wikipedia
トヨタ・スープラ
スープラ("SUPRA")は、トヨタ自動車が製造・販売している上級スポーツカーである。
1970年代に北米で人気を博していたダットサン・フェアレディ280Zの対抗馬として、現地ディーラーからの直列6気筒クーペが欲しいという要望を受けて初代が開発された。この時はスペシャリティカー・グランツーリスモの位置づけであったが、代を重ねるごとにスポーツ路線へと舵を切り、トヨタブランドのフラッグシップスポーツカーにまで成長した。
2代目まではセリカのボディを直6エンジンに対応させた派生車種のような存在で、北米では『セリカ・スープラ』を名乗っていた。また日本国内向けはスープラを2代目まで名乗らず、『セリカXX』という名前でトヨタカローラ店から販売されていた。また5代目はGRブランドのブランド専用車として商品名『GRスープラ』を名乗る。
3・4代目はトヨタ・ソアラ、5代目はBMW・Z4とプラットフォームを共有している。
エンジンは初代から一貫して直列6気筒のみが搭載されていたが、2019年に復活した5代目ではそれに加えて直列4気筒エンジンも搭載される。
セリカXX/北米スープラの初代モデル。
当時のアメリカでは「Xの列記」が映画の成人指定度合いを示すため、北米を含めた全ての輸出車は「Xの列記」を避けスープラと命名し発売された。
セリカXX/北米スープラの2代目モデル。
日本国内仕様も1983年からドアミラーが認可された。
A70型よりセリカから独立、日本国内でも北米仕様と同じ「SUPRA」という車名を採用。発売当時のキャッチコピーは「TOYOTA 3000GT」であり、1960年代の名車トヨタ・2000GTをイメージしていた。ソアラと共通のプラットフォーム(ただし補強は少ない)を使用した兄弟車で、当初の主なエンジンは、2Lは1G-EU、1G-GEU、そのツインターボ版1G-GTEU、3Lターボの7M-GTEUであった。
1986年6月にはエアロトップが発売され、1987年1月にはソアラと同時に7M-GTEUにも5速MTが設定され、それまでは輸出仕様のみに採用されていたブリスターフェンダーの3ナンバー仕様ボディーの「3.0GTリミテッド」が追加された。
1988年8月にはマイナーチェンジが行われ、フロントマスクおよびテールライトのデザインが変更された。1G-GTEU、7M-GTEUはハイオク仕様へ改良されパワーアップした。また3Lグレードは全て輸出仕様車と同様のワイドボディーとなった。
1989年8月に一部変更が行われ、ツインターボ版1G-GTE仕様にワイドボディが追加され、さらにE仕様もワイドボディ化。また3.0Lターボ仕様にTEMS、パワーシート、デジタルメーターを省略して価格を抑えた廉価仕様の「3.0GTターボS」が追加された。
モデル末期の1990年8月に最後のマイナーチェンジ。エンジンの変更やサスペンションの設定見直し等が主体となる。これまでの最上級グレード「3.0GT」系のエンジンを新たにX80系マークIIのスポーツグレードに採用された2.5Lツインターボ 1JZ-GTEに換装し、またサスペンションにドイツのビルシュタイン社と共同開発した専用ダンパーを採用。タイヤもインチアップされ、スポーツカーとしての性能を大幅に引き上げた。そのためグレード名は「2.5GTツインターボ」に改称され、2.5Lモデルは、日本市場専用にラインナップされた。従来の3Lターボ仕様の7M-GTE搭載車は、引き続き北米および欧州市場で販売が継続された。また、外観では、フロントノーズのエンブレムが縦長のスープラ独自のものから1989年に発表された初代セルシオより採用されている新トヨタCIマークに変更されている。ちなみにこの「2.5GTツインターボ」は、当時のトヨタ車として初の280PSの5速MT設定車であり(AT仕様もあり)、当時の国産市販車の280PSクラスのレシプロエンジン車では2.5Lと最小排気量であった。
1991年8月には、ボディカラーの見直しが行なわれ、安全装備拡充として、リア3点式シートベルトやサイドドアビームを標準装備、SRSエアバックシステムを全車メーカーオプションとした。
また、全日本ツーリングカー選手権(グループA)のホモロゲーション取得用モデルとして7M-GTEに専用開発のターボAタービン(CT26型ベース)を搭載した3.0Lターボ車「3.0GTターボA」が、1988年8月のマイナーチェンジと同時に500台限定で販売され、価格は405万1千円であった。特徴はフロントバンパーセンター部の3連ダクトで、このダクトの形は「ターボAダクト」と呼ばれた。その他の特徴として、ボディカラー、ホイールも黒、内装は本革シートを採用し5速マニュアルのみの設定でメーター類はアナログのみとなる。吸入空気量測定方式を従来のLジェトロからDジェトロとした。インタークーラーも大型の物が装着され、最高出力は量産型の240PSから270PSにまでパワーアップされた。サスペンションはバネ定数やダンパーの減衰力を高め、前後スタビ径を拡大した専用のものに変更されている。
