
ホンダF1は、2019年第19戦F1アメリカGPで、2015年でF1復帰してから100戦目を迎える。...
2019-10-31 11:35 85AUTO SPORT webのニュースまとめ
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2019-11-29 1433
ホンダ
本田技研工業 本田技研工業株式会社(ほんだぎけんこうぎょう、英称: Honda Motor Co., Ltd.)は、東京都港区に本社を置く日本の輸送機器及び機械工業メーカーであり、四輪車では、2015年度販売台数世界第7位、二輪車では、販売台数、売上規模とも世界首位で、船外機は販売台数世界第4位である。TOPIX Core30の構成銘柄の1つ。 本田宗一郎が1946年(昭和21年)に静岡県浜松市で本田技術研究所を起業し、後に本田技研工業へ改組した。オートバイ、自動車、航空機、汎用製品(耕耘機・芝刈機・除雪機・発電機・船外機・太陽電池など)の製造および販売を主業務としている。新規分野として、ASIMO(アシモ)のような二足歩行ロボットや各種ロボティクス機器の研究開発、HondaJet(ホンダ ジェット)と呼ばれる小型ジェット機及びターボファン式ジェットエンジンの製品認可取得に向けた認証試験作業などの生産開発、メガソーラー太陽光発電施設の積極的導入、風力発電施設による売電事業なども行っている。米ブランドコンサルティング会社のインターブランドが発表した2014年の世界ブランドランキングでは、日本の企業では8位のトヨタに次ぐ20位。 日本での販売網は、四輪販売店がホンダカーズ店、二輪販売店がホンダドリーム店に大別できる。発電機や刈払機等の汎用機を専門に扱う店舗ブランドは存在しない。 小型車・軽自動車を主に扱っていた旧プリモ店の運営会社の出自が自転車店、オートバイ店、機械工具店、マリーン・船外機取扱店、農機具取扱店であったり、地元有力者の中小の商店や企業などで委託販売形式を採用していた名残があり、地元に密着した販社が多い。 レンタカー事業は、トヨタや日産など同業他社よりも早い1964年(昭和39年)に参入したが、5年後の1969年(昭和44年)に撤退、現在は日本国内全域を網羅する自社ブランドのレンタカー会社を持たない。ニッポンレンタカーやオリックス自動車、沖縄ツーリストと提携して、ホンダ車専用の予約サイトをこれら3社に運営委託している他、期間・地域限定でホンダ車を安価でレンタルできるキャンペーンを展開している。 2011年に発売したN-BOXシリーズの大ヒット以降は、国内販売の半数を軽自動車が占めるようになっている。 北米では大衆車ブランドの“Honda”と高級車ブランドの“Acura”(アキュラ)で展開、大衆車では大きなシェアを占める。北米での売上げは大きな収入源で、日本では販売していないATVやパーソナルウォータークラフトなども取り扱っている。 ホンダの中国展開は、1973年(昭和48年)に本田宗一郎が自ら訪中して中国展開を決意し、二輪車の輸出を始めた。1982年(昭和57年)には重慶市のメーカーと技術提携して現地での二輪車部品生産を開始した。1992年(平成4年)には重慶市、広州市ならびに天津市に合弁企業による二輪車生産工場を設けた。本格的な四輪車の販売へ乗り出すべく、1993年(平成5年)には香港にHonda Motor Chinaを設立した。当時は現地生産車ではなく輸入車のみではあったが、中国での販売とアフターサービスを行った。本格的な四輪車の生産は1994年(平成6年)に、東風汽車(武漢)との合弁で設立した東風本田零部件有限公司で始まった。1998年(平成10年)には広州汽車(広州)と合弁し、それまでの合弁相手だったプジョーが撤退した後の工場をそのまま譲り受け、アコードやフィットなどの生産を始めた。プジョーと合弁していた時代からの従業員を本田流に指導し、高品質の製品が作り出されるようになった。今では広州本田だけで年産24万台に発展し、広州市のパトカーにもホンダ車が使われている。 創業者の本田宗一郎(ほんだ そういちろう)は経営者・技術者として著名であり、社名は本田の姓から名づけられた。日本の自動車メーカーとして9番目に設立された。本社は、東京都港区南青山二丁目に、地上16階地下4階の自社ビルを有する。通称および日本の各証券取引所での表示は「ホンダ」。 ロゴはアルファベット大文字の「HONDA」を赤色でデザインしたもの。2000年(平成12年)末よりロゴを使用しない場面での社名表記として、ホンダのCI(コーポレートアイデンティティ)に基づくVI(ビジュアル・アイデンティティ)として、ホンダ自身が「コミュニケーションネーム」と呼ぶ表記を用いるようになった。これはアルファベット表記で「Honda」とするもので、ホンダ自身が積極的に用いると共に、報道機関に対し社名の扱いを「Honda」もしくは縦組の場合は「ホンダ」の表記を要望している。この他、それぞれの開発分野の独自性を示す意味で、二輪車用には翼をイメージしたマークと「HONDA」のロゴとの併用、四輪車用は「H」をデザインしたマークをそれぞれ専用のロゴマークとして採用している。四輪車でも、1980年代までは「H」マークと「HONDA」のロゴとが併用されていたが、以降2016年現在では、「H」マークに統一されている。発電機などの汎用製品の場合には「HONDA」のロゴのみとなっている。 藤沢武夫の「(ホンダの)社長は技術者出身であるべき」という言葉が今も守られており、現職の八郷隆弘に至るまで、歴代の社長はすべて技術者出身である。そのうち福井威夫まではエンジン開発部門の技術者であり、本田宗一郎以外の全員が四輪F1もしくは2輪WGPのエンジン開発経験がある。また、本田宗一郎、藤沢武夫の両人とも、子供をホンダに入社させない方針であった。創業初期に重要な役目を担った本田の弟 弁二郎も退社させている。その後、弁次郎はホンダの部品メーカー本田金属技術を、長男の本田博俊はホンダのアフターパーツメーカー「無限」を創業した。 創業者一族による会社の私物化の弊害を恐れる本田の信念が貫かれ、縁故採用は一切行わず、実力本位の採用を行っている。もっとも、初期の頃は本田と自身の父親が知り合いだった縁で入社した2代目社長の河島喜好のように親戚・口利きで問題なく入社することができた。縁故採用を行わないルールを作成したのは、会社がある程度大きくなってからのことであり、縁故採用を行うわけにはいかない本田宗一郎の個人的事情が陰にあった。一方で中途採用には積極的であり、初期の自動車開発を進め、F1監督も務めた中村良夫を始め、ASIMO開発の中心者である広瀬真人、SH-AWDなどの駆動力制御が専門である芝端康二も中途採用組である。ほかにも本田の思想が反映した事例としては、社長室がない、重役達は一つのフロアを共有しているという特徴がある。 労働環境は、ほかの自動車工場より良いといわれる。良い例が、連続2交代制勤務といち早く週休2日制を導入したことがあげられる。また、従業員の作業服の洗濯も無償で行っている。また、ほかの自動車工場に比べ、女性の進出も多い。現場主義で知られ、新入社員は工員以外にも、事務職・技術職・また男女の性別を問わずに、各製作所で半年間程度の研修をさせている。 他社と比較して、テレビコマーシャルに有名芸能人をあまり起用しない。CMソングも国内楽曲ではなく、CM専用に制作したものや海外の楽曲が使われるケースが多い。近年ではヴェゼルのCMにSuchmosの「STAY TUNE」、「808」、ジェイドのCMには米津玄師の「LOSER」を使用しているため、近年では邦楽を使用することも多い。芸能人を起用しない理由としては、安易に芸能人のイメージに頼らない独自路線に加え、テレビコマーシャルに芸能人を起用すると、販売不振に陥るというジンクスがあるためとされている。近年ではフリードのCMに蛯原友里、チュートリアルの徳井義実、フィットのCMに綾野剛、二階堂ふみが起用されているため、その傾向が減ってきている。 日本の自動車メーカーの中では知的財産権に関する取り組みが早く、1980年代以降からホンダ車のプラモデル・ミニチュアカーには「本田技研工業承認済」(現在はHonda Official License Product)の文字が記載されている。これは創業者の本田宗一郎が「ウチの車を製品化するときは、できる限り似せて作って欲しい」と発言したことにも由来する。ゲームについては、一般車両が混在して走るレーシングゲーム(首都高バトルシリーズなど)には版権を許諾していなかったが、2017年に登場したスマートフォンゲーム「首都高バトルXTREME」で初めて、アザーカーが登場するゲームに収録された。また、レースをテーマとしたものではないが、自動車がロボットに変形して戦うアニメ「超速変形ジャイロゼッター」でも、日本の自動車メーカーの車両が多数登場する中で一台も登場していない。これについてホンダ側は「イメージに合わないためお断りした」と回答している。 1971年(昭和46年)には、低公害技術であるCVCCを発表。米国でマスキー法という環境規制法が成立しており、その規制開始期限までに規制に対応するエンジンは世界中のメーカーが開発不可能と言われていたほど厳格な規制であった。そのマスキー法の条件をクリアしたのが、当時、日本の中小メーカーだったHondaであり、Hondaの名前を世界に知らしめた。翌年から翌々年にかけてトヨタ、フォード、クライスラー、いすゞに技術供与。 近年は、ハイブリッド車インサイトやシビックハイブリッドなどの二酸化炭素の排出量の少ない車両の本格普及に向けての低価格なハイブリッドカーの販売や地球環境産業技術研究機構(RITE)との共同研究による、稲わら、麦わら、コーンの茎などの農業廃棄物や木屑などのバイオマス資源からエタノール燃料を効率的に生産する循環型エネルギー技術の開発、各工場での生産体系や物資輸送体系の見直し、ツインリンクもてぎ内での環境教育施設運営から有志による海岸の清掃活動など、多岐に渡っている。 また日本国外では、中華人民共和国内モンゴル自治区通遼市のホルチン砂漠での植林作業を展開し、砂漠緑化活動も毎年行っている。 これらの前世代から受け継いできた環境問題に対して積極的に取り組んでいるだけでなく、来るべき未来に向けた次世代環境技術の実践開発として、水素燃料電池自動車FCXクラリティのリース販売、環境負担の少ない水素燃料生産供給インフラ「太陽電池式水電解型水素ステーション」、既存の都市ガスなどの天然ガス供給インフラから水素を製造しつつ、燃料電池コージェネレーション機能によって家庭用の熱(給湯や暖房など)および電力の供給を行う「ホーム・エネルギー・ステーション」の開発及び実験稼動も行っている。 (2018年(平成30年)6月14日現在) 自動車部品等を製造する東海精機株式会社を創業者の本田宗一郎が株式会社豊田自動織機に売却した。その資金を元手に1946年(昭和21年)本田技術研究所として開設され、内燃機関および各種工作機械の製造、ならびに研究を開始。1947年(昭和22年)にはA型自転車用補助動力エンジンを開発した。 1948年(昭和23年)に本田技研工業株式会社として設立する。1949年(昭和24年)に藤沢武夫を経営パートナーとして迎え、以降、技術の本田宗一郎と経営の藤沢武夫による2人3脚の経営が始まる。 1963年(昭和38年)には後年に「スポーツトラック」とも呼ばれることになるT360(日本初のDOHCエンジン搭載)で4輪車業界に参入した。同年には、欧州ベルギーに2輪車製造拠点を設立し、日本の自動車産業界において初となる、欧州圏での製品(スーパーカブ・C100)の現地生産も行った。その後もCVCC、VTEC、VTEC-E、i-VTEC、i-DSI、IMAといった高い技術開発力を示してきた。1981年(昭和56年)に世界初の自動車用ナビゲーション・システムを完成させた。 1982年(昭和57年)には、オハイオ州メアリーズビル(コロンバス郊外)にて、日本の自動車メーカー初となるアメリカ合衆国での4輪車(アコード)の現地生産を開始し、昨今の日本の企業のグローバル化の手本とも言える大規模な日本国外への展開を、時代に先駆けて行った。