元中日の竹中惇選手を知ってますか? 1962年 「タケ、カムオン。
ストライクだけよ」三回竹中がボックスに立つと一塁コーチャーの与那嶺から声がかかった。
ウエーティング・サークルで二本のバットを軽々と振っていた竹中はきこえたのかきこえないのか、まったく無表情。
カウント0-2。
「つぎはいい球くるよ」口に手がメガホンを作った与那嶺がさかんに声援した。
打球は久保投手のグローブをかすめて中前へ。
「第一打席でフワーッとバットが出てしまったので思い切ってためたんです」仲のいい財津は半平さんと呼び、江藤にいわせると電信柱の竹中だが、話し声はきわめて小さい。
「オープン戦もこれで三度目。
やっとプロの試合のふんい気というものがわかってきたところです」日大時代に神宮のエースだった竹中だが、三塁手はまったくのしろうと。
「三回のトンネルははずかしかったですよ」バウンドを合わせようか、合わせまいかとまどっていた竹中の長い足の下を、小森のゴロがスルリと左翼江藤の前までころがった。
「ゆるいゴロは絶対待っちゃダメですね。
その前に高木(守)河野さんがエラーしたでしょう。
ゴロさばきのうまい人がやるんだからと思ったのがいけなかった」といっているが、四回トップの黒田がドラッグ・バントの構えを見せたときには、すばらしいスタートで三本間の真ん中あたりまで走っていた。
「コーナー・ボールを打てなければダメだ。
まだ速球を打つことができない。
だから速球を打つポイントさえつかめるようになればしめたものだが・・・」濃人監督のバッティング評はきびしいが、その内野守備になると「ゴロ一つ捕るにしても竹中には素質が見える。
要はカンだけだよ。
そのために竹中を試合にどしどし使う」竹中は五回で前田と交代したが、代打に出た前田をくやしそうに見つめながらベンチの真ん中にすわっていった。
「補球と選球のタイミングさえつかめれば・・・」前田に負けないといいたいのだろう。
濃人監督はその竹中に第二の長島になることを期待している。
日大出身、1㍍83、80㌔、右投右打、背番号18。
二十二歳。
ドラッグ に関する質問