匿名さん
原田哲也はなぜ、2000年度は遅かったのですか? 90年台GP250選手、原田哲也についての質問です。
(1)1994~96年にアプリリアでビアッジが3連覇した翌97年に ビアッジが アプリリア→ホンダ 原田哲也 ヤマハ→アプリリアの移籍がありましたが あれは、原田がビアッジを追い出したのですか?それともビアッジの移籍で空いたシートを得ただけなのですか? あと、この移籍に関してイタリア人は好意的でしたか? (2)1999年にGP500に挑戦し、ポールと表彰台も記録。
大活躍だった原田でしたが、 2000年はほとんどのレースで10位以下に低迷。
同じアプリリアのマクウィリアムズがドニントンで表彰台を獲得したり・・・ あの年の尋常じゃない低迷は何だったのですか。
原田は98年に「太陽王」バレンティーノ・ロッシのチームメイトとして、骨折していた最後4戦とマシン&スタートトラブルを除けば、一度も後ろでゴールしたことがないほどの腕だったのに不思議なのですが。