どうしてもミッション車に乗りたくて、新車で買えるホンダのMT車を探しているのですが、今買えるホンダのMT車はなんですか?
タイヤ・タイヤ交換に関する質問
では、 活動の歴史について記述する。レクサス、サイオン、GRなどの同社のブランドや豊田自動織機などトヨタグループの企業の活動に関してもここで述べる。
活動の最大の特徴は、ジャンルを問わない幅広さである。1960年代から今日に至るまで、プロトタイプカー・ツーリングカー・GT・ラリー・フォーミュラカー・オフロード・ストックカー・ダートオーバル・ドラッグレース・ヒルクライム、ドリフトなどあらゆる四輪競技に競技者あるいは支援者の形で関わり、数多の勝利とタイトルを収めてきた。
世界選手権においてはWRCで3度、WECで1度マニュファクチャラーズタイトルを獲得。また北米ではデイトナ500、インディ500、デイトナ24時間、セブリング12時間、パイクスピーク・ヒルクライム、バハ1000といった主要レース全てで総合優勝したことがあり、インディカー、NASCAR、IMSA、フォーミュラ・ドリフトなどシリーズ戦でもマニュファクチャラーズチャンピオンにも輝いた。
自らもドライバーとしてニュルブルクリンク24時間レースなどに参戦する豊田章男が社長に就任して以降は、トヨタのモータースポーツ活動はTOYOTA GAZOO Racing(TGR)のブランドのもとに「もっといいクルマづくり」「クルマファンづくり」の象徴として市販車開発とも強く関連づけられるようになった。その姿勢の原点として、創業者である豊田喜一郎の言葉が引用されている。
1960年代の体制はトヨタ自動車工業(自工)とトヨタ自動車販売(自販)の2系列に分かれていた。自工では第一回日本グランプリをきっかけに、自工・自販・ダイハツ・ヤマハ発動機・日本電装(現デンソー)のレース好きが集まる第7技術部(通称「ナナギ」)が発足。第7技術部は市販車の改造に加えてスポーツプロトタイプを開発し、ワークス格の「チーム・トヨタ」が日本グランプリなどの主要イベントに参戦した。自販はトヨペットサービスセンター特殊開発部(通称「綱島」)がツーリングカーのチューニングを行い、若手ドライバー主体のセミワークス的な活動を行った。
1971年にはワークス活動からクラブチームのTMSC-Rを支援するセミワークスに切り替えたが、オイルショックの影響で1974年に国内のレース活動を休止する。一方で海外では世界ラリー選手権 (WRC) に参戦する「トヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) 」への支援を継続した。
2000年には富士スピードウェイを買収し、約200億円を投じて近代化改修を行い、2007年と2008年にはF1日本グランプリを開催。2012年からはWECを招致している。
なお1981年にレース活動を再開してからは、系列3部門が各地域のモータースポーツ活動を担当した。これらの部門の統括は従来本社のモータースポーツ部 (MSD) が担当していたが、2014年の組織改編でMSDは「モータースポーツユニット開発部」と名称を変更して技術系の業務に専念することになり、マーケティングについてはトヨタ全体のマーケティングを担当するトヨタモーターセールス&マーケティング(TMSM)に移管され分裂。
しかし2015年には組織改編で再びモータースポーツ活動全般の機能をトヨタ本社に集約することになり、新たに設けられた「モータースポーツ本部」が開発・マーケティングの双方を統括、「GAZOO Racing」の統一名称で活動を行うことになった。
1957年(昭和32年)、オーストラリア1周ラリーに招待され、クラウンで出場して完走、総合47位(外国賞3位)となった。これがトヨタのモータースポーツ活動の原点であるとされる。
その後、1973年(昭和48年)から1999年(平成11年)まで世界ラリー選手権(WRC)にトヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) がカローラレビン、セリカ、スープラで参戦していた。1975年(昭和50年)の1000湖ラリー(フィンランド)での、カローラレビンによるWRC初制覇に始まり、TA64型セリカで1984年(昭和59年)、1985年(昭和60年)、1986年(昭和61年)とサファリラリー3連覇を達成した。
1988年(昭和63年)、WRC王座獲得を目指すべくツール・ド・コルス(フランス)でグループA規定のST165型セリカをデビューさせ、当時最強を誇っていた王者ランチアに挑み、熾烈な戦いを繰り広げることになる。そして1990年(平成2年)、ついにランチアを打ち破ってカルロス・サインツ/ルイス・モヤ組が日本車初のドライバーズチャンピオンを獲得する(スペイン人としても初)。またST185型セリカにスイッチした1992年(平成4年)にもサインツはチャンピオンになる。
1993年(平成5年)には日本の自動車メーカーとして初めてマニュファクチャラーズタイトルを獲得(ドライバーズとの2冠)、1994年(平成6年)も続けてダブルタイトルを制覇した。1994年(平成6年)のサンレモ・ラリーでは、ユハ・カンクネン/ニッキー・グリスト組により、ST185型セリカに変わってST205型セリカがデビューした。
1995年(平成7年)はST205の開発がうまくいかず、わずか1勝と苦戦。そしてラリー・カタルーニャでエンジンの吸気量を制限するリストリクターに意図的に細工を施すという行為が発覚した。エアリストリクターが装着されたトランペット状の部品単体では問題ないが、エンジンに取り付けると吸気の負圧でパーツがスライドして隙間ができ、その隙間から空気を吸入しパワーを上げるというものだった。国際自動車連盟 (FIA) は1995年(平成7年)シーズンのドライバー及びマニュファクチャラーの全ポイント剥奪と1996年終了までの出場停止処分を発表した。トヨタ側はこの処分を重く受け止め、さらに一年間活動を自粛したが、後にトヨタ復帰を願う声を受けて1997年の終盤にテストを兼ねて参戦を再開した。
