながら、完封勝ち。今シーズン、両リーグを通じても見当たらないちゃめっ気たっぷりの柿本らしい珍記録? だった。失礼だが、思いもかけない、という表現がピッタリだろう。今季大洋戦初先発のマウンドも、伊藤が発熱で急におはちがまわってきたもので、柿本自身「打順がオレに一回くらいまわってくればめっけもの」というくらいの自信のなさだったから、話がはずむのも無理はない。盛んに「びっくりしてもうて」を連発する。びっくりしたのは完封された大洋の方だっただろうが「六回ごろから、これはひょっとしたら」と気持ちを締め直したそうだ。第一打席では、ナインのだれもがあまり信用していない自称スイッチ・ヒッターぶりを披露したり、投げたあとからからだを大きく左へ傾けるカージナルスのギブソンばりのピッチングをみせたり(七回、近藤昭に打たれた中前安打は、あまりからだをかっこよく泳がせすぎて足をすべらせ、投ゴロが中前へ抜けたもの)とにかく昼寝したくなるような盛り上がりのない試合を一人で楽しんでいた。「もうそろそろ点をとられてもいいころと思っていた」六回をすぎてもいっこうにタイムリーが出ない。「ことしはじめて」という長丁場の七回にいどんで「はじめて完投(完封ではない)を意識した」という。「そんなに気をつけて球を散らしたわけやないが、うまく田淵がリードしてくれた。ここが今シーズンのオレの度胸のみせどころと観念して、いうとおり投げてやったんや」スピードは平凡、変化球も最優秀投手になった中日時代の切れ味はもうない。たよりは打者とのかけひきと度胸の二つしかないのだ。その度胸男がベンチをあわてさせたのが九回の守りだ。一死一塁で代打重松、というところで柿本は田淵を呼んだ。一塁ベースを指さしていたのは「歩かそうか」の相談だったのか。これをみた後藤監督。「冗談じゃない。オイ、カキ、勝負や、勝負ー」とびっくりぎょうてん。「中日時代から重松には相性が悪いし、あともう代打もいないようだったから」としゃあしゃあとしていたが、あのケースで二塁にわざわざ走者を進める手はない。昨年九月六日の広島戦以来の完封勝ちを前にして、やはり緊張していたのだろうか。阪神のヒットはわずかに三本だったよ、と聞かされ「エッ、三本?知らんかったな」とまた丸い目を開いて「知らんかってよかったわ」ということばが結びのひと声。もしこの日のダブルヘッダーに連敗すれば、大洋と入れ替わって三位転落の瀬戸ぎわに立っていた阪神。第一試合に勝ってそのピンチを脱した意義ある柿本の完封勝利だった。

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