元大洋の佐々木吉郎投手を知ってますか? 1966年 八回も三人に打ちとって佐々木が帰ってくると、ベンチはさすがに興奮し

元大洋の佐々木吉郎投手を知ってますか? 1966年  八回も三人に打ちとって佐々木が帰ってくると、ベンチはさすがに興奮し

元大洋の佐々木吉郎投手を知ってますか? 1966年 八回も三人に打ちとって佐々木が帰ってくると、ベンチはさすがに興奮してきた。「打たれりゃあ、しようがないさ」となぐさめるのは近藤昭。「こんなときにはそう打てるもんじゃないぞ」と励ましているのは金光。別所コーチはそんなナインに「守備の方を頼むぜ」とうわずった声で念を押した。佐々木は奥のイスにすわったまま目グスリをさした。四回にも一度はずれたコンタクトがどうもしっくりしないらしいが、またそうでもしないとジッとしていられないようにもみえた。やがて味方の攻撃も終わり、最後の三人と向かい合うときがきた。ベンチのヤジもすごい。三原監督までがメガホンにしてわめきたてた。ついにあと一人になり、その阿南も右飛に終わった。もうグラウンドは人でいっぱい。佐々木の額に一度にあかみがさした。「一番緊張したのは八回ですね。九回はそれほどでもありませんでした。はじめは気がつかなかったけれど、五回ごろからベンチの人たちが記録のことを教えてくれました。警戒したのは大和田。七回に1-3になったときはとてもいやでした」こんな言葉が、突き出された何本ものマイクに吸い込まれるように、とぎれながらつづいた。昨年は1勝もしていない佐々木。三十九年九月の対巨人二十八回戦以来の勝利がつくった大記録だった。プロ入りしたのは四年前の三十七年。この年阪神と優勝を争っていた大洋が、優勝と日本シリーズの切り札にと、ノンプロ日本石油からとったエースだったが、期待はずれに終ってしまった。ノンプロ界の最優秀賞「橋戸賞」をかかえての堂々たる入団。だが、ライバル城之内(日本ビールー巨人)にもグングン離されてしまった。その原因は右ヒジの故障。三十八年の草薙キャンプ中、サーキットで痛めた右ヒジは、速球が武器の佐々木の足を「数え切れないほど引っぱった」そうだ。負担はまだあった。どんなに食事をへらしても太ってしまう体質。しかも異常なほどの汗っかきでもある。プロ入りしてナイターを経験するようになると、目もどんどん悪くなった。三十九年入団してきた別所コーチの一つの課題は、この傷だらけの男をなんとかプロで一人前の投手にすることだった。「このことを一番喜んでくれるのは?」佐々木はすぐ答えた。「別所さんでしょう」心機一転の意味もあって昨年十一月、結婚したばかりだが、愛妻の月子さん(23)のことはひとことも口に出さなかった。キャンプでもブルペンでもつきっきりで投げさせたばかりか、精神的にもいろいろのアドバイスをし、ついにその右ヒジの痛さまで忘れさせた?別所コーチ。その熱意にやっと報いられたということが、興奮した頭のなかにも真っ先に浮かんだらしい。球場玄関では栄光の投手をひとめみようというファンが約千人もつめかけていた。白いヘルメットの警官がでたが、ささえきれない。つい佐々木はナインと離れ、広島県警のパトカーで宿舎山雅(市内上柳町)へ護送されるわけだ。「おめでとう」「おめでとう」仲居さんたちが握手がわりに背中をたたくのを、うれしそうに首を縮めながらよけた。二階の自室へあがると、同室の稲川がさっそくこんな知らせをもってきた。「オレたち投手陣が積み立て金(おもに罰金の積み立て)から、金三万円なりをお祝いに贈ることになったよ」その積み立て金には、かなり出費しているはずの佐々木だけに、ほんとうにうれしそうな顔をした。だが大喜びのナインのなかで、たったひとりだけ妙な顔があった。この試合のほんとうの先発だった小野。広島が必ずアテ馬二人を出して相手投手をうかがうのをみた三原監督が、小野の前に左打者を出させようとしたのが佐々木先発の舞台裏だった。だから佐々木の予定は一回で、二回からは小野に投げさせるはずだった。「次の回か、その次の回かと思いながら、とうとうブルペンで完投しちゃった。百五十球は投げたかな。ビックリしたな、もう」と小野はポカンとしていた。完全試合投手も、いわば投手のアテ馬だったのだ。