このときセリカ譲りの3S‐GTEエンジンを搭載した、よりコンパクトなカローラWRCへとスイッチしており、このWRカーはすぐにタイトルを争う戦闘力を発揮。1998年(平成10年)はオリオールに加えて、サインツがフォードから移籍。サインツが開幕戦で優勝を飾るなど2勝をマークし、マニュファクチャラーズランキング2位でシーズンを終えた。最終戦はサインツがタイトルまであとわずか数百メートルというところでエンジンブローという悲劇的なものだった。
1999年(平成11年)は優勝こそチャイナ・ラリーのみだったもののコンスタントに上位入賞を繰り返し、5年ぶり3度目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。しかし、サンレモラリーの直前にTTEはWRC撤退とF1参戦を発表、27年にも及ぶ日本最大のマニュファクチャラーのラリーへの挑戦は7度のタイトルと43度の勝利を持って幕を閉じた。
2015年(平成27年)1月30日にトヨタはWRCへの復帰を表明し、2017年(平成29年)からヤリスWRCで参戦開始。シャーシ開発とオペレーションをトミ・マキネン・レーシング、エンジン開発はTMGが担当する。開幕前はマシン開発の遅れが懸念されていたが、フォルクスワーゲンから移籍してきたヤリ=マティ・ラトバラ/ミイカ・アンティラ組が復帰初戦ラリー・モンテカルロで2位表彰台、2戦目のラリー・スウェーデンで早くも優勝を果たした。2018年には後半にオィット・タナック/マルティン・ヤルヴェオヤ組が3連勝を達成して終盤にマニュファクチャラーズランキング首位に浮上し、そのままタイトルを手中に収めた。
2018年終了時点の通算成績はドライバーズタイトル4回、マニュファクチャラーズタイトル4回、勝利数50勝である。
1983年にカール・ウェルズのPPI(Precision Preparation, Inc.)を支援する形で、北米のラリーレイド及びクローズドで開催されるオフロードレースに参戦。初年度でのドライバー・メーカータイトルを獲得した。以降1984年から1999年までオフロード界を席巻し、のマニュファクチャラーズタイトルを11連覇した。その後もタンドラ・タコマがトラックを用いたオフロードレースで現在に至るまで圧倒的な活躍を見せ、MTEG、、などの各団体で圧倒的な数の総合タイトルをさらっていった。また1992年と1999年にはバハ1000で総合優勝を果たしている。
北米以外では、1995年からはトヨタ車体がTLC(チーム・ランドクルーザー)を組織してランドクルーザーでダカールラリーに挑戦しており、市販車無改造のディーゼル部門において1996年から2018年までの21回の開催中、6連覇を3度含む18回のクラス優勝を手にしている。
2012年からは南アフリカ法人のトヨタが改造したハイラックスで最高峰クラスに挑戦、2019年に8台体制を敷いてきたMINIのワークス勢を破ってナッサー・アル=アティヤ/マシュー・バウメル組が念願の総合優勝を果たした。。このハイラックスはクロスカントリーラリー・ワールドカップにも参戦しており、2016・2017年にアル=アティヤ/バウメルによってドライバー・チームタイトルを獲得している。
耐久性の高いトヨタ車はプライベーターチームの間でも人気があり、ランドクルーザー、ハイラックス、スターレット、カリーナ、カローラレビンなどが古くから参戦した。1982年には久保田勝/内田正洋組がカリーナ1500で市販車無改造・2輪駆動・バギー・マラソンの4部門において優勝するという快挙を成し遂げた。
また2017年のダカールは、四輪車部門79台のうち36台がトヨタ車という人気ぶりであった。
ヴィッツの生産を担当している豊田自動織機がチームを組織して、ヴィッツによるラリー活動を行っている。同社の社員でもある天野智之/井上裕紀子組が猛威を振るい、同チームは9年連続でクラスチャンピオンを獲得している。
また「凄腕技能養成部」を編入したTOYOTA GAZOO Racingが2015年から参戦し、スポーツCVTの研究やヴィッツGRMNによる挑戦をしている。
トヨタが初めてスポーツプロトタイプのレースに参加したのは1966年(昭和41年)の第3回日本グランプリである。ただしマシンは市販前の2000GTで純粋なレーシングカーではなく、プロトタイプカーのポルシェ906やプリンスR380に後れを取っていた。
トヨタは1967年の第4回日本グランプリを欠場して、翌1968年(昭和43年)に自社初のプロトタイプレーシングマシン、3リッターV型8気筒エンジン搭載のトヨタ・7をデビューさせる。5月の'68日本グランプリでは日産・R381に敗れたものの、その他のレースで勝利を収める。日産が日本グランプリ以外に消極的であったのに対して、トヨタは耐久レースに積極的に参戦したため「耐久のトヨタ」と呼ばれた。
翌1969年(昭和44年)には5リッターV型8気筒エンジンを搭載するトヨタ・7の第2期モデルが登場する。このマシンもデビュー戦の7月の富士1000kmで勝利を収め、続く8月のNETスピードカップも日産R381を破り優勝。また11月の第2回日本Can-Amも制するが、肝心の10月の日本グランプリでは6リッターV型12気筒エンジンを搭載する日産・R382の前にまたも涙を飲んだ。
翌年に向けてトヨタは日本初の5リッターV型8気筒エンジンにターボチャージャーを装着した第3期モデルのトヨタ・7を開発するが、日産が1970年の日本グランプリの欠場を表明したため、トヨタも欠場することとなる。トヨタの目は世界に向けられ、トヨタ・7ターボでのCan-Amへの挑戦を決意するが、それが決定したまさにその日、鈴鹿サーキットでトヨタ・7ターボをテスト中の川合稔が事故死、これによりトヨタ・7のプロジェクトは白紙にされてしまう。以降1980年代までトヨタはプロトタイプカーのレース活動を中断することになる。
