元毎日のカイリー投手を知ってますか? 1953年 日本のプロ野球に初めて登場した大リーガーである。六尺一寸廿四貫六百、

元毎日のカイリー投手を知ってますか? 1953年  日本のプロ野球に初めて登場した大リーガーである。六尺一寸廿四貫六百、

元毎日のカイリー投手を知ってますか? 1953年 日本のプロ野球に初めて登場した大リーガーである。六尺一寸廿四貫六百、まずスタルヒンと別所の仲間ぐらいの体格だ。しかし笑うとまだ童顔が抜け切らない。廿三歳。1951年のア・リーグ、レッドソックスで7勝7敗の成績をあげ新人投手№1に推された。昨年十月駐留軍として来日、埼玉県朝霞で軍務に服し、かたわら米軍チームで最強といわれるキャンプ東京のエースとして怪腕ぶりをふるっていた。毎日二軍を三回、巨人二軍を一回、むろん軽くヒネっている。米軍チームの対抗試合でも20試合投げて、一度しか負けていない。どうしても今年は優勝という毎日がレオ・カイリー投手を迎え一挙に敗勢を覆えそうとしたのだろうか、甲府の対西鉄戦に初登板して日本の本塁打を浴び「大リーガーも大したことはない」と野次られた。しかしうなりを生じてミットに入る低目の速球は「あれでコントロールがよかったなら打たれなかったろう」と若林監督がいうようにすばらしい。以下若林監督の通訳による一門一問。 ー甲府で打たれたのは? 「甲府球場の投手マウンドは低すぎて投げにくく、コントロールが乱れた。また日本の選手は背が低いので投げにくい」 ーレッドソックス時代の球歴は? 「インディアンスを除く六球団に全部勝ち、ホワイトソックスには二度勝っている。ヤンキースに勝ったときは嬉しかった。スコアは4-2.先発投手として8イニング投げた。まだジョー・ディマジオもいたころだよ」 ーキャンプ東京での練習は? 「午前中が軍務、午後が練習。除隊まで(十月の予定)軍務とプロ野球生活を送ることについて無理ではないかとよく聞かれるが、ぼくの仕事は労務班の主任なので肉体労働ではない。ナイターは勤務時間外だから大丈夫だし、日曜は休みだ。それに十月までには四十五日の休暇予定がある」 ー日本の気候はどうか? 「暑いのは好きだから大丈夫、大リーグ時代には四日に一度の登板だったが日本のプロなら三日に一度。日本のプロは早い球を投げる人が少ないね。カーブ投手が多い。甲府の試合では右翼方面へ狙い打たれたが、バッターはなかなか器用だ。しかしフィールディングが一ばんうまいよ」 ー得意の球は? 「スクリュー・ボールとシンカー」 若林監督談「あれで大リーグの間では球が早い方ではない。速球投手というよりチェンジ・オブ・ペースの投手だ。ストレートと変わらないスピードで手もとで落ちる球はちょっと手が出ないだろう。大リーグ時代はほとんど先発投手ばかりでリリーフは苦手だといっている。甲府では調子の悪いところへもってきてリリーフさせたので悪かった。だがそれよりも問題は捕手だ。いまのところ彼の球をとるだけで精一ぱいというところ、捕手が早くカイリーの球に慣れてくれることが一ばん大事だ」

Ⅼ・カイリー投手 ・1953年、1シーズンというよりも、8月だけで6試合に登板。無傷の6連勝でアメリカに帰ったのが毎日のカイリ―だ。左からのサイド投法でスクリューボールが生きていたという。当時、一緒にプレーした人の話では、関西の遠征時には米軍のヘリコプターに乗ってきて、球場に直接降りてきたというのだから凄いスケールだ。8月8日の西鉄戦「甲府」がデビュー戦で以下、11日、東急戦「後楽園」、16日、阪急戦「浜松」、22日、阪急戦「西宮」、28日、近鉄戦「大阪」、30日、近鉄戦「西京極」の計6試合で6勝。完投が3試合で、最終登板が完封勝利。45イニング投げ被安打36本、四死球21、奪三振32、被本塁打が2本あるが防御率は1,80.さらに驚かされたのがバッティングでホームランこそなかったが19打数10安打の打率526は恐れ入る数字だ。当時、毎日の選手の月給が4万から5万という時、カイリ―は「1試合で10万」という超破格の契約を結んでいたという。初めは高すぎると周囲は文句を言っていたがカイリ―が出れば必ず勝つので、いつしか誰も何も言わなくなった。だが、この年の7月に商戦戦争が終わって在日米軍の縮小が始まると、カイリ―の除隊も早まりさっさと帰国してしまった。カイリ―はその後も大リーグ・レッドソックスで投げ、1958年には47試合に登板、5勝2敗、12セーブという記録を残している。

