匿名さん
元南海の小武方信一投手を知ってますか? 1955年 二十八年に仙台で行われた都市対抗東北予選で私は非凡のサウスポーを見出した。
私は球審をつとめたのであるが、帰京してその投手を第二の荒巻と呼んで世間に紹介した。
そのサウスポーこそが小武方投手である。
その少年投手(当時十八歳)小武方が成長してついに南海入りした。
その実力からみても、またネーム・バリューからいってもノンプロ入りした選手の№1であろう。
岩手県岩手高校に学び一年生の頃から登板、切れのいいドロップと速球で鳴り三振奪座王として県下高校球界はもちろんのこと、中央にもその名を知られ、二十八年三月釜石富士製鉄に入社した。
この年の予選の決勝で常盤炭鉱と相見え予想を裏切って小武方投手に常盤は手も足も出ず1-0で敗退してしまった。
このときの彼のピッチングは左投手独特の内角低目をつく速球と鋭いインドロで常盤を四安打に封じたのである。
これにより彼は大きな自信を得て、彼が今日ある動機となったといってもいいすぎではないだろう。
本大会では名鉄を二安打に抑えたが不幸、味方の二失策がたたって2-0で負けた。
二十九年は三月サン大会に出場、第一戦に川崎トキコを2-0で破り、つづいての大昭和には1-0で敗れたが、鋭いドロップを内角低目にきめまたスピードを変えたカーブを巧みにあやつるという入念なピッチングで大昭和の記録した安打は荒川の二本だけであった。
小武方は黒柳に完全に投げ勝ちながら試合を失ったのは不運というほかない。
夏の都市対抗本舞台にはまたしても彼の奪取で大会第四位を獲得し、東北代表が準決勝に進出したのは初めてという記録を残した。
一回戦は神戸製鋼を6-1、二回戦名鉄を1-0、三回戦日本鋼管を1-2といずれも完投の連勝で準決勝に進出し、ここで八幡製鉄に投手起用に苦心し、小武方を温存したため4-1で敗れた。
釜石製鉄での投手成績を見ると二十八年度は12勝6敗、二十九年度は14勝5敗となっており、登板数二十三試合で許した得点二十点だから平均一試合に0・87で、いかに相手に得点を許していないかがわかる。
非常に柔軟性に富んだ身体で腰のバネのよいことと無類、これからの精進次第ではまだまだのびる。
それに彼は球の切れが非常によい。
左投手として内角低目に食い込む快速球は実に効果あり、アウトコーナーに最近いいシュートも見せている。
きめ球は大きな鋭いインドロ。
カーブとシュートにやや物たりないものがあるが、これを覚えたらまず第一線級の投手としてりっぱに働けよう。
いい捕手をつけて十分投げさせて見たらさぞ面白いだろうと期待される。
プロ入りの動機 野球をやるならやはりそれ一本に打ち込めるプロを・・・というのが動機です。
ノンプロではどうしても仕事との両立がむずかしい。
まず勉強したいこと 「一年もたてば肉はつく」とよく先輩からいわれているが一日も早く十七貫ぐらいに肥えたいと思う。
いまの身体では長いペナント・レースをベスト・コンディションで通せるかどうか疑問だし、まだ球質を重くするためにもウエイトをつけたい。
つぎはフォームの安定。
投球後身体が突っ立っています。
柚木さんに注意されてようやく前に身体が乗りだすようになった。
もう一歩というところです。
目標とする選手 同じような体格で技巧に生きている柚木さんが目標。
趣味 読書 身長 五尺六寸十六貫、左投右打、二十一歳、背番8 現住所 岩手県岩手郡大更村47の23