1975年(昭和50年)にはシグマ・オートモーティブ(SARDの前身)にエンジンを供給し、シグマ・MC-75がル・マン24時間レースに参戦した。また、1973年にマツダのロータリーエンジンを搭載したシグマ・MC-73のリアウィングには「TOYOTA」のスポンサーロゴが書かれている。
1982年(昭和57年)に世界耐久選手権(WEC)の日本ラウンド (WEC-JAPAN) が初開催されると、童夢とトムスが共同開発したグループCカー、トムス童夢・セリカCにWRC用エンジンをベースにした4気筒ターボエンジンを供給した。
1983年(昭和58年)から始まる全日本耐久選手権(1987年(昭和62年)より全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権=JSPC)にも参戦。童夢とトムスの共同開発によるトムス・83C(1983年) - 88C(1988年(昭和63年))を経て、8気筒ターボエンジンを新開発し、88C-V(1988年) - 92C-V(1992年(平成4年))を送り込む。1987年(昭和62年)からはトヨタの名を冠した「トヨタチームトムス」として参戦を開始。TRDが開発を主導することになり、マシン名も「トムス」から「トヨタ」となり、オイルショック以降中断していたワークス活動の事実上の再開となった。
1985年(昭和60年)からはル・マン24時間レースにも参戦を開始し、1989年にはイギリスのトムスGBを拠点として世界スポーツプロトタイプ選手権 (WSPC) にもフル参戦する。ル・マンには1990年(平成2年)まではターボエンジン車で参戦し、1992年、1993年には当時のF1と同じ規定で造られた自然吸気3.5リッター10気筒エンジンを搭載したTS010で参戦。1992年のスポーツカー世界選手権 (SWC) 第1戦のモンツァで、日本人の小河等が優勝している。同年のル・マンでは関谷正徳が日本人で初めて総合2位表彰台に上がった。
1993年にはサードの93C-VがC2クラス優勝を獲得している。1994年にはサードが92C-Vを改造した94C-Vで出場、しかしポルシェ962CをGTとして改造した掟破りとも言えるダウアー962GTの前にまたも2位に終わる(LMP1/C90クラス優勝)。1995・1996年には続けてサードがスープラでGT1クラスに参戦したが、クラス8位・15位に終わった。
1998年(平成10年)から1999年(平成11年)にかけては、TTEを中心に開発したToyota GT-One (TS020)でル・マンに参戦。マシン性能は他社に比べて優れていたが、マシントラブルのために最高成績は1999年の総合2位止まりに終わる(LMGTPクラス優勝)。
その後10年以上はF1参戦のため途絶えていたが、2012年にハイブリッドエンジンを搭載するTS030 HYBRIDで、ル・マン24時間を含むFIA 世界耐久選手権に復帰。オペレーションはTMGとオレカがジョイントして行うことになった。日本人ドライバーとして石浦宏明が参戦する予定であったが、腰を痛めていたこともあり中嶋一貴が代わりに参戦、そのままレギュラーとなった。
TS030はル・マンでは途中首位を奪うシーンもあったものの、2012年は2車ともリタイヤ、翌2013年のル・マンは2位と4位に終わった。しかしWECでは活躍し、2012年のFIA 世界耐久選手権6戦と2013年のFIA 世界耐久選手権全8戦の計14戦中5勝を挙げた。
2014年からはトヨタ初の四輪駆動LMP1であるTS040 HYBRIDを投入した。ル・マンでは中嶋一貴が日本人で初めてPPを獲るものの、豪雨でのクラッシュとマシントラブルで3位に終わった。一方WECでは全8戦に出場し5戦で優勝したことによりマニュファクチャラーズランキングとドライバーズランキング(トヨタ2車が同点優勝)の両方で悲願のスポーツカーの世界選手権タイトル獲得を果たした。
2015年は、大量の開発費を投入してル・マンで5秒ものタイムゲインをしたポルシェ・アウディについていくことができず、良いところ無く一年を終えている。
2016年はル・マンで勝利することのみを主眼に置いたTS050を、突貫で開発し一年前倒しで投入。その甲斐あってル・マンでは終始有利な展開で進めたが、残り数時間で2位争いをしていた小林可夢偉がスピンし、ポルシェに2位を盤石にされる。さらに残り6分でトップ快走中の中嶋一貴のマシンに駆動系トラブルが発生、ホームストレート上にストップし、ル・マン制覇の悲願は露と消えた。またWECでは苦戦を強いられたが、富士では戦略とこの年デビューした小林可夢偉の頑張りによって2秒差でアウディから逃げ切って約二年ぶりの勝利を挙げた。
2017年のル・マンは三台体制となり、3台目に前年スーパーフォーミュラ王者の国本雄資がエントリーした。ル・マンでは小林可夢偉がコースレコードを更新する走りで予選ポールポジションを奪取。決勝も最初の6時間を1-2体制でレースを支配したものの、3台ともトラブルに見舞われた。特にトップを快走していた7号車のトラブルは、夜間のSC中のピット出口の赤信号で止まっていたところ、マーシャルと同じ橙色のレーシングスーツを着たアマチュアドライバーが応援のためにサムアップしに来たのを、発信可の合図と勘違いした結果起きたという信じられないアクシデントによるものだった。結局この年は8号車が総合8位(クラス2位)に入るにとどまった。WECシリーズを通してはル・マン以降は劣勢であったもののその後挽回し、タイトルには届かなかったが、優勝回数でポルシェを上回った。
2018年のル・マンはTS050二台体制で出場し、セバスチャン・ブエミ、フェルナンド・アロンソ、中嶋一貴の8号車が優勝、小林可夢偉らの7号車が2位となり、20回目の挑戦にして初めてル・マン総合優勝を成し遂げた。日本メーカーとしてはマツダ(マツダ・787B)以来27年ぶり2度目、日本人ドライバーとしては荒聖治(チーム郷、アウディ・R8)以来14年ぶり3度目のル・マン総合優勝であり、日本メーカーの車両に日本人ドライバーが搭乗して優勝するのは初めてであった。