2輪車・4輪車・汎用製品だけでなく、太陽電池パネルの生産や2足歩行ロボットの開発も行っている。初の量産ロボット「ASIMO」は、ニューヨーク証券取引所の始業ベルを人間以外で初めて鳴らした。 また、2003年(平成15年)末には、宗一郎の念願だった航空機業界への参入への第一歩となる試作機「Honda Jet」の初飛行にも成功。2004年(平成16年)2月16日には小型ジェット機用エンジンの事業化でGEとの提携も発表。2006年8月 ホンダ・エアクラフト・カンパニーを米国に設立し、2010年度からの機体引渡しに向けてノースカロライナ州グリーンズボロにあるピードモント・トライアド国際空港隣接地に生産拠点の建設を行っている。2004年(平成16年)7月には、埼玉県和光市の旧工場跡地にビルを新築、日本国内本社機能の一部を和光へ移転させた(日本国外の本社機能は港区南青山に所在する)。取引銀行は三菱東京UFJ銀行、三菱UFJ信託銀行、りそな銀行である。 自転車用原動機製作が社業の始まりとなり、ヒットを記録。その後、原動機付自転車の分野でスーパーカブが空前絶後の大ヒット、全世界で使用された。これによって、「スーパーカブのHonda」と知名度を大いに上げ、国際二輪業界において日本のメーカーが覇権を握る下地となった。スーパーカブは全世界通算で1億台(2017年10月末時点)が製造され、「世界で最も多く製造されたオートバイ」となっている。 社の業務として「モータースポーツの振興」を挙げるだけあって、スポーツモデルにも力を入れており、二輪ロードレースの世界最高峰カテゴリであるロードレース世界選手権 (MotoGP)や プロダクションレースであるスーパーバイク世界選手権(SBK)での実績をフィードバックしたスポーツモデルが好評である。また、公道走行可能なバイクだけでなく、ロードレーサーやモトクロッサーなどのコンペティションモデルの市販とサポートにも熱心である。 2008年(平成20年)からは浜松製作所で生産している中型・大型二輪部門を熊本製作所に移管、熊本製作所に二輪車の新工場を建設し浜松製作所の二輪生産に従事する1,500人は熊本製作所に配置転換された。浜松製作所では自動変速機の生産を強化した。 一時期三ない運動により大打撃を受けたが、スズキ、ヤマハ、カワサキといった大手二輪車メーカーらとともに「三ない運動を推進している地域ほど二輪車事故が多発している」と反論を展開するとともに、徳島県内の私立高校と協力して二輪車講習を鈴鹿サーキットで行うなど高校生の交通安全教育に力を注ぎ成果をあげた。 ほとんどの分野、ほとんどの排気量において優秀なモデルを送り出し、オートバイ生産台数世界第1位の座を盤石のものとしているホンダであるが、日本国内向けの需要は年々減少を続け、2009年(平成21年)の日本国内の年間生産台数は18万台までに低下。一方、日本国外の工場では、旺盛な需要の下、インドではヒーロー・ホンダ社、ホンダ・モーターサイクル・アンド・スクーター・インディア社の2社で560万台、インドネシアではアストラ・ホンダ・モーター社が300万台と生産数を増加させており、排気量の多寡があるとはいえ、日本の工場が一大生産生産拠点であった時代は過去のものとなった。 なお、ドイモイによる経済自由化以降、大量の中古オートバイが輸出されたベトナムでは、その品質の高さと並外れた耐久性、修理における簡便性によって人気が高く、オートバイを指す一般名詞として"Honda"の語が使われる事がある程である。 2010年(平成22年)7月、ホンダは日本における若者の車離れ(二輪車離れ)に歯止めをかけるため、全二輪車の価格を値下げを発表、スーパーカブ50で約4万円、最廉価のフォルツァで約12万。これと並行して日本で生産している二輪の小型車を全て日本国外での生産に移管させる方針を明らかにしたが、その後円安傾向により国内生産のメリットが高まったため方針を転換し、2015年9月より熊本製作所においてミニバイクを増産することを公表した。2016年(平成28年)10月5日、縮小している国内向け50ccスクーターの生産・開発でヤマハと業務提携を検討、2018年をめどにヤマハの子会社である台湾山葉機車工業が製造している「ジョグ」と「ビーノ」をOEM生産として熊本製作所に移管して製造することとしている。 現在に至るまで前輪駆動車の割合が非常に多いのが特徴。創業者の環境に対する理念に基づき、初代シビックを筆頭として、優れた量産車を環境に配慮した柔軟な製造体制を持つ、四輪車製造専用の日本国内外の製作所にて生産している。 四輪初期は宗一郎の英国車への熱い思いが製品にも影響しており、シビックは英国オースチンのミニに肝銘を受けて作られたと言われている。後の1972年(昭和47年)、ホンダはオースチンを有するブリティッシュ・レイランド社と提携、資本や技術の提供を行うこととなる。 また、世界に先駆けて走行時に排出ガスを全く生み出さない水素燃料電池自動車の本格普及を目指し、2008年(平成20年)から米国と日本にてリース販売を開始した燃料電池自動車「FCXクラリティ」の年間数十台程度の需要状況に合わせ、ホンダ新機種開発センター(栃木県塩谷郡高根沢町)に燃料電池車専用の小規模組み立てラインを設置した。 現在日本国内で販売されているホンダ車は新車販売時に一部他社が設定する寒冷地仕様を設定せず、全国共通仕様にすることで基本的に日本全国価格が均一であり、地方や季節を選ばずトラブルなく走行することができる。 4輪車製造において、現在全世界マザー工場として機能させている鈴鹿製作所の近接地に、国際的に有名なレーシングコース鈴鹿サーキットを1960年代から有するホンダは、モータースポーツへの積極的な参戦やそれらレースシーンを中心とする自動車文化を愛する社風とも相まって、スポーティーなモデルを得意とし同社のリーディングイメージとしてきた。 そのような憂いなき歴史的背景をもつ反面、初代オデッセイに始まる“クリエイティブ・ムーバー”シリーズの登場までは、RVやミニバンなどのファミリーユーザー向けの商品ラインナップはステーションワゴンであるシビックカントリー、シビックシャトル、アコードワゴン、いすゞ自動車よりOEM供給を受けたジャズ、ホライゾン、ローバーグループ(現:ランドローバー社)よりOEM供給のクロスロードしか存在せず、バブル期のF1ブームや好景気を追い風とする幅広い層のホンダユーザー増加によるさまざまなニーズに応えられない状況にあった。 しかしながら、余暇における有意義な時間の創出と日常での利便性の両立を追求した初代オデッセイの登場以降、CR-V、S-MX、ステップワゴンと続く一連のクリエイティブ・ムーバーシリーズの発売前後から、RVやミニバン、ワゴンなどのファミリー向け製品の開発を進め、昨今では、3.5L V6エンジンも選択可能なフルサイズミニバン エリシオン及びエリシオンプレステージ、ステップワゴンに新たなデザインテイストを加えたステップワゴン・スパーダ、7人乗りも選択可能なコンパクトミニバンフリードなど幅広い商品ラインナップを揃えている。 オデッセイの誕生以前、OEM供給を受けるなど自社開発が遅れていたRV/SUV部門に措いては、CR-Vの大ヒットにより遅れを一気に挽回し、5代目となる現在では、「ホンダのRV=若者向け」といった市場の固定観念を覆すミディアムクラス高級SUVといった趣となっている。 ステーションワゴンにおいても、各国でロングセラーモデルとなったアコードワゴン(現アコードツアラー)を中心に、2011年に登場したエントリークラス ステーションワゴンのフィットシャトル、2000年に7人乗りのステーションワゴンとして5ナンバーセグメントに新たな流行を生んだストリームなどが発売されている。 アコードツアラーにおいては、尿素を用いずに欧州排出ガス規制()をクリアさせた、CO排出量において優位性を持つクリーンなディーゼルエンジン(i-DTECエンジン)を搭載し、環境に配慮した製品を欧州にて販売するなど国際市場での環境対応も計っている。 RV、SUV、ミニバン、ワゴンといった収容性や利便性を優先的に追求されるファミリー向けの製品に対し、セダン並の操縦安定性や運転する楽しさを兼ね備えさせている事が全体を通してのホンダ車の特色である。 またこれらの車両を用い、同社が福祉車両製品として長年研究、開発している製品群の中で介護車、および自操車と分類される製品を、今後増加するシルバー世代の生活の質の向上や、身体に障害を持っている方々の積極的な社会参加や快適な生活を送るための支援を目的に販売している。 コンパクトカーの分野では、2002年(平成14年)、フィットがトヨタ自動車のカローラを販売台数を上回りトップとなり、2003年(平成15年)にも一時追い抜くなど躍進した。現在も月別販売台数で1~6位(2004年(平成16年)1~8月データによる)の成績を維持している。 2006年(平成18年)度、日本国内の省エネ法改正などの車両の省エネ対策の法的強化を受けて、フィットを土台にしたハイブリッド車2代目インサイトも開発された。 軽自動車の分野においては、高い衝突安全性を持つN-WGN、スーパーハイトワゴンのN-BOX、のミッドシップエンジン採用の軽ワゴンバモス、ダンプやリフターなどの特装車も選択可能な軽トラックのアクティトラック、快適で確実なワークタイムをサポートする軽商用バンのN-VANなど、快適性などを犠牲にすることなく、高い環境性能を達成している。なお、1998年にトゥデイが生産終了となってからは、一般的な機械式立体駐車場に入庫可能な軽自動車(全高1,550mm以下)を2015年にN-ONEのローダウンモデル発売するまでの間、生産していなかった。 ハイブリッドカーにおいては、パラレル式と分類される ハイブリッドシステム(Honda IMA)をCO排出量の削減及び燃費向上を目的に幅広い普及を目指して自社開発し、現在販売しているハイブリッド専用車インサイトに、昨今これらの環境車需要が増加している中、比較的安価なコストで搭載している。 ホンダのハイブリッドシステムは、走行状況に応じてエンジンの燃焼を休止させるi-VTECエンジンと、加速時における単一の薄型ブラシレスモーターからの出力の利用、および同一モーターによる減速時の回生発電を行い、比較的容量の小さい専用二次電池へのエネルギー回収を行う軽量でコンパクトなシステムであるため、幅広い車種への安易な搭載が可能とされている。シリーズパラレル式と分類される他社系の採用しているハイブリッドシステムは、加速用電気モーターでの動力補助および、減速時に於ける回生発電装置によるエネルギー回収をする仕組みであり、加速用電気モーターと回生用発電装置を別に必要とする。 2009年(平成21年)4月1日、同社が本格的な普及に対する若干の足踏み状態の要因として抱えていた二次電池供給元からの供給可能量などの経営コンセンサス的問題を解決するために、ハイブリッドカー用リチウムイオン電池の製造・開発を専門とする「株式会社ブルーエナジー」を国内老舗電池製造メーカー「ジーエス・ユアサコーポレーション」との共同出資により設立し、二次電池調達体制の再構築を行った。 最近では、一般ユーザーが休日にサーキットまで自走して、安全かつ気軽にサーキット走行を楽しめることをコンセプトに開発された「タイプR」というスポーツモデルをシビック(インテグラ、NSXは生産終了)に設定している。 また、現行シビックタイプRをベースとした安価なレース専用車を一般向けに販売すると共に、ホンダの車を使用したアマチュア~プロ志望者向けの年間シリーズレース「ホンダ エキサイティングカップ ワンメイクレース」を1981年(昭和56年)から現在まで長きにわたって開催している。 また4ドアセダンの分野においては、世界各国でロングセラーとして現在まで販売されているシビックおよびアコード、走行状況に応じて燃焼気筒数を切り換える可変シリンダーシステムを採用するレギュラーガソリン仕様のV6エンジンを持つインスパイアなどがある。 