元巨人の船田和英選手を知ってますか? 1963年 浜松で生まれ浜松で育った

元巨人の船田和英選手を知ってますか? 1963年  浜松で生まれ浜松で育った

匿名さん

元巨人の船田和英選手を知ってますか? 1963年 浜松で生まれ浜松で育った。
小さいころから海をみて遊んだので船乗りになることが夢だった。
からだを鍛えるためスポーツは手当りしだいにやったが一番好きだったのはサッカー。
足には自信があった。
「中学まではほとんどサッカーで過ごしました。
浜松商にはいったときも九分九厘サッカー部へはいるつもりだったんですけど・・・」野球部にかえた理由がまたふるっている。
「ちょうどうちに新品にスパイクが一足があったんです。
もらいものでずっとしまってあったのですが、使わないのももったいない気がして・・・」スパイクを使うために野球部にはいった。
思いつめる方ではないらしい。
「ええ、くよくよ考えたりは絶対にしません。
でも逆に楽しくなると有頂天になっちゃうんで困りもんです。
すぐ気がゆるんじゃってね」悪いクセだと自分から指摘した。
ことしのオープン戦でもそうだった。
スタートの西鉄三連戦ではホームランを打ってはりきったと思ったら、つづく南海戦ではサッパリだった。
大洋戦で打ちまくれたのは、広島戦で当たり出したとき、気のゆるみをとくに警戒したからだといった。
二十一日のダブルヘッダーでは五打席連続、八打数七安打とあきれるほどの当たりよう。
打率一位、貢献率三位へ躍進した。
「8-7なんてまぐれでもいいところ、打率一位も一週間もてばいいでしょう」とさかんにテレたが「調子はベスト」と胸をはった。
「公式戦ではたいていの投手と初対面なんですけどいまは少しもこわくないんです。
カーブだろうが、シュートだろうがなんでも打てそうな気がするんです。
にが手のアウトコースを攻められても不思議にバットがよく出るし、打席にはいっても気持ちはフリー・バッティングのときより軽いもんです」明るく笑った。
しかし先のこととなるとやはり慎重な口ぶりだ。
「目標ですか?これからずっと出してもらうことですね。
打率は二割五分が守れればいいと思ってます。
ホームランも十本から十五本打てれば上でき」ことし日大に入学した弟の勝正君(18)=軟式庭球部=のことでいまおかあさんが上京中だが、船田はこんな約束をした。
「ぼくの夢はね。
リーディング・ヒッターをとって東京に自分の家を建てることなんだ。
きっと実現してみせるから、そのときはおかあさんいっしょに暮らそうね」船田はいま給料の三分の二を送金して、その日のくるのを楽しみに待っている。

1962年に読売ジャイアンツへ入団した船田選手は1963年には二塁手の定位置を獲得するが打撃面で伸び悩み1965年にはレギュラーの座も失う。
1966年にトレードで西鉄へ移籍して一年目から遊撃手として活躍。
1970年は黒い霧事件で野球活動禁止処分を受けた影響で1972年ヤクルトへ移籍。
ヤクルトではユーティリティプレイヤーとして重宝され1973年には通算1000試合出場。
1975年にセ・リーグ通算1500盗塁を達成。
1976年には三塁手のレギュラーとなり通算1000本安打を達成。
同年は打率.302を記録しカムバック賞を受賞。
1980年限りで現役引退しています。

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匿名さん

元巨人の船田和英選手を知ってますか? 1963年 浜松で生まれ浜松で育った。
小さいころから海をみて遊んだので船乗りになることが夢だった。
からだを鍛えるためスポーツは手当りしだいにやったが一番好きだったのはサッカー。
足には自信があった。
「中学まではほとんどサッカーで過ごしました。
浜松商にはいったときも九分九厘サッカー部へはいるつもりだったんですけど・・・」野球部にかえた理由がまたふるっている。
「ちょうどうちに新品にスパイクが一足があったんです。
もらいものでずっとしまってあったのですが、使わないのももったいない気がして・・・」スパイクを使うために野球部にはいった。
思いつめる方ではないらしい。
「ええ、くよくよ考えたりは絶対にしません。
でも逆に楽しくなると有頂天になっちゃうんで困りもんです。
すぐ気がゆるんじゃってね」悪いクセだと自分から指摘した。
ことしのオープン戦でもそうだった。
スタートの西鉄三連戦ではホームランを打ってはりきったと思ったら、つづく南海戦ではサッパリだった。
大洋戦で打ちまくれたのは、広島戦で当たり出したとき、気のゆるみをとくに警戒したからだといった。
二十一日のダブルヘッダーでは五打席連続、八打数七安打とあきれるほどの当たりよう。
打率一位、貢献率三位へ躍進した。
「8-7なんてまぐれでもいいところ、打率一位も一週間もてばいいでしょう」とさかんにテレたが「調子はベスト」と胸をはった。
「公式戦ではたいていの投手と初対面なんですけどいまは少しもこわくないんです。
カーブだろうが、シュートだろうがなんでも打てそうな気がするんです。
にが手のアウトコースを攻められても不思議にバットがよく出るし、打席にはいっても気持ちはフリー・バッティングのときより軽いもんです」明るく笑った。
しかし先のこととなるとやはり慎重な口ぶりだ。
「目標ですか?これからずっと出してもらうことですね。
打率は二割五分が守れればいいと思ってます。
ホームランも十本から十五本打てれば上でき」ことし日大に入学した弟の勝正君(18)=軟式庭球部=のことでいまおかあさんが上京中だが、船田はこんな約束をした。
「ぼくの夢はね。
リーディング・ヒッターをとって東京に自分の家を建てることなんだ。
きっと実現してみせるから、そのときはおかあさんいっしょに暮らそうね」船田はいま給料の三分の二を送金して、その日のくるのを楽しみに待っている。

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