1968年SCCAに2000GTが参戦したのが、トヨタの北米スポーツカー初参戦となる(年間クラス4位)。その後はトヨタ・7での北米進出を目論んだが、前出の通り頓挫した。
1981年にIMSAのGTUクラスにセリカを投入。1983年にはダン・ガーニー率いるオール・アメリカン・レーサーズ (AAR) と提携し、1985年にGTOクラス初優勝を経て、1987年に日本メーカーとして初めてGTOクラスタイトル獲得した。
1989年よりIMSA最高クラスのGTPクラスにステップアップ。1991年にはトヨタの2.1リッター直4ターボエンジン(3S-G改)を搭載するイーグル・マークIIIを投入。ライバルが戦意喪失して撤退するほどの勝ちまくりぶりで、1992年と1993年にドライバーズ(ファン・マヌエル・ファンジオ2世)とマニュファクチャラーズタイトルを連覇、1993年デイトナ24時間レースと1992・1993年セブリング12時間レースでも勝利を収めた。なお1993年のタイトルは全戦全勝で収めている。
2004年から2009年にもレクサスのエンジンを供給する形でグランダムのロレックス・スポーツカーシリーズに参戦、チップ・ガナッシとともにデイトナ24時間を3連覇、2008年のドライバーズタイトルを獲得している。
ニュルの耐久レースに始めて参戦したのは、1973年のセリカ1600GTが初であった。6時間耐久であったこのレースには、後に豊田章男の人生の師となる成瀬弘もドライバーとして参戦していた。ピットのガレージを用意してもらえず、傘をさして屋外で作業するなど過酷な環境の中2リットルクラスで優勝(総合6位)し、会場から拍手が巻き起こった。なおこのセリカは同年スパ24時間にも参戦し、クラス優勝(総合9位)を獲得している
2005年にはハイブリッドカーのレクサス・RX400hで参戦。完走させることに成功した。
2007年にはTeam Gazooとして当時のトヨタ副社長である豊田章男が社員だけで構成されたチームを率いて、SP3クラスにアルテッツァRS200二台で参戦。当初は「トヨタ」を名乗ることが許されなかったというが、豊田が社長に就任してからも差別化のためかあえて「トヨタ」を名乗らずに活動を続けた。なお、現在も用いられている黒と赤の「GR」のロゴは2010年から使われている。
2008年には発売前のLFAがSP8クラスに参戦。以降2009~2011年にLFAの2台体制で参戦、2010年にクラス優勝した。なお、このとき同じピットであったアストンマーティンのCEO・ベッツと章男は親交を深め、2012年のVLNのコラボレーション参戦や、トヨタ・iQをベースにしたアストンマーティン・シグネットの誕生が実現している。
2012~2013年はLFAを1台に減らし、代わりにこの年発売となった86を2台採用した。2013年にLFAがSP8、86がSP3クラスで優勝を飾った。
2014年はLFA、86各1台に加えてLFAの特別仕様車「LFA Code X」がSP-PROクラスに参戦。3クラス全ての参戦車両がクラス優勝を収めた。
2015年はLFA Code XとレクサスRCの二台体制で、LFA Code Xが前年に引き続きクラス優勝した。
2016年はレクサス・RCとRC-Fに加え、2005年以来となるSUVのC-HR Racingが参戦。これに市販車C-HRの開発責任者も乗り込み、燃料計算のミスなどはあったものの完走。半年後の発売に向けて実りあるテストになった。
2017年はSP3TクラスにRC一台のみで参戦。スバル・WRX、アウディTT RS2との三つ巴の戦いの中、スバルを上回るクラス2位を獲得した。
2018年はSP-PROクラスに研究開発目的のレクサス・LCを投入。トラブルに見舞われながらも完走を果たした。
フォーミュラにおけるトヨタは、1974年にイタリアのノバ社がチューニングしたトヨタ2T-GエンジンがヨーロッパのF3界を席巻したことに始まる。特にイギリスF3では9年連続でチャンピオンエンジンになる強さを見せた。このエンジンは日本にも逆輸入され、1979年から始まった全日本F3選手権でも他メーカーを圧倒した。そのため中嶋悟が1978年にイギリスF3に参戦した際もトヨタエンジンを用いている。
1980年代にはトムスがチューニングした3S-GEエンジンが登場し、こちらもライバルの無限を圧倒して多くのタイトルを獲得している。またマカオGPでも通算7勝を挙げる活躍を見せており、1983年にアイルトン・セナがマカオGPを制したときのマシンもトヨタエンジンを搭載していた
。全日本F3へのエンジン供給は現在まで続いており、最もチャンピオンを輩出しているエンジンとなっている。また1989年から2005年までフォーミュラ・アトランティックにTRD USAのチューニングした4A-GEエンジンを供給したり、1991年から2007年までフォーミュラ・トヨタを、2005年から現在までオセアニアでトヨタ・レーシング・シリーズを開催するなど、育成としてのフォーミュラには特に積極的である。またトヨタは関わってはいないが、ユーロフォーミュラ・オープンでも前身であるスペイン選手権の2001年以来現在までトヨタエンジンが使用されている。
トヨタ初のビッグフォーミュラ参戦は1996年(平成8年)アメリカのチャンピオンシップシリーズ (CART) である。エンジン供給の形で、IMSAでもジョイントしていたAARと参戦したが、当初は戦闘力も信頼性も無くエンジンの熟成には時間を要した。しかし2000年(平成12年)にはファン・パブロ・モントーヤのドライブでCART初勝利を達成。2002年(平成14年)にはドライバーズ(クリスチアーノ・ダ・マッタ)、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。
