元阪神の三宅秀史選手を知ってますか? 1963年 八回阪神が6-1とリードして、なお二死二塁、代打三宅(秀)が出たとき三塁スタンドの女学生の群れがキャーキャー声をあげた。三宅(秀)がちらっと見あげると約七か月ぶりの打席に立った。外角低目のストライクを見のがしてからつづけて3球内角のボールをこわそうによけた。五球目、また内角の直球。瞬間オープン・スタンスに切りかえて右前へライナーではじきとばした。「いやあ、恥しいな。三振するつもりだったのがヒットになるんだから」ひとりでテレたが、左目のことにはふれたがらない。視力についてはこんな答え方をした。「毎日二、三十本打っているが、まだほんとうのカンがつかめない。とくに外角の見きわめはむずかしい。きょうの第一球だっててっきりボールだと思っていた。まだ練習がたりない」問題は視力でなく練習量というわけ。「目のことより足、腰を慣らすことの方が大事なんだ。だから当分二軍といっしょにやる。一軍では遠慮せんといかんし、いまのオレは忘れられた存在だからな」さびしそうな言葉をうしろから梶岡コーチが大声で打ち消した。「ウエスタンでどんどん出てもらう。はじめは代打。半月もしたらスタメンで二、三回。一か月後には四番を打ってもらって・・・」三宅(秀)は笑った。「オレもヒットを打った日ぐらいでかいことをいうかな。すぐホームランだって打てるぜ」