匿名さん
元東映の岩切正男投手を知ってますか? 1967年 一月十五日は、サンケイアトムズの新人テスト。
この日を、文字どおり一日千秋の思いで待ちわびている若者がいる。
昨年まで東映フライヤーズのユニホームを着ていた岩切正男投手(22)=駒大出身、1㍍84、80㌔、右投げ右打ち=だ。
東映入団の際に受け取った契約金のことで東映側ともつれ、自由契約になった。
「野球がヘタだからと自由契約になったのなら、あきらめもつく。
もめごとが原因でクビになったのでは、あきらめきれない」岩切投手は、こういって、サンケイの新人テストに自分のすべてをかけようとしている。
サンケイの新人テストの日が、岩切には二十三回目の誕生日にあたる。
「力いっぱいやります。
男の意地にかけても・・・」きっぱりといいきる顔に、決意がにじみ出ていた。
テストのための練習をはじめたのが昨年十二月二十日。
それ以来、大みそかと元日を休んだだけで、毎日、大和証券球場でトレーニングがつづけられた。
サンケイの宇佐美二軍監督が、相手役に西岡内野手を選んでくれたことも、幸いした。
連日70~80球も投げこんでいる。
寒風は、身を切るようにきびしいが、カーブやシュートも平気で投げた。
「東映に入団するとき、クビになったら野球と縁を切るつもりだった。
しかしあんなことで自由契約になったのでは、あきらめもつきません」岩切は、いまでも、くやしそうな表情をみせる。
あんなことー。
岩切にとって忘れることのできない思い出とは、契約金のこと。
自分が、希望に胸ふくらませて手にした契約金と、球団側から支払わせた金額のあまりにも大きな差ー。
岩切は、その原因をつかもうとして、球団と争い、クビになった。
東映は、球団職員やスカウト見習いなど、身のふり方を心配してくれたが、岩切は、全部ことわった。
「野球選手として、もう一度やってみたい。
プロ野球選手は苦しい。
それも承知のうえです」という岩切だ。
ピッチングをしたあお、一時間以上もサーキット・トレーニングをやる。
「こんなに苦しいとは思わなかった。
しかし、これだけやったんだから、意地でもテストに合格したい。
負けるどころか、これからもっとがんばりますよ」西岡といっしょにバーベルやダンベルと格闘する岩切の表情には、一歩もあとにひけぬ立場に追いこまれたのものの闘志だけがギラギラしていた。
岩切はまだ独身。
だが、阿仁の光作さん(28)が、三月下旬に合気道指導のため渡米する。
帰国がいつになるか、見当もつかない。
母親のキクさん(55)と妹二人の面倒をみなければならない。
「いまでも、月に三万円近い税金をとられる。
ふつうのサラリーマンになったら、月給全部つぎこんでもおっつかない。
ぼくはプロでやらなけりゃ、ならないんですよ」わずか二十二歳の青年には、あまりにもきびしすぎる現実だ。
練習をみた小川コーチは「からだもやわらかいし、球質も悪くない。
投手としてはちょうどいいからだつきをしている」という。
こんなはげましのことばを聞きながら、岩切は、十一日から大和証券球場で、さいごのコンディション調整にはいる。