元ロッテの浜浦徹投手を知ってますか? 1971年 「あいつがいてくれたらもっと勝ってた。3勝ほど損したよ」ロッテの大沢

元ロッテの浜浦徹投手を知ってますか? 1971年  「あいつがいてくれたらもっと勝ってた。3勝ほど損したよ」ロッテの大沢

元ロッテの浜浦徹投手を知ってますか? 1971年 「あいつがいてくれたらもっと勝ってた。3勝ほど損したよ」ロッテの大沢二軍監督がぼやいた。イースタン・リーグで昨年の優勝チームが六日現在、四位。不振の原因は投手不足で、監督に「あいつが・・・」といわせた男は浜浦徹投手だ。ことし大分・津久見高からドラフト二位で入団。アメリカ・キャンプで注目された。大リーガー相手に、スピードボールをビュンビュン投げる姿に一躍首脳陣は大喜び。「シーズンはじめはファームでじっくり育てて、投手がばててくる夏場には一軍に上げよう」2連パを目ざす濃人構想にも浜浦の名はしっかりときざみこまれたほどだ。しかし浜浦の一軍登板はいま、微妙な段階にたっている。五月下旬、練習中に右ヒジを痛めた。「はやく認めてもらいたいと思って、つい夢中で投げすぎたんだろう」と大沢監督はいうが、当時、浜浦はキャンプの構想より早いピッチで一軍再登板を目前にしていた。イースタンで2勝。勢いにのって四月の東映戦で一軍へデビュー、打ち込まれた。「キャッチャーがずいぶん遠くみえたんです。コントロールに自信がなくてウデがちぢんで、さんざんでした」高校時代の甲子園でもアメリカでもあがったこともなかった男が顔色なしだ。ファームで再調整。コントロールと変化球のレパートリーをふやす特訓を受けた。「もう大丈夫です。カーブだってストライクをとれる。スライダーもシュートもほうれます」という浜浦に中西コーチも「ナイターなら一軍でも速球とカーブで五回ぐらいならもつだろう」とみていた矢先のヒジ痛だ。三週間休んでハリとマッサージを受けた。なおったと思った一日のヤクルト戦でまたピリッと縮んだ。「こんどは一週間も休めばいい。スピードも五、六分程度だが、少し投げ込んだらもどる。七月一杯にはトップ・コンディションにもっていきたい」と浜浦は懸命だ。大沢監督、中西コーチは「いい素質をもっているんだから、じっくり様子をみて・・」とたづなをひきしめている。ヒジ痛には鬼門といわれるツユも明けた。浜浦のヒジがどこまで回復するか。

知らなかったので調べました。 津久見高では1970年の春の選抜にエースとして出場。 1回戦で米子東高に完封勝利、しかし2回戦では千葉商の永島時郎(日本通運)、高浦美佐緒のバッテリーに抑えられ惜敗。 同年夏の甲子園予選は故障で登板できず、中九州大会決勝で、エース小川清一を擁する大分商に敗退。 1学年下のチームメートに橘健治、岩井隆之がいた。 同年のドラフト2位でロッテオリオンズに入団。 1971年にはジュニアオールスターに出場。1972年春、メジャーリーグのサンフランシスコ・ジャイアンツに野球留学した際、ジャイアンツが獲得を申し入れ、フランク・ジョンソンとの交換トレードで、初の日米間の交換トレードとしてジャイアンツに移籍した。 アメリカではマイナーリーグの1Aフレスノに所属、奪三振王に輝き2年連続で10勝した。 その後1974年に太平洋クラブライオンズに移籍、日本球界に復帰した。 速球に威力があり先発陣の一角として起用されるが、制球力に課題があり伸び悩む。1981年にロッテに移籍してこの年限りで現役引退。 右オーバースローからのストレート、カーブ、スライダー、チェンジアップを武器とした。 通算103試合登板 11勝22敗。 防御率5.26 背番号 14 (1971年) 19 (1975年 - 1977年) 13 (1978年 - 1981年) 津久見といえば川崎憲次郎ですね。 彼も肘痛で悩まされましたね。

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元ロッテの浜浦徹投手を知ってますか? 1971年  「あいつがいてくれたらもっと勝ってた。3勝ほど損したよ」ロッテの大沢

元ロッテの浜浦徹投手を知ってますか? 1971年 「あいつがいてくれたらもっと勝ってた。3勝ほど損したよ」ロッテの大沢二軍監督がぼやいた。イースタン・リーグで昨年の優勝チームが六日現在、四位。不振の原因は投手不足で、監督に「あいつが・・・」といわせた男は浜浦徹投手だ。ことし大分・津久見高からドラフト二位で入団。アメリカ・キャンプで注目された。大リーガー相手に、スピードボールをビュンビュン投げる姿に一躍首脳陣は大喜び。「シーズンはじめはファームでじっくり育てて、投手がばててくる夏場には一軍に上げよう」2連パを目ざす濃人構想にも浜浦の名はしっかりときざみこまれたほどだ。しかし浜浦の一軍登板はいま、微妙な段階にたっている。五月下旬、練習中に右ヒジを痛めた。「はやく認めてもらいたいと思って、つい夢中で投げすぎたんだろう」と大沢監督はいうが、当時、浜浦はキャンプの構想より早いピッチで一軍再登板を目前にしていた。イースタンで2勝。勢いにのって四月の東映戦で一軍へデビュー、打ち込まれた。「キャッチャーがずいぶん遠くみえたんです。コントロールに自信がなくてウデがちぢんで、さんざんでした」高校時代の甲子園でもアメリカでもあがったこともなかった男が顔色なしだ。ファームで再調整。コントロールと変化球のレパートリーをふやす特訓を受けた。「もう大丈夫です。カーブだってストライクをとれる。スライダーもシュートもほうれます」という浜浦に中西コーチも「ナイターなら一軍でも速球とカーブで五回ぐらいならもつだろう」とみていた矢先のヒジ痛だ。三週間休んでハリとマッサージを受けた。なおったと思った一日のヤクルト戦でまたピリッと縮んだ。「こんどは一週間も休めばいい。スピードも五、六分程度だが、少し投げ込んだらもどる。七月一杯にはトップ・コンディションにもっていきたい」と浜浦は懸命だ。大沢監督、中西コーチは「いい素質をもっているんだから、じっくり様子をみて・・」とたづなをひきしめている。ヒジ痛には鬼門といわれるツユも明けた。浜浦のヒジがどこまで回復するか。

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