2003年(平成15年)からはホンダと共にインディカー・シリーズへ転身し、世界3大レースのひとつであるインディ500を日本メーカーとして初めて制覇。さらに参戦初年でドライバーズ(スコット・ディクソン)、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。しかし2005年にNASCARに集中するとして撤退した。
F1にはシャーシ・エンジンとも自製するフルコンストラクターとして2002年(平成14年)から参戦。エンジンはウィリアムズにも供給された。しかしリーマン・ショックの影響で2009年(平成21年)シーズン終了後に撤退を表明した。ポールポジション3回と13回の表彰台を獲得したが、コンストラクターズランキングは最高4位に留まり、優勝は一度も達成できなかった。
国内では2006年(平成18年)より現在までフォーミュラ・ニッポン・スーパーフォーミュラにエンジンを供給している。2018年現在までトヨタ勢はホンダ勢を圧倒し続けており、13年間のうちにドライバータイトル10回・チームタイトルを12回獲得している。
1963年(昭和38年)に初開催された日本GPにパブリカ、コロナ、クラウンが出場。「レースには積極的に関与しない」という国産メーカー間の紳士協定の裏で、トヨタ自工は密かにチューンした「裏ワークスマシン」を投入して出場3クラスを制覇した。その成績を大々的に宣伝したことがプリンスなど他メーカーを刺激し、ワークス対決のきっかけとなる。
市販車ベースのレースでは、2000GTと1600GTやS800が活躍した。1966年の鈴鹿1000kmレースでは二台の2000GTでワンツーフィニッシュ、翌年も鈴鹿500kmレースで優勝、1967年の富士24時間レースではスポーツ800とともに3台揃ってデイトナフィニッシュする完勝を収めた。1600GTのプロトタイプは「RTX」の名で自工ワークスが使用し、ツーリングカーの公認を得てからはプライベーターにも愛用され、日産スカイライン2000GTの牙城を崩した。
1970年代はカローラ / スプリンター、セリカ、スターレットなどが活躍。ワークス活動休止後はプライベーターに放出され、マイナーツーリングレースで激戦を展開した。1982・1986・1987年にはイギリスツーリングカー選手権(BTCC)でカローラがドライバーズ王者マシンになった。1991年から1995年にはワークスで参戦し、多くの勝利を挙げたもののタイトル獲得はならなかった。
1994 - 1998年には全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) に参戦し、ドライバー部門で2度、チーム部門で1度タイトルを獲得。1994年(平成6年)第4戦からは全日本GT選手権(JGTC:現・SUPER GT)に参戦。GT500クラスでは2005年までスープラで4回、2006~2013年はレクサスSCで3回、2014~2016年はRC Fで1回、2017~2018年はLC500で1回ドライバーズチャンピオンを獲得している。
GT300クラスにもレクサスISやMR-Sで参戦、MR-Sではaprの運用により3回のドライバーのドライバーズタイトルを獲得した。2009年からはカローラアクシオ、2012年よりプリウスに車両が変わっている。また2015年よりLM corsaによってRC F GT3が参戦している。また開発・生産には関わってはいないが、2015年から導入されたマザーシャシーに86の外観が用いられている。
2017年からはレクサス RC-F GT3で海外にも戦場を求め始めており、IMSAのGTDクラスと欧州のGTオープンにセミワークス参戦を開始。2018年にIMSA及びブランパン耐久で初優勝を挙げている。
2000年(平成12年)、アメリカのストックカーレースであるNASCARのグッディーズダッシュシリーズにV6エンジンのセリカで参戦したのが最初である。2001年、2002年と総合2位になった後、2003年には初めてNASCARの主催するシリーズでドライバーズタイトルを獲得した。
2004年(平成16年)にはNASCAR三大シリーズの一つであるクラフツマントラックシリーズ(現・キャンピング・ワールド・トラック・シリーズ)にタンドラでステップアップ。三年目の2006年(平成18年)にはドライバーズ、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得。その後2017年に至るまで当シリーズで最もマニュファクチャラーズタイトル獲得数の多いメーカーとなって猛威を振るっている。
トヨタ北米進出50周年でもある2007年には、最高峰にあたるネクステルカップシリーズ(現・モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ)とブッシュシリーズ(現・エクスフィニティ・シリーズ)へカムリでデビュー。翌年の第4戦アトランタで、外国車メーカーとしては1954年(昭和29年)のジャガー以来、日本車メーカーとしては初となる最高峰カテゴリーでの優勝を果たした。
2015年にはカムリを駆るカイル・ブッシュが骨折により開幕戦から11戦目まで欠場という絶望的な状況を大逆転し、日本車初の最高峰でのドライバーズタイトルをもたらした。2016年にはデニー・ハムリンがやはり日本車初となるデイトナ500優勝、シリーズでも日本車初(アメリカ以外の自動車メーカーとしても初)のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。なお2016年はエクスフィニティ・シリーズでドライバー・マニュファクチャラー・オーナー・ルーキー、キャンピング・ワールド・トラック・シリーズでもマニュファクチャラー・オーナー・ルーキータイトルを獲得しており、三大シリーズ戦のマニュファクチャラー部門全てをトヨタが制す大成功の年となった。また同年トヨタのマーティン・トゥーレックス・ジュニアがコカ・コーラ600で全400周中392周、588マイルというリードラップ最長記録を達成している。