佐々木吉郎投手 1982年 ・5月1日「メーデー」は労働者の祭日だが、佐々木吉郎さん「42歳」にとっては「人生最大の祭日」。16年前のこの日、佐々木さんは広島球場で完全試合の偉業を達成した。「5月1日を特別に意識することはないなあ」という佐々木さんだが、東京都内で二つのレストランを経営する「事業家・佐々木吉郎」のルーツは、やはりこのパーフェクトゲームにある。 記録は狙ってできるものではないというが、この完全試合がまさにそれだった。 広島球場ではこの日、ダブルヘッダー。大洋は第1試合、高橋重行が先発完投し 佐々木はブルペンで100球以上投げて待機していた。第2試合は小野の予定だったが、別所コーチが、「あがり」のつもりでユニフォームを脱ごうとしている佐々木に、こう耳うちした。「小野の先発が読まれている。お前、1回だけ投げてくれ」納得したようなしないような妙な気持で第2試合、1回を投げ終えた。が、 別所コーチは「打たれていない投手を代えることはない」と続投を命じた。ブルペンに目をやると秋山、小野の左右のベテランが投げている。「まあ、なんとかなるだろう」佐々木は続投した。無安打のイニングは2回以降も続いた。それどころか 無走者だ。5回、6回・・・。 このころになるとベンチに帰ってきた佐々木の傍に選手が寄りつかなくなった。だが、周囲の異常な緊張をよそに、佐々木の淡々とした投球が続く。 9回ウラ二死、「あと一人」。これまで26人の打者を連続でアウトにした時、さすが佐々木も記録を意識したという。27人目の打者・阿南の打球は平凡な右飛となった。「あの瞬間ほど、嬉しかったことはない」という佐々木。かくして前代未聞の「アテウマ投手」の完全試合は達成された。 昭和37年の都市対抗優勝投手「日本石油」。大会43イニング無失点の快記録を引っ提げて、その年にプロ入り。しかし、オフに右ひじを痛め、それが野球生活を短命「8年、23勝34敗」に終わらせる結果となり、エース級にはなれなかった。それだけに「使ってもらえない投手ほど惨めなものはない。この辛さ、苦しさに比べたら、野球をやめたあとの苦労など何ほどのこともない」と底辺の苦しみも 知っている。 プロ野球の「頂点」と「底辺」を味わった佐々木さん。野球をやめ、現在の仕事を始めるに当たり、まず「謙虚さ」を重視した。お得意さんはこの佐々木さんの態度に「あの、完全試合までやった人がこんなに腰が低いとは・・」と感心、スムーズに商談が運ぶこともしばしばだという。 二つのレストランで2人以上の従業員を使う。仕事に忙殺されて、野球を思い出すヒマはない。 「昔と今の野球は質が違うし、比較しても意味がない。だから今の選手がいいとか悪いかもいえないなあ」と佐々木さんは言い残して、あわただしく仕事先へ飛び出していった。

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元大洋の佐々木吉郎投手を知ってますか? 1966年  八回も三人に打ちとって佐々木が帰ってくると、ベンチはさすがに興奮し

