ロバート・クビサとは?

ロバート・クビサとは

ロバート・クビサ

ロバート・ユゼフ・クビツァ(Robert Józef Kubica, 1984年12月7日 - )は、ポーランド共和国クラクフ市出身のレーシングドライバー。

ワールド・シリーズ・バイ・ルノーの初代チャンピオンで、ポーランド人初のF1ドライバーである。

キリスト教の新約聖書に出てくる使徒聖ヤコブ(いわゆる「大ヤコブ」、英語のジェイコブ)のポーランド語読み「ヤクブ(Jakub)」の指小形「クーバ(Kuba、ヤクブちゃん)」より。Kubicaの意味は「ヤクブちゃん家(あるいは、ヤクブちゃんのセガレ)の…」なので、Robert Kubica はを字義どおりに解釈すると「ヤクブちゃん家のロベルト」の意味になる。この姓はポーランドでは南部のマウォポルスカ地方とその周辺に多い。特にタトラ山脈のある独特の「グラル人(山の人)」と呼ばれるポーランド人の間でよく見られる姓である。クビツァの出身地であるクラクフはかつてポーランド王国の首都が置かれるほど栄えた、マウォポルスカ地方の中心都市で、そこでは「Kubica」という姓は珍しくない。

日本語表記については、姓は「クビカ」、「クビサ」と表記されていたが、2006年シーズン途中でBMWザウバー広報から「クビカ」表記は止めて欲しいとのリリースがあった。しかし、クビツァと親しい川井一仁が本人に聞いたところ「クビカ」、「クビサ」、「クビツァ」を含めどの呼び方をされても気にはしていないようだとF1GPニュースで発言している。

F1関連のウェブサイトなどでは「ロバート・クビツァ」と表記するところが最も多い一方で、本来のポーランド語では「ロベルト・クビツァ」(例: サッカー選手のアンジェイ・クビツァ)、ポーランド南部の山岳地方では「ロベルト・クビッチャ」のように訛って発音するところ(グラル人など)もあり、2007年シーズンより、モータースポーツに手厚い東京中日スポーツを始め、朝日新聞、共同通信などメディアでは「ロベルト・クビツァ」へと表記の切替が行われている。アクセントはロベルトのロ、クビツァのビにつく。ポーランドでも人によってはアクセントを強調して「ローベルト・クビーツァ」と発音することがある。

なお、国際音声記号ではであり、これによればロベルト・クビツァがもっとも近い。また、英語圏のテレビ放送でも「クビーツァ」と母語に近い発音をしており、日本で多くのマスコミが使用する「クビサ」は少数派であるともいえる。

4歳の時に両親にねだって買ってもらった4馬力のオフロードカーが自身のキャリアの出発点である。クビツァはこの車でペットボトルの周りを運転して遊ぶことに日々熱中した。成長すると父親Arturはカートを与えたが、クビツァは当時幼く、10歳以上でなければポーランド・カート選手権(the Polish Karting Championship)に参戦できなかった。10歳になり参戦すると、3年で6つのタイトルを獲得した。

その後次のステップに進もうと考え、父親の勧めで単身イタリアに渡る。1998年に国際イタリア・ジュニアカート選手権の初の外国人チャンピオンとなり、ヨーロッパ・ジュニアカート選手権でシリーズ2位、ジュニア・モナコ・カートカップで勝利と、初年度から華々しい結果をあげた。翌年、イタリアでのタイトルを防衛し、ドイツ国際カート選手権に参戦。またジュニア・モナコ・カートカップで再び勝利、マルグッティ・トロフィーやエルフ・マスターズレースといった名のある大会でも勝利を収める。2000年、ヨーロッパおよび世界選手権でともに4位となり、カートでのキャリアを終える。

2000年にフォーミュラカーレースにステップアップ。フォーミュラ・ルノーのテストドライバーとなる。2001年にユーロカップとイタリア選手権への参戦を開始した。フォーミュラ・ルノーには翌年まで留まり、2002年にユーロカップをランキング7位、イタリア選手権では10戦中4勝をあげてランキング2位という結果で終えた。

2003年にF3ユーロシリーズへと参戦し、ランキング12位。2004年に同選手権でランキング7位、同年のマカオGPでは2位表彰台という結果を残した。

2005年には、この年ワールドシリーズ・バイ・ニッサンから改組されて新たな選手権の初年度として開催されたワールド・シリーズ・バイ・ルノーのエプシロン・ユースカディチームから参戦し、4勝を挙げて初代チャンピオンに輝いた。再びF3マカオGPにも参戦し、前年同様2位表彰台を獲得した。