ホンダのイメージアイコンとして1990年(平成2年)から2006年(平成18年)の長きにわたり生産・販売され、日本産スポーツカーの最高峰として君臨してきた、オールアルミボディを特徴とするV6エンジン搭載のミッドシップスポーツカー「NSXシリーズ」は、後継車の登場なく現在に至っているが、特別な思い入れを持つ多くのユーザーの「NSXに長く乗り続けたい」という求めに応じて、メーカー製造工場にて経年車へのエンジンや内装、足回りなどの念入りな機能修復サービスを受けられるNSXリフレッシュプランを行っていた。しかし2013年夏、新型のNSXが発表され、2016年から販売が開始された。 近年、過去に同社から販売されていたS800などのイメージを継承し、ホンダ創立50周年記念車として発売されたS2000は、昨今のホンダでは唯一のFR車である。このS2000は、高出力高回転型に改良された自然吸気のF20C・VTECエンジンを用い“排気量リッター当たり125PS”、2.0Lで250PSの性能を誇っていた。さらにこのS2000は、他のホンダ車と部品を共用していないなど(他メーカーの車両と部品を共用している部分はある)収益があまり見込めない趣味性の高い車に、独自の車台やコンポーネンツを専用設計として開発されている。 北海道の鷹栖町に巨大なテストコースを持ち、そこで熟成され鍛えられた車種も数多い。 2004年(平成16年)10月7日に発売されたレジェンドは新開発の四輪駆動システムSH-AWDを採用し、出力のメーカー自主規制の緩和にともない、国産の量産車では初めて280PSを超える300PSとなった。 レジェンドに搭載されているSH-AWDは、単純な前後の駆動力配分の制御だけでなく、後輪左右駆動輪間において可変駆動配分制御を行う事を目的に、リアデフ内のプロペラシャフト後端部分の動力伝達経路に増速機構と、後輪の左右駆動輪間に駆動力差を生み出すために小型電磁クラッチをデフ側の左右ドライブシャフトのエンドエリアに搭載し、コーナリング時に意図的に外周側の駆動輪に多くの駆動力を伝達する高度な動的制御を行う事により、より自然な感覚での旋回性能の向上および、滑りやすい路面状況下での走行安定性の向上を図っている。 なお、タクシー・パトカー専用車両(市販車と異なる仕様で製造された車両)は過去も現在も全く生産していない。また、同業のスズキと同じく軽自動車クラス以上のトラックやバスを生産していない。 自社製の汎用ガソリンエンジン(汎用エンジン)を利用した耕うん機、芝刈機、運搬車、ポンプなどの農業機械、除雪機、発電機、電動カート「モンパル」、船外機、家庭用ガスコージェネレーションユニット、太陽電池パネルなどを生産している。 ホンダの汎用事業は、創業者の本田宗一郎が、オートバイで培ったガソリンエンジン技術で「世の中の人々の重労働を軽減したい」という思いからスタートした。ホンダ初の汎用製品は1959年(昭和34年)に開発・発売した耕うん機「F150」であり、小型ガソリンエンジンを搭載した耕うん機を低価格で提供したことによって、1959年当時、ケロシンエンジンやディーゼルエンジンが主流であった農機業界において大ヒット商品となった。 その後、ソニーの創業者井深大の要望を受けて超小型の発電機を開発したり、世界の環境規制に先駆けて4ストローク船外機にチャレンジしたりと、各分野で業界に先駆けた取り組みを続けている。 1980年(昭和55年)、誰でも簡単に取り回しができる超小型耕うん機「こまめ」を発売。業界の常識を覆したこまめは後の家庭用ミニ耕うん機市場を創出するきっかけとなり、2003年(平成15年)「サラダ」、2009年(平成21年)ピアンタを中心に、相次いでヒット商品を開発している。 特にピアンタは、家庭用カートリッジこんろで使うカセットボンベ1本で簡単・パワフルに働く耕うん機として、年間1万台を上回る大ヒット商品となっている。 近年でみると、太陽電池事業にも参画。熊本県にソーラーパネルの量産工場を持っており、日本国内を中心に事業を展開。甲子園球場の屋上にもHondaのソーラーパネルが設置されている。 創業者である本田宗一郎は航空機開発の夢をもっており、二輪車用に翼をイメージしたマークを採用したのもこのためとされる。しかし三菱重工や川崎重工など戦前からの航空機メーカーと異なり航空関連の技術者がおらず経験も無いため、基礎技術から習得する必要と判断し1962年頃から行動を開始した。 1962年頃、航空機技術者を確保するため、学生向けの軽飛行機の設計コンテストのスポンサーとなったり、新聞に軽飛行機技術者の求人広告に掲載するなどし、吉野浩行は前者で川本信彦は後者で入社した。またジェットエンジンの開発を目指しガスタービンエンジンやガスタービン自動車の研究も行った。 1964年、航空事業のノウハウを収集するため本田航空を設立、ホンダエアポートを整備した。 その後小型機の改造などで技術開発を継続したが、この時点では大々的に公表していなかったが、本田技術研究所に航空用エンジンや機体の開発部門を集約するなど体制を強化していった。 2006年(平成18年)7月25日、超軽量ジェット機への本格参入を表明し新型機HondaJetを公表した。当初は2013年の販売を目指すとした。 2006年(平成18年)8月、航空機部門をホンダ エアクラフトとして独立させ、航空機開発の拠点をアメリカに移す。 過去にはフォード・モーター車(1975年~1979年)やジープ(1990年~1997年)車を扱っていた時期があった。 2008年(平成20年)秋に「アキュラ」ブランドの国内進出が予定されていたが、2010年(平成22年)以降へと一旦延期、結局、急激な不況のあおりを受け、最終的に国内進出自体が白紙撤回された。 かつての販売系列 2018年4月より販売網の再編成を実施。異なる客層へのサービスの違いを明確に分ける体制とする。 2009年(平成21年)から2010年(平成22年)にかけて、インスパイア、アコード、シビックなど国内外の計約95万台に対して、エアバッグに関するリコールを行った。内容としてはエアバッグの膨張装置に不具合があり、エアバッグ展開時に膨張装置が破裂して金属片が飛散し、運転者を負傷させるものであった。米国では本件に絡んだ事故が計7件報告されており、うち死亡事故については飛散した金属片が運転者の首に刺さり、致命傷となった。 2010年5月、中国広東省仏山市にあるホンダ系列の部品工場にて、大規模なストライキが発生、 直後に他系列工場にも飛び火、江蘇省の台湾系機械工場では警官隊と従業員が衝突、50人が負傷する事態に至った。 この影響により同国内の4つの組立工場が操業停止に追い込まれ、約2週間に渡るストライキによる損失は生産高ベースで400億円以上に達した。 事件の背景として、現地の日本人駐在員との50倍にのぼる給与格差が挙げられる。当該工場の女性従業員の手取り給与が平均1千元であるのに対し、日本人駐在員は5万元であることが指摘された。従業員側は経営側に日本人駐在員の給与を公表するよう迫ったとされる。 1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)にかけて子会社工場で勤務していた男性が、当時アスベストを吸ったことが原因で中皮腫を患ったとして、後に子会社を吸収したホンダに対して約9,600万円の損害賠償請求を起こした。2010年(平成22年)12月の判決ではアスベストと中皮腫の因果関係が認められ、男性に対して約5,400万円(うち約2,000万円が慰謝料)の支払いが命じられた。自動車業界において、アスベスト被害が認定された初のケースとなった。 2010年(平成22年)12月、米国における同社のインターネットサイト利用者のうち、約490万件の個人情報が、外部からの不正アクセスにより流出していたことが判明した。個人情報には名前、メールアドレス、車両番号が含まれる。約490万件のうち、約220万件がアキュラ所有者の車両番号など、残る約270万件がニュース配信を受けている者のメールアドレスとされる。 同年5月、約28万人分の顧客情報がカナダで流出したことが判明した。流出した情報は、2009年(平成21年)に登録された顧客の名前と住所、車両番号などとされる。 2006年(平成18年)9月20日にフォード・モーター、ゼネラルモーターズ、ダイムラー・クライスラー、トヨタ自動車、日産自動車と共にカリフォルニア州検事総長のビル・ロッキヤーによってオークランド地方裁判所に地球温暖化の対策を講じてこなかったとして起訴されている。 など。 など多数。
F1
F1グランプリ
F1グランプリ(エフワングランプリ)は、フジテレビNEXTで日本向けに放送されるF1レース中継番組。正式名称は「Formula 1 World Championship xxxx」("xxxx"はその年の西暦)である。1987年から2011年までは地上波放送のフジテレビ系列、2012年から2015年まではBSフジでも放送されていた。
日本で初めてF1グランプリを全戦中継したのは『カーグラフィックTV』(テレビ朝日系列)でのダイジェスト版放送。F1放映権は1986年まではTBSが保持していたが、全戦中継することはなく月1回程度のダイジェスト番組が放送されるのみであった。
1987年から日本GPが再開されるのと中嶋悟が日本人初のF1シーズンフル参戦をすることになったことをきっかけに、フジテレビが日本GP分の放映権を取得しようとしたところ、FIAの方針によって全戦分の放映権を取得することになった。以来全戦中継を行っている。日本GPはゴールデンタイムで放送され、1991年の視聴率は20%を超えており、深夜帯の放送でも10%近い視聴率を獲得していた。しかし、1990年代以降F1ブームそのものが下火になり、一時期ほどの視聴率は獲得できていない。
2012年・2013年の2年間については、フジテレビのCS放送およびBSフジでの放送となると発表された。これにより、フジテレビ系列における地上波中継は2011年をもって終了することとなった。
2014年1月24日には、2014年の中継も前年までと同様であると発表された。放映権は複数年契約とされている一方で、2014年にはダイジェスト放送ではあるが地上波で3年ぶりに放送が行われることとなった(後述)。また、2014年8月27日には、2014年の日本グランプリはBS・CSでの放送に加え、地上波でも決勝当日の深夜に録画中継されることが発表された。
なお、フジテレビのF1の放映権の契約は2015年で一旦終了し
、FOX SPORTSが2016年 - 2022年のF1のアジア全地区でのテレビ放映権を獲得している。2016年2月9日にフジテレビが放映権を獲得したと発表したが、FOMと直接契約したのではなく、FOX SPORTSからサブライセンスを購入するかたちとなっているため、放送はCS放送のフジテレビNEXTでの生放送に限られ、フジテレビNEXTsmartでのネット配信は放送契約者のみ利用可能(後述)と変更され、フジテレビONEや2012年から地上波から移行して放送を行ってきたBSフジでの録画放送は行われないことになった。ただし、日本GPの決勝のみ当日深夜に録画放送される。
また、2016年シーズンの中継はNHKがWOWOWでの放送を目的とした放映権の買取交渉を行っており、関係者によるとフジテレビよりも好条件を提示していたが、NHKは現地にスタッフを派遣しての独自制作などは考慮していなかったため、NHKとWOWOWの放映権獲得には至らなかった。その一方でNHKはBS1で「F1世界最速への挑戦」と題した特別番組を不定期に放送しており、2016年3月26日に初回放送された第3回目の放送では開幕戦のレース映像が使用された(エンドロールには「映像提供 Formula One Management」との表記あり)。このホンダ製パワーユニットを追った番組は2シーズン4回以降続編が作られていない。また同シーズンよりワールドスポーツMLB内にて数分間・不定期に欠戦がありつつも、写真構成ではなくレース映像を1戦ごとに放送し続けている。
2017年もフジテレビが放映権を獲得、フジテレビNEXTでの生放送が継続される。前年に引き続き、日本GPの決勝をBSフジで録画中継する。2018年も同様。
