1985年新日本プロレスに参戦したジャイアント・グスタブは 何故猪木とのシングル戦が実現しなかったのでしょうか? もし

1985年新日本プロレスに参戦したジャイアント・グスタブは 何故猪木とのシングル戦が実現しなかったのでしょうか?  もし

1985年新日本プロレスに参戦したジャイアント・グスタブは 何故猪木とのシングル戦が実現しなかったのでしょうか? もし猪木vsグスタブが実現していたら、どのような展開になっていたでしょう?

グスタブ側から、猪木とのシングルマッチを拒否した…という話を聞いたことがあります。 グスタブは後楽園ホール前でのバス引っ張りパフォーマンスをしたり、若手や中堅選手相手のハンディキャップマッチで連勝し、怪物性をアピールしていました。 同シリーズのエース外国人はブルーザー・ブロディ。 そのブロディとは個別に、新日本プロレスがわざわざ売り出しをかけてくれているのでいい気になっていたんじゃないかと思います。 もしかしたら、この時点で自分の商品価値を過大評価していたかもしれません。 ですが、いざ猪木とシングル対戦して負けると自身の価値に傷がつくと考えたのか、マッチメイカーの坂口征二に「俺は猪木とやらないよ」と告げたらしく… (実際に交渉したのはマネージャーのブッチャー・バションの模様) 当然、坂口はシリーズ終盤あたりで猪木とシングル対戦を考えていたでしょう。 しかし当のグスタブがそれを拒否した格好となったわけです。 そして… 1985年10月26日の愛知大会で、事件が起こります。 いつものように若手選手相手とのハンディキャップマッチが組まれたグスタブ。 対戦相手となったのは後藤達俊と橋本真也。 いつもなら、グスタブに蹴散らされるはずだった2人でしたが… なんと、2メートル200kgを超える怪物グスタブが、若手選手2人に制裁を受けてボコボコにされてしまったのです。 (試合結果はハンディ戦ではまず見られない反則裁定) 実はこの時2人は「かまわねぇ。やっちまいな」と指示を受けていたと言われています。 次の興行となった28日の三重・鳥羽大会では、武藤敬司&力抜山とのハンディ戦で平穏無事に試合を終えたようですが… 29日の三重・四日市大会では後藤達俊と星野勘太郎がハンディ戦の相手となり… 試合結果は反則勝ちだったので、おそらくこの日も制裁を受けたのではと思われます。 そして、シリーズ最終戦を待たずにグスタブは途中帰国してしまいます。 まぁ、グスタブのマネージャーからすれば、商品価値は保っておきたいと考えるでしょうし、意にそぐわないからと言ってリング上で制裁を加える団体とビジネスできるか!と考えるでしょうし。 もっとも、ホームであるカナダでの目ぼしい活躍も無いので、そもそもプロレスラーとして本当に価値があったのかは疑問です。 このシリーズ最終戦31日の・東京体育館大会では、猪木vsブロディのシングルが組まれていました。 なので、おそらくですが… もし猪木vsグスタブが実現していれば、猪木が超獣迎撃の前に、怪物グスタブを撃破して調子が上々だとアピールする絵図が描かれていたのではないでしょうか?

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