スバルインプレッサの中古車
販売期間:1998年11月から1999年08月
140件のスバルインプレッサの中古車
スバルインプレッサ |
SUBARU
株式会社SUBARU(スバル、)は、日本の自動車などを製造する重工業の会社である。
かつての商号は、「富士重工業株式会社」(ふじじゅうこうぎょう、略称:富士重(ふじじゅう)・富士重工(ふじじゅうこう)、、略称:FHI)であったが、2017年4月1日に自動車のブランド名として広く浸透していた「SUBARU(スバル)」に由来する「株式会社SUBARU」に商号を変更した。
日本の自動車メーカーとしては古い歴史を持ち、国内規模は小さいながらもレガシィシリーズ、フォレスター、インプレッサシリーズなどで世界的人気・知名度の高い自動車メーカーの一つである。特に同社のアイデンティティである4輪独立懸架や水平対向エンジンの技術は北米を始めとする海外で高く評価されており、中古車の輸出も盛んに行われている。なお、愛媛県四国中央市に本社を置く紙加工メーカーのスバル株式会社とは社名が似ているが無関係である。
1917年(大正6年)5月、中島知久平(元海軍機関大尉)によって群馬県新田郡尾島町(現:太田市)に設立された民営の飛行機研究所を前身とする。太平洋戦争(第二次世界大戦)終戦後、GHQにより財閥解体の対象となった中島飛行機(1945年(昭和20年)に富士産業と改称)がプリンス自動車工業と共に解体されたのが 、富士重工業のルーツである。
軍需から非軍需産業への転換、スクーターやバスなどの輸送用機器開発、企業分割などを経て、旧中島系の主要企業の共同により1953年(昭和28年)に富士重工業を設立。1955年(昭和30年)に参画各社が富士重工業に合併されることで企業としての再合同を果たした。
1958年(昭和33年)発売の軽乗用車「スバル・360」と、その派生型である1961年(昭和36年)発売の軽商用車「スバル・サンバー」が技術的・商業的に大きな成功を収めたことで、以後「スバル」ブランドの自動車メーカーとしての地位を確立。その他の分野にも多角的に進出しながら現在に至っている。
中島飛行機は、主として太平洋戦争敗戦まで陸海軍の需要に応え、軍用機および航空用エンジン開発・製造に取り組んだメーカーである。三菱重工業、川崎航空機と並ぶ、日本最大規模の航空機製造会社であった。
特に技師長小山悌の指揮下、陸軍(陸軍航空部隊)の歴代主力戦闘機・九七式戦闘機、一式戦闘機「隼」、二式戦闘機「鍾馗」、四式戦闘機「疾風」など、多数の著名な軍用機を送り出した。実戦投入は成らなかったが、日本初のジェットエンジン搭載機「橘花」の機体製造も中島の手に依っている。
航空発動機部門では、軍用ゆえの生産性や戦闘における生存性、前線での整備性などから空冷星型エンジンにほぼ特化しており、一式戦「隼」や零式艦上戦闘機(零戦)に搭載された「榮(ハ25)」、四式戦「疾風」や「紫電改」に搭載された「誉(ハ45)」などを開発した。
日本の敗戦とともに、GHQより航空機の研究・製造の一切が禁止され、中島飛行機は新たに富士産業と改称された。戦時中、最先端の航空機開発に取り組んだ技術者たちの生活は、各工場毎に、自転車、リヤカー、自動車修理、果ては鍋や釜、衣類箱、乳母車などの金属製品を作って糊口を凌ぐ日々へと一変した。
このような状況の中、太田と三鷹工場の技術者たちは、進駐軍の兵士たちが当時移動に利用していたアメリカ製のスクーター「パウエル」に着目する。軽便な移動手段としての販路を見込めると考えられたことからスクーターの国産化が計画され、早速、敗戦後も残っていた陸上爆撃機「銀河」の尾輪をタイヤに利用して試作、1947年(昭和22年)に「ラビットスクーター」として発売した。ラビットは運転が簡易で扱いやすかったことから、戦後日本の混乱期において市場の人気を博し、会社の基盤を支える重要な商品となった。ラビットシリーズのスクーターは、モデルチェンジを繰り返しつつ富士重工業成立後の1968年(昭和43年)まで生産された。
