匿名さん
歴史にifは禁物。
泣き言になってしまいますが、ビルロビンソンについて質問します。
1975年12月にアントニオ猪木と一期一会の歴史的な邂逅を経てロビンソンは全日本プロレスに転出します。
プロ 野球のFAのように国際ー新日本ー全日本と渡り歩きステップアップしました。
この時期、マスカラスブーム前夜、ファンクス(テリー)オープンタッグブレイクの1年前、ロビンソンはこの時期人気実力共に外人No.1レスラーにありました。
もしもこの1976年時、ロビンソンがWWF参戦を決断していたら彼は一時的であれMSG の帝王になれたでしょうか? 時期は76年7月馬場との初対決をした後とします。
猪木、馬場と戦い日本マットでやりきったロビンソンが最後に選んだ戦場が全米メジャー3団体のWWFだった。
ロビンソンはドリーのNWAタイトル、ガニアのA WAタイトルに挑戦しており唯一残された未知の団体タイトルがWWFでした。
ロビンソンは猪木と対戦する直前の75年11 月にWWFに参戦しています。
この時期、W WF王者のサンマルチノに翳りが見え始めていました。
76年4月、ハンセンとの試合で首を負傷。
この時期にロビンソンがWWF参戦なっていれば人間風車対人間発電所が見られたかも知れません。
77年4月にWWFのタイトルはサンマルチノからヒールのスーパースタービリーグラハムに移動します。
あるいはこの時にロビンソンがいればグラハムーロビンソンとWWF タイトル移動があったかも知れない。
グラハムは国際時代にIWAタイトルをロビンソンから奪取してベルトを作り替えています。
そのベルトが国際崩壊までタイトル戦 で使用されました。
WWFのチャンピオンベルトに関して言えば、そのIWAに似たベルトもグラハムが巻きました。
おそらくグラハムが作り直させたと思います。
82年に バックランドに挑戦した時にそのベルトを破壊。
以降、丸いベルトになった。
もし77年にロビンソンがMSGの帝王になっていたら同タイプのバックランドのWWF 王者誕生は無かったかも知れない。
バックランドがグラハムからタイトルを奪取するのは78年1月でした。
78年6月に実現した猪木対バックランド初対決は素晴らしい試合でした。
この時期、 猪木とストロングスタイルで戦える選手はバックランドの他にはジャックブリスコがいたくらいでした。
しかしこうも思うのです。
もし78年6月にビルロビンソンがニューヨークの帝王として来日して猪木と 3年ぶりにあいまみえていたらどうだったのかと…WWFとNWFの二冠を賭けて。
全日本でカマタやブッチャーとPWFを巡る攻防を魅せて最後の全盛期にあった78年、 そんな夢も見たくなります。
78年11月、ローランボックの出現でヨーロッパの帝王の称号はロビンソンからボックにとって変わられます。
完全にアメリカナイズされたと揶揄されました。
しかし、 もしWWF世界ヘビー級チャンピオンという カムフラージュがあればその争論から回避できたかも知れない。
あの時代の三大王者はNWAハーリーレイス 、AWAニックボックウインクル、WWFボブバックランドでした。
バックランドだけ一世代若いのです。
プロレスアルバムではないけど NWA王者ハーリーレイス AWA王者ニックボックウインクル WWF王者ビルロビンソン だったらしっくりきたのにと思います。
大いなる負け惜しみではあるけれど… 80年にレイス対バックランドやニック対バックランドの二冠戦をやったようにレイス対ロビンソンやニック対ロビンソンの二冠戦が見られたかも知れません。
世代で括るなら次が NWA王者リックフレアー AWA王者リックマーテル WWF王者ボブバックランド または NWA王者ブルーザーブローディ AWA王者スタンハンセン WWF王者ハルクホーガン が妥当だったのかなあ… 1985年2月、キャリアの晩年にあったロビンソンは前年アイアンシークに負けてWW F王座から転落したバックランドと最初で最後のシングルマッチを行いました。
小型アンドレと言われるほど太ってしまったロビンソン。
5年遅かった黄金カードと週刊ファイトに中くらいの記事で出ていました 。
寂しかった… 今まで長々と質問の体を成していない多分な私の妄想お許し下さい。
1976年から1977年にビルロビンソンロビンソンがWWFにイセキシテ世界王者となって 何年かMSGの帝王として君臨できた可能性はあったでしょうか? よろしければ回答宜しくお願いします!!