1993年4月 に生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
1993年5月 - 4代目と入れ替わって販売終了。販売終了前月までの新車登録台数の累計は9万385台。
搭載エンジンについて詳細は以下。
(※1)最高出力270PS/5,600rpm/最大トルク36.5kgf·m/4,400rpmのターボA仕様有り
「THE SPORTS OF TOYOTA」をキャッチコピーに、A80系スープラは1993年にデトロイトモーターショーにて公開され、同年5月に販売開始された。日本では2代目にあたる。
シャシーはスポーツラグジュアリークーペのソアラ(Z30系)に採用された、前後サスペンションがダブルウィッシュボーン方式(フロントアッパーアームがアルミ鍛造のローマウント式)で、A70系より改良が行なわれている。Z30系ソアラとのシャシーの大きな違いは燃料タンクの位置で、ソアラがリアシート背後なのに対し、より全長の短いスープラでは重量配分や前後オーバーハングの長さを適正化すべくトランク下に移設されている。
エンジンは直6 3L 2JZ系に変更され、新開発の電子制御サブスロットルシステム「ETCS」が初搭載された(このETCSは後に改良型の1JZ-GTEへ技術転用されている)。
NA仕様(クラウンなどと同一型式のエンジン)で225PS、ターボ仕様はアリスト(JZS147系)に搭載されていたシーケンシャル方式ツインターボ(トヨタは「2ウェイツインターボ」と呼称)で、最高出力が280PS、最大トルクは44kgf·m(1993年 - 1996年)を発生した。
また、当時の日本産国内向け乗用車としては初となる6速MT(ドイツ・ゲトラグ社とトヨタとの共同開発)を搭載した。なお上級モデルには17インチタイヤ・ホイールとそれに対応した大型ブレーキキャリパー(前・対向4ポット 後・対向2ポット)と大径ローターを装備するものの、発売当初はアメリカ専売モデルのみの採用で、日本国内モデルへは当時の運輸省の認可が下りなかったために翌年まで持ち越された。
1994年8月にマイナーチェンジ。先述の17インチタイヤ・ホイール&大径ブレーキ(ABSも専用のスポーツABSとなる)装着車の追加(発売当初、ホイールの色がターボ車がガンメタリック、NAはシルバーだったが、後に全てシルバーに統一)、グレード体系の一部見直し(RZ-SとSZ-Rの追加)が行われた。RZは6速MTのみの設定と17インチが標準、RZ-SはATと6速MTの設定で17インチはオプション、SZ-RはATの設定は無く、前期がアイシン製5速MTのみで後期よりSZ-R専用ギア比のゲトラグ製6速MTが標準となった。ちなみにGZとSZは変更なし。
1995年5月、一部改良。ボディカラーの見直し。
1996年4月に再びマイナーチェンジ。内外装の小変更が行われ、最上級グレードのGZはカタログから消滅。それに伴いターボのエアロトップ仕様もラインナップより消えている。NAエンジンのSZ-RにもRZと同じゲトラグ社製6速MTが改良され搭載された。また全車にABS、デュアルエアバッグが標準装備された。
1997年8月に最後のマイナーチェンジ。同一型式のエンジンを積むアリストが2代目(JZS16#系)へとフルモデルチェンジし、それに伴いA80系スープラもエンジンをVVT-i化された(NAの2JZ-GEは変更なし)。これにより最高出力はそのままながら、最大トルクは46kg-mへ増加、燃費や扱いやすさも向上している。同時に電子制御スロットルも「ETCS-i」へと変更されている。また、サスペンションに「REAS(Relative Absorber System, リアス、相互連携アブソーバーシステム)」を採用。これは左右のダンパーをオイルラインで結び、走行状況に応じてオイルを左右に循環させ、左右の減衰力差を発生させるもので、ヤマハ発動機とトヨタが共同開発したものである。このREASは、後に進化版が同じトヨタのハイラックスサーフやクラウンアスリートVX(特別限定車)に「X-REAS」として搭載されている。これ以外にもボディ補強などの小変更が行われた。
1998年8月、外板色 スーパーブライトイエローを追加。