中継に使用する映像は、当初は開催国のテレビ局の映像にフジテレビ独自のカメラからの映像をかぶせたり、編集したものを使いフジテレビが製作するオリジナルのテロップを使用していた。しかし、1994年からFOA(当初はFOCA)統括によるチェックが厳しくなり、オープニング後に「FIA FORMULA1 WORLD CHAMPIONSHIP」というアイキャッチが入るようになったほか(2003年以降は「F1」ロゴのアイキャッチが使用されている)、さらに厳しくなった1996年以降はスタジオトークなど局独自の映像以外、レースそのものにおけるオリジナルの映像やFOA中継で使用される以外のテロップ表示を禁じられた(このため一時はレース中に日本語テロップを全く表示できない状態となり、視聴者からの不評を招いた)。テロップについては2003年より規制が緩和されており、通常のFOA制作中継に重ねて局独自のものが挿入されている。2001年より一部地域を除き、番組の最初に「PERFECT SPORT SPECIAL」のアイキャッチが入る。また、地上デジタルテレビジョン放送では2006年からはデータ放送と連動、2007年からはHD対応の16:9サイズとなり(ただし映像はSD)、2011年からは国際映像がハイビジョン化された。
実況・解説・ピットレポートは、当初は全て現地から行っていた。しかし2001年第14戦アメリカGP以降は、地上波中継については日本GPを除き実況・解説を東京のスタジオで行う方式に切り替え、さらに2002年のサンマリノGPからは東京のスタジオにセットを構え、タレントの北川えりをレース前後の進行役に据え、実況と解説者が同スタジオでレースの模様を届ける方法に替わった。2003年からはタレントの永井大とモデルの山田優を「キャスター」に、ドライバー出身の片山右京やタレントの近藤真彦らを解説陣に据えた。これは2001年9月に9.11事件が発生したため、取材クルーがテロに巻き込まれるリスクを考慮した対応である。また、FOAの規制は厳しい反面、情報の提供は豊富であり、あえて現地にCS・地上波の2クルーを送り込む必要がなくなっていることなどが理由である。ただし、この方法だと生の臨場感、錯綜する情報への対応に支障が出ることなどから、2004年より再び実況および一部の解説者が現地に入るかたちに改められた。
当初から上記の方法は何の予告もなく中継スタイルが変更されたことや、レース途中で中継が中断され模型による状況解説が挿入されたために視聴者から戸惑いと不満の声が上がっており、モータースポーツの知識に乏しい芸能人の進行役の存在もしばしば議論の対象となっていた。一例として、当時『週刊オートスポーツ』(三栄書房)に連載されていた漫画『あんたが大将 オレさま烈伝』では、当時の番組スタイルを揶揄・批判する描写がしばしば登場している。長坂哲夫のように新スタイルへの不満を公言して一時中継から離れるものもいた(詳しくは長坂哲夫#来歴・人物を参照)。
2007年からは進行役を置かず、オープニング後、CMが明けてすぐにレース映像に入るスタイルに変更された。なお、ごく初期の中継において、副音声で小林克也が実況を行いながら適切な音楽を流す「F-1 MUSIC PIT」という中継方法をとったこともあった。
前述の通り、2011年をもって、地上波放送は姿を消すこととなった。
1989年から1994年にかけて、新日本プロレス中継などで有名であったフリー(元テレビ朝日)アナウンサーの古舘伊知郎を実況に採用する。マシンガン実況と呼ばれる名調子・比喩表現をF1実況に持ち込んだことで評判となり、F1ブームの立役者ともなった。事前取材が綿密な人物であるため、経年ごとにコメントに深さも見られるようになり、1993年のスペイングランプリでは「解説者」として中継ブースに座るまでに至った。
古舘の降板理由については、一般には心酔していたセナのサンマリノグランプリでの事故死が真っ先に挙げられるが、古館自身は齋藤孝との対談書の中で、「実況する際に必要なマシンカラーとチーム名称、ドライバーの名前とそのヘルメットカラー等が、毎年毎年目まぐるしく変わり、毎年毎年それをリセットして記憶し直し、それぞれを結びつける作業(例:マシンカラー+ヘルメットカラー=ドライバー名・チーム名)ができなくなったため」と説明している。
古舘の登場以後の実況は、絶叫や独自表現・比喩法を利かせたようなアナウンサーが目立つようになった。
2003年ごろから「応援」「サポート」の名目でタレントなどを起用し、番組宣伝を行わせる手法を取り入れたことも当中継の特徴であった。
芸能人を中継のゲストに呼ぶ行為自体は中継初期から行われていたが、初代プロデューサーの松野博文がバラエティ色の濃いスポーツ中継に否定的であったことから、当時のゲストは芸能人でもある程度モータースポーツ経験のある人間、もしくはF1ファンに限られていた。
しかし渡辺信治がプロデューサーとなった2003年以降、番組は全体的にバラエティ色を強める方向に向かった。2005年シーズン中に「F1モデル」をレギュラー番組として放送したことでも挙げられるように、女性をターゲットにしたハンサムなドライバーの紹介をし、タレントや女子アナに魅力を語らせてから、日本メーカーや日本人ドライバーを中心とした紹介VTRをいくつも挿入して、視聴者に訴えかけるようなことを例年工夫している。最も顕著だった例としては、2006年シーズンのトルコGPから日本GPまで、モデルの蛯原友里を筆頭としたCanCamモデルをサポーターズ(現地リポーター)として起用したことが挙げられる。トルコGPオープニングではチームやドライバー紹介もコメディチックになり、さらに合間合間にCanCamのロゴをバックに蛯原、押切もえ、山田優がダンスをするムービーがなぜか流れ、ナレーションが「Support by CanCam!!」と叫ぶなど、何を紹介しているのかわからない状態になり、日本GPでは小倉智昭とCanCamモデルがブースに入りコメントをするなど、ますますバラエティ路線を意識した番組作りに、インターネット上等で批判が巻き起こり、前述の通り実況担当の長坂アナは一時期F1実況から離れることとなった。
この間もCS放送では、当初からバラエティ色を極力排除した本来の中継スタイルで放送を続けていた(下記項目を参照)。
このような賛否を招いたタレント起用は、2011年にAKB48の大島優子が日本グランプリのレポーターを務めたのが最後となり、2012年からのBSフジでの放送はCS生中継の編集版が使われることになったため、上記のようなタレント起用は一切なくなり、一部BSフジ独自制作の場合でも、片山右京、近藤真彦、小倉茂徳、森脇基恭などモータースポーツ関係者がコメンタリーを務めるため、バラエティ色はほとんどない。
オープニングについては、2006年までは歴代の名車を再現したものなどやアラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、ニキ・ラウダ、ジル・ヴィルヌーヴ、中嶋悟、鈴木亜久里、片山右京、アイルトン・セナ、ミハエル・シューマッハの名ドライバーを中心にCGを多用したものが使用され、THE SQUAREの『TRUTH』のテーマ曲と共にF1名物となっていた。
2007年からはテーマ曲がQUEENの『FLASH』をアレンジした『Flash's Theme 2007 High Octane Mix』となった。しかし、オープニングがこれまでのF1マシンを多用したものから、アメリカンコミックを思わせるようなアニメーションに変更された。そのアニメにはF1とはかけ離れた、空を飛ぶマシンをアメリカンコミック風にデフォルメされたドライバー達が操縦し、悪者と思われる架空の青人もしくは黒人ドライバーの乗ったマシンが、シグナルポールに激突して爆発するシーンがあった。なお、第5戦スペインGP放送分より実車映像が挿入されているが、激突のシーンは以降もそのままだった。
翌2008年もテーマ曲は継続して使用されたが、件のアニメが廃止され、ネルソン・ピケ・ネルソン・ピケJr.、ケケ・ロズベルグ・ニコ・ロズベルグ、中嶋悟・中嶋一貴の親子ドライバーを中心に、キミ・ライコネン、ルイス・ハミルトン、フェルナンド・アロンソのトップドライバー、ジェンソン・バトン、ティモ・グロックの日本ワークスドライバー、日本人ドライバーの佐藤琢磨が紹介された。
2009年はテーマ曲が再変更され、屋敷豪太の『God only knows』を採用し、メロディアスで流麗な旋律が視聴者の好感触を誘った。映像は、2008年のレースのものが使われ、その後ルイス・ハミルトン、フェリペ・マッサ(シーズン途中まで)、キミ・ライコネン、ヤルノ・トゥルーリ、フェルナンド・アロンソ、ティモ・グロック、セバスチャン・ベッテル、中嶋一貴が紹介された。シーズンの途中からは、チャンピオンシップでトップに立っているジェンソン・バトン、マッサの代わりにはルーベンス・バリチェロも紹介されるようになった。
2010年も同じ曲であるが、その中の別のメロディを使用している。第3戦のマレーシアGPまでは曲の中にエンジン音を取り入れていた。ドライバーの紹介は3年ぶりに現役復帰した7度の世界王者ミハエル・シューマッハ、フェラーリに移籍した2005年と2006年の世界王者フェルナンド・アロンソ、同じくマクラーレンに移籍した去年の世界王者ジェンソン・バトン、バトンのチームメイトで2008年の世界王者ルイス・ハミルトンという4人の歴代世界王者に、去年最後までタイトルを争ったセバスチャン・ベッテルと2009年に印象的な走りを披露した小林可夢偉という2人の挑戦者(4チャンピオン+2チャレンジャー)という図式で紹介された。日本グランプリでは特別なオープニングが放送され、過去の鈴鹿の名場面や歴代日本人ドライバー(中嶋悟、片山右京、佐藤琢磨、鈴木亜久里)の映像が流された後、タイトルを争うマーク・ウェバー、フェルナンド・アロンソ、ルイス・ハミルトン、ジェンソン・バトン、セバスチャン・ベッテルと唯一の日本人ドライバー小林可夢偉が紹介された。
2011年はGreen DayのAmerican Idiot、原田憲のGIMCRACKが採用された。紹介されるドライバーは前年と同じであるが、ベッテルが2010年ワールドチャンピオンになったことで"5人の歴代世界王者+挑戦者"という図式となった。
日本国内でのF1の人気低迷、そして近年のトヨタ、ホンダ、ブリヂストンなど日本企業のF1からの撤退が相次ぎ番組スポンサーも付きにくくなっていたことなどの要因から、2012年1月19日にフジテレビは地上波放送の終了、そしてBSフジでの放送に移行することを発表した。なお、CSではこれまで通り全セッションを生中継する。フジテレビ広報部によると(2012年の時点では)「日本グランプリも地上波放送の予定はない」としている。
BSフジでもこれまでの地上波放送と同様に予選と決勝の模様が中継されるが、CSとの差別化を図るため録画放送になる。基本フォーマットは予選が60分、決勝が1時間50分で、決勝の放送時間は23時開始を原則とする(ただし時差の関係もあるため固定ではない)など、予選については従来の地上波よりも放送時間が拡大、決勝も放送開始が従来より早まる。
2012年は、基本的にはCSでの放送内容を編集したものであったが、イギリスグランプリと日本グランプリにおいては、BSフジとCSは別の実況・解説陣で放送された。BSフジの実況は、前年までの地上波中継を模した雰囲気で進められた。独自テロップはイギリスグランプリでは無かったが、日本グランプリでは一部に用いられた。
2013年は、BSフジは半数近くのレースで独自の実況・解説陣となる。また、F1情報番組「Inside Line」を英語ナレーション・日本語字幕で不定期に放送した。
なお、前述の通り2016年以降はCSによる生中継のみとなったため、BSでの放送は実施されない(ただし、日本GPの決勝のみ録画放送される)。
2018年は日本GPのみ録画放送。BSフジに異動した塩原恒夫アナによる実況、川井一仁による解説であった(川井は前日に生中継されたCS放送でも解説を務めた)。レース中継前には子供やF1初心者向けの「F1ってな~に?」のコーナーがあったり、川井の解説が極力専用用語を排し分かりやすさに努めたものであるなど、CS放送との差別化が図られた。