同時に、この年はルノーやミナルディなどからF1のテストにも参加し、ステップアップへの足がかりを築いた。

2006年はBMWザウバーの第3ドライバーとして起用され、特にシーズン中盤になってチームが力をつけるにつれ、金曜日のフリー走行や、テストなどでも好タイムを記録した。レギュラードライバーのジャック・ヴィルヌーヴが第13戦ハンガリーGPを欠場したため、このレースにおいてポーランド人初のF1ドライバーとして急遽デビューを飾った。荒れたレースの中7位で初完走し入賞圏内でレースを終えたが、マシン重量が最低基準に2kg足りなかったため失格となった。その後、ヴィルヌーヴはそのままBMWザウバーから離脱したため、以降のレースも参戦することとなった。第15戦イタリアGPでは3位でフィニッシュし、デビュー3戦目にして初の表彰台に輝いた。しかし、残りのレースは入賞することは叶わず、結局この年の入賞はイタリアGPのみに留まったが、初年度にして3位表彰台を獲得する活躍を見せた。

2007年はマクラーレンとフェラーリが圧倒的な速さでシーズンを支配した。第3戦バーレーンGPからは3戦連続で入賞するも表彰台には手が届かず、BMWザウバーは苦戦が続いた。そんな中迎えた、第6戦カナダGPでは大クラッシュに見舞われた。オールドピットヘアピン手前の左コーナーでヤルノ・トゥルーリと接触。接触自体は軽かったもののコースアウトした際に芝生の段差でマシンが跳ね、前輪が浮き上がったままになったためにコントロール不能のまま直進し270km/hの速度でコンクリート壁に激突した。車体は跳ね返って数十メートルに渡り回転しながら移動し、ヘアピンのランオフエリアで横倒しになりようやく停止。特にフロント部分の破損が著しく、両足が露出するほどの凄まじいクラッシュだったため安否が気遣われたが、幸いにも軽い脳震盪と右足首捻挫のみと診断された。しかし、FIAの医師団の判断により第7戦アメリカGPは欠場した。第8戦フランスGPで復帰すると、残り10戦中8戦で入賞する安定感を見せたが、表彰台獲得には至らなかった。

この年は最高位は4位に留まり、ランキング6位に終わった。

2008年、開幕戦オーストラリアGPで予選での自己最高位である2位を記録。決勝ではレース中盤で中嶋一貴に追突されリタイアに追い込まれる。しかし、第2戦マレーシアGPでは自己最高位である2位を獲得し、約1年半年ぶりに表彰台へと上った。さらに第3戦バーレーンGPでは自身とチームにとって初のポールポジションを記録。決勝でもフェラーリの2台に続く3位でフィニッシュし、2戦連続表彰台に上った。また、第6戦モナコGPでもミスの無い走りで2位表彰台を獲得。市街地コースでの強さをアピールした。前年に大クラッシュに見舞われた第7戦カナダGPでは、完走が13台という荒れたレースを制し、ポーランド人として初優勝を飾ると共に、BMWザウバーにも初優勝をもたらした。この結果、ドライバーズランキングで初めてトップに立った。この飛躍の裏にはオフシーズンの大幅な減量で可能になったバラストの追加配分があったとされる。しかし、シーズンが進むに従って調子を落としていった。これはランキング上位に付けチャンピオン争いが可能にもかかわらず、シーズン後半には早々にチームが翌年の車の開発に比重を移してしまった事が影響しており、このチーム方針に対しクビツァは不満を呈していた。

この年は、優勝1回を含め7回の表彰台獲得、ポールポジション1回獲得などの活躍を見せ、シーズン終盤までタイトル争いに絡んだ。最終的に3位のキミ・ライコネンと同ポイントのランキング4位でシーズンを終えた。

2009年シーズンもBMWザウバーから参戦。この年投入されたマシンF1.09には前年ほどの競争力はなく、開幕戦オーストラリアGPで終盤に一時3位を走行する活躍は見せたものの、第10戦ハンガリーGPまでにポイントを獲得したレースは1回のみで、それ以外はポイント圏内はおろか、トップ10にすら入れないレースが続いた。
ベルギーGPでは予選5位を獲得し、決勝でも4位でチェッカーを受けた。第16戦ブラジルGPで雨で混乱が起きた予選では8位を獲得し、決勝では巧みな戦術と運転技術で久しぶりの表彰台となる2位になった。