2017年はシーズン前半は苦労したが、後半からトゥーレックス・ジュニアとブッシュが2人で13勝(トヨタ全体では19勝)を挙げる活躍を見せた。最終戦ではトゥーレックス・ジュニアが優勝し、ドライバー・マニュファクチャラー・オーナー・ルーキーの四冠を同時に達成した。
ドラッグカー最大のシリーズであるNHRAに2002年からTRD USAの開発したセリカベースのマシンで、ファニーカークラスから参戦を開始。2004年に初勝利を挙げ、2008年にソアラ、2015年にカムリでクラスタイトルを獲得した。最高峰のトップフューエルクラスにはマルコ・ツールズとジョイントして2010年に転向、その年にタイトルを獲得。その後2011年・2012・2015・2016年にもドライバーズタイトルを勝ちとった。
パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムにも参戦しており、TRD USAが開発したセリカGT AWDターボをロッド・ミレンがドライブし、1994・1996・1997年に総合優勝。1998~1999年はタコマにマシンを替えてこれも連覇、合計5度の総合優勝を成し遂げている。なお1994年のコースレコードは、2007年に破られるまで最速タイムであった。2012年にもTMGの開発したEVユニットを搭載した『EV P002』が哀川翔率いるチームのもと参戦し、EVクラス優勝(総合6位)を果たし、コースレコードも樹立した。
フォーミュラ・ドリフトでは若者向け北米限定ブランドサイオンのチーム『サイオン・レーシング』を組織して2008年から参戦。マシン開発及びらの支援をして、4度のマニュファクチャラーズカップを獲得した。サイオンブランドが廃止になって以降もトヨタ・レーシング名義で参戦している。
日本のD1グランプリではワークスでは関わってはいないが、OTGモータースポーツは2013年から86にTRD USA製のNASCARのV8エンジンを搭載している。
ダートオーバルにも参画しており、2006年からUSACの主催するミジェットカー・スプリントカーレースにエンジンを供給している。
2018年11月に初開催された第1回グランツーリスモ選手権マニュファクチャラーシリーズに参戦し、レクサスとトヨタで1-2フィニッシュを飾った。
2019年にTOYOTA GAZOO Racingはe-Motorsportsに本格的に参入することを表明し、手始めにグランツーリスモSPORTとの協力により、新型GRスープラを用いたe-Sportのワンメイクレース『GR SUPRA GT Cup』を開催するとしている。
アマチュアおよびモータースポーツ入門者向けのカテゴリとして、大規模なワンメイクレースの運営を行っている。1981年には国内初のワンメイクレースとして「スターレット・グランドカップ」を創設。2000年にはこれを引き継いで、ヴィッツやアルテッツァで参加する「ネッツカップ」を開催。ヴィッツレースは趣味で参加できる「ナンバー付き車両レース」として2018年現在も人気を博している。
2013年には86及びスバル・BRZによって争われる「GAZOO Racing 86/BRZ Race」もスタートさせ、多数のプロドライバーやタイヤメーカーが参入する一大カテゴリに成長している。
フォーミュラカーでは1991年(平成3年)より2007年(平成19年)までジュニア・フォーミュラシリーズとしてフォーミュラ・トヨタを主催。2006年(平成18年)~2013年(平成25年)には日産・ホンダと共同でフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)を運営していた。また若手レーシングドライバー育成プロジェクトとしてフォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)やトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)を運営。中嶋一貴、小林可夢偉をF1ドライバーとしてデビューさせた。また2004年からニュージーランドで、若手育成のためにF3相当のを開催し、ブレンドン・ハートレイ、アール・バンバー、ニック・キャシディらを輩出している。
またラリーでも2000年から、ワンデイ開催の初心者向けラリーシリーズである「ラリーチャレンジ」を自動車メーカーで唯一開催している。2015年にWRC復帰を発表した後はWRCのための育成プログラムを立ち上げ、全日本ラリー王者の息子勝田貴元と新井大輝、コ・ドライバー王者の足立さやかを欧州で修行させている。
豊田章男が社長になって以降は特にモータースポーツを広報活動に積極的に用いており、地上波でTOYOTA GAZOO RACINGのCMが流れることが一般的になった。豊田自身も「モリゾウ」名義でGRラリーチャレンジや新城ラリーに参戦してファンと交流したり、TV番組やトークショーにも出演してモータースポーツをアピールするなど、顔の見える経営者として知られる。またJスポーツと提携して、GAZOO RACINGのホームページ上でル・マン24時間やニュルブルクリンク24時間レースを無料ライブ配信している。
社員の研修にモータースポーツを用いることにも熱心で、全日本ラリー選手権に選りすぐったメカニックたちで組織した「凄腕技能養成部」を送り込んだり、5大陸走破プロジェクトで社員にステアリングを握らせて様々な道を経験させている。
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ユーザーが疑問に感じている「ホンダ」に関する質問集です。
ホンダの知りたいことや、みんなが疑問に思っている ホンダに対する質問がたくさんあります。詳しい人からの回答もたくさん集まっているので ホンダへの疑問が解消されます
どうしてもミッション車に乗りたくて、新車で買えるホンダのMT車を探しているのですが、今買えるホンダのMT車はなんですか?