2016年以降のこれらの番組の処遇は不明。
2012年からは、テーマソングとしてTHE SQUAREの『TRUTH』が復活した。オープニング映像では、当番組が開始した1987年からの歴代ワールドチャンピオンである、アイルトン・セナ、アラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、デイモン・ヒル、ジャック・ヴィルヌーヴ、ミハエル・シューマッハ、ミカ・ハッキネン、フェルナンド・アロンソ、キミ・ライコネン、ルイス・ハミルトン、ジェンソン・バトン、セバスチャン・ベッテルが紹介された。
その後もこれをベースにほぼ同じオープニング映像が使用されており、毎年若干の変更を加えている。
2013年は、前年紹介されなかった1987年ワールドチャンピオンのネルソン・ピケがセナの隣に追加された。
2014年は、ベッテルの後に2年ぶりのF1復帰となる小林可夢偉が追加された。また、ベッテルの写真が前年最終戦の表彰式での物に変更された。日本グランプリは特別なオープニングが作られ、メルセデスのルイス・ハミルトンとニコ・ロズベルグ、レッドブルのダニエル・リカルドとセバスチャン・ベッテル、フェラーリのフェルナンド・アロンソとキミ・ライコネン、ケータハムの小林可夢偉が紹介された。
2015年は、前年ワールドチャンピオンのハミルトンが最後に紹介され、ベッテルは前年までのハミルトンの位置に変更された。なお、今シーズンに参戦していない小林は外されている。
2016年は、この年よりBSでの日本GP録画放送でのみオープニング映像が使用されている。前年までと同じ映像だがF1マシンの風切り音などの効果音が追加されている。
2017年は、映像が一新され今シーズンのレース映像をダイジェスト風に編集した約15秒間のオープニングが放送された。
2018年は、2016年まで使用していた「F1 GRAND PRIX」のタイトルに続き、この年開催30周年を迎える鈴鹿サーキットでの日本GPの過去のレース映像となった。
1992年からBS放送局・WOWOWにて翌週、もしくは翌々週に決勝のノーカット再放送が行われ、1998年のフジテレビ721(現・フジテレビTWO)開局以降も並行して放送が続いていたが、2001年で放映を終了。また、フジテレビ721では金曜フリー走行1回目からの全セッションを生中継していたほか、下述のように実況・解説が地上波とCSで個別のものになる以前はオープニング・エンディングを除いて共通のソースを利用していた。
2003年からは2011年までは
と位置付け、2002年までの解説、レポーター陣をCS放送に起用した体制となっていた。
2008年からはフジテレビCSHD(現・フジテレビNEXT)対応の中継が開始。
現在は、フジテレビNEXTで金曜フリー走行を含む全セッションの生中継を行っている。
番組は基本的に東京のスタジオと現地の実況ブースの2元中継体制で、東京のスタジオでは実況者と解説者1名が伝え、現地では川井一仁が解説と現地での状況を伝える。このほかフリー走行の中継に津川哲夫や米家峰起が現地から出演することがある。また、今宮純、浜島裕英、森脇基恭、片山右京、松田次生も東京スタジオの解説で出演する。2012年からは、経費削減や治安問題等の理由で現地解説なしで川井一仁らが東京のスタジオで解説を行うレースもある。
レース全体の実況は地上波・BS独自と違い、比較的平坦である。また、地上波では披露されない、チームやマシンについての深い内容を解説する。2012年 - 2015年はBSフジでも解説がそのまま流用されることがあったため、解説陣が言葉の言い回しに気を遣っている様子も見受けられた。さらに音声切り替え(ステレオ2。一部のケーブルテレビ局の配信は除く)により、実況や解説のないサーキットでの音声のみを聞くことも可能である。
なお、CSでのF1中継は2007年まではフジテレビ721で、2008年からはフジテレビ721とフジテレビCSHD(現・フジテレビNEXT、スカパー!e2(現・スカパー!)では2008年のバーレーンGPから、スカパー!HD(現・スカパー!プレミアムサービス)では同年の日本GPから)両チャンネルのサイマル放送にて、土曜日のフリー走行3回目から予選、日曜日の決勝までリアルタイム生中継(日本グランプリのみ金曜日のフリー走行1回目から完全生中継)を行っていた。フジテレビ721が画面アスペクト比4:3で主音声・副音声ともにステレオ音声(ちなみに地上波アナログ放送の音声多重放送では技術的な問題により主・副 ともにモノラルとなる。地上デジタル放送では主・副 ともにステレオが可能)、フジテレビCSHDは画面サイズ16:9の放送(東京のスタジオ映像やオープニング映像などはハイビジョン映像、中継映像はハイビジョン映像または16:9SD映像)で副音声なしのステレオ放送であった。
2013年から、決勝の放送はピットレーンがオープンされるレーススタート30分前から開始され、レコノサンスラップの模様も中継される。2014年からは「フジテレビNEXTsmart」を開始、フジテレビオンデマンド、スカパー!オンデマンド、ニコニコチャンネル(日本グランプリから)などでフジテレビNEXTと同内容の中継を全セッション、インターネットでライブストリーミング配信や一定期間のアーカイブ配信を行っている。2016年シーズンは放送権の都合上ネット配信は原則として行われず、CS放送またはジュピターテレコム系CATVでのチャンネル契約者のみスカパー!オンデマンドまたはJ:COMオンデマンド経由でネット配信を受けることができ、リピート放送時の同時配信や見逃し配信、アーカイブ配信は行われない。
2015年はマルチメディア放送のNOTTVでも、一部を除く土曜日の公式予選と日曜日の決勝レースの同日録画放送を行う。2016年については上述の放送権に関する事情や、NOTTV自体が同年6月末で放送を終了したことから、放送されなかった。
2017年には、イギリスグランプリ開催前にロンドンで行われたイベント「F1 LIVE LONDON」の生中継を行った。
また、2015年まではフジテレビONEで翌月曜日に「F1 MONDAY」と称して全セッションの録画放送を行っていた。
2005年のシーズンオフからは、「F1 LEGENDS THE BEST GP」と銘打ったオフ企画を開始。これは、フジテレビが中継を開始する以前の1981年から1986年のグランプリを、2007年シーズンオフまでの3年間(その後2008年以降も継続)にわたり、視聴者リクエスト結果と解説陣の推薦するレースにより2年分ずつセレクトしたかたちで放送するものである。この企画には、従来シーズンオフになると翌年の開幕まで契約を解約する加入者が多かったことに対する解約防止策という側面もある。
また、2009年のシーズンオフは「F1グランプリの歴史」と題した企画を放送。これは世界的に全戦中継もなされていなかった1970年から1980年までのレース映像を放送するもので、全編英語ナレーション・字幕放送となっている。
日本グランプリ(以下日本GP)はフジテレビがタイトルスポンサーを務める、F1では珍しい放送局の冠レースであった(2009年まで)。2007年からは日本GPの開催地がこれまでの鈴鹿サーキットから富士スピードウェイに替わることとなったが、フジテレビが引き続き同グランプリの冠スポンサーを務めた。当時使用された優勝トロフィー(漆器を使ったもの)はフジテレビの美術スタッフのデザインである。
しかし、長年に渡って地上波での生中継は行われず、決勝当日の夜(時期によって放送開始時間は異なる)に録画放送されていた。
特に中継初年度の1987年の日本GPでは広告効果などの都合上生放送で行う考えがあったが、日本GPが行われる時間帯に当時デーゲームで行われたプロ野球日本シリーズ中継があり、さらには競馬中継の放映の関係もあり、視聴率や放映時間の確保などの関係上20時-22時のゴールデンタイムで録画放送された経緯がある。
中央競馬中継は、フジテレビおよび関西テレビにとってF1中継よりも長い歴史を有する番組であり、重要なコンテンツでもある。2014年まではこのような形で競馬中継ができない場合は、フジテレビが運営するBSフジで生中継を行った。また、グランプリシリーズの日程決定機関がテレビ局ではなくFIAであるため、日本中央競馬会(JRA)が重要と位置づけるGIレースと日程が重なることもある。
1994年4月17日に、TIサーキット英田(現 岡山国際サーキット)で開催されたパシフィックグランプリにおいて、初のフジテレビによる日本国内開催のF1グランプリレースの生中継が実現した。この日は中央競馬でも牡馬クラシックの第一戦皐月賞が開催され、競馬中継(『スーパー競馬』『ドリーム競馬』)もそれに対応して通常より30分早い14時30分からの放送となっていたが、パシフィックグランプリのレーススタート時間も12時30分と早い時間であり、両番組の時間的競合は発生しなかった。
日本グランプリの地上波生中継はその後も長く行われず、2005年10月9日に開催された2005年日本グランプリで初めて実現した。視聴率が関東地区で10.3%を記録したことから、翌2006年10月8日の決勝レースも生中継で放送。ちなみにこの放送ではF1では初めてとなるハイビジョン制作での中継となった。
2007年はF1日本GP決勝とGIレースのスプリンターズステークスが同じ9月30日開催(発走時間15:40)となったため、その処遇が注目されていたが、日本GPの生中継は13時10分から15時15分(最大延長15時35分まで)となり、レギュラーの競馬中継時間と15分重なることになるが、F1・競馬両レースを生中継するにはほぼ問題ないスケジュールとなった。ただ、日本GPのスタート時間が13時30分であること、さらに当日は雨天で2時間に及ぶレースとなったことから、最大延長時間の15時35分まで放送、ゴールの瞬間は放送できたものの、表彰式以降は非中継となった。競馬中継もスプリンターズステークス出走直前からの放送となっている。
2008年も決勝生中継は13時10分から15時15分であったが、前年と異なり天候が悪化することもなく、時間内にレースから表彰式・公式インタビューの一部まで放送された。ちなみに、この日の競馬はGI競走は設定されておらず(GIIの毎日王冠・京都大賞典)、予定通り通常より15分遅れで競馬中継が開始した。
2009年は2007年と同様に決勝とスプリンターズステークスが重なった上に、2007年よりもF1決勝開始予定時刻が遅い14時(当初は15時予定だった)となっており、両レースの開催時間が重なる可能性が発生、さらに同日にゴルフの「コカ・コーラ東海クラシック」(FNS系列の東海テレビ主催)最終日も行われた。このためF1を13時40分から15時45分、競馬を15時45分から16時20分(F1は15時40分までの放送予定だったが5分延長し、これに伴い競馬中継を5分繰り下げ・短縮して放送した)、ゴルフを16時20分 から17時50分(録画)で放送した。また地上波放送としては珍しく副音声での放送も行った。前日の予選では、ティモ・グロックのクラッシュなどで赤旗が3度も振られるなどし、セッション時間が大幅に延びたため、Q3(第3ラウンド)の途中で番組が終了。この予選中継の延長対応がなかったことに対し、1400件もの苦情電話が視聴者センターに寄せられた。ちなみに次のブラジルGP予選も雨の影響で予選が当初の時間より遅れたため途中から生放送となり日本GPに続いて予選の結果を伝えることができなかった。
2010年の日本グランプリは、トヨタ自動車の撤退を受け鈴鹿サーキットで10月10日に行われることが決定したが、決勝のスタート時刻が15時と、通常時の競馬中継(『みんなのKEIBA Races For Everyone』『KEIBA beat〜競馬×鼓動』)の開始時刻に重なったことから、F1の生中継は行われず、競馬中継後の16:00 - 17:50に録画中継で放送された。また、フジテレビがリーマン・ショックに端を発した一連の不況を受け、日本グランプリ再開から長らく務めてきた冠スポンサーを前年で降りた。