また航空機製造で培った板金・木工技術を活用し、1946年(昭和21年)からバスボディ架装にも進出、特に従前のボンネットバスより床面積を大きく取れるキャブオーバー型ボディの架装で、輸送力不足に悩むバス会社から人気を得た。さらに1949年(昭和24年)にはアメリカ製リアエンジンバスにならい、得意の航空機製造技術を生かした、日本初のモノコックボディ・リアエンジンバス「ふじ号」が完成。フロントエンジン型キャブオーバーバスより更にスペース効率に優れることから成功を収め、以降、日本のバスボディ・シャーシの主流はリアエンジンへ移行していった。
このようにして非軍需産業へ転進した富士産業であったが、1950年(昭和25年)8月、当時の政策によって財閥解体の対象となり、工場毎に15社以上に分割されてしまった。
1950年(昭和25年)6月に勃発した朝鮮戦争は、戦後不況にあえぐ日本に「朝鮮特需」をもたらしただけでなく、GHQの日本の占領政策を一変させた。1952年(昭和27年)4月、サンフランシスコ講和条約が発効すると、旧・財閥から民間賠償用としてGHQに接収されていた土地・建物の所有者に返還が始まった。富士工業(太田、三鷹工場)、富士自動車工業(伊勢崎工場)を中心とした旧・中島飛行機グループ内での再合同の動きがにわかに活発化、1952年(昭和27年)12月、大宮富士工業(大宮工場)、東京富士産業(旧・中島飛行機・本社)を加えた4社が合併同意文書に調印した。
同じ頃、1953年(昭和28年)の保安庁(現:防衛省)予算に練習機調達予算が計上され、航空機生産再開に向けて、ビーチ・エアクラフトT-34 メンターの製造ライセンス獲得に国内航空機メーカー各社は一斉に動き出した。当時、再合同の途上にあった旧・中島飛行機グループも再合同の動きを加速させた。1953年(昭和28年)5月には、鉄道車両メーカーとなっていた宇都宮車輛(宇都宮工場)が新たに再合同に参加することが決まり、1953年(昭和28年)7月15日、5社出資による航空機生産を事業目的とする新会社富士重工業株式会社が発足した。因みに丸の中に6つの星が描かれたSUBARUのロゴマークは、この「5社が集まって1つの大きな会社になった」ことを示している。
1954年(昭和29年)9月、6社が合併契約書に調印。1955年(昭和30年)4月1日、富士重工業は、富士工業、富士自動車工業、大宮富士工業、宇都宮車輛、東京富士産業の5社を吸収し、正式に富士重工業株式会社としてスタートした(当時の資本金:8億3050万円、従業員:5,643名)。ロゴは「富士重工」で、「重」の1画目がない形になっており、長らく使用された。
旧・中島飛行機の発動機開発の拠点で、荻窪工場と浜松工場を引き継いだ富士精密工業は、中島飛行機再合同の動きが本格化した1952年(昭和27年)には、事実上、既にタイヤメーカーのブリヂストンの資本下に入っており、再合同には参加しなかった。また、この時再合同に加わらなかった、富士機械工業など3社は、後に富士重工業の関連会社として加わっている。
富士重工業は、1966年(昭和41年)に東邦化学株式会社と合併し、存続会社を東邦化学株式会社とした。この存続会社の東邦化学株式会社は1965年(昭和40年)に商号を富士重工業株式会社と改めた上で合併しているため、一貫して継続した同一名称ではあるが、法律的には従来の富士重工業は1965年(昭和40年)に一旦消滅している。これは株式額面金額変更が目的の事務的なものである。
1966年(昭和41年)、それまで東京・丸の内の内外ビルディングに所在していた本社機能が新宿駅西口(新宿区西新宿)に自社建設した「新宿スバルビル」に移転する。
この節では自動車部門について述べる。
レオーネを発売した1970年代初頭から、本格的なアメリカ市場への進出を開始。オイルショックや排気ガス規制などの消費者の自動車に対する要求の変化や、当時の円安を背景とした廉価性を武器に、国産他メーカーと同じくアメリカ市場での販売台数を飛躍的に伸ばすことに成功した。
1968年(昭和43年)から1999年(平成11年)まではメインバンク(日本興業銀行/現: みずほ銀行)が同じ日産自動車と提携、日産・チェリー、パルサー、サニーなどの委託生産を請負い、工場稼働率のアップを図っていた。しかし、これら横置きエンジンの受託車両とスバル車とはボディ骨格からが大きく異なるため、設計や部品の共用化などが本格的に行われることはなかった。