タイヤ・タイヤ交換に関する質問
新車で購入できるホンダのMT車は
5MT バモスホビオバン
5MT アクティトラック
5MT フィット
6MT フィット
5MT バモス
5MT アクティバン
6MT シビック
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5MT バモスホビオ
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5MT NSX-R
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ホンダ レブル250のリアサスについて教えて下さい。
つい最近、レブル250を知人から譲り受けました。
嫁とタンデムでツーリングに出かけるのですが、リアフェンダー内とタイヤが干渉いたします。
サスは純正品で、硬さは5段階の4の設定にしています。
ヘタリがあるのかと思いサスを車体から取り外し、目視・圧縮を確認したのですが、それほど状態が悪いわけでもありません。
できればあまり車高の上がるものは好みません。
そこで質問なのですが、このような場合、皆さまどのように対処されていますか? サス交換の場合、できればメーカーなども教えて下さい。
サス交換とか、また、他の方法があれば、ご教示ください
ホンダ に関する質問
リヤのスプリングがヘタっとるんやろ。
プリロードは「あらかじめスプリングを圧縮しておく」だけの効果。
ごく初期の反発力が上がるだけで、へたったスプリングを硬くする能力はない。
CD250Uとかのレートの高いスプリングと交換してみたら。
ホンダドリームってちょっとした質問を聞くのもダメなんですか? そこで購入した訳ではないのですが、あるホンダのバイクのボルトについて聞きました。
そしたら他店で購入された方にそのような事はお答えできませんと言われました。
もちろんそれを聞いて私がお金を払う訳ではないですがバイク屋としてそれはどうなの?って思ってしまいました。
ホンダ に関する質問
正直ボルトの品番も分からずボルトだけ買う客だとしたら、金にならない面倒な客だというのは事実だろうけど、そんな雑な対応は普通は無いと思いますね。
私は購入店でもないドリーム店に30円のワッシャーを買いに行きましたが普通にそれだけで売ってくれましたよ。
ただ、ドレンワッシャーとおそらくパーツリストを見ないと分からないボルトでは面倒度は違うとは思うが。
まあ、ドリームはバイク屋としてはマトモな方だと思いますけど、所詮はバイク屋なのでおかしなやつは居るとは思いますね。
ただ、ホンダは http://www.honda.co.jp/HMJ/guarantee/ ここで転居先でも全国のホンダ二輪販売店でサポートしますって書いてあるんだよね。
これは二年保証の話なんだが、こうある以上、それが切れたとしても他店購入はやらないとか言うのは違うんじゃないの?と思わないでもない。
店員や店舗の勝手な行動かもしれないので、本部にクレームでも入れてやればいいんじゃないのとは思いますね。
ホンダ RK5 ステップワゴンスパーダについて。
僕の車 RK5ステップワゴンスパーダでブルーテゥースを使ってアイホン7 から車の中で音楽を聴きたいです! なのですが、ブルーテゥース機能がついていません! 普通にUSBなどで聴くことは可能なのでしょうか? また他に方法があれば教えてください_φ(・_・
ホンダ に関する質問
RK5の連携機能は車種でなく、ナビの種類によるよ。
自分のRK5のナビはブルートゥースは標準、USBもオプションで付けて貰いました。
緊急! ホンダのクレアスクーピーです。
テールランプがブレーキかけると光るのですが 走っている時光っていません。
警察の人に注意され、気づきました この場合、修理はなにをしますか? また費用と修理にかかる 時間も ある程度わかると嬉しいです。
(無知ですみません)
ホンダ に関する質問
リアブレーキランプ交換です。
リアブレーキ電球の中にはフィラメントが2本入っているのですが、常時点灯するフィラメントが切れてるだけです。
自分で修理するなら、電球代3~400円前後、クレアスクーピーのリア電球は、カウルを外さないと取り換えられないので1時間くらい? ネットで‶クレアスクーピーリア電球交換″で検索すればヒットします。
バイク屋や、バイク部品取扱量販店の場合、2000円位かかるかも…
国産メーカーでの、法定12か月点検は、おおよそいくらくらいですか? スバル、ホンダ、など。
ホンダ に関する質問
To mikenekokun7699さん 車種や車の状態によって異なる。
けど、大抵のディーラーは、基本料金をWebで公表しているはずだけど・・・ 例えば、 ホンダカーズ八王子東 http://dealer.honda.co.jp/hondacars-hachiojihigashi/ja/service_check/86.html 東京スバル https://www.tokyo-subaru.co.jp/service/12month.html
お聞きしたいことがあります、私は、ホンダのロゴに乗っていますが、先日、タイヤがパンクして、スペアタイヤと交換しました、このスペアタイヤは、テンパタイヤではなく、標準タイヤということですが、私は、新車の の契約を済ませており、2か月後に、納車予定です、タイヤを変える店から、新車を購入するのなら、タイヤを新品にするのは勿体無いと言われました、スペアの標準タイヤは、どのくらいのか距離を走行できるものでしょうか、ちなみに、20年ほど前の古いタイヤです
ホンダ に関する質問
装着してるタイヤと同じサイズのスペアータイヤは同じ物なので、テンパータイヤの様な制限は無いし、普通に長く使えるのですが、20年も前の物だとゴムが劣化してグリップ力が低下しているので、特に路面が濡れてる場合は滑りやすいから、速度は控え目にしないと危険でしょうね。
但し、古くても全く使って無いのであれば、タイヤにストレスは掛かって何ので、2ヵ月なら使えない分けではありませんが、以前使い込んで溝が少ない場合や、ひび割れが発生してる状態なら、使うのは避けた方が良いでしょうね。
又、パンクしたタイヤを修理してスペアーとして車載しているのであれあれば、一般道路でパンクしても交換すればいいのですが、何れにしても高速道路を走行するのは避けた方が無難でしょうね。
「ホンダ工具 ユニバーサルホルダー 07725 0030000」に代わる汎用工具ってあるのですか?