無料放送がBSに移行してからは、決勝は2012年は21時 - 22時40分、2013年は21時 - 22時50分、2014年は19時 - 20時40分、2015年は19時 - 20時50分、2016年は24時 - 26時、2017年は翌日の17時 - 18時55分、2018年は翌日の17時 - 19時でそれぞれ録画放送となっている。
2007年からほとんどのGPのホスト局が国際映像の制作をFOMに委託する中で、日本グランプリは2011年までフジテレビが国際映像の制作を継続した。2012年からは契約更新における予算削減の影響を受け、国際映像はFOMの制作に切り替わっている(2008年よりフジテレビが取り入れた5.1chサラウンド音声はCS放送でのみ継続されている)。
一方、今後の日本GPについて、2007年3月にFOAのバーニー・エクレストン会長が、「早ければ2008年からの日本GPは夜間開催にしたい」という意向を示していた。これが実現すればこうした問題は解決するほか、生中継となればゴールデンタイムでの放送となるが、安全性の問題やインフラ整備の問題があり、実現への障壁は大きい。
※時間はいずれもJST
日本GP・レースウィーク中には「日本GP前夜祭」を制作している。
当初はパドックの一角を借りてのささやかなイベントが行われ、歌手のアン・ルイスらが出演し、予選の回顧やF1関係者のゲスト出演から始まり、ミニゲームを経て、別撮りのT-SQUAREのライブを放映していたが、その後は古舘がホストとなって、ゲストを呼んでのスタジオ撮りとなり、またサーキット周辺にステージを設けるようになり、果ては独立した興行を打つようになった。前夜祭の名にふさわしく、大物ドライバーや中継陣、F1関係者が多数出演していた。興行化された1996年は、MAXのライブを開催したことから多くの熱狂的なMAXのファンが来場。イベント序盤にライブが開催されたため、それ以降の企画に来場者が盛り上がらなかったという本末転倒な事態に陥ってしまった。
1993年のゴールデン生中継の前夜祭では、鈴鹿サーキット入場口周辺の徹夜組を取材。携帯テレビを持参したファンがいたため、三宅正治が視聴番組を自番組と思い込んで確認したところ、NHKの時代劇を見ていたということがあった。
2012年以降はフジテレビNEXTにて前夜祭の放送が行われている。
1987年の開幕レースから使われているテーマ曲、『TRUTH』(THE SQUARE)が日本におけるF1、ひいてはモータースポーツ(レース)をイメージする代表的な曲となっている。その後は1999年・2000年に『GO FURTHER』(松本孝弘)が使用され、2001年から2006年までは『TRUTH』のアレンジバージョンが使用された。さらに2012年 - 2015年のBSフジでの放送では、『TRUTH』が再度使用され、2016年からの日本GP録画放送でも使用されている。
2007年・2008年はQUEENの代表作『FLASH』をブライアン・メイが新たにリミックスした『Flash's Theme 2007 High Octane Mix』が使用され、2009年は屋敷豪太の『God Only Knows』へと変更された。『GO FURTHER』以降はほぼ2年ごとに違った曲・アレンジが使用されている。
CS放送では2003年以降、『RESONANCE-T〜Truth Drum'n Bass Mix』がテーマ曲として採用されたが、2010年はテーマ曲・映像ともに地上波と共通となった。2011年以降はテーマ曲自体がなくなっている。
エンディングテーマは初期には『TRUTH』がそのまま使用されていたが、後に『In This Country』(ロビン・ザンダー)や『A Latchkey』(佐藤準)を始めとしてさまざまな曲が使用された。BSフジでは『TRUTH』の後半の一部が使用されている。
1988年までは紹介曲が固定されておらず、鳥山雄司の『Captain Haddock』や堀井勝美の『Hot Corner』などが使用された。
1989年〜1993年開幕戦にはスターティンググリッド紹介中のBGMにOVAドミニオンのサウンドトラックより『危険濃度』が使われていた。
近年は国内外のメタルなどのアーティストのナンバーをインストゥルメンタルで流すことが多い。
1992年から1993年にかけてドライバーごとのテーマ曲が設定されていた時期もあり、優勝ドライバーがゴールすると共にそのドライバーのテーマ曲が流れていた。例外として1992年のハンガリーGPは優勝者のアイルトン・セナのテーマ曲ではなく、2位でフィニッシュしてワールドチャンピオンを決定したナイジェル・マンセルのテーマ曲が流された。しかし1993年のポルトガルGPでは同じように2位でフィニッシュしてワールドチャンピオンを決めたアラン・プロストのテーマ曲ではなく、優勝者のミハエル・シューマッハのテーマ曲が流された。さらに予選中継でもポールポジションを獲得したドライバーのテーマ曲が流れていたが、デーモン・ヒルがポールポジションを獲得した1993年のフランスGPで流れたのは後にハンガリーGPで優勝した際に流れた「HEART OF EARTH」ではなく、ジョー・サトリアーニの「One Big Rush」であった。
なお、この期間に優勝したドライバーはセナ・マンセル・ベルガー・パトレーゼ・シューマッハ・プロスト・ヒルの7人で、他のドライバーにテーマ曲が設定されているか不明であったが、これについては1992年のF1日本グランプリ前夜祭で古舘伊知郎が「ペリー・マッカーシーのテーマ曲も用意されています」と語っており、一応は全ドライバー分用意されていたことがうかがえる。その後、当時優勝できなかったジャン・アレジのテーマ曲が、CD『伝説のヒーロー~フジテレビ系「F1グランプリ」番組使用曲
』(EMIミュージック・ジャパン)に収録された。
同じく放送初期(1987年の数戦)の選手紹介の時に、メゾフォルテ の 『Rockall』 が使われていた。この曲はF1情報番組のF1ポールポジションでもよく使われていた。
同じく放送初期(1989〜1994年)の開幕戦(1989年日本GP)に行なわれていたチーム紹介中のBGMにOVAヴイナス戦記のサウンドトラックより『メインテーマ(ヴイナスの彼方へ)』が使われていた。
放送はF1の現地開催時間に応じて行われていて、フジテレビNEXTで生中継している。セッション開始予定時刻10分前に放送がスタートする。
放送はF1の現地開催時間に応じて行われていて、フジテレビNEXTで生中継している。セッション開始予定時刻10分前に放送がスタートする。
放送はF1の現地開催時間に応じて行われていて、フジテレビNEXTで生中継している。レコノサンスラップ開始予定時刻(フォーメーションラップ開始予定時刻40分前)に放送がスタートする。
走行セッションが延長した場合、セッション終了まで番組を延長して対応する。予選でセッションが翌日に順延した場合、セッションに合わせて急遽番組を編成する。
※以下はフジテレビ系列( - 2011年、地上波)、BSフジ(2012年 - 2015年)で放映していたときのものである。
放送はF1の現地開催時間に応じて行われていた。通常は土曜深夜に予選を放送し、翌日に決勝の模様が放送される。ただし、一部のフジテレビ系列局では土曜の予選を放送していない、またはフジテレビより遅れた時間で放送している局も存在していた。2010年現在地方局で毎戦予選を放送していたのは北海道文化放送、岩手めんこいテレビ、さくらんぼテレビ、東海テレビ、関西テレビ、岡山放送、高知さんさんテレビ、山陰中央テレビ、沖縄テレビの10局となっていた。なお、年一回の「FNSの日(27時間テレビ)」と重なる場合は放送時間が30分に短縮されていた(この場合のみ通常未放送地域でも放送、ただしFNSの日を放送していないテレビ大分は除く)。2011年は放送時間を30分に短縮した。
基本的にフジテレビNEXTで放送したものを1時間に編集して24:00 - 25:00に放送された。南北アメリカの国でのグランプリは、基本的に日曜日の15:00 - 16:00(一部例外あり)に放送されていた。
F1商業権を統括するFOAとの契約によりレース開催当日に放送開始することを義務付けられている。実際に完全履行しているのはCSチャンネルのフジテレビNEXTでの放送のみだが、地上波でも2011年までは23:50から放映されていた(それまでは時間帯が不定期だった)。これは、特にヨーロッパでの開催において日本時間ではプライムタイムと重なるが、「高い視聴率を確保しにくい」という理由で深夜帯での枠が与えられているため。その場合、23:45からの「FNNニュース」は通常10分のところを5分短縮、「すぽると!」はF1中継終了後、深夜枠にて20分間の放送などの編成がなされていた。
また、クロスネット局であるテレビ大分とテレビ宮崎の場合は日本テレビ制作「Going!Sports&News」の終了後、1時間遅れの24:50から放送されていた(その場合、テレビ大分では通常番組の「NNNドキュメント」はF1中継終了後、もしくは翌日の月曜深夜に放送する措置がとられていた)。クロスネット2局では特番などの影響でこれより数10分遅れることもある他、編成によってはFNSフルネット局と同時ネットになる場合もあった。
例外としてオーストラリアGPは時差の関係上夕方(2005年は13:00)から、モナコGP、イタリアGP、シンガポールGP(2008年)、日本GPは22:00もしくは22:30、または22:55から放送を行う場合がある。また日本GPは2005年から2009年まで午後1時台からの生中継を実施していた(後述)。また、北アメリカの国で行われる場合、時差の関係で当初は月曜深夜に放映されていたが、「結果が先に新聞などで流れてしまう」などの視聴者の声に応える形で月曜日の早朝に放映されるようになり、1995年以降生中継となったが、1992年のメキシコGPとカナダGPは月曜朝(録画放送)・月曜深夜(ダイジェスト)と2回放送していた。2010年ブラジルGPは前夜のプロ野球日本シリーズ中継延長の影響で、125分遅れの2010年11月8日3:00 - 4:25でかつ放送時間を85分に短縮して録画放送された。この場合はクロスネット局のテレビ大分とテレビ宮崎でも同時ネットで放送される(クロスネット2局では開始時間が22:00もしくは22:30、または22:55の場合は24:50からの時差ネットとなる)。
かつては1993年3月まではフジテレビ系列だった山形テレビ(現在はテレビ朝日系列)のほか、青森テレビと岩手放送(現:IBC岩手放送)(いずれもTBS系列)などの系列外局でも決勝レースのみ放送されていた。
なお1990年代後半まで、フジテレビ社内の映写室で生映像を見せるサービスを、モータースポーツジャーナリストやスポンサー、ドライバー関係者のために行っていたが、フジテレビ721(現フジテレビTWO)における生放送の開始(1998年)を受けてこのサービスは廃止となった。
基本的に決勝開催日の23時30分から25時10分(2012年は23時から24時50分)に、フジテレビNEXTで放送されたものを1時間40分(2012年度は1時間50分)に編集して録画中継していた。南北アメリカの国でのグランプリは、月曜日の22時から23時40分(例外として2015年のアメリカグランプリは月曜日の23時から24時40分)に放送された。開幕戦であるオーストラリアグランプリは2012年と2013年は17時から18時50分、2014年と2015年は17時から18時40分に放送された。
シーズン終了後の12月にはその年の総集編を特別番組として放映している。ブーム期には5時間の内容だったこともある。また、総集編は放映しない地上波系列局も存在する。CS放送では1999年から放送している。地上波放送では1988年 - 2009年、BS放送では2014年・2015年に放送された。
山本以外は現職のフジテレビアナウンサーである。
