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マツダ・RX-7
RX-7(アールエックス-セブン)は、マツダが開発・製造していたスポーツカーである。
サバンナRX-3の後継として、サバンナRX-7(SAVANNA RX-7)の名で1978年3月に発表。1991年に行われた2度目のフルモデルチェンジを機に、マツダが当時展開していたアンフィニブランドからの発売となり、名称がアンフィニ・RX-7(εfini・RX-7)へ変更されたが、1997年10月のアンフィニブランドの廃止で再びマツダブランドに戻している。2002年8月、自動車排出ガス規制の強化を受けて生産を終了。累計生産台数は81万台。
3代に渡り一貫してスポーツカーには珍しく、サッシュドアを採用している点も他社の類似車種には見られない特徴であった。また、3代ともフロントマスクにリトラクタブル・ヘッドライトを採用しており、FD型は日本車で最後にリトラクタブル・ヘッドライトを装備した車種となった。
2004年、米国のスポーツカー専門誌スポーツカー・インターナショナルが選出したベスト・スポーツカー1990年代部門で3代目FD型が第10位に、また同1970年代部門で初代SA22C型が第7位を獲得している。徳大寺有恒は2代目について「耐久性はポルシェにはかなわないが、その他の性能ではRX-7のできは上々で、総合点ではポルシェ944を凌ぐ」と評した。
販売店系列は3代目までマツダオート店→マツダアンフィニ店の専売モデルだったが、モデル末期にはユーノス店が統合されたマツダアンフィニ店とマツダ店で販売された。
1978年3月30日、サバンナ(輸出名RX-3)の後継機として、初代サバンナRX-7となるSA22C型サバンナRX-7が発表された。開発コードはX605。
プラットフォームにはマツダ・SAプラットフォームが用いられ、エンジンは12A型水冷2ローターエンジンの自然吸気(NA)仕様を搭載していた。性能面では、130ps/7,000rpm、最大トルク16.5kg・m/4,000rpm、パワーウェイトレシオ7.6~7.8kg/psであった。オイルショックの影響を受け、REAPSと呼ばれる排気ガスを再燃焼させるサーマルリアクター方式を採用し、従来に比べて40%の燃費アップを達成した。1979年には希薄燃焼型の12A型エンジンを搭載、サーマルリアクターは触媒に変更され、翌年に外観のマイナーチェンジでテールランプとフロントスカートのデザインを変更しcd値0.34を達成した。1982年には6PIエンジンに変更を受け、10モード燃費は10.2km/lを達成した。
1983年のマイナーチェンジの際に、日本仕様のみ12A型ターボエンジンが追加された。ロータリーターボエンジンの搭載は、世界初だったルーチェ/コスモから1年後となる。日本以外では、1984年 - 1985年に、13B型 EGI NA仕様搭載車が販売されている。このマイナーチェンジでは、ホイールハブのボルトピッチ(PCD)が、同業他社の後輪駆動車と同様に改められ、4穴PCD110mmの特殊形状から一般的な4穴PCD114.3mmに変更された。北米モデルでは、新たにVINコードの型式名を採用した為、FB3Sの呼称を用いる様になった。
0-400mが15.8秒は排ガス規制以前に日産・フェアレディZの240ZGが記録した水準に戻っており日本車としては高性能であった。福野礼一郎は「軽い速い低い、それは確かに間違いありませんでしたがついでに何ともすべてが軽々しく薄っぺらで安っぽい感じ」「足回りもブレーキもスポーツカーとしてはちょっと脆弱」と書いているが、基本構成に関しては「初代RX-7、いいパッケージです」「いつかマツダがもう一回RX-7のモデルチェンジをやる日がくるなら、なんともぜひこういうパッケージに戻してもらいたいですね」と評価している。
スポーティなフィールを手軽なコストで手に入れられるとして、初代フェアレディZ(S30)などとともに、アメリカではプアマンズポルシェと呼ばれた。後述する2代目、3代目からは、ポルシェと渡り合えるものとして対等の扱いを受けるようになった。