一方、水面下では、インプレッサの企画段階において直列4気筒を横置きした試作車が作られ、水平対向の制約から逃れて「広い意味での汎用性」に重きを置く商品政策に舵を切る動きもあった。
1968年2月に(スバル・オブ・アメリカ)設立、同年イスラエル進出を皮切りに(エピソード欄も参照)、1970年代中盤から、南米、オーストラリアを中心としたアジア・オセアニア地方、中東、ヨーロッパなどにも進出。1970年代以前には年産10万台にも満たなかった生産台数を、1970年代後半には20万台規模にまで増やし、順調に企業規模を拡大した。
1985年(昭和60年)9月のプラザ合意以降の急激な円高とアメリカ市場との「共生」が求められるようになった時代背景の中で、北米市場での深刻な販売不振に直面。1987年(昭和62年)、いすゞ自動車との共同出資で、スバル・イスズ・オートモーティブ (SIA)を設立して現地生産も開始したが、主に魅力的な車種展開が図れなかったことや、企業規模から他国産メーカーと比べ製造コストを劇的に下げることができなかったことなどから、1989年には300億円もの営業赤字に転落。深刻な経営危機が報じられるまでになった。
しかし、折からの「バブル景気」によって資金調達のめどが順調に立ったことや、1989年1月、レガシィの発売以来、順調に国内市場、北米市場での販売を回復することに成功。1990年(平成2年)には日産ディーゼル(現UDトラックス)の経営再建に手腕を発揮した川合勇の下で地道なコスト削減努力が続けられた。WRCへの出場など、CI(コーポレーテッド・イメージ)の積極的な訴求効果とあわせ、年産100万台規模の世界的に見て比較的小規模なマスプロダクツ・メーカーとして現在に至っている。
バブル崩壊後、日産自動車が経営不振に陥り、経営再建の一環として日産自動車保有の富士重工業株の売却を決め、2000年(平成12年)に放出株全てがゼネラルモーターズ(GM)に売却された。
2005年(平成17年)10月5日にはGMの業績悪化に伴い、GMが保有する富士重工株20%を全て放出。放出株のうち8.7%をトヨタ自動車が引き受けて筆頭株主となり、富士重工業とトヨタ自動車が提携することで合意した。トヨタとの資本提携によるスバルの恩恵は大きく、稼働率の下がっていたスバルの北米工場で「トヨタ・カムリ」の生産を請け負ったり、品質管理やコストダウンの方法を学んだりするなどして利益率を高めた。また北米特化の車作りに転換する一方で、風力発電事業や軽自動車生産から撤退するなどの「選択と集中」を進めた。軽自動車保有層の受け皿としてダイハツ工業車のOEMを受け、販売を継続することとした。こうした努力が2015年の利益率業界1位に繋がっている。また2012年の「86/BRZ」の生産・販売も、トヨタとの提携を生かそうと模索していたことがきっかけであった。
2010年(平成22年)8月、東京都新宿区の本社ビル(新宿スバルビル)が老朽化したことなどに伴い、建物を小田急電鉄に売却した上で、本社機能を東京都渋谷区恵比寿の東京スバルの本社が入っていた「エビススバルビル(旧)」の跡地に新たに建て替える「エビススバルビル(新)」へ移転させることを発表。2014年(平成26年)8月18日、本社移転が完了した。なお、エビススバルビル(新)の一角はスバル恵比寿ショールーム(スバル スター スクエア)および東京スバル恵比寿店として機能する。
2013年(平成23年)1月、ロボット開発で国からの補助金を不正受給していたことが判明し、経済産業省と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)から計8億250万円の返還処分及び補助金交付停止処分を受ける。
2016年(平成28年)5月、2017年(平成29年)4月1日付で社名を「富士重工業株式会社」から「株式会社SUBARU」に変更することを臨時取締役会で決議した。