()は地上波初実況のGP
馬場、古舘、鈴木、下田以外はフジテレビアナウンサーである。
2006年の企画(トルコGP - )。日本グランプリを盛り上げる役割を担った。
小倉以外は山田優もモデルを務める小学館のファッション雑誌「CanCam」とのタイアップで、同誌のモデルから選ばれた。
ノア
トヨタ・ノア ノア ("NOAH") は、トヨタ自動車が販売している5 - 8人乗りのミニバン型乗用車である。製造はトヨタ車体富士松工場。 先代モデル「タウンエースノア」「ライトエースノア」(「デルタワゴン」)の後輪駆動方式からイプサムのプラットフォームを活用した前輪駆動方式に転換して低床化し、スライドドアを後席左側だけではなく後席右側にも設け、またエアロパーツ装備が前提となるなど現代的な改良が計られている。また、窓を開けた状態でスライドドアを開けようとすると途中で止まる安全装置が機能する。 本モデルからタウンエース/ライトエースの名が外れ、トヨタカローラ店販売車種がこの「ノア」(旧タウンエース)、ネッツ店販売車種が「ヴォクシー」(旧ライトエース)と改名している。ダイハツ向け姉妹車は廃止された。 三角窓状の嵌め込み窓があり、ヴォクシー同様、2代目までセンターメーター、3代目からはオーソドックスなアナログメーターを採用している。なお2代目から香港とマカオでも販売がされている。 3代目からはノアとヴォクシーの発売に遅れてトヨタ店・トヨペット店向けの姉妹車「エスクァイア」が登場し、かつての「タウンエース3兄弟(タウンエース、ライトエース、マスターエース)」の構図が復活。トヨタとしては80-90年代にかけて展開された「マークII三兄弟」以来の3兄弟となる。これによりポルテ&スペイド同様、実質的な全店併売車種となった。 初代モデルが好評だったため、キープコンセプトでのフルモデルチェンジとなった。プラットフォームは先代のものを改良して引き続き使用し、センターメーターも引き続き採用されている。また、この2代目には、「バルブマチック」という、新システムを採用したエンジンが初めてSiに搭載された。また、燃費性能も向上され、全車「平成22年度燃費基準+20%」を達成している(後に、2WD車と「Si」の4WD車は「平成22年度燃費基準+25%」達成)。ボディーサイズは、基本的に先代と同じく5ナンバーサイズを保っているが、Si, Sはワイド化されたフロントフェンダーとエアロパーツの装着によって全幅が1,720mmに拡大し、3ナンバー車となる。また、当モデルの3ナンバー車は渦巻き型のホーンが標準で装備されている。Siにはアイシスに続きトヨタのミニバンとしては2車種目となるパドルシフトが装着される。また、サードシートにはワンタッチで折り畳みから跳ね上げまでできる世界初の「ワンタッチスペースアップシート」を装備した。 路線バスとしての使用例もあり、岡山県内に本拠地を置く中鉄バスがコミュニティバス用に保有している。また、トヨタ自動車東日本の工場がある岩手県内に本拠地を置く岩手朝日テレビでは本車をロケ車(同局のラッピングが描かれた)として保有している。 当型は香港でエアロモデルとノーマルモデルの2グレード展開で販売されていた(形式はZRR7#Rとなっている)。 また、インドネシアにおいては、「NAV1」(ナブワン)の車名で2018年現在においても販売されている。 エクステリアは、3代目ヴォクシーと共通のデザインコンセプト「EMOTIONAL BOX」を掲げ、車外からでも室内の広さがわかる力強いハコ(箱)とし、アンダーグリルと一体化した大型フロントグリルとヘッドランプの組み合わせにより、ワイド感とフロントマスクの厚みを持たせ、ミニバンの王道を行く"堂々感"を表現。また、2代目に引き続いてドレスアップ仕様の「Si」を設定し、迫力のあるフロントフェイスと低重心のワイドボディを専用フロントフェンダーパーツで強調させ、圧倒的な存在感を持たせた。 インテリアでは、ダッシュパネルより後方のボディ骨格を一新した低床フラットフロアの採用により、全高を2代目に比べて25mm低くしながら、室内高が60mm高くなったことで広い室内空間とステップがない乗り込みによる乗降性の向上を実現したほか、荷室フロアも60mm低くするとともにサードシートをの収納構造を工夫したことで、荷室空間の使い勝手を高めた。さらにサスペンション構造も変更され、旋回時のロールやクルマの無駄な動きを抑えることで、揺れが少ないフラットな乗り心地や、安定感がある操舵安定性を実現した。 また、3代目プリウスのものを移植した形の1.8Lミラーサイクルエンジンである2ZR-FXE型にモーターを組み合わせたリダクション機構付THS IIを採用したハイブリッド車を新設定。ガソリン車は先代に引き続き3ZR-FAE型を搭載するが、バルブマチックの改良を行ったほか、一部グレードを除く全車にアイドリングストップシステムを搭載。トランスミッションはアイドリングストップシステムと協調制御する電動オイルポンプと、運転状態に応じてエネルギー消費を最適化する2ポート型オイルポンプを備えたことで、クラストップレベルの変速比幅を実現した「Super CVT-i」の採用により燃費を向上し、ハイブリッド車のみならず、ガソリン車(「X"V Package"」及び車両重量1650kg以下の「X」の4WD車を除く)も「平成27年度燃費基準+20%」を達成した。 グレード体系はガソリン車は「X」・「G」・「Si」の3グレードに整理され、「X」には、ヘッドランプをハロゲンにグレードダウンし、アイドリングストップシステムなどの一部装備を非装備化した廉価パッケージ「V Package」が用意されていた。ハイブリッド車は「HYBRID X」と「HYBRID G」が用意される。なお、初代・2代目ではリアに装着されていたグレードバッジがなくなり、初代・後期型〜2代目まで設定されていた「YY」に相当する5人乗り仕様が設定されなくなった。
TD
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F1第18戦メキシコGP予選、ホンダ絶好調、フェルスタッペンがトップタイムなど全車トップ10入り【モータースポーツ】
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F1メキシコGP予選:フェルスタッペンに3グリッド降格ペナルティ、黄旗区間で減速しなかった件で
フェルスタッペン、イエローフラッグ無視でポールポジションを失う。3グリッド降格で2列目からのスタートに:F1メキシコGP
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フェルスタッペンがポールポジション獲得【順位結果】F1第18戦メキシコGP予選
2019年 F1 第18戦 メキシコGP 公式予選結果“キタ━(゚∀゚)━!!”
2019年 F1 第18戦 メキシコGP フリー走行3“またウェット路面でセッション開始”
ボッタス4番手「フェラーリやレッドブルとのギャップは予想以上に大きかった」:メルセデス F1メキシコGP金曜
ハミルトン、フェラーリから約1秒差の5番手「タイヤ管理が難しい。4回交換のレースになる可能性も」:F1メキシコGP
ルクレール、チームメイトから大差の3番手「ここではポールが重要。予選までに挽回する必要がある」:F1メキシコGP
2019-10-26 109
ベッテル初日最速も慎重「フェルスタッペンに勝つのは簡単ではないし、メルセデスも侮れない」:フェラーリ F1メキシコGP
レッドブル・ホンダF1密着:フェルスタッペンが初日2番手の好発進。高地メキシコGPではターボ効率が高いホンダPUに強み
2019-10-26 132
クビアト、ハミルトンと0.177秒差「ポジティブな金曜。やるべき作業をすべてやり遂げた」トロロッソ・ホンダF1メキシコGP
2019-10-26 140
ガスリー、ミディアムタイヤで7番手「金曜から速さを発揮できた。予選に向けてさらに改善を進める」:トロロッソ・ホンダF1
2019-10-26 146
F1メキシコGP初日:レッドブルのアルボン「縁石を使いすぎてしまった」「苛立たしいミス」
クラッシュのアルボン「大勢がミスしていたが、僕は誰よりも大きなミスを犯した」:レッドブル・ホンダ F1メキシコGP金曜
2019-10-26 100
ホンダ2チームがトップ7に並ぶ「順調な初日。この勢いを予選、決勝でも維持していきたい」と田辺TD:F1メキシコGP
2019年F1第18戦メキシコGP テレビ放送/ネット配信予定とレース前予習動画(2018年F1メキシコGPハイライト動画)|DAZN放送時間
2019-10-26 479
F1メキシコGP FP2:初日最速はベッテル。ホンダPU勢はアルボンがクラッシュも3台がトップ10内に入る好調な出だし
2019-10-26 133
【タイム結果】F1第18戦メキシコGPフリー走行2回目
2019-10-26 112
F1 Topic:4度の世界タイトルをハミルトンとともに勝ち取った担当エンジニアがメキシコGPを欠席
F1第18戦メキシコGP FP1:濡れ乾きのコンディションのなかハミルトンがトップタイム。レッドブル・ホンダは3、4番手
2019-10-26 106
【タイム結果】F1第18戦メキシコGPフリー走行1回目
2019年 F1 第18戦 メキシコGP フリー走行2“トロロッソが好調”
2019年 F1 第18戦 メキシコGP フリー走行1“昨日の雨が”
ホンダ田辺TD直前インタビュー:タイヤに厳しいメキシコのレースペースを懸念「ライバル勢に比べタイヤのデグラデーションが大きい」
2019-10-25 110
ルクレール、F1メキシコGP直前インタビュー:日本GPの接触は「完全に自分のミス。(ダブルペナルティに関しても)映像を見て納得した」
2019-10-25 152
フェルスタッペン直前インタビュー:過去2連勝のメキシコで厳しい表情「パワー面では追いついたが車体では完全に負けている」
「優勝争いのライバルはレッドブル・ホンダ」。フェラーリのベッテル、F1メキシコGPでの接戦を予想
F1メキシコGP木曜会見:地球環境に関心をもつハミルトン「ジェット機は1年以上前に売った。プラスチック製品は買わない」
シーズン残り4戦、ホンダはF1終盤をどう戦うのか、メキシコGP直前情報【モータースポーツ】
2019-10-25 110
レッドブルでF1メキシコGPを2連勝中のフェルスタッペン「ホンダとのメキシコGPはどうなるか分からない」
F1メキシコGP開幕、ルイス・ハミルトンがチャンピオンを決定するか!【モータースポーツ】
2019-10-25 106
F1メキシコGP:ハミルトンが6度目のF1タイトルを獲得するためのシナリオ。表彰台が最低条件
2019-10-25 143
トロロッソ・ホンダF1のガスリー、2年連続最後尾スタートの「ツキがないメキシコ」で入賞を狙う
2019-10-24 108
6度目のF1タイトルに王手のハミルトン、最難関メキシコでの決着に期待せず「フェラーリを倒すのは相当難しい」
初走行の鈴鹿で驚異的な習熟度を見せたアルボン。“攻めと守り”の走りで4位を確保【今宮純のF1日本GP採点】
2019-10-18 116
F1メキシコGPのタイヤ選択が明らかに。トップ3チーム、中団勢ともに選択にばらつき
【予選】フェラーリのベッテルVSルクレールが面白くなってきたと話題に【決勝】
日本車のシートって絶対手を抜くよな。30分位しか乗らない計算なのかな?
技を決めながら新型カタナをインプレッション!
2019-10-31 1117
絶景に映えるみなさんの愛車大公開【リトホンインスタ部vol.75】
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【海外試乗】アウディQ3スポーツバックは最新のマイルドハイブリッドを備えたスタイリッシュSUV
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シュワちゃんの『コマンドー』ほか、なんばパークスシネマ爆音映画祭、開催決定!
