匿名さん
卓球ラケットの シグネイチャモデルについて シグネイチャモデルって、そんなに欲しいモンでしょうか? 私は、ラケットにヒトの名前(特にプレイヤー)が冠されると、ソレがどんなに優秀な製品であっても、途端に興味が半減します。
ナンちゅ~か、創造性が破壊されるというか、想像するタノシミに欠けるというか…(*_*) まぁ、プレイヤーへのアコガレという側面は否定できないにしても、作り手側として製品に込めた矜持とか、使い手側としての未使用時点でのワクワク感とかが、プレイヤーのイメージで固定化されちゃう(そういう意味では、元々プレイが天衣無縫な、マリンやワルドナーシリーズだけは許せるのですが)。
シグネイチャモデルを多数擁するアノ某社の広告で、 「プレイヤーに寄り添う製品開発!」 「社名の由来は、プレイヤーが華なら我々はソレに寄り添う蝶(ww)でありたいから!」 とか謳ってましたが、寧ろ、 「じゃ、名前モデルになるような選手以外にゃ寄り添ってナイのかよ~!」 とか思い、ましてやソノ名前モデルを当該選手が実際に使ってなかったりすると、 「寄り添ってんのは、販売ダケかよ~」 とか揶揄せずにいられませんww こんなの個人の感覚(しかもかなりのヒネクレww)でしかナイのですが、皆さんはどう思われますか?