2016年10月1日、産業機器部門が自動車部門に統合された。その後、12月7日に「2017年9月30日をもって事業を終息し、一部技術資産と米国販売子会社10月1日付けでヤマハ発動機へ譲渡する契約を締結した」と正式に発表した。これにより、SUBARUは今後自動車生産と航空関連に特化した企業となり、商号変更とともに新時代を迎えることとなる。
米紙『シカゴ・トリビューン』では、スバルの北米市場での成功は、四輪駆動と安全性が裏付ける確かな商品群を、適正価格で販売できるからだと指摘している。『東洋経済』によると、米国における在庫回転期間は、他社が概して2か月のところスバルは半月程度に過ぎず、販売奨励金は570ドルであり、1000ドル以下は異例と報じている。
2019年にはトヨタが出資比率を20.00%に増加させて持分法適用会社(=関連会社)となり、同時にスバルもトヨタの株を持ち合って連携を強化した。また、EVのSUVのプラットフォームをトヨタと共同開発することも発表されている。
1953年(昭和28年)9月、富士重工業はビーチ・エアクラフト社と「T-34 メンター」の製造ライセンス契約に調印。1955年(昭和30年)10月、国産1号機を完成させ、防衛庁への納入を開始した。さらに1957年(昭和32年)11月、戦後初の国産ジェット機「T-1 (練習機)(初鷹)」の開発に成功。中等練習機として1963年(昭和38年)までに66機を防衛庁(現: 防衛省)に納入した。
1965年(昭和40年)8月、民間向け軽飛行機FA-200「エアロスバル」の初飛行に成功。翌1966年(昭和41年)10月から販売を開始。低翼式の機体を採用したFA-200は低速時の安定性に優れ、アクロバット飛行なども可能な万能機として好評を博し、298機を生産した。
戦後初の国産旅客機「YS-11」の開発にも参加。主翼桁と尾翼を担当。この経験はのちに、1973年(昭和48年)12月、アメリカ・ボーイング社とボーイング747の生産分担契約に結実し、1974年(昭和49年)には新世代旅客機ボーイング767の国際共同開発プロジェクトに参加。国際分業に大きな役割を果たした。
一方で1974年(昭和49年)、富士重工業は米国のロックウェル・インターナショナル社と双発ビジネス機FA-300の共同開発を開始。1975年(昭和50年)11月に初飛行に成功、1977年(昭和52年)から販売を開始した。しかし、オイルショックの打撃によりロックウェル社が軽飛行機事業から撤退し計画は頓挫。FA-300は僅か42機で生産を打ち切り、富士重工業も小型機の自社開発を断念する結果となった。
以上のように民需(民間機)については限定された実績にとどまるが、官需(もっぱら陸海空の各自衛隊機)については「T-34」や「T-1」の後も順調に実績を重ねてきた。詳細は#航空宇宙部門の節を参照。民間機についても、1990年代以後の潮流として増えてきている国際・複数企業による共同開発にいくつか関与している。
主力のSUBARU群馬製作所とその矢島工場がある群馬県太田市と、大泉工場がある同県大泉町は周辺を含めて下請け企業も多く、企業城下町となっている(「太田市#産業」「大泉町#産業」参照)。そこで働くために南米日系人らが多く移り住み、太田市と大泉町は外国人集住都市会議のメンバーとなるなど地域社会への影響は大きい。群馬製作所の本工場所在地は地名もスバル町となっている。
太田市と同じ両毛エリアには、研究開発部門としてスバル研究実験センター(栃木県佐野市)を有する。同センターの美深試験場(北海道美深町)には、走行試験や運転支援技術などの開発に使うテストコースを備えている。
日本と並ぶ主要市場であるアメリカ合衆国では、現地生産を行っている。
日本航空業界の草分けである中島飛行機の後身で、現在も日本の航空宇宙業界で第三位であり、防衛省向け航空機の製造・開発及び定期整備やボーイング社向け分担生産を中心とし、その他 海上保安庁、消防や警察向けのヘリコプターの生産・整備も広く行っている。中でも固定翼機の主翼製造には業界屈指の技術と品質を誇り、ボーイングからボーイング787の開発に関わる企業の中で特に高度な能力を持つサプライヤーとして高く評価する表彰を受けているほか、対潜哨戒機P-1や輸送機C-2など(主に主翼を製造)の国内開発でも大きく貢献している。