元大洋の佐々木吉郎投手を知ってますか? 1966年 八回も三人に打ちとって佐々木が帰ってくると、ベンチはさすがに興奮してきた。「打たれりゃあ、しようがないさ」となぐさめるのは近藤昭。「こんなときにはそう打てるもんじゃないぞ」と励ましているのは金光。別所コーチはそんなナインに「守備の方を頼むぜ」とうわずった声で念を押した。佐々木は奥のイスにすわったまま目グスリをさした。四回にも一度はずれたコンタクトがどうもしっくりしないらしいが、またそうでもしないとジッとしていられないようにもみえた。やがて味方の攻撃も終わり、最後の三人と向かい合うときがきた。ベンチのヤジもすごい。三原監督までがメガホンにしてわめきたてた。ついにあと一人になり、その阿南も右飛に終わった。もうグラウンドは人でいっぱい。佐々木の額に一度にあかみがさした。「一番緊張したのは八回ですね。九回はそれほどでもありませんでした。はじめは気がつかなかったけれど、五回ごろからベンチの人たちが記録のことを教えてくれました。警戒したのは大和田。七回に1-3になったときはとてもいやでした」こんな言葉が、突き出された何本ものマイクに吸い込まれるように、とぎれながらつづいた。昨年は1勝もしていない佐々木。三十九年九月の対巨人二十八回戦以来の勝利がつくった大記録だった。プロ入りしたのは四年前の三十七年。この年阪神と優勝を争っていた大洋が、優勝と日本シリーズの切り札にと、ノンプロ日本石油からとったエースだったが、期待はずれに終ってしまった。ノンプロ界の最優秀賞「橋戸賞」をかかえての堂々たる入団。だが、ライバル城之内(日本ビールー巨人)にもグングン離されてしまった。その原因は右ヒジの故障。三十八年の草薙キャンプ中、サーキットで痛めた右ヒジは、速球が武器の佐々木の足を「数え切れないほど引っぱった」そうだ。負担はまだあった。どんなに食事をへらしても太ってしまう体質。しかも異常なほどの汗っかきでもある。プロ入りしてナイターを経験するようになると、目もどんどん悪くなった。三十九年入団してきた別所コーチの一つの課題は、この傷だらけの男をなんとかプロで一人前の投手にすることだった。「このことを一番喜んでくれるのは?」佐々木はすぐ答えた。「別所さんでしょう」心機一転の意味もあって昨年十一月、結婚したばかりだが、愛妻の月子さん(23)のことはひとことも口に出さなかった。キャンプでもブルペンでもつきっきりで投げさせたばかりか、精神的にもいろいろのアドバイスをし、ついにその右ヒジの痛さまで忘れさせた?別所コーチ。その熱意にやっと報いられたということが、興奮した頭のなかにも真っ先に浮かんだらしい。球場玄関では栄光の投手をひとめみようというファンが約千人もつめかけていた。白いヘルメットの警官がでたが、ささえきれない。つい佐々木はナインと離れ、広島県警のパトカーで宿舎山雅(市内上柳町)へ護送されるわけだ。「おめでとう」「おめでとう」仲居さんたちが握手がわりに背中をたたくのを、うれしそうに首を縮めながらよけた。二階の自室へあがると、同室の稲川がさっそくこんな知らせをもってきた。「オレたち投手陣が積み立て金(おもに罰金の積み立て)から、金三万円なりをお祝いに贈ることになったよ」その積み立て金には、かなり出費しているはずの佐々木だけに、ほんとうにうれしそうな顔をした。だが大喜びのナインのなかで、たったひとりだけ妙な顔があった。この試合のほんとうの先発だった小野。広島が必ずアテ馬二人を出して相手投手をうかがうのをみた三原監督が、小野の前に左打者を出させようとしたのが佐々木先発の舞台裏だった。だから佐々木の予定は一回で、二回からは小野に投げさせるはずだった。「次の回か、その次の回かと思いながら、とうとうブルペンで完投しちゃった。百五十球は投げたかな。ビックリしたな、もう」と小野はポカンとしていた。完全試合投手も、いわば投手のアテ馬だったのだ。

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