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ㅤㅤ合気道に対する誤解について皆さんの意見をお聞かせください。 この質問↓ https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q13166737578 に対する、貴方の回答。 合気道者ですが、「合気道は実戦的でない」ことを考え認識するだけでは足らず「合気道は格闘に際しては全く役に立たないこと」を説明できる論理とスキルと忍耐力が必要だと思います。加えて、合気道者でない人が親切で「合気道は役に立つ」と説明することを考え直していただける努力や、合気道者にとって「武道」とは何か分かっていること、夢を見ない、見させない、努力も必要です。弓道、なぎなた、居合だって「武道」です。 「インチキ」「やらせ」というのは見方として在りうることは明らかです。 ただ、「インチキではないか?」「やらせではないか?」と疑問形の言い方をする人は少なくとも、 「演武で投げられている人が、なんですぐに立ってまた攻撃を仕掛けることができるのか?」について曖昧にしか考えられない人です。少し受け身ができれば、たとえ畳でなくてもそれほどのダメージを受けないような技に対して、また、「仕手、受け」を交代しても同じように見せることができる演武というものに対して、なんで「向かって来る人をいとも簡単に倒しているのか?」「本当に倒している技なのか?」などという見方、表現をするのか。なぜそこ(受け側の論理)をあえて考えようとしないのか?。まずは「武道」の理解、実戦を考えていないということ、例えば「居合」は実戦に役に立つのかを考えることはほとんど無いしナンセンスであり、柔術分野にそれがあってもおかしくない。そこを説明することができるかどうかです。本当に「実戦(格闘)に役に立つ」のは「スポーツ」だけなのです。 以上ですが、とても興味深い回答だと思い拝読しました。 しかし、残念ながら、私には、その論旨が完全には把握出来ませんでした。 武道が居合いや、弓道を含む以上、完全に実戦を想定する等、無意味であると言う事迄は理解出来たのですが、受け側の理論と言う所が判然としません。 宜しかったら、詳しく解説して下さい。

ㅤ 「演武で投げられている人が、なんですぐに立ってまた攻撃を仕掛けることができるのか?」について、あなたのロジックを聞かせてください。↓ 『失礼ながら③の自ら飛んでいるが、一番可能性が高い様に思います。』→(以下は返信への回答) 全く失礼ではありません。仰る通りで、最近うまく飛べないなと薄々思っていたら、師匠のほうから「誘導された時に身体が回転して開いてしまってるよ、ここは身体の振り返りだけでいいんだよ。」と言われて、違うところを直したらスランプを抜け出したこともあるくらいです。②もあります。うまい人なら投げられるほうがすぐに攻撃できるように立ち上がりやすく投げてくれます。①も、初心者に対して、こいつは力を入れないのかなと思ってこちらも転がる(飛ばない方が楽)つもりで手首の力を抜いたところに何を考えたか急に馬鹿力でグキッと手首を曲げられて痛め、プライドで愚痴も言えず三ヶ月ぐらい痛さをこらえて完治を待つこともあります。大変でも安全に飛べるなら飛んだ方が更に安全なので習熟を目指します。でも、私が論理と言ったのはそういった受動態の目的ではなく、「演武で投げられている人が、すぐに立ってまた攻撃を仕掛けること」は合気道の本質として、インチキとしてみられる愚を犯してまでする程の、どんな意味があるのか?です。合気道は実戦の役には立たない武道です。では実戦とはなんでしょうか。それは戦意を持つ相手と格闘をすることです。合気道はそのような訓練を全くしません。合気道者は社会人の中に埋もれ争いを避け敵意を持たせない事を考えます。道場破りに来る人は、ステップを踏みシャドウボクシングのような動作をしながら威圧してきますが、そんな動作をする相手に合気道者がかなうわけがありません。ビビりながらも謝り倒し丁寧にお帰りいただきます。そんな彼も電車の中で弱そうなサラリーマンにそんな事をしたら殴った瞬間に犯罪者確定です。戦意を削(そ)いでそれをさせない。それでもしてきたら柔道・カラテで鍛えた警官にお任せする、合気道に残された合気道の使い道、それは相手を油断しきらせた状態で逃げきるために怒らせず手負いにさせず気づかれず(まるで偶然のように、魔法をかけたように)その技を使うこと以外にあるでしょうか。自分より明らかに強い相手に、見切られぬよう、気づかれぬよう、使えるのは各相手に一回ずつ、逃走経路を確保し各相手に違う技を一回だけ使って離脱あるのみです。さて、合気道のような試合をしない型武道と格闘技との違いとして見逃しがちなのは「型武道は得意技を開発しない」という点です。