10月7日にはルノーへの移籍を決め、次期のシートを獲得している。
2010年シーズンはルノーF1から参戦。シーズン前はチームの資金難が続きR30の開発が遅れたが、その後スポンサーが続々と決定され、また建設中であった新しい風洞試験装置が完成するとともに開発のスピードは上がっている。開幕戦バーレーンGPではスタート直後の1コーナーで前を走るマーク・ウェバーの車がエンジンオイル量過多のため突然白煙を噴いたことに驚いたエイドリアン・スーティルが急な進路変更をしクビツァのマシンに接触、クビツァとスーティルの2台のマシンはスピンした。2人ともすぐにレースに戻り、特にクビツァは最後尾から懸命の追い上げを見せたが11位でゴールし、惜しくもポイント獲得(10位までに与えられる)を逃した。
第2戦オーストラリアGPでは予選9位からスタート、混乱の中1周目に4番手まで順位を上げ、のち2位まで順位を上げた。その間メルセデスGPのニコ・ロズベルグ、マクラーレンのルイス・ハミルトン、フェラーリのフェリペ・マッサからゴールまで30周以上にわたって次々と激しい追撃に遭ったものの、巧みな運転技術でこれを封じて順位を死守したクビツァはそのまま2位でゴール、2010年初の表彰台を飾り、上位陣に比べて戦闘力が大幅に劣るといわれるルノーの現行マシンで、しかも上位陣の追い上げを巧みに抑え続けての表彰台獲得はフランスやドイツのメディアから「センセーショナル」と報じられ、2009年の第16戦ブラジルGPに引き続いて自己の高い実力を再度証明することになった。

また、得意の市街地サーキットである第6戦モナコGPでは予選で驚異的なパフォーマンスを発揮し、明らかにマシン性能で上回るドライバーらを抑えて2位を獲得すると、決勝ではスタートで1つ順位を落とすもののそのまま3位表彰台を獲得した。同じく市街地サーキットの第15戦シンガポールGPではレース終盤6位走行中にタイヤトラブルにより予定外のピットストップを強いられ13位に後退するも、新しいタイヤのグリップを活かして驚異的な追い上げをみせ、オーバーテイクが非常に難しいマリーナ・ベイ・サーキットで前にいるマシンをごぼう抜きしてみせた。結果落とした順位は僅か1つの7位でフィニッシュするなど、改めて市街地サーキットでの強さをみせた。

開幕前のバレンシアテストの最終日に新車R31で全体のトップタイムを記録するなど好調なスタートを切ったが、その直後の2月6日にイタリアで趣味でもあるラリーに参戦中大クラッシュ、手首を含む複数個所を骨折した(詳細は#事故を参照)。少なくとも、負傷箇所の完治だけでも10ヶ月以上かかる見込みであったため、2011年のF1世界選手権の欠場は避けられない状況になったうえ、レーサーとして復帰することすら絶望的と思われた(2012年から2017年の情報は#F1以外のレース活動を参照)。

2017年6月のバレンシアのテストセッションで6年ぶりにルノーのF1マシンをドライブ。116周を走破し、テストドライバーのセルゲイ・シロトキンを上回るタイムを記録。同年9月には、2016年のF1チャンピオンであるニコ・ロズベルグを共同マネージャーに起用することを発表。10月に入るとウィリアムズで2014年型マシンによる2回のテストも実施し、安定した速さでF1マシンを走らせることができる点をアピールした。

そのため、2017年シーズンを以て引退を予定していたウィリアムズのフェリペ・マッサの後任候補にクビツァの名前が浮上した。その後、アブダビGP後のアブダビでのテストではウィリアムズの2017年型マシンでテストにも参加した。最終的にウィリアムズはマッサの後任にセルゲイ・シロトキンの起用を決め、2018年のレギュラードライバーにはなれなかったものの、クビツァは同チームのリザーブドライバーとしてF1の世界に再び関わっていくこととなった。2018年シーズン中はスペインGPとオーストリアGPの金曜日フリー走行に出走。他にはチームが参加していた公式テストも担当した。

ウィリアムズのリザーブドライバーとして働きながらレギュラーシート獲得を目指していた時、サマーブレイク中に起きたランス・ストロールの父親で資産家のローレンス・ストロールが率いるがコンソーシアムがフォースインディアを買収した出来事が彼に大きく影響を与える。この影響で同チームの彼のシートが空く可能性が出てきたため、ウィリアムズは彼の後任を探し始める。その候補にはクビツァの名もあり、2019年から彼が同チームの正ドライバーになるのではという見方が出てきた。だが、ウィリアムズの資金難の影響で持参金などの金銭的メリットが重視され、アメリカGP前にその要素がないジョージ・ラッセルが起用されたことにより、もう一人のドライバーはその点が重要視されるという見方が強まった。そのため、実戦経験ではほかの候補を上回れても、その点がないに等しいクビツァは不利と見られ、一時はフェラーリのリザーブドライバー就任が有力視された。ところが、母国ポーランドの石油会社PKNオーレンが彼のための持参金を用意する情報が流れたのをきっかけに流れが変わった。当初は持参金が用意できるセルゲイ・シロトキンの続投やメルセデスから間接的な支援を得られるエステバン・オコンの起用が有力視されたが、2018年11月22日、ウィリアムズが日本円で10億円を超える支援金を確保したクビツァを翌年のレギュラードライバーに起用したことが発表された。これにより、クビツァのF1復帰が確定することとなった。

