1958年~1977年まで、19年の長きに渡って活躍した中量級の名選手グリフィスが獲得した世界タイトルは、一般的にはウェルター級とミドル級の2階級とされています。
しかし1962年10月17日、音楽の都ウィーンで中堅クラスのテッド・ライト(米/シュガー・レイをマネージしたジョージ・ゲインフォードの選手)と154ポンド契約の15回戦を行い、判定勝ちで勝利を収めた際、当時新設されたばかりのJ・ミドル級のチャンピオンとして認定するよう、唯一の世界王座認定団体だったWBAに要求しました。
どういう経緯なのか、詳しいことはよくはわかりませんが、グリフィス×ライト戦を新設されたJ・ミドル級の世界王座決定戦として、オーストリアのコミッションが認定したとされています。
WBAはグリフィス×ライト戦からわずか3日後の10月20日、オレゴン州で行われたデニー・モイヤー(米)×ジョーイ・ジャンブラ(米)戦を初代王座決定戦として承認。
現役のウェルター級王者だったグリフィスの要求は、当然却下されてしまう。
*グリフィスはウェルター級ランカー時代のモイヤーと3度対戦しており、2勝1敗で勝ち越していた。
めげないグリフィスは、翌1963年2月3日、デュリオ・ロイ(元世界J・ウェルター級王者)やラズロ・パップ(史上初の五輪3連覇を達成したハンガリーの英雄)らを相手に、ウェルター~ミドル級でヨーロッパ王座を争っていたクリス・クリステンセン(デンマーク)と、敵地コペンハーゲンで対戦。
オーストリアのコミッションから認定された、J・ミドル級初代王座の初防衛戦として開催を強行したのですが、WBA王者モイヤーも2月19日にハワイで初防衛戦を行っており、グリフィスは「我こそは154ポンドの初代王者」という主張を、自ら取り下げることになったのです。
Cyber Boxing Zone では、グリフィスについて3階級を制覇したチャンピオンとして紹介していますし、Boxrecも上述したライト戦とクリステンセン戦の2試合には、一応世界J・ミドル級タイトルの但し書きを付けています。
国際ボクシング殿堂はグリフィスの紹介記事中、J・ミドル級王座については触れておらず、2階級制覇の立場を堅持。
①Boxrec : http://boxrec.com/list_bouts.php?human_id=9017&cat=boxer ②Cyber Boxing Zone : http://www.cyberboxingzone.com/boxing/griffith.htm ③国際ボクシング殿堂 : http://www.ibhof.com/pages/about/inductees/modern/griffith.html