元中日の戸田忠男選手を知ってますか? 1956年 杉下の意外な不調から同点とせまられた中日五回の攻撃、ギッシリうずめつくしたスタンドがわきにわいた。右翼の黒い観客のかたまりがサッとひらく。背走を重ねた大津が金網にとびついてグローブを出したが、その上をはるかにライナーでとび込んだ。これが中日の決勝ホーマーとなった戸田の一撃である。その球の行方を眺めながら戸田はゆっくりベースを一周。めったに感情を面に出さない三塁コーチの野口監督に片手どころか両手をとられてふりまわされ、ホームでは待ち受けたナインにもみくちゃにされた。ベンチに入った戸田はまず冷たいお茶をぐっと一気に飲みほす。「1-1後の3球目、内角高目の一番好きなコースだった。一球目は内角低目のシュートでボール、二球目も同じような球で思い切り振った。ファウルになったが気持よく腰も、バットもまわったので打てそうな気がしていた。少しバットのにぎりをやわらかくしてすべり落ちるくらいにして打った。もちろんホームランなんて夢にも思っていなかったが」感激に声も少しふるえている「五回の阪神の攻撃のとき、監督さんが代打に出ろといわれたので控室の大鏡の前で三十本ばかり素振りをやった」という。研究熱心なことは中日の中でも定評がある。二十九年豊川高から入団。二年間ずっと下積生活を続けて今年で三年目である。昨年は新日本リーグで最高殊勲選手となってそれから自信をつけたそうで今年のキャンプで野口監督が中、川崎同様この戸田を買っていた。ただゲームになってから気の弱いところが出るというのが唯一の欠点(近藤二軍監督談)であったが「今夜は非常に落ち着いていた。前の巨人戦(十七日)に別所さんの球を三塁打したが、あの方がかたくなっていた」と殊勲の本塁打賞をもらいながらニコッと笑う。今年はこれで五試合目。安打は別所から打った三塁打とこの夜の本塁打二本だけ。「守備位置がはっきりしないんです。入団したとき一塁。それから外野を回り、また一塁とかわり方が激しいんです。これがいま一番の悩み」だそうだ。五尺七寸五分、十九貫、右投左打、二十歳。子供子供した青年である。