元国鉄の鈴木皖武投手を知ってますか? 1965年 大柄なナインにかこまれるとどこにいるのかわからなくなる。メンバー表には1㍍73、64㌔とあるが、正確にいえば1㍍70、63㌔。実に無口だ。ことしの一月十四日、高校時代(愛媛県宇摩郡土居高)机をならべていた千代子夫人とこっそり結婚式をあげたことをまだ知らないナインもいる。そんな男が、四回の打席にむかうとき豊田にいった。「絶対に打って決勝点をあげてみせる」鈴木にはそれだけの確信があったそうだ。「稲川さんはスライダーを多く投げていた。あの球なら打てるような気がしたんです」これが今季初ヒットだ。七回から石戸にバトンをわたし、すずしい顔でベンチに引きあげてきた。「調子はよくなかった。こんな寒い天気だし、十二日の阪神戦(神宮)でやった右ヒザ打撲や、持病の腰の神経痛が出て苦しかった。だから七回監督さんに一発打たれると困るので代えてくださいと頼み込んだんです」全部リリーフで3勝目。プロ入りしてから昨シーズンまで5勝しかあげていないのだから、ことしはすごいハイピッチだ。リリーフをいいわたされるとき、いつもこう考えるそうだ。「ていねいに。打者の気迫に負けちゃいけない」これまで八イニングを投げたのが最高。スタミナをつけて九回をまかせてもらうような投手になりたいというのがこれからの目標だ。ダブダブのアンダーシャツは巨人へ移った金田の置きみやげ。金田によくさそわれた。「キヨ、そんなやせたからだじゃりっぱな投手になれんで。どや、メシでも食いにいこうか」だが鈴木にとって世の中で一番こわいのはこの金田だという。「仙台へきた晩見た夢は、一生懸命カネさんのバッティング投手をつとめていることだった。コントロールに気ィつけや、という声までつくんだから、ためになる夢ですよ。そのせいかグラウンドでも、コントロールはずば抜けてよかった。低めをねらったのが成功したと思います。いままで広島と巨人にしか勝てなかったが、これであとは中日と阪神だけになりました」六日の巨人戦(広岡)七日の巨人戦(船田、広岡、城之内)、八日の阪神戦(遠井)、十二日の阪神戦(朝井、辻佳、バッキー)と、四試合にわたって、ショート・リリーフするたびに全打者を三振にとり、連続8奪三振というセ・リーグ・タイ記録をマークした。十八日からの巨人戦(後楽園)で、金田と会うのをたのしみにしている。ネット裏でメモをとっていた巨人の小松スコアラーのノートには鈴木の欄に赤エンピツで要注意と書き込まれていた。