2017年の頃からテストという形でF1に関わっていたが、今シーズンからウィリアムズのレギュラードライバーとしてカムバックし、2010年アブダビGP以来8年ぶりの実戦となる。

2011年2月6日、イタリアで開催されたラリーイベント「ロンド・ディ・アンドラ(Rally Ronde di Andora)」で大クラッシュを喫した。シュコダ・ファビアS2000で参戦したクビツァは右から左へと連続して曲がる高速カーブでミスをしガードレールに接触した。事故ではガードレールがクビツァが駆っていたファビアの車体を正面から突き破り、クビツァは右腕の複雑骨折、左手、足などの単純骨折を負う重傷であった。その後医師達によってサヴォーナ県のピエトラ・リーグレにあるサンタコロナ病院にヘリコプターを使って搬送された。施術に伴う右腕切断の可能性も検討されたが、専門医による7時間にも渡る手術の末に切断という最悪の事態は免れた。しかし重傷である事には変わりなく、今後レースを続けられる程に右手の機能が回復するかどうかが懸念されている。また、クビツァの完治には10ヶ月以上かかるとみられ、2011年のF1世界選手権を欠場することが確定的であると報じられた。

2月8日、クビツァがクラッシュした様子のコンピュータシミュレートが公開された。シミュレーションでは右カーブが終わる際に車両後部左側をガードレールに接触させた反動で車体が過度に左に旋回し、ガードレールに正面から接触した。その際にガードレールの鉄板がボンネットから突き破って車内を貫通し、そのままハッチバックドアにまで至った。今回の事故は力点が分散する「面」での接触事故ではなく「線」での接触事故であり、車両設計の段階で安全基準をクリアしていても、重大事故を避けられない車両設計の難しさを露見する結果ともなった。この他にもクビツァの事故直後の様子を捉えた車載カメラの映像も公開され、後続車はクビツァの救助にあたるべく停車するが、マシンから煙があがるほど大破した車両を目の当たりにした後続車のドライバーとコ・ドライバーが大きく動揺している様子まで収められていた。

複数個所の骨折と、肺の損傷が認められた為に手術は複数回に分ける必要があった。一時期はICUに再び入るなど予断を許さない状況もあったが、2月16日に最後の手術を終え19日にリハビリ病棟に移った。

リハビリ中の2012年1月12日、自宅近くで散歩中に凍った路面で転倒し、右足脛骨を骨折した。しかし大事には至らず、半月後にはオートマチックの自家用車を運転できるまでに回復したと報じられた。

2012年9月、イタリアで行われたラリー「ロンデ・ゴミトロ・ディ・ラナ」に参戦してレース活動を再開、復帰戦を優勝で飾る。

2013年1月にはバレンシア・サーキットで行われたドイツツーリングカー選手権(DTM)のマシンテストにメルセデスから参加。このためDTM参戦が噂されたが、結局この年はDTMではなく世界ラリー選手権(WRC)の下位カテゴリーである「WRC2」にシトロエンから参戦。最終的に参戦した全7戦で5勝を挙げ、同年のWRC2チャンピオンを獲得した。なお、シフトチェンジは通常右手でシーケンシャルMTを操作するが、クビツァは特例により、ステアリング左側のパドルでセミAT操作をすることが認められた。

2014年はWRCに昇格し、ポーランドの石油会社ロトスの支援を受け、Mスポーツからフォード・フィエスタ RS WRCで参戦。ラリー・ポーランドのWRCカレンダー復帰にも協力するが、シリーズランキング16位と低調な結果に終わる。また、負傷した右腕の機能回復が思わしくないことから、F1復帰を事実上断念するような談話も出すようになった。

2015年は自らのチームである「RKワールドラリーチーム」を結成しWRCへの参戦を継続。しかし財政的な問題に悩まされ、さらにはマシンメンテナンスの委託先とのパートナーシップが決裂するなどの問題も抱えたため、結局2016年のWRC開幕戦であるラリー・モンテカルロを最後にWRC参戦を終了した。

2016年3月にはムジェロ・サーキットで開かれた12時間耐久レースに参戦し、2011年の事故以来初めてサーキットでのレースに復帰した。2017年は「国際的なレースに復帰するフィジカル的な準備ができた」と判断し、バイコレスのLMP1チームよりFIA 世界耐久選手権 (WEC) にフル参戦する予定だったが、後に脱退し参戦を断念している

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