クラブワールドカップの名称になってから(06年~)だと ・06年インテルナシオナル(ブラジル) ・12年コリンチャンス(ブラジル) 名称変更前の00年と05年も含めるなら(01年は中止、02年~04年は開催なし) ・00年コリンチャンス(ブラジル) ・05年サンパウロ(ブラジル) 事実上の前身大会であるインターコンチネンタルカップ及びトヨタカップも含めるなら(60年~04年※75年、78年は中止) ・61年ペニャロール(ウルグアイ) ・62年サントス(ブラジル) ・63年サントス(ブラジル) ・66年ペニャロール(ウルグアイ) ・67年ラシン(アルゼンチン) ・68年エストゥディアンテス(アルゼンチン) ・71年ナシオナル(ウルグアイ) ・73年インデペンディエンテ(アルゼンチン) ・77年ボカ・ジュニアース(アルゼンチン) ・79年オリンピア(パラグアイ) ・80年ナシオナル(ウルグアイ) ・81年フラメンゴ(ブラジル) ・82年ペニャロール(ウルグアイ) ・83年グレミオ(ブラジル) ・84年インデペンディエンテ(アルゼンチン) ・86年リバープレート(アルゼンチン) ・88年ナシオナル(ウルグアイ) ・92年サンパウロ(ブラジル) ・93年サンパウロ(ブラジル) ・94年べレス(アルゼンチン) ・00年ボカ・ジュニアース(アルゼンチン) ・03年ボカ・ジュニアース(アルゼンチン) 昔は各国のスター選手は基本的に自国にいました。
例えば、62年・63年連覇のサントスにはペレがいました。
国外移籍はありましたが、外国人枠が2か3くらいしかなかったので、現在の欧州クラブのような多国籍軍団を形成することは不可能でした。
状況が一変したのが95年のボスマン判決で、EU圏内のクラブではEU加盟国籍の選手が外国人扱いされなくなり、多国籍軍団化が一気に進みました。
南米王者と欧州王者に大きな力の差が出たのはボスマン判決以降です。