ホンダ に関する質問
ほい→http://www.astro-p.co.jp/i/2007000004333 さらに高機能タイプ→http://www.straight.co.jp/item/19-680/
船外機選びで悩んでおります。
2馬力船外機のホンダとトーハツのどちらかを購入しようと思ってます。
ネットなどで色々と調べてみましたが、答えが出ません。
ゆくゆく補助機としての使用も考えておりますので、馬力アップ等のパワーアップなども考えてます。
使った事がある方がいらっしゃいましたら、オススメを教えて下さい。
宜しくお願い致します。
ホンダ に関する質問
ホンダは、空冷なので、フラッシングが不要で片付けが楽です。
空冷なので、エンジンを掛けて跳ね上げたまま出港出来ます。
これは、サーフからの出港、帰港には、とても有利です。
つまり、水冷の場合、砂や泥を吸い込まないある程度の水深までオールで漕いで行って、さらにそこで、一定時間暖気運転してからでないと走り出せないのに対し、空冷は、エンジンを掛けた状態で跳ね上げられるので、プロペラが底に接触しない場所まで行けば、エンジンを下してすぐに走行出来ます。
帰港する場合も水冷ですと砂や泥を吸い込まない場所まで戻ったら、エンジンを上げて、オールで漕いで接岸しないとなりませんが、空冷ですと浅瀬走行モード(浅瀬走行モードが付いている場合)でエンジンで推進したまま波打ち際まで突っ込めます。
水冷で同じことをすると、吸い込み口から、砂や泥を吸い込んで冷却水の通り道を塞いでオーバーヒートやエンジンの突然の停止の原因になります。
また、重量が、トーハツがS足18.4キロに対してホンダは13.6キロと5キロ近く軽いので持ち運びが楽です。
パワー的には、ホンダが排気量57ccに対して、トーハツは、同じ馬力のエンジンで3.5馬力仕様があるためか85.5ccと2馬力の中では最大ですから、同じ2馬力でも、トルクはトーハツの方が上です。
しかし、5キロ近く重量が違うことでそのトルク差は相殺されますから、パワー的には違いはないと言えます。
また、ホンダの場合、後部が5キロ軽くなることで、船の前後のバランスが良くなるので走行もよくなります。
もし、水冷の2馬力を購入するのでしたら、スズキが重量14キロで軽いです。
私は、トーハツ6馬力ですが、新品で購入時からエンジンの始動が悪く、各所注油していないため、動きが固く、アイドリングが低くてエンストするエンジンでしたので、トーハツに問い合わせたら、安い商品なのでそれなりの作りになっています。
アイドリング調整はご自分で調整して下さい。
当社では修理は受け付けていませんという何とも冷たい対応でした。
また、トーハツを修理してくれる業者が少ないので、保証があっても、トーハツパイロット店が近くになくて送って直してもらう場合、送料は自己負担になるようです。
トーハツは、金額の高いエンジンは作りが良いですが、安いエンジンは雑ですから、お勧めではありません。
修理と安心感で選ぶと2馬力の新製品を出したヤマハが取り扱い店が多いので良いです。
尚、エンジンオイルに関しては、トーハツは、質が悪いのか煙が出てボートが汚れますので、ヤマハのエンジンオイルが良いです。
ヤマハのエンジンオイルを使うようになってからは、煙は出ませんのでボートも汚れなくなりました。
原付 ホンダ ZXの新品はおいくらでしょうか? インターネットで検索しても、中古車やカスタム車を販売しているサイトしかヒットしません。
学生の頃にZXを親に買ってもらい乗っておりました。
30歳で4歳と2歳の娘がいるお母さんなので、カスタムされていないZXの新車が欲しいです。
ネットで見ていたら不良少年が好んで乗るようですが、わたしは至って普通で不良とはかけ離れた人間でした。
16歳で原付の免許を取得した御祝いに父がバイク屋さんの勧めで買ってきてくれました。
ZXにこだわる理由は加速の良さを今でも覚えているからです。
個人的にはズーマーが好みなのですが、ちょっと予算オーバーでした。
。
来月から働くことになり、通勤に片道4キロ計8キロを毎日乗る予定です。
普段ネットショッピングばかりしていて、原付もネットで買えたらな〜と思ったのですが、新品だと店舗に行かないとありませんか? 聞きたいこと 1、ZXの値段 2、新品をネット販売している店はあるのか? 普段は電動アシスト自転車でうろうろしているのですが、毎日往復8キロ自転車通勤するのは億劫なのでバイクに詳しい方回答よろしくお願いします
ホンダ に関する質問
まず、ZXというバイクでは有りません。
DIO-ZX もしくは ライブDIO-ZX です。
それと、以前乗ってあったのはおそらく2サイクルモデル? 2サイクルモデルであれば既に廃盤、全て4サイクルモデル にモデルチェンジした上、DIOに関してはその4サイクルモデルも 生産終了となっています。
ただ、スクーターのエンジンはホンダよりヤマハの方が 全体的に出来は良いです。
JOG-ZRも視野に入れてはいかがでしょう?
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