元東映の山本八郎選手を知ってますか? 1961年 試合前の山本(八)はふきげんだった

元東映の山本八郎選手を知ってますか? 1961年  試合前の山本(八)はふきげんだった

匿名さん

元東映の山本八郎選手を知ってますか? 1961年 試合前の山本(八)はふきげんだった。
「チクショウ、肩が痛くなければきのうだってもっと打てたはずなのに、ワキの下の筋肉がつってフォロー・スルーが全然きかないんだ」そのためか、この夜は守っては二回のダブル・エラー、五回には野選と失敗つづき。
「なんとかあの失策をとりかえそうと思っていたが、あんなに豪快な逆転ホーマーが出るとは思わなかった。
上段だったかな。
ボールの2㍍ほど内側をとんでいったな」八回から守備を緋本にゆずってベンチ裏に出てきた山本(八)の顔はまだ青い。
それでも息ひとつはずませず、ペラペラとしゃべりつづける。
「ホームランしたのは内角高目。
カーブのような、ナックルににたシュートのような球だった」球質を聞かれるとわけのわからない説明をした。
「まっさおな顔してたぞ」「ホームにはいったときはヨロヨロしてたじゃないか」とりかこんだ報道陣がひやかすと「そうでしたか。
夢中で気がつかないんですよ。
大阪球場でのホームランははじめてですからね」とテレくさそうにニヤニヤ。
ファン差し入れのコーラを一気に飲んで「ウチの連中は気のいいのがそろっているからな。
きのうの連敗のショックできょうもバッサリやられるのではないかと思っていた」バッサリなどというあたりが大好きな時代劇映画の影響か。
そして「きのうウチが負けた理由知ってますか?球場にくるバスが故障して出発が遅れてしまったんですよ。
ジンクスっていうのかな。
出足でつまづくとウチは悪いんです。
その点きょうは調子よくバスが動きましたからね。
ホームランが出たのも運ちゃんの腕がよかったためかもしれません」からになったコーラのビンをひねくりまわしながら、そんな冗談をどばした。

以前学習しましたね。
知ってます。
浪華商業では3年時の1955年、春の選抜に5番・捕手として出場。
坂崎一彦、勝浦将元を擁して優勝を飾る。
1956年に東映フライヤーズへ入団。
礼儀正しい言動と闘志あふれるプレーで、猛者揃いのチームの中でも目立った存在だった。
「ケンカはち」、「ケンカ八郎」のニックネームでファンが多く、2年目の1957年には一時打率が1位にランキングされる活躍を見せるが、8月の大映戦で試合中にクロスプレーで右腕を骨折、残りのシーズンを棒に振った。
1958年5月10日の南海戦(駒沢)では判定をめぐって審判へ暴力行為を働き退場、無期出場停止処分となる。
ファンからの署名活動により、6月23日に出場停止が解除された。
1959年には試合中の乱闘が原因で自主的出場停止となり、永平寺での精神修行も行った。
岩本義行監督の提案により1959年に三塁手、1961年には一塁手を務め、後に外野手へ転向した。
1962年のリーグ初優勝に貢献したが、同年の日本シリーズでは無安打に終わる。
水原茂監督との確執により、1963年に近鉄バファローズへ移籍。
同年には打率.280(ベストテン6位)、22本塁打を記録。
その後も中心打者として活躍するが、1967年にはサンケイアトムズへ移籍。
ここでは出場機会に恵まれず、同年限りで現役を引退。
引退後の翌1968年は関西テレビ解説者を務めるが、暴行事件を起こして逮捕されるなどのトラブルもあり短期間で退く。
その後は鴨川シーワールドでのシャチの飼育係を経て、大阪で実家の生花店を継ぐなど、球界から一線を引いている。
高校時代のチームメートだった坂崎も「当時の全日本のメンバーの中には山本初め、消息のわからない選手もいる」と語っているが、1999年、発刊された『プロ野球を創った名選手・異色選手400人』の本人の紹介ページにも「引退後は消息不明」とある。
通算1204試合出場 4120打数 1100安打 113本塁打 474打点 .267 オールスターゲーム出場:4回(1957年、1963年 - 1965年) 通算1000試合出場 1965年6月13日(95人目) 背番号 8(1956年 - 1966年) 28(1967年)

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元東映の山本八郎選手を知ってますか? 1961年  試合前の山本(八)はふきげんだった

匿名さん

元東映の山本八郎選手を知ってますか? 1961年 試合前の山本(八)はふきげんだった。
「チクショウ、肩が痛くなければきのうだってもっと打てたはずなのに、ワキの下の筋肉がつってフォロー・スルーが全然きかないんだ」そのためか、この夜は守っては二回のダブル・エラー、五回には野選と失敗つづき。
「なんとかあの失策をとりかえそうと思っていたが、あんなに豪快な逆転ホーマーが出るとは思わなかった。
上段だったかな。
ボールの2㍍ほど内側をとんでいったな」八回から守備を緋本にゆずってベンチ裏に出てきた山本(八)の顔はまだ青い。
それでも息ひとつはずませず、ペラペラとしゃべりつづける。
「ホームランしたのは内角高目。
カーブのような、ナックルににたシュートのような球だった」球質を聞かれるとわけのわからない説明をした。
「まっさおな顔してたぞ」「ホームにはいったときはヨロヨロしてたじゃないか」とりかこんだ報道陣がひやかすと「そうでしたか。
夢中で気がつかないんですよ。
大阪球場でのホームランははじめてですからね」とテレくさそうにニヤニヤ。
ファン差し入れのコーラを一気に飲んで「ウチの連中は気のいいのがそろっているからな。
きのうの連敗のショックできょうもバッサリやられるのではないかと思っていた」バッサリなどというあたりが大好きな時代劇映画の影響か。
そして「きのうウチが負けた理由知ってますか?球場にくるバスが故障して出発が遅れてしまったんですよ。
ジンクスっていうのかな。
出足でつまづくとウチは悪いんです。
その点きょうは調子よくバスが動きましたからね。
ホームランが出たのも運ちゃんの腕がよかったためかもしれません」からになったコーラのビンをひねくりまわしながら、そんな冗談をどばした。

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