マツダ・ラリー・チーム・ヨーロッパは、世界ラリー選手権(1982年 - 1986年)グループBのカテゴリーに参戦するための車両として、初代RX-7を改造してRX-7 Evo グループBワークスを製作。しかし、1986年をもってグループBカテゴリーが消滅することが決定したため、製造台数は7台にとどまった。
ラリー参戦車両は、その後Mazda 323 4WDが引き継いで使用された。
1985年10月に最初のフルモデルチェンジを発表。車両型式は国内でもVINコードの型式名が採用され、新たにFC3Sへ変更された。
マツダ・FCプラットフォームが開発された。リアサスペンションは独立懸架化され、セミトレーリングアーム マルチリンクとなった。またハブ部分のリンクにブッシュを入れることでパッシブステア性によりセミトレーリングアームの欠点を打ち消す特性を持つ「トーコントロールハブ」を持ち、キャッチコピーには当時の流行でもあった「4WS感覚」という言葉が使われた。エンジンはインタークーラー付きターボ13B型を搭載する。フロントブレーキには日本車初の対向4ピストンのアルミキャリパーを採用。日本以外では、初代に続き13B NAエンジン仕様車が13Bターボエンジン搭載車とともに販売された。
ポルシェ・944との類似性が自動車雑誌などで話題となり、初代に引き続き「プアマンズ・ポルシェ」の呼称が使われることもあったが、性能面では0-100km/h7秒弱、最高速度はメーカーテストで238.5km/hを記録するなど大きく向上していた。
1989年4月にマイナーチェンジが行われ、エアフロをフラップ式からメジャリングコア式に、リアコンビネーションランプを角型から丸型3灯にする変更のほか、サスペンションの改良、ドアミラーの同色化、前後バンパーおよびボディのモール形状、アルミホイール、前席シート、インパネセンター、計器類のデザイン等が変更された。出力もタービンの改良により、前期の185psから205psに向上している。
グレードは最廉価グレード「GT」、ベーシックグレード「GT-R」、ビスカス式LSDとアルミボンネットを装備した「GT-X」、サンルーフ、オートクルーズ等豪華装備の「GT-Limited」、本革シートを装備した最上級グレード「GT-Limited・スペシャルエディション」が用意された。後に、GTはマイナーチェンジに伴って廃止されている。
1990年6月にアルミホイールのデザインを変更。また「∞(アンフィニ)」シリーズと呼ばれる2人乗りスペシャリティーモデルが4世代に渡りリリースされる。プレミアムガソリン仕様になったこのモデルは、高出力化され215ps/6,500rpmとなった。
また1991年のFD3S型へのフルモデルチェンジの年初(3月)、マツダ・787Bのル・マン24時間レース総合優勝を記念した最後の特別仕様車「ウィニングリミテッド」が1,000台発売された。
2代目に設定されていたカブリオレ・FC3C型はロータリーエンジン生誕20周年を記念して1987年8月に登場しているオープンカー仕様のグレードで、電動ソフトトップを装備する。カブリオレ製作のノウハウは、後のユーノス・ロードスターに活かされた。
1991年11月、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
1991年12月、FC3S型はフルモデルチェンジされFD3S型となるが、カブリオレ仕様は2代目仕様のまま生産され、1992年10月にサバンナRX-7の14年間(サバンナとしては21年間)とサバンナRX-7カブリオレ5年間を締め括るモデルとして、台数限定のファイナルバージョンが発売され、同年12月に販売を終了した。プラットフォーム、エンジンはFC3S型と同様。ロータリーエンジンを搭載するオープンカーはNSU・ヴァンケルスパイダー以来であり、マツダでは当モデルが唯一の存在である。2代目の生産台数は27万2034台。