レッドに関する回答

【動画】車・バイクニュース

【動画だから100倍楽しめる】YouTube車・バイク動画(すべて見る)

見て楽しむニュース

【動画だから100倍楽しめる】見て楽しむ車・バイクニュース(すべて見る)

【速報】車・バイクニュース

完全無料で話題の車・バイクニュースがすぐに読める(すべて見る)

【話題】今話題の動画

SNSで1000いいね!以上の話題の動画(すべて見る)

この質問に答えてみる

元毎日のカイリー投手を知ってますか? 1953年  日本のプロ野球に初めて登場した大リーガーである。六尺一寸廿四貫六百、

元毎日のカイリー投手を知ってますか? 1953年 日本のプロ野球に初めて登場した大リーガーである。六尺一寸廿四貫六百、まずスタルヒンと別所の仲間ぐらいの体格だ。しかし笑うとまだ童顔が抜け切らない。廿三歳。1951年のア・リーグ、レッドソックスで7勝7敗の成績をあげ新人投手№1に推された。昨年十月駐留軍として来日、埼玉県朝霞で軍務に服し、かたわら米軍チームで最強といわれるキャンプ東京のエースとして怪腕ぶりをふるっていた。毎日二軍を三回、巨人二軍を一回、むろん軽くヒネっている。米軍チームの対抗試合でも20試合投げて、一度しか負けていない。どうしても今年は優勝という毎日がレオ・カイリー投手を迎え一挙に敗勢を覆えそうとしたのだろうか、甲府の対西鉄戦に初登板して日本の本塁打を浴び「大リーガーも大したことはない」と野次られた。しかしうなりを生じてミットに入る低目の速球は「あれでコントロールがよかったなら打たれなかったろう」と若林監督がいうようにすばらしい。以下若林監督の通訳による一門一問。 ー甲府で打たれたのは? 「甲府球場の投手マウンドは低すぎて投げにくく、コントロールが乱れた。また日本の選手は背が低いので投げにくい」 ーレッドソックス時代の球歴は? 「インディアンスを除く六球団に全部勝ち、ホワイトソックスには二度勝っている。ヤンキースに勝ったときは嬉しかった。スコアは4-2.先発投手として8イニング投げた。まだジョー・ディマジオもいたころだよ」 ーキャンプ東京での練習は? 「午前中が軍務、午後が練習。除隊まで(十月の予定)軍務とプロ野球生活を送ることについて無理ではないかとよく聞かれるが、ぼくの仕事は労務班の主任なので肉体労働ではない。ナイターは勤務時間外だから大丈夫だし、日曜は休みだ。それに十月までには四十五日の休暇予定がある」 ー日本の気候はどうか? 「暑いのは好きだから大丈夫、大リーグ時代には四日に一度の登板だったが日本のプロなら三日に一度。日本のプロは早い球を投げる人が少ないね。カーブ投手が多い。甲府の試合では右翼方面へ狙い打たれたが、バッターはなかなか器用だ。しかしフィールディングが一ばんうまいよ」 ー得意の球は? 「スクリュー・ボールとシンカー」 若林監督談「あれで大リーグの間では球が早い方ではない。速球投手というよりチェンジ・オブ・ペースの投手だ。ストレートと変わらないスピードで手もとで落ちる球はちょっと手が出ないだろう。大リーグ時代はほとんど先発投手ばかりでリリーフは苦手だといっている。甲府では調子の悪いところへもってきてリリーフさせたので悪かった。だがそれよりも問題は捕手だ。いまのところ彼の球をとるだけで精一ぱいというところ、捕手が早くカイリーの球に慣れてくれることが一ばん大事だ」

※未入力の場合「乗り物好き」として匿名で回答できます。

※未入力可能

全角10文字以上4000文字以内