40m超の主翼製造能力・設備は世界でもボーイングやエアバスに次ぐレベルである。
複合材製品についても、世界屈指の技術力を持つ。複合材料の実機適用は国内メーカーの先駆的役割を果たしている。
民間分野ではYS-11開発参加やFA-200販売で国産機の実績を積んでいる。
無人航空機の開発にも積極的であり、標的機や無人偵察機など自衛隊向けの機体を主とし、将来の無人機の活躍を見据えた複数の新型無人機開発に関わっている。任務多様化、機能高度化に向け、様々な技術を研究・開発中である。
さらには宇宙航空研究開発機構(JAXA)の超音速実験機D-SENDの製造・開発や航空自衛隊の先進技術実証機(後のX-2)の主翼・尾翼製造・開発など日本の航空宇宙産業発展のための高度な先進技術の研究開発にも数多く参加し、実績を残している。
現在は各種環境用プラント設備のみを生産している。それ以外の製品については後述。
1946年(昭和21年)に小泉ボデー製作所(当初別会社)でスタートし、日本で初めてのフレームレスモノコック構造によるリヤエンジンバス「ふじ号」(1949年(昭和24年))の開発に成功。後に富士自動車工業となり、「スバル360」等の開発を行ない、現在の主力であるスバルブランドの乗用車にも発展した事業である。この分野では「スバル」ブランドを使っておらず、エンブレムとしてもプレアデス星団をあしらったスバルのエンブレムではなく、カタカナの「フ」の字をあしらったエンブレムを使用している(右の写真を参照)。一時期は民生デイゼル→日産ディーゼル(現・UDトラックス)を中心に大型自動車メーカー5社のバス車体を架装し、バス車体シェア1位を誇っていたが、シャーシメーカーのバス車体メーカーの系列化(子会社での生産)で生産台数が減少した。
ピークとなる1980年(昭和55年)には1日12台を製造、年間では2,393台を生産したが、バス事業の環境変化から1993年(平成5年)以降は赤字状態となっていた。1998年(平成10年)に三菱ふそうと日野自動車の架装から撤退、2002年(平成14年)1月に日産ディーゼルがバス車体の架装を西日本車体工業(西工、福岡県北九州市小倉北区)に集約することを決定したため、同年5月に事業存続は困難と判断し、伊勢崎製作所で行なっていたバス車体架装事業を終了する決定をした。
このため、バス車体架装事業は日産ディーゼルとごく少数のいすゞ自動車を最後に2003年(平成15年)3月31日で生産を終えた。3月28日には「バス最終生産車出荷式」が執り行われ、東濃鉄道納入の日産ディーゼル大型観光バスを送り出し、バス車体事業部門の解散式となった。1946年(昭和21年)以来、57年間続いたバス車体事業は累計生産数8万1,292台もって終止符を打った。なお、国内向けだけではなく、海外向けにも6,000両以上が出荷された。
またABボルボのシャシーを輸入し、アステローペシリーズと連節バスを製造していたが、これらも2000年(平成12年)に生産が終了している。なお、伊勢崎製作所はその後スバルカスタマイズ工房(現:桐生工業伊勢崎工場)となり、販売済みの車両に対するアフターサービスを行なっている。
1950年(昭和25年)頃から主に客車と気動車を旧国鉄やJR、私鉄、第三セクター向けに、また、群馬・栃木県内に路線を持つ東武鉄道向けには電車を生産していた。生産両数の減少により2002年(平成14年)5月に事業存続は困難と判断し、宇都宮車両工場(現在のエコ宇都宮工場)で行っていた鉄道車両事業を終える決定をした。2003年(平成15年)2月に新潟トランシス新潟事業所(新潟県北蒲原郡聖籠町)へ事業譲渡。JR四国2000系気動車などの振り子式気動車は大半が富士重工製。
鉄道車両事業の最終製造車は甘木鉄道AR300形AR303号車となった。最後に製造された電車は東武30000系電車(31406Fの4両)。