1999年8月、SZの後輪に245タイヤを採用(フロントは225のままで前後異サイズとなった)。
2002年7月、「平成12年度自動車排出ガス規制」に対応できなかったため(同一型式のエンジンを搭載するアリストはターボ・NAともに対応)生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
2002年8月、在庫対応分が完売し販売終了。販売期間中の新車登録台数の累計は3万1372台。
高剛性のボディや頑丈で強力なエンジンに加え、トヨタ車におけるスポーツフラッグシップ車であったことから、TRD等のメーカー直系だけでなく、他社からも多くのアフターパーツが発売された。チューニングの度合いによっては1000馬力を超えるほどのパワーを出すことすら可能であるため、2017年現在でもチューニングベースとして使用されることが多い。
また映画の初代ワイルド・スピードでは主人公のブライアンがスープラをメインに使っていたことから、北米ではカルト的な人気がある。
開発コード「J29」。2002年に生産を終了してから17年後に復活した5代目は、トヨタが2011年から技術提携を結ぶBMWとの共同開発車となる。開発責任者は“弟分”となる86(SUBARUとの共同開発)においても手腕を発揮した多田哲哉が担当した。車両のチューニングは成瀬弘の最後の(日本人以外の)直弟子であるドイツ人技師のヘルフィ・ダーネンスに一任されている。
BMWとの協業を行った理由としては、歴代モデルからの伝統となる「直列6気筒エンジン+後輪駆動(FR方式)」というパッケージングを実現するためであった。5代目の開発プロジェクトが始まった2012年当時に直列6気筒エンジンを世界で唯一製造していた自動車メーカーがBMWであったことが大きな要因となった。
開発コストの低減を考慮した結果、車両構成の基礎となるエンジンやシャシーなどのプラットフォームをBMW・Z4の第3世代モデル(G29型)と共有し、車両の製造に関してもZ4と同じくオーストリアの自動車製造会社であるマグナ・シュタイアが担当する。このため製造事業者はBMW(Bayerische Motoren Werke AG)名義で、トヨタは輸入販売元として位置付けられている。
Z4をハードトップにして外観デザインを変えただけの車と思われることも多いが、実際は開発の初期段階でエンジンやプラットフォームを共通にすることを決めた後は、両車とも完全に別々に開発を行っている。
トヨタのスポーツモデル専用ブランド「GR」初の専売車種であり、車名にも「GR」が冠された。したがって5代目スープラには『TOYOTA GR SUPRA』(トヨタ・ジーアール スープラ)の別名が与えられた。ただし国土交通省へ届け出た車種名はこれまで通りの『トヨタ・スープラ』であり、『GR SUPRA』はあくまで商品名となっているため、カタログにも車両名称ではないことが明記されている。
また他のGRブランドの車種は「車名+GR」となっているが、GRスープラは「GR」の専売であるため、「GR+車名」のネーミングが用いられ差別化されている。またGRスープラは、GRシリーズ初のグローバルモデルでもある。
正式な車両型式は「DB」であるが、開発当時から「A90」とも呼ばれておりトヨタ側も後述するモータースポーツのエントリーやカタログ等で「A90」の呼称を使用している。日本市場での販売はトヨタディーラーの4チャンネル全てで展開される。
BMWの「CLAR」プラットフォームを基礎としてBMWが設計を行い、各々の区切りごとにトヨタが目標値に照らし合わせながら設計図を確認し技術的な提案を行うという手法で開発が進められた。シャシーはホイールベースとトレッドの比率(走りの“黄金比”とも呼ばれる)を1.6以下にすることを目標に開発が行われた結果、目標値の1.6を大きく下回る1.55を実現した。そして4代目よりも旋回性能を向上させるべく、歴代モデルとしては初となる純2シーター化に踏み切った。これによってホイールベースが弟分となる86(2+2シーター)より100mmも短い2,470mmとなり、車両の前後重量配分比率が50:50となった。さらに水平対向エンジンを搭載して460mmの低重心化を実現した86よりも一層の低重心化が図られている。これらに加え86と比較して約2.5倍に向上させた車体剛性は、高価なCFRP(カーボンファイバー)素材を用いたレクサス・LFAをも凌駕する。また、車両の乾燥重量は1,410Kgから1,530kgと先代(A80型)とほぼ同数値となっている。
