元巨人の池沢義行選手を知ってますか? 1966年 一塁ベースの上に立った池沢の顔には殊勲打を打った選手のだれもが見せる、あの会心の笑いはなかった。ボンヤリと空を見上げ、深呼吸ひとつ。それから暖かい拍手に迎えられて、ベンチに帰った。ヘルメットをとってナインのみんなに深く頭を下げる。「オレ、うれしいよ。ほんとうにうれしいんだ。ルーキーで巨人に入団して初めて打ったヒットより、オレはこの一本を決して忘れないだろうな」背番号のない男、テスト生としてことし再び巨人にとび込んだ。宮崎キャンプでナインとは別の宿舎で寝泊まりした苦しい思い出も、大淀川の川べりでたったひとり振りまくったバット・スイングも、この日中前へとんでいった打球がみんな忘れさせてくれた、という。「オレ苦労したかいがあった、とつくづく思ったよ。胸がジーンとしめつけられるようだった」昨年の暮れ、右ヒジを手術したばかり。「バット一本に生きる」というのが池沢の口グセだった。首脳陣もそれを覚悟で採用した。「打つだけしか能がないんだ。だから逆に打ってやろうとりきんでしまう。いままで打てなかったのはそのせいだったんだ」初ヒットが本格地の後楽園。打席に立つ前、川上監督は「りきまずにいけ」とそっと耳打ちした。「つまってもいい、当りそこねでもいい。オレは早く一本のヒットが打ちたかった」本拠地で初めて試合に出た背番号41は、じっとソラーノの球を待ち受けていた。「真っすぐだけをねらっていた。三球目はたぶん真ん中のストレートだった。やったと思ったとたん、あの拍手の大きさに一瞬ポカンとしてしまったんだ」いったん野球をあきらめた池沢を静岡県伊豆山のトレーニングにさそった城之内は、ロッカーのテレビで初ヒットを見た。「よかった。イケは打ったぜ」ボール拾いからあらゆる雑用まで、じっと苦労にたえてきた池沢をみてきたナインの声にも実感がこもっていた。「イケさん、ナイス・バッティング」「おめでとう」だが池沢がいま一番おめでとうといってもらいたいのは久子夫人だそうだ。昨年の暮れ、東京・練馬の高松町に新しい家庭をもった。テスト生として宮崎に出発するとき、はげましてくれたのも久子夫人だし、採用がきまらないときの沈んだ気持ちをひきたててくれたのも夫人の手紙だった。「家に帰って女房におめでとうをいわれたら泣けてくるかもしれないな」右ヒジの手術でのびていた披露宴をことしのシーズン・オフにやりたいという。