元広島の大和田明選手を知ってますか? 1966年 豪放な外観に似合わず、神経はこまかい。悪くいえば気が小さいともいえる

元広島の大和田明選手を知ってますか? 1966年  豪放な外観に似合わず、神経はこまかい。悪くいえば気が小さいともいえる

元広島の大和田明選手を知ってますか? 1966年 豪放な外観に似合わず、神経はこまかい。悪くいえば気が小さいともいえる。前日(二十五日)九回二死満塁の逆転機にそれがでた。2-2からの高めのとんでもないボールをかる振り。電気にでもかかったようにコチコチで顔はそう白だった。一番を打っているせいもあるが、四ホーマーで6打点しかあげていないのは、チャンスに弱い証拠。「きのうは勝たねばいかんという気持ちだけが先走って、あんなボール球を振ってしまった。自分でも恥ずかしかった。きょうはもうどうにでもなれとやけくそだった。それがよかったんだ。四回のヒット、六回のホームランはどちらもシュートだった」四回は2点につながる口火の右前安打。六回の左越本塁打はダメ押し。今季初の二試合連続ホーマーだった。「それにしても六回の河村はいい球を投げてくれたもんだ。切れのよくないシュートがスーッとインコースにはいってきた。シュートをねらっていたかって?いまのオレはねらって打てる状態じゃないよ」六回、打席にはいる前、ウインドブレーカーのポケットからメモ用紙をそっととり出し、目を通した。-中日・河村、武器・カーブ、シュート。メモ用紙には全球団の投手のクセや球種が書き込んである。「メモは別にどうってことないんだ。忘れっぽいぼくだからあんなものをもっているが、記憶力のいい人にはいらないものだ」もともと中日には強い。昨年の打率三割二分一厘はチーム一。ことしも二十七打数十安打と四割近いアベレージをマークしている。「ことしはなんとしても三割をマークしないとね。昨年みたいに前半よくてもしりすぼみじゃつまらん(二割三分八厘)七日に父親大吉さんが老衰でなくなるという不幸があり、この間の欠場が好調のバッティングをくずした。四割台をマークしていた打率もグングンさがって現在三割一分九厘。「ことしはチームの調子もいいし、なんとかしてこのまま突っ走りAクラス入りを果たしたい」バット・ケースを右肩にかけてバスに急ぐ大和田にファンの声がとんだ。「いいぞ、よくやった」大和田は手をあげてこたえた。大吉さんがなくなって以来初めて見せた笑顔だった。

茨城高等学校を卒業後、高崎理研を経て、1955年に西鉄ライオンズへ入団。 1年目終盤の1955年9月16日、対毎日オリオンズ戦で同試合5人目の捕手としてマスクを被るも、気分が舞い上がってしまい、本堂保弥のスクイズバントに対応できずサヨナラ負けを喫する。 気性の激しい性格を三原脩監督(当時)に敬遠され、一軍のレギュラーを獲ることができず下でくすぶっていたが、1957年オフに西鉄の鵜狩道夫を獲得しようと福岡に乗り込んでいた広島カープの監督だった白石勝巳がたまたま大和田行きつけのスナックに入り、二人はたまたま出会って話し合った結果、金銭トレードでの広島入団が決定した。 広島入団以降は素質を開花させ、1年目の1958年からレギュラー外野手に定着。 4月の巨人戦で四番打者に起用されるなど、小鶴誠、藤井弘らとともに中軸打者として活躍、初の規定打席(21位、打率.234)に達する。翌年には、自身初のサイクルヒットを達成し、当時の球団記録となるシーズン23本塁打を放ち、主砲としてチームの中心打者となった。 同年にはベストナインのタイトルも獲得する。 1963年には自己最高の打率.291(10位)を記録。 オールスターゲームにも4度出場した。 広島在籍時のチームメイトからのニックネームは「ボス」。 1968年、金銭トレードで南海ホークスへ移籍し、同年オフに引退。 引退後はゴルフのレッスンプロの資格を取得し、その後アマチュア復帰。 日本シニア選手権出場を目指していたが、2001年3月4日に病気により死去した。 気性が激しく、闘志あふれる荒々しいプレーとファイトが持ち味だった。 近鉄とのオープン戦で捕手と派手な乱闘を演じたこともある。 三振するとヘルメットをかなぐり捨てたり、バットを叩きつけたりと、その派手なジェスチャーは観客を喜ばせていた。 当時の日本人選手としては異色の選手である。 広島への入団会見の発言が強烈であった。 「自分は三原監督に嫌われ西鉄を追い出された。今に見ていろ。必ず見返してやる!」 と発言した。 通算1349試合出場 4441打数 1133安打 147本塁打 486打点 打率.255 ベストナイン:1回(1959年) サイクルヒット:1回(1959年6月20日、対大洋ホエールズ戦、広島市民球場) オールスターゲーム出場:4回(1959年、1960年、1963年、1964年) 1000試合出場:1965年7月29日(98人目) 背番号 56(1955年 - 1957年) 8(1958年 - 1967年) 7(1968年)

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元広島の大和田明選手を知ってますか? 1966年  豪放な外観に似合わず、神経はこまかい。悪くいえば気が小さいともいえる

元広島の大和田明選手を知ってますか? 1966年 豪放な外観に似合わず、神経はこまかい。悪くいえば気が小さいともいえる。前日(二十五日)九回二死満塁の逆転機にそれがでた。2-2からの高めのとんでもないボールをかる振り。電気にでもかかったようにコチコチで顔はそう白だった。一番を打っているせいもあるが、四ホーマーで6打点しかあげていないのは、チャンスに弱い証拠。「きのうは勝たねばいかんという気持ちだけが先走って、あんなボール球を振ってしまった。自分でも恥ずかしかった。きょうはもうどうにでもなれとやけくそだった。それがよかったんだ。四回のヒット、六回のホームランはどちらもシュートだった」四回は2点につながる口火の右前安打。六回の左越本塁打はダメ押し。今季初の二試合連続ホーマーだった。「それにしても六回の河村はいい球を投げてくれたもんだ。切れのよくないシュートがスーッとインコースにはいってきた。シュートをねらっていたかって?いまのオレはねらって打てる状態じゃないよ」六回、打席にはいる前、ウインドブレーカーのポケットからメモ用紙をそっととり出し、目を通した。-中日・河村、武器・カーブ、シュート。メモ用紙には全球団の投手のクセや球種が書き込んである。「メモは別にどうってことないんだ。忘れっぽいぼくだからあんなものをもっているが、記憶力のいい人にはいらないものだ」もともと中日には強い。昨年の打率三割二分一厘はチーム一。ことしも二十七打数十安打と四割近いアベレージをマークしている。「ことしはなんとしても三割をマークしないとね。昨年みたいに前半よくてもしりすぼみじゃつまらん(二割三分八厘)七日に父親大吉さんが老衰でなくなるという不幸があり、この間の欠場が好調のバッティングをくずした。四割台をマークしていた打率もグングンさがって現在三割一分九厘。「ことしはチームの調子もいいし、なんとかしてこのまま突っ走りAクラス入りを果たしたい」バット・ケースを右肩にかけてバスに急ぐ大和田にファンの声がとんだ。「いいぞ、よくやった」大和田は手をあげてこたえた。大吉さんがなくなって以来初めて見せた笑顔だった。

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