これによりエンジンはトヨタ製からBMW製を採用することになり、歴代モデルからの伝統となる直列6気筒エンジンに加えて(市販仕様車としては)史上初の直列4気筒エンジンが搭載される。6気筒エンジンは排気量2,998ccのDOHC直噴ツインスクロールターボエンジンの「B58」シリーズで、日本仕様車の2019年型と北米仕様車の2020年モデル、そしてヨーロッパ仕様車では最高出力250kW(340PS)で最大トルクが500N·m(51Kgf·m)となる「B58B30-M1」型が採用された。そして後の年次改良で、排出ガス基準の厳しいヨーロッパ市場向け以外は最高出力が280kW(387PS)へ向上した「B58B30-O1」に換装されている。
4気筒エンジンは、排気量が1,998ccのDOHC直噴ツインスクロールターボエンジン「B48B20」型で標準型145kW(197PS)・320N·mと高出力型190kW(258PS)・400N·mの異なる2種類のチューニングが施されたものが用意されている。なお4気筒エンジン搭載車に関しては、日本のように排気量で自動車税の税額を決定する地域に仕向けたものであり、そのような制度が存在しない北米においては展開されない。トランスミッションは6気筒、4気筒エンジン搭載車ともにZF製の8段変速ATである「8HP」型が組み合わされる。MTはトルク容量増大に伴うシフトフィールの悪化を懸念した多田(本人曰く、大排気量車のMTは「必要ですか?」「正直あまり楽しくない。86位のトルク容量が限界」)の意向により設定されておらず、MT需要は既存の86に任せる形を取った。
マフラーは騒音規制に合わせて仕向地ごとに合わせて開発されており、BMWからも評判が良かったことから兄弟車のZ4にもトヨタがスープラ向けに開発したマフラーが採用されている。またトヨタは低燃費車を多くラインナップに持つお陰でCAFE(メーカー別平均燃費)規制を余裕でクリアしているため、販売台数がトヨタ全体のそれから見たら「雀の涙」というGRスープラでは燃費目標には言及されていない。そのためガソリンを「無駄に」噴く過激なアフターファイアー(多田曰く「本当に無駄」)をGRスープラだけが実現できており、BMWからは羨ましがられているという。
正式に開発が始まってから最初の2年間は、車体の構成に不可欠な主要部品をBMWと共同開発したのちにトヨタ側は5代目スープラ、BMW側では第3世代型のZ4を開発するチームが別個に立ち上げられ、互いの車両の構想を練った後に共有できるものは両車種で共有するという、通常の自動車開発における手順とは異なる手法が執られた。そのため、バンパー等の外装デザインとサスペンション等のセットアップが僅かに違うだけの“双子車”であった86とスバル・BRZに比べ、各々で開発目標が異なる5代目スープラとZ4(G29型)では車体形状(スープラはクーペ、Z4はオープンカー)から大きく異なっている。
初代(A40/50型)より続く「ロングノーズ・ショートデッキ」と呼ばれるパッケージングを5代目でも踏襲した。これは車体前方部を長く車室内部分を短く構成するというFRの2ドアクーペ特有のもので、トヨタブランド車では1967年に発表・発売された2000GTから伝統的にFRの2ドアクーペ車で採用されてきたものである。全長は2シーター化によって先代(A80型)から140mm短縮され、それに伴いホイールベースも80mm短縮された。しかし全幅は55mm広くなり、全高は15mm - 2mm高くなっている。
安全性能においてはミリ波レーダー+単眼カメラ方式のプリクラッシュセーフティ、ブラインドスポットモニター、レーダークルーズコントロール(全車速追従機能付)、レーンディパーチャーアラート、リアフォグランプが全車に標準装備されている。
また、BMW純正の車載通信機が全車に標準搭載されており、iPhone専用アプリや専用ユーザーサイトを利用して車両の遠隔操作や確認が可能な「リモートサービス」、バッテリーの電圧低下を自動的にメールで通知する「バッテリーガード」といった専用コネクティッドサービス「Toyota Supra Connect」が提供されるほか、CarPlayに対応している。
さらに、販売店装着オプションとして、車両情報記録装置「Toyota GAZOO Racing Recorder」が用意されている。この装置はドライバーの操作情報(アクセル・ブレーキ・ステアリング・シフトポジションなど)、車速、エンジン回転数、加速度など各種センサーの値、および車両の位置と方位情報をSDメモリーカードに記録するデータロガーとなっており、SDメモリーカードに記録された情報は専用アプリを用いて表示することが可能なほか、トヨタが奨励する別売りのソニー製アクションカムの動画の場合は記録した情報と自動で時間同期して再生されるほか、Bing Maps上に走行軌跡を表示・再生することも可能である。また純正ホーンは渦巻き型が装着されているが、500Hzの高音側のみとなっている。