なお、先述の伊勢崎事業所でも、東京都電2500形8両のうち昭和34年製造分の6両製造していた。この2500形は、当初軌間1,067mmの第14系統杉並線専用に杉並電車営業所へ配属された電車で、台車はD-10Nという戦前の車両のものを再利用している。1963年(昭和38年)11月23日の都電杉並線・杉並電車営業所廃止後は荒川電車営業所へ移送され、しばらく留置の後に改軌のうえ営業復帰。さらに事故廃車の1両を除く7両が早稲田電車営業所に転属し、昭和43年9月に除籍・廃車となった。
他、も参照。
他、も参照。
も参照。
他、も参照。
なお、富士重工業は、2016年10月1日をもって自動車部門の競争力強化のため、産業機器カンパニーをスバル自動車部門に統合し、既存商品の製造、販売、サービスに特化した上で、開発案件の停止による人員の自動車部門への配置転換など、将来的には事業縮小・撤退の意向であると発表した。
そして2016年12月7日、「2017年9月30日付けで事業終了とし、一部技術資産と米国販売子会社を10月1日付けでヤマハ発動機へ譲渡する契約を締結した」旨を正式に発表した。
SUBARUでは、建設現場向けの仮設ユニットハウス、小型のプレハブ住宅を製造していた。以前は通信販売で名高いセシールでも扱っていたことがある。
2004年に富士ハウレン株式会社へ分社化し、2011年に社名を富士重工ハウス株式会社に変更されたが、2020年3月2日付で子会社のスバルファイナンス保有分も含めた全株式がユアサ商事へ譲渡されたと同時に、富士クオリティハウス株式会社へ商号変更された。
1998年、富士重工会長・社長の川合勇と専務取締役の小暮泰之が、海上自衛隊の救難飛行艇開発をめぐり賄賂を提供していたとして逮捕され、辞任する事件が起きた。賄賂を受け取った国会議員は富士重工の前身「中島飛行機」の創業者の一族、中島洋次郎元衆院議員であったが、2000年9月に懲役2年の実刑判決を受けた。しかし精神不安定に陥っていた中島は2001年に首を吊り自殺した。富士重工側の2人は2006年に執行猶予つきの懲役刑が言い渡された。
1996年(平成8年)、滋賀県にて「レガシィ」がブレーキの故障によって正面衝突する事故を起こした。警察は捜査の結果、同様のトラブルが1994年1月、岡山・千葉両県で発生し、本社に苦情が寄せられたが内密に処理されていたことが判明。1997年(平成9年)には工場を取り調べた警察によって欠陥隠しが判明。ブレーキ以外にも多岐にわたる不具合が発覚し、警察から警告を受けたスバルは11車種147万台についてリコールを届け出た。1998年(平成10年)、東京地方裁判所は富士重工業に過料140万円(7件分)の支払いを命じた。また、事故発生の危険性を十分認識しながら運輸省(当時)にリコールを届けなかったため事故が起きたとして、富士重工業の当時の品質保証本部の幹部2人を業務上過失傷害容疑で大津地方検察庁に書類送検した。2000年(平成12年)に大津地検は業務上過失傷害罪で同社の品質管理責任者だった2人を略式起訴、一週間後に罰金各50万円の略式命令が下った。
2017年(平成29年)9月には「サンバー」62万台がリコールとなったが、リコール対象は1999年2012年生産(6代目)と古くに及ぶことに加え、多数の不具合報告と2013年(平成25年)、2015年(平成27年)と2度の行政指導があったにも関わらず遅いリコールとなったため、サンバー所有者の不信を招いた。これについてスバルは「プーリーが外側に出ない構造であった」「対応に時間がかかった」としている。
2012年、クリーンロボット事業部において不正経理が行われていたと共に、経済産業省や行政法人からの委託事業・補助金事業について不正が行われていたと発表した。不正経理は2004年から2011年の間に行われ、架空発注の元に2億円以上の資金を不当にスバルから引き出し、主にクリーンロボット部部長が私的に流用していた。スバルは元クリーンロボット部部長を栃木県に刑事告訴した。
1984年に運輸省での「レオーネ」の型式認定試験の際、事前の提出書類の数値よりも実際の車重が軽くなってしまったため、密かに重りとなる鉛数十kgを前後バンパーに詰めていたことが発覚。これにより「レオーネ」の販売開始が遅れ、生産計画に混乱が生じた。
