匿名さん
元太平洋の鮫島康夫選手を知ってますか? 1973年 念願のプロ野球テスト生として入団したが、スンナリはいったわけではない。
昨年十一月、近鉄のテストに失敗、だが本人「あのときは雨が降っていて、まともなテストもしないで不合格となったのでくやしかった」。
そこで十二月、太平洋クへ再度の挑戦とあいなって、見事合格というわけだ。
「一次テストで八人の中に選ばれたとき、この中から三人なら選ばれる自信があった。
でも電話で合格の知らせを受けたときは、これでやっと自分の実力が認められたかと思うと、むしょうにうれしくなった」という。
「本当は一、二年ぐらいノンプロで、みっちり野球も勉強して、それからプロに進みたいと思っていたんです。
そこで大学に野球のできる会社を紹介してくれるように頼んでおいたんです。
ところが大学からは、卒業前の三月になっても音さたなしで、結局一年間を棒に振ってしまったというわけです」。
鮫島はその一年間、昼間は母校の城西大でみっちり練習して、夜は土工やトラックの荷おろしをして生活費をかせいだ。
夜の仕事に精を出しすぎて、野球がおろそかになったこともあった。
テスト生仲間の岡田、坂本にライバル意識を燃やすのは当然。
なかでも同じポジションの岡田には「大学時代に同じリーグ(首都圏リーグ)で試合をした仲間でもあるし、絶対負けたくないんです」はっきり言い切る。
口数の少ないおとなしい性格だが内に秘めた闘志、ギラギラ光る目玉から薩摩隼人の心意気がうかがえる。
島原キャンプで鮫島は伊藤コーチに「わきを締めて、高めの球をダイコンを切るようにひっぱたく練習をしろ」といわれ、必死で素振り練習に取り組んでいる。
また「一日も早くプロの水に慣れるように努めています。
どうせ二軍暮らしだとあきらめているので、二、三年は下積みをやるつもりで、じっくり実力をつけたい」と考え方もきびしい。
踏まれても、踏まれても、なおはい上がる。
雑草の根強さがプンプンにおってきた。