格闘技は勝つことが目的ですから個人の弱点を隠し、長所を活かした「得意技」を洗練させ強化しそれを利用して効率良く相手を倒します。型武道は「減点主義」で得意技があってもなんの自慢にもなりません。反面、できない技があることには恥を感じます。古来の「目録・皆伝」の世界です。演武のような多人数がかりや何回もかかって来る形式の稽古を「自由技」と呼びます。「自由技」の仕手で最も難しいことはなんだと思いますか?最近美しい流れるような技を何回も見せるショー的な演武を見かけることが多くなりましたがよく見て下さい、そのような演武では同じ名前の技を多用していることがわかります。やったことのある人はよくわかるでしょうがこれは演武としては楽な方法で、頭の働きを、動きを美しく見せることに注力させているのです。本当は攻撃して来る相手の状態・状況・姿勢等々によって異なる最適な技があるし、地道な稽古では、同じ状況であっても、毎回違う技を繰り出す事さえ要求されています。それを無理して誘導して同じ技に持っていっている。そういった演武は誘導が殊更にゆっくりしており、受けるほうもそれについてゆき、美しさ故に尚更他武道の方の不信をあおることになったりもします。中には、自由技と言いながら、何回目になんの技をやるか決めている人までいます。いくらポイントが高くてもそれでは本末転倒です。そうです。自由技の最も大切で難しいのは、リーズナブルかつランダムな技の選択の部分なのです。ここが合気道の核心部分です。何も考えずに楽に自由技をすれば、同じ技を多用してしまいます。恐ろしいほどに一回前に出した技に引っ張られる。その呪縛から解放されるのが「自由技」≒「演武」の本当の意義であり、それが合気道の唯一の使い道となる、「自分より強い油断させた相手に、見切られぬよう、気づかれぬよう、使えるのは各相手に一回ずつ、逃走経路を確保し各相手に違う技を一回だけ使う」ことの稽古たり得るのです。これは多人数がかりなら多ければ多いだけ、一対一なら早く起き上がってきてかかって来るほど困難になってきます。四方からほとんど同時に来る横面と正面と突きを(ヒョロヒョロとはいえ)逃走経路を視野に入れつつ、型を替えつつ、型通りにさばくには型自体を相当な速さと正確さでこなさねばなりません。でも、そんな贅沢な稽古が、献身的な「受け」の協力無しに可能でしょうか。逆に言えば、技の選択部分以外の部分、とくに「受け」や「受け身」などは、合気道にとって本質的なところではありません。合気道の技術の本質は仕手における完全にできる型の数と咄嗟に選ぶ技のランダムさといってよいでしょう。仕手が目を回す程の繰り返し攻撃、背中でも隙があれば軽く当てて教えてやる、受け(ガード)が不正確だったり甘ければ少しだけ強く打って破れる事を教えてやるなどの極限の親切心と誠実さを持って仕手の相手をするのです。仕手は感謝の証として怪我をさせないように爪を切り稽古にのぞみ、首から落ちないように立ち上がりやすいように勢いをつけてぶん投げてやる。受けはそれが正確な動きであれば、さっさと技を受けて次の攻撃に移る。正確でない時もそれを誘導する動きをしてやる。結果、情けは他人のためならず、そんな贅沢な稽古を自分もさせていただくことができるのです。▲さて、「本当に向かって来る人をいとも簡単に倒しているのか?」「本当に倒している技なのか?」というよくある質問に対しての「あれは気というものがあって」「達人にもなると」「ヤラセ・インチキ」「ダンス」「健康体操」等々の回答について、私はそれらを否定できるほど世の中の事を知りぬいた人間ではありません。どの回答者にも私の知らない経験があり、どれも各々がたどり着いた立場からの真実なのだと思います。深く見知る前に下す判断は「偏見」ですが、合気道者にしても偏見は持っているでしょう。ただ、『質問』に関しては、なぜ彼らは受け手の様子とか目的とか論理とかを考えてみずに術者の方ばかり見て質問をしているのだろうか?と思います。演武においては全てが見えています。倒されたはずの人が、なんのダメージも受けずにすぐ立ち上がり、またヘナチョコの攻撃をする。これを見せていない演武はないはずなのです。▲師匠は滅多に受け手をすることはないのですが、弟子同士の相手がいない時などに私の受けをとってもらえる時があります。流石に本気になります。鹿島の剣の重い木刀を振り回してきた丸太のようになった腕に体重を載せた手刀の横面をさばこうとして何回自分の指が自分の目に刺さったことでしょう。一度だけでも十分なのに、重い体ですごい音を立てて受け身を取り、またかかってきた時の自分の顔の表情を想像すると笑ってしまいます。そんな受け手に囲まれて多人数がかりで自由技の稽古ができたらどんなに良いかと想像したりしています。 ---了--- あ、そうすると二回目の返信の②ということになりますか。

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