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【独占掲載】ドキュメンタリーの名匠が語る「看護師の卵たちを撮ったワケ」
2019-10-31 1135
BILSTEINをエナペタルでオーバーホール!前編【地球に帰るまで、もう少し。vol.29】
2019-10-31 61
「Z1000R」「CB1100R」不滅の人気車種が登場【日本バイク100年史 Vol.026】(1982年)<Webアルバム>
2019-10-31 82
軽自動車で高速に乗ってくる奴らwwwwwwwww
トレーラーヘッドバトルは達成感もひとしお。10月31日発売『FIA ヨーロピアン・トラックレーシングチャンピオンシップ』試遊レポート
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PSAとFCAとが合併合意!業界8位のフィアットクライスラー、9位のプジョー・シトロエン合体で一気に4位へ。なおプジョーのバイク部門はインドへ売却
2019-10-31 85
アフターファイアを自由に発生させるアフターファイアキットとは?
海外で流行っているスーパーカー動画。空吹かしをさせてアフターファイアを発生させるというもの。こんなにも簡単にアフターファイアって出るものなの?と疑問に思う人もいるだろう。アフターファイアを自由に発生させる方法は?
アフターファイアとは、不燃焼したガスがマフラーを通過する際に、熱を帯びたマフラー付近で爆発的に発火する事象をよんでいるが、
意図も簡単に発生させることは可能なのだろうか?
もちろん、空吹かしを繰り返すことで熱をおび始めると比較的発生させることができるアフターファイア。
しかし、海外では「アフターファイアーキット」と呼ばれる発生装置が存在する。
日本では販売されていないので海外から取り寄せることになる。
海外相場では3万円弱くらい。
仕組みは単純で、スイッチを押すと
エンジン内の点火を止め、不燃焼ガスを意図的に発生させる。
マフラーに穴を開けてプラグを取り付けてあり、
そのブラグが発火させるというもの。
ここまでくると意図的に着火させるパーツで、パフォーマンス以外にメリットは内容だ
ネットのコメント
「元気だねえ〜何かいい事でもあったのかい?」
「言い方があまい
やり直し」
「GTRいいですよね~💕」
「最新式のストーブです
一家に一台いかが?(笑)」
「アフターファイヤーと言うかアフターバーナー?」
「フレイムスロワーじゃないかな?」
「いい音やなぁ」
日産のs15シルビアにトヨタの2jzを搭載!圧倒的なパワーを手に入れたシルビア
日産を代表するスポーツカー、s15シルビア。パワーを得るために行われたエンジンスワップはトヨタの2jzエンジン。900馬力に達するエンジンパワーをえたシルビアが放つ圧倒的なパワー。
トヨタの2jzを搭載した日産のs15シルビア💨🔥
夢のエンジンスワップ?
日産のS15シルビアは、7代目となるシルビアで
直列4気筒SR20DET(ターボ)
250ps/6,400rpm
さらなるパワーアップを検討する場合、2リッターのSR20DETではやや役不足になる。
ハイパワーエンジンの代表格でもあるトヨタの2JZエンジン
3リッターの直列6気筒エンジン ツインターボ
s15シルビアが1000馬力近いハイパワーを手に入れることができる魔改造
コンパクトなFRスポーツに1000馬力のハイパワーエンジンを搭載したまさに「羊の皮をかぶった狼改造」がこれだ
すでに2JZに載せ替えるためのエンジンマウントパーツも登場しているほど
メジャーなエンジンスワップとなっている
ネットのコメント
「マシンガンみたいw」
「もはやシルビアとは言えない」
「もはやダイナマイトwww」
「ミスファイアリングにしてるのかな?」
「元気だねぇ〜!」
「おぉぉー!!耳が幸せ!」
「ミスファイつけてるのかな?」
「こういう車って動画だから派手だねぇと笑って見てられるけど隣近所の奴がこういうの乗ってたらウルサイとしか思わないんだろうなぁw」
ここまでできる最高の溝落とし。イニシャルDにも登場する溝落としをリアルでやってみるとこうなる
人気アニメ「イニシャルD」でも登場した溝落とし。昔からラリー競技で行われている溝落とし。リアルな溝落としのドラテクは年々進化を続け今ではこうなっている
この溝落とし最高にいい👍
自動車のイン側のタイヤをわざと溝に落とすことでより高い速度でコーナーをクリアするドライビングテクニックが
この溝落とし。
ミリ単位でコーナーの状況を見極めてタイヤを溝に落とし込む技術が必要。
ミスをすると足回りにも負荷がかかりクラッシュの引き金にもなりかねない溝落とし。
リスクをおかしながらも、高速コーナリングを実現するために攻めまくる1台のマシン
ネットのコメント
「インカット
観ていて気持ちいいですね」
「ルパーン」
「これはただのショートカット」
「藤原拓海と同等❗」
「リアル頭文字D」
走行中のランボルギーニが見せつける夜のアフターファイア
夜の高速を走るランボルギーニが走りながら奏でる爆音とアフターファイア。夜だけに美しい炎がはえて美しい。
走ってる最中のアフターファイア🔥はいいよな😏
ランボルギーニといえば、停車中に空吹かしをすることでアフターファイアを炸裂させる映像が多く見受けられる中、
今回の動画では走行中のランボルギーニから放たれるアフターファイアの映像なのである。
美しいエキゾーストサウンドと共に放たれるアフターファイアの美しさとは
ネットのコメント
「TAXi 3」
「ロケットエンジン点火‼️」
「ほぼニトロにしか見えん」
「憶測ですが本物のNOSは青い炎出ないと思います。」
「地上の戦闘機。✨」
「ずーーっと出っぱなしって凄い😳ガスバーナーでもマフラーに入ってるん?🙄」
「ニトロかな?」
「もはやジェットエンジン」
「ブーストオン!
エンジン臨界点へ
カウントスタート!!」
「戦闘機のアフターバーナーじゃん」
「どうせなら空を飛んで欲しい。」
F1のピット作業の最速は何秒?1秒82(レッドブルレーシングが叩き出した世界記録)
F1 ピット作業世界記録は、1秒82。動画で見てもあっという間に4本のタイヤが交換されF1マシンがピットアウトしていく。瞬き厳禁のF1ピット作業世界記録動画をご覧あれ
世界最速のモータースポーツF1
レース中に行われるピット作業も最速でなければならない。
2019年のブラジルグランプリで今までの世界記録が更新された
最速タイムは「1秒82」
レッドブルレーシングの最速ピットクルー💨💨💨💨
映像でもお分かりのように、4本のタイヤ交換は一瞬。
瞬きもできないほど一瞬で4本のタイヤが交換されピットアウトしていきます。
マジで速すぎるタイヤ交換!
ネットのコメント
「スローでもはやいわ」
「巻き込みごめなさい(´;ω;`)ウゥゥ」
「早っや笑」
「ピカピカのタイヤ」
「確かに、コレ見てて「おい、ちゃんと付いてるよねぇ⁉️」と思ってしまった😵💧」
「はやっ!」
「ついにウィリアムズのタイムを超えたか(・・;)」
「F1のピットクルーより、アメリカNASCARのピットクルーに頼む方が早いかもしれません…」
「むっちゃタイヤピカピカなの初めて見た」
「素晴らしいよねぇ😁✌️
サーキット場好きで、行くたびにじぶんもやってみたいって内心思ってるっ😁✌️
会社の同じ課の先輩が車レースやるから行ったりもして喜んでるっ😁✌️」
「これほどの練度は、どんだけ練習してるのかなぁと感心してしまいます。
来季は三つ巴の戦いでそれぞれ5勝で鈴鹿以降の終盤戦突入を期待したい。」
マカオGP2019 転倒者続出のガードレールに囲まれた市街地コースで多くのライダーが絡む大クラッシュ
毎年数々のクラッシュが発生しているマカオGP。今年のマカオGPでも多くのライダーが多重クラッシュしてしまうなど、危険と隣り合わせのマカオGPとは?
第66回となるマカオグランプリ。
ガードレールに囲まれた市街地コースで行われるマカオGPは、幾度となく多重クラッシュを生み出す
危険なグランプリ。
マシンの性能が上がりタイヤの性能が上がってもコースが狭く危険なコースだ。
2019年のマカオグランプリでは、不運にも2輪のレースで多重クラッシュが発生した。
ただでさえ、コーナーでは内側のガードレールに肩が擦れるなどコースギリギリを攻めるライダー達。
そして少しでもラインを間違えたり、オーバースピードでコーナーを攻めると即座にガードレールの餌食となる。
一度クラッシュが発生してしまうと、玉突きクラッシュが起きる危険なコースがマカオグランプリなのだ。
ネットのコメント
「マン島ちゃうねんから、あかんやろ⁉️市街地コースわ‼️レーサーの命考えたれよ❗️危なすぎや」
「市街地コースは、ちょっと…」
「転倒続出。🤔」
「コイツはひでぇや…!(; ・`д・´)」
「またこのコーナーか」
「分かってるのに毎年やるというwwwそして出場する選手も絶対やばいと思っていても出る不思議」
「マン島TTって知ってる?」
「魔のコーナー」
「コレはまだレース(クローズドコースでレスキューも待機してる)だからいいけど峠や一般道で飛ばしてる奴らに見せたいよね・・・」
「またここか...」
前の車のボディに映ったロードスターが寄り目になってて可愛すぎる😍
交差点で前の車のボディに映るとっても可愛いロードスター。自然に映るロードスターがなんだか寄り目になってとってもキュートなロードスターが誕生してしまう奇跡の動画
前の車のボディに映ったロードスターが寄り目になってて可愛すぎる。
奇跡のような一瞬をカメラに抑えた映像。
ただそれだけ。
ネットのコメント
「なんかこんなゆるキャラいたね😂👏」
「前方の車もマツダってのが良いね!」
「カーズかな?w」
ランエボは雪道が最高に似合うよな。雪道に強い三菱ランサーエボリューション
ラリーで鍛え抜かれた三菱ランサーエボリューション。実際のラリーの舞台で活躍するランエボが走る姿がこれ
とにかく、雪道を走るスピードではない!
信じられないほどの猛スピードで走り抜けるランサーエボリューションに感動するくらい目を惹かれてしまう。
三菱自動車が世界ラリー選手権(WRC)の出場を目指して製作したランサーエボリューション。
舗装路、未舗装路だけでなく、雪道という極めて不安定な路面でも高い走破性を魅せるランエボの4WDシステム
WRCでもスバルインプレッサと全盛期を作り上げた世界が認める名車
ネットのコメント
「雪道のランエボは最強ですね。
若い頃。エボ4を購入し初めて雪道を走った時は感動したなぁ。
速さよりも。
WRCベース車両の凄さを感じた。
雪道に対する限界領域がどんな車よりも高い。
雪道に対して強く。悪路になる程どんどん踏んでいける🚗」
「もはや走るというか滑ってるねww」
ただ走っているだけでカッコいいMAZDA RX-7(FC3S)
海外でもいまだに人気の高いJDM。MAZDA RX-7 (FC3S)の魅力に迫る。流れるように美しい流線型のボディがたまらない
FC好きな人多いんじゃないかな😏
1985年から1992年に発売されたサバンナRX-7
車好きの中ではFC3Sとしても認知されいて、
前期型と後期型が存在している。
リトラクタブルライトとボンネットにダクトを備えた特徴的なデザイン
13B-T型 水冷直列2ローターエンジン
205馬力を発生するFRスポーツ
ネットのコメント
「ロータリーサウンド♬
やっぱり良いね👍 🚗」
「頭文字Dの高橋涼介を彷彿とさせますw」
「あえてGTウイングでは無いのがJDMですよね(^^♪」
「美しい❗」