2017年9月に日産自動車が起こした無資格検査問題に伴い、自動車企業各社で調査がされた結果、スバルは群馬工場で30年以上にわたって無資格で検査をしていたことが判明した。「BRZ」の兄弟車でスバルが生産を担当する「トヨタ・86」を含めて直近3年間の25.5万台がリコールとなった。
問題になった完成検査は日本国内車のみに適用されるもので、大別して①保安基準検査と②型式検査に分かれる。②型式検査の方法は各企業で異なるものの、国土交通省に申請し認可を受けた方法である必要があり、また①保安基準検査の基準と手法は全社共通である。完成検査員は、各企業内で「当該検査に必要な知識及び技能を有する者のうちからあらかじめ指名された者(=資格取得者)」が行う必要があった。スバルでは、まず有資格者の監督下で無資格者が検査を行う→独り立ちして一定期間業務→筆記試験受験→資格取得という流れであったが、この「独り立ち」の時点では誰も監督していなかったことが問題とされた。また独り立ち期間中に完成検査員の印章を借りて押印することも常態的に行われていたという。また同年12月に国土交通省に提出された調査報告書によると、研修自体が十分な時間に満たなかったことや、筆記試験で試験官が答えを教えるなどの不正をしていたことも判明。さらに国土交通省の立ち入り検査の際は、無資格者を意図的に現場から外すなどの隠蔽工作も慢性化していたことが分かった。日産の不正と合わせて日本の完成検査制度の信頼が崩れたことで、貿易自由化交渉や経済連携への悪影響が懸念される。
佃モビリティ総研の佃義夫所長は国内の販売が減少状況で、メーカーは国が定めた点検手順を費用のみがかかる形式的な行為だとしていたと分析している。また韓国の『中央日報』は他国には無いもので、十分に監督されるわけでもない規制が問題の一端を提供したのだと日本が不要な規制を設けていたことを批判した。ジャーナリストの井元康一郎は、既に完成検査の基準を凌駕する品質が確保されているため実際の検査を修業に使う行為や、現場の意見が強くルールも工場ごとの流儀で決まり経営側も改革を進められないなど、自動車製造など日本の古典的な製造業に由来する現象だと指摘している。
上述の無資格検査が発覚した際、燃費の不正もあるという報告を受けて外部弁護士に調査を依頼したところ、同検査の一部である、抜き取りによる燃費検査と排ガス検査においてデータ書き換えが行われていたことが2018年3月に発覚した。燃費の検査行為は道路運送車両法の保安基準の対象外(=自主的なもの)である一方、排ガスの検査は対象内であるため同法に抵触する可能性がある。いずれも基準値の範囲内であるとして、リコールは行わない見込みであるが、これらの一連の問題を受けて吉永社長は会長職へ退いた。
翌4月に提出された報告書によると、少なくとも2012年12月から2017年11月までの間に903台において検査員および班長によるデータの書き換えがあった。また同期間以前のデータは既に無いが、「2002年から不正が行われていた」という証言もあり、同報告書はその可能性は否定できないとした。
同年9月には、加えてブレーキ検査でのデータ改ざんも発覚。こうした不正の一部は1990年代前半から行われていたとされる。さらに同年11月に、これらの検査不正は発覚後も一年の間(同年10月まで)行われていたことが判明。追加で10万台のリコールが発表され、一連の不正によるリコールは53万台に膨れ上がった。
2018年10月25日にエンジンの部品が壊れる恐れがあるとして、複数の車種について大規模なリコール(回収・無償修理)を近く国土交通省に届け出ることが明らかとなり、国内のみならず、海外で販売した車種にも影響が及ぶ可能性があるとしている。対象は少なくとも数十万台にのぼる模様となる見込み。バルブスプリングというエンジン部品が不具合を起こし、エンジンの作動に影響が出る恐れがあり、日米の市場で販売した戦略車種が対象になるとみられる。また、トヨタ自動車と共同開発したスポーツカーの「BRZ」、およびその同型車種となる「トヨタ・86」もリコール対象に含まれる。