世界ラリー選手権(WRC)でグループB規定およびグループS構想が急遽廃止された際、グループAのセリカST165 GT-Four登場までの代役として1987年 - 1988年にスープラが参戦。元々ラリー向けの車両ではない・熟成の時間が取れない・FR車という三重苦の中、サファリ・ラリーで3位表彰台を獲得している。またWRC以外にも登場し、1987年にビョルン・ワルデガルドが香港ー北京ラリーで総合優勝を飾っている。
全日本ツーリングカー選手権(JTC)には1987年から参戦。デビュー戦で優勝を飾ったが、その後はレギュレーション変更によって重量増加がなされたため、フォード・シエラや日産・スカイラインに追従できず、1990年限りで撤退した。
北米のIMSAではトヨタのセミワークスであったオール・アメリカン・レーサーズ(AAR)が採用し、GTUクラスで10勝を挙げている。1991年にはオーストラリアで初開催されたバサースト12時間耐久レースに登場し、フォード・レーザー、三菱・ギャランなどを破って初代優勝車となった。
全日本GT選手権 - SUPER GTのGT500クラスで、日産・スカイラインGT-Rやホンダ・NSXと長きに渡る戦いを繰り広げた。2002年の生産終了後も2006年にレクサス・SCに交代するまで活躍し、1997年トムス、2001年セルモ、2002年チームルマン、2005年セルモの4度チャンピオンに輝いている。なおエンジンは1994年のデビュー2戦のみ2JZ-GTEであったが、翌年 直4ターボの3S-GTE、2003年からはV8 NAエンジンの3UZ-FE(排気量は参戦年度により異なる)に変更された。またサスペンションなどは参戦当初においてトヨタ・TS010のパーツを流用したものに変更された。
耐久では1995・1996年にSARDがスープラLM-GTでル・マン24時間レースに参戦。2000年にはタイヤメーカーのファルケンがニュルブルクリンク24時間に参戦し、一時総合3位を走行したが、クラッシュによりリタイアした。2007年のスーパー耐久第3戦・十勝24時間レースでは、2005年のSUPER GTで使用された車両をベースにレース用ハイブリッドシステムを搭載したスープラHV-Rが参戦、総合優勝を果たした。これはトヨタ史上初のハイブリッドレーシングカーによるレース優勝でもあった。
ドリフトでも活躍し、織戸学のRS・RスープラがD1グランプリに参戦していたことが有名である。また2008年のD1ストリートリーガルにはセリカのフロント部を移植した車両が、松井有紀夫のドライブで参戦している。アメリカのフォーミュラ・ドリフトでも2017年現在も用いられている。
GRスープラは、市販車の発表よりも早くモータースポーツに絡めたプロモーションが行われており、2018年にはTMGがデザインしたLM-GTE仕様やNASCARエクスフィニティ・シリーズ仕様、2019年初頭にはGT500仕様、グループGT4仕様と、市販車発売前に4種類ものレーシングコンセプトカーが公式発表されている。市販車のプロトタイプも、2018年10月のVLN(ニュル耐久シリーズ)に「スープラA90」としてエントリーし、モリゾウ(豊田章男社長)含む3人のテストドライバーがドライブ。クラス2位で完走した。
D1グランプリでも、やはり市販より早く、川畑真人と斎藤太吾がドリフト仕様のGRスープラを公開。わずか42日の突貫作業で開発された斎藤のスープラは、心臓部にA80系の2JZ-GTEを搭載し、800psを発生する。
市販直後の2019年6月にはTOYOTA GAZOO Racingがニュルブルクリンク24時間のSP8Tクラスに投入。モリゾウを含むテストドライバー中心のラインナップだったが、総合41位・クラス3位で完走を果たしている。
また近年発展を遂げているe-Motorsportにも公式に参入し、グランツーリスモとの提携で『GR Supra GT Cup』を開幕している。
2020年からはGT500/GT300やスーパー耐久、韓国SUPERRACE CHAMPIONSHIPなどへの参戦、さらにTMG製グループGT4仕様の販売が開始されるなど、本格的にTOYOTA GAZOO Racingのアイコンとしての活動が始まる。なおGT500仕様ではレギュレーションの都合上、エンジンに2019年までレクサス・LC500に搭載されていたRI4AGを引き継いで搭載している。
スープラのニュース一覧