1991年10月、2度目のフルモデルチェンジによりFD3S型 RX-7が発表され、同年12月より販売開始。このフルモデルチェンジを機に、1971年から20年続いた「サバンナ」の呼称がはずされ、当時の販売店系列「アンフィニ」の名を冠して「アンフィニRX-7」として発売された。後に販売店のアンフィニ店がユーノス店と統合したことにより、車名が「マツダRX-7」となる。開発コードはX105。マツダ販売網で扱われるようになってからは、車体先端のエンブレムが、マツダのロゴマークとなった。キャッチコピーは『アンフィニのスポーツです。』『その非凡さが、アンフィニ。』『ザ・スポーツカー』『ザ・ロータリースポーツ』。足回りには新開発の4輪ダブルウィッシュボーンが使用された。
エンジン出力は、シーケンシャルツインターボが搭載された13B型ロータリーエンジンで255psだったが、初期型255ps車のパワーウェイトレシオ(重量/出力比)は5kg/psを切っていた。後にエンジンの出力向上が行われ、1996年1月のマイナーチェンジで265ps(MT車)、1999年1月のマイナーチェンジでは280psに達し、一部のモデルでパワーウェイトレシオは6.11kg/kW(4.50kg/ps)に達した。
同社のユーノス・コスモが1996年に生産を終了して以降、RX-7は世界唯一のロータリーエンジン搭載量産車となる。RX-7は車体の軽量化やエンジンの高出力化を図るなど、「ピュア・スポーツ」をコンセプトに掲げる車両として開発が続けられたが、日本国内市場および北米市場におけるスポーツカー需要の低下や、ターボ過給機付ロータリーエンジンの環境対策の行き詰まりなどの理由により、2002年8月に生産終了、2003年4月に販売終了となり、RX-7は25年の歴史に幕を閉じた。
この前に、最終特別限定車「RX-7スピリットR」が同年4月に発売されている(限定車の発売は、最終特別限定車を含めて9回行われている)。2シーター5速マニュアル仕様の「タイプA」、4シーター5速マニュアル仕様の「タイプB」、4シーター4速オートマチック仕様の「タイプC」の3仕様を用意され、限定販売台数は合計1,500台であった。BBS社製17インチホイール、レッド塗装ブレーキキャリパー、専用インパネなどの専用パーツを装着。タイプAは専用のレカロ社製フルバケットシートなどを装備した。
2002年8月26日、宇品U3工場での最終生産車は、スピリットR タイプA チタニウムグレーメタリック車だった。この車の最終ラインオフに合わせ、FD3Sに携わったマツダのスタッフの他、一般公募のユーザーを加えて式典が催された。この車は市販されず、社内展用車となった。
12年のモデルサイクル中に複数のマイナーチェンジが行われ、下記のように分けられている。
1994年8月には2シーターグレードである「タイプR II バサースト」を限定販売。
1994年8月には「タイプRバサーストX」を限定販売。
1997年1月には「タイプRバサーストX」を限定販売。
外装はフロントおよびリアコンビネーションランプ、フロントバンパー、リアスポイラー、ABS等が変更されたが、1型から6型で流用不能なものはABSとECU、リヤ補強材の一部であり、マイナーチェンジ前の車両に変更後のパーツを移植することも可能である。
1998年と1999年に4型のRX-7がレーダー付きの高速隊パトカーとして宮城、新潟、栃木、群馬、埼玉、千葉、京都に7台導入された。現在は新潟県警察、群馬県警察、埼玉県警察の配備車両がイベント展示用として残されている。
イギリスの「テレグラフ」誌webサイトの「最も美しい車100選」で61位に選ばれた。
「R」が「ロータリーエンジン」、「X」が「未来を象徴する記号」を表し、「ロータリー・スペシャリティ」とも表現される。「7」は「マツダ内での車格番号」を意味する。
RXの車名を採用した車種は2、3、4、5が存在したが、日本国内向け車種でRXを使用したのは当車が初めてであり、後継の8も同様となった。
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