元西鉄の与田順欣投手を知ってますか? 1966年 球の速さでは西鉄一。しかし一昨年の7勝をピークに足踏み状態をつづけて

元西鉄の与田順欣投手を知ってますか? 1966年  球の速さでは西鉄一。しかし一昨年の7勝をピークに足踏み状態をつづけて

元西鉄の与田順欣投手を知ってますか? 1966年 球の速さでは西鉄一。しかし一昨年の7勝をピークに足踏み状態をつづけている。敗戦処理となるとがぜん好投するくせに、クロス・ゲームでは打ち込まれるという精神面のもろさがあった。だが重松コーチは「たぶんキャリアが不足しているだけで気は弱い方じゃない。場数さえふめば必ず戦力になるだけのものをもっている」とシーズン中から口をすっぱくしていっていた。九月二十九日の小倉の東映戦で完封したのがやっと2勝目だった。重松コーチは「あれですっかり自信をつけた。もしゲーム数がまだ残っていたらことしは3勝程度ではすまなかったはずだ」という。だから与田にはこの巨人戦も公式戦の延長のような気持ちだったかもしれない。六回、田中勉と交代するまでベスト・メンバーをそろえた巨人打線を二安打に押え込んだ。帰りのバスに乗り込むとき、中西監督に「やっと一人前になったな」と肩をたたかれると、顔を赤くしてうれしそうにいった。「ええ、なんだか投げれば投げるだけよくなるような気がします」シーズンはじめとくらべてウエートが前にのるようになった。そのため持ち前のストレートがいっそう速くなったという。福岡市西新町のアパートには昨年暮れ、周囲の反対を強引に押し切って結婚した二つ年上の登子(とみこ)夫人(24)が待っている。一粒種の雅彦ちゃんも若いパパの顔がわかるようになった。しかもこの藤崎台球場は八代一高のころから何度もマウンドを踏んだ思い出の場所だ。与田がハッスルする条件はそろっていたわけだ。重松コーチは「九十点以上はやれる。球質が軽いので長打力のある打者には弱かったが、長島に対する攻め方など完ぺきだった」とほめていた。

この選手も以前学習しましたね。 知ってます。 八代商業高校では甲子園に出場できなかったが、本格派右腕として注目され、熊本県選抜チームの一員として佐藤元彦、松岡功祐、末次民夫らとともに沖縄へ遠征した経験を持つ。 直球に威力があり、スライダー、カーブ、シュートなど多彩な変化球も武器としていた。 1962年に西鉄ライオンズへ入団。 同年5月には初先発に起用されるが、結果を出せず2年間は低迷。 しかし1964年には先発陣の一角に入り、井上善夫と並ぶチーム最多の60試合に登板、7勝18敗を記録する。 その後も先発、中継ぎと幅広く起用され、1967年には自己最多となる13勝を挙げるなど主力投手として活躍した。 しかし、1970年に黒い霧事件に関わったとして永久追放され、球界を去った後はタクシー運転手に転身した。 通算307試合登板 46勝66敗 防御率3.18 背番号 37 (1962年) 23 (1963年 - 1969年) 17 (1970年)

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元西鉄の与田順欣投手を知ってますか? 1966年 球の速さでは西鉄一。しかし一昨年の7勝をピークに足踏み状態をつづけている。敗戦処理となるとがぜん好投するくせに、クロス・ゲームでは打ち込まれるという精神面のもろさがあった。だが重松コーチは「たぶんキャリアが不足しているだけで気は弱い方じゃない。場数さえふめば必ず戦力になるだけのものをもっている」とシーズン中から口をすっぱくしていっていた。九月二十九日の小倉の東映戦で完封したのがやっと2勝目だった。重松コーチは「あれですっかり自信をつけた。もしゲーム数がまだ残っていたらことしは3勝程度ではすまなかったはずだ」という。だから与田にはこの巨人戦も公式戦の延長のような気持ちだったかもしれない。六回、田中勉と交代するまでベスト・メンバーをそろえた巨人打線を二安打に押え込んだ。帰りのバスに乗り込むとき、中西監督に「やっと一人前になったな」と肩をたたかれると、顔を赤くしてうれしそうにいった。「ええ、なんだか投げれば投げるだけよくなるような気がします」シーズンはじめとくらべてウエートが前にのるようになった。そのため持ち前のストレートがいっそう速くなったという。福岡市西新町のアパートには昨年暮れ、周囲の反対を強引に押し切って結婚した二つ年上の登子(とみこ)夫人(24)が待っている。一粒種の雅彦ちゃんも若いパパの顔がわかるようになった。しかもこの藤崎台球場は八代一高のころから何度もマウンドを踏んだ思い出の場所だ。与田がハッスルする条件はそろっていたわけだ。重松コーチは「九十点以上はやれる。球質が軽いので長打力のある打者には弱かったが、長島に対する攻め方など完ぺきだった」とほめていた。

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