元ロッテの鈴木弘選手を知ってますか? 1972年 ロッテのジャンボ鈴木弘一塁手(25)がことしかぎりでユニホームを脱ぐことになった。ロッテは二十五日、同選手を球団事務所に呼び、自由契約を申し渡した。四十五年に大東文化大を卒業、SF・ジャイアンツのキャピー原田極東担当スカウトにつれられて新人として初めて海を渡り、ルーキー・リーグのディケーターでプレー。四十六年に帰国し、ロッテに入団、再出発を期したが、ついに野球で花を咲かすことはできなかった。この日がくることをスズキはかなり前から予想していたという。来年もロッテでプレーしたい。という希望はもってはいたが、球団から契約更改の連絡はいっこうにこない。この日球団事務所に姿をみせたスズキにはマンモスのニックネームをもらったおもかげはなかった。ファームでは売り物になっていたアゴの下までのばしていたもみあげも短くカットしていた。「これからはサラリーマンとして出直さなければいけませんからね」1㍍91、96㌔の巨体に目をつけられ、四十五年に大リーガーの夢をいだいてアメリカに渡った。しかし、現実は鈴木が考えていたよりもはるかに厳しかった。1Aのフレスノからルーキー・リーグのディケーターに落ちた。四十六年に夢を大リーガーから日本の正選手に切り替えて帰国、ロッテのテストを受けて入団した。直球にはめっぽう強い。まともに当ればピンポン球のように飛んでゆく。だが、カーブや変化球には素人のようなバッティングしかできなかった。鈴木がことしかぎりでユニホームを脱ぐ、というウワサにプロ・レスラーのジャイアント馬場が熱心に入門を誘った。馬場は同じ巨漢選手で野球では失敗したが、レスラーで成功している。同じ道を歩んだ鈴木を自分の後継者にしたかったようだ。だが鈴木は、この誘いを首を横に振った。「ボクは跳んだり、ぶつかったりするプレーが苦手なんです。それに母(つるさん)も反対していますし・・・」まだ、どんな会社に就職するかは決まっていない。しかし、これからは「現実をみつめ、自分に厳しく生活してゆきたい」という。間もなく東京・葛飾区柴又の実家をでて千葉県にアパートを借りて生活する。「むこうの方が生活費が安いんです」二㍍近い大男はもう二度と華やかな世界に目を向けようとはしないだろう。