元中日の生田裕之投手を知ってますか? 1976年 福岡空港にほど近い新興の桜丘団地。あけぼの通称野球部の合宿所では、生田を中心にして池田和隆監督、父親義定さん(元中日スカウト)高松コーチら関係者の明るい笑い声が弾んだ。「中日さんには私が七年半もお世話になった義理がある。お前の球はプロで通用する威力がある。ファームで下積み一年間は覚悟しなければならないが、努力しだいでは後半戦に一軍入りできるかもしれない。せっかく光栄なら2位で指名してもらったのだからしっかりやるんだぞ」こう生田を激励する義定さんは九州球界でも無名の島原中央高二年生のときそのかくれた素質を見抜き、息子の和隆さんが監督していた丹羽鉦電機(愛知県尾張旭市)に四十九年三月の卒業と同時に就職させた。当時の生田はまったく山だしの荒削り。ピッチングのイロハも知らなかったらしい。現在、日本ハムにいる川原、福島、中村の三投手を育成した和隆監督は、生田を本格派の大投手に育て上げるため速球一点張りのピッチングを仕込んだ。恵まれた体から投げ下ろす速球が魅力で、ことしのドラフト前、中日だけでなく巨人、ロッテ、近鉄、日本ハム、クラウンなどからも「上位で指名したいからよろしく」とあいさつがあったという。中央大会には出ていないが、ノンプロでの通算成績は18勝5敗。今春、丹羽鉦電機野球部が解散したのでチームメイトと池田監督親子をしたって福岡に移住。義定さんが新設、来春から九州社会人野球連盟へ加盟予定のあけぼの通商の野球部に入った。「中日の山崎スカウトから、ジャンボ堂上級の素材だと目をつけていたから、中日の指名は当然でしょう。大柄な割に体が柔軟だし、性格は素直。プロのコーチについて大きく伸びてほしい。うちにはほかにもいい投手がたくさんいる」と和隆監督。生田は「高校時代からプロでやってみたいと思っていた。卒業のとき巨人のテストを受けたが、ものの見事に振られた。だから一日でも早く巨人戦に投げさせてもらえるようになり、そのお返しをしたい。中日では星野仙投手の強気のピッチングが好き。一球入魂のあの真剣な態度を見習いたい」といってさっそく合宿前の公園で軽いピッチング。その豪快なフォームを披露した。