2019年1月16日から国内唯一の完成車工場である群馬製作所(群馬県太田市)の操業を全車種で停止した。部品メーカーから調達している電動パワーステアリングに、不具合が見つかり、原因の究明を優先した。28日からの操業再開を準備しているが納車の遅れや新たなリコール対策などの影響が懸念される。
2019年1月28日から、不具合の恐れがある電動パワーステアリング(EPS)について対策を施したEPSの調達に一定のめどをつけたため工場を再稼働した。当面は1日の生産台数を減らして品質優先での操業となる。出荷済みの車については、リコールの有無などを検討する。
2019年1月31日、生産停止の原因となった電動パワーステアリングの不具合で「フォレスター」など3車種計約780台をリコールすると国土交通省に届け出た。リコール対象は他に「SUBARU XV」と「インプレッサ」で、2018年(平成30年)12月28日~2019年(平成31年)1月16日製作分。また、国内向け約780台のリコールに加え、海外向けに生産した計約1万4千台についても、リコールや部品交換を検討すると明らかにした。
2019年1月24日に、2016年に過労自殺した男性社員の代理人が会見し、2015年から2017年にかけて、社員3421人に計7億7千万円の残業代を払っていなかったことが判明した。過労自殺の社内調査で2018年1月までには判明していたが、「(調査結果を)隠すような意図はなく、公表すべきだとは認識していなかった」(広報)としている。1年間にわたり問題を公表しなかったことになり、企業姿勢が問われる事態になっている。
作詞は富士重工業の元社員。作曲は團伊玖磨。富士重工業時代に創立10周年記念として制定された社歌である。
SUBARUへの社名変更に際して「社歌を変えないでほしい」という従業員の声を受けて、社名変更後も社歌として使われることとなったが、富士重工業時代の歌詞には「富士重工」を連呼するパートがあるため、その部分は作詞者の了承を得た上で「わがスバル」に置き換えられた。
トヨタとの資本提携が決まった時、トヨタの豊田章一郎や渡辺捷昭から言われた言葉である。また「これ以上、(トヨタの得意ゾーンの)円に入ってくれば即座にたたきつぶしますから、そのつもりで」とも言われたという。
軽自動車生産からの撤退についてスバルの吉永は「ウチの規模で軽に開発リソースを割くよりも、世界で売れる車に特化する。勇気ある決断でも何でも無い。合理的に考えれば軽は撤退しかなかった」と語っている。
1967年に勃発した第三次中東戦争を受け、国連安保理はイスラエルに対し占領地区の開放を勧告する決議を採択した。世界中の企業がこれに呼応して貿易ボイコットを開始、翌1968年にはトヨタ・日産・本田技研が出荷停止するなど日欧の自動車メーカーも追随した。一方、時を同じくしてラビットスクーターが生産終了することとなり、以前からラビットをイスラエルへ輸入していた業者はこれを受けてスバル360に着目し、さっそく同1968年より取扱い始めた。彼らは翌1969年に現地企業(英)Japanauto Israel Auto Corporating Ltd.を設立、同年からff-1も販売開始。後にレオーネが主力商品となった。こうした経緯から、(非公式にではあるが)富士重工業は海外初進出国として
同国への輸出を開始することとなった。加えて、当時は輸入車の多くが排気量やボディ形状の関係で高額な関税が課せられており庶民向けの選択肢が小型車に限られていた中、小排気量ながら比較的大きな車体を備えたスバル車は同国民の需要にも合致した。この結果、ダイハツ工業が1983年に輸出解禁するまでの10年以上に渡り、同国の乗用車市場において大きなシェアを獲得する結果となった。1988年、三菱自工が現地法人を設立したのを皮切りに輸出再開が相次いだのに加え、90年代には韓国車の輸出攻勢も始まった結果、富士重工業のシェアは非常に小さいものとなっている。なお、本エピソードを下敷きとして、映画「ピンク・スバル」が2010年に製作された。
詳細は「スバリスト」を参照
スバリスト(英語:Subie)は自動車メーカーSUBARUが製造する自動車の愛好家のこと。スバル主義者。
詳しく見る
スバル・インプレッサ
インプレッサ(IMPREZA)は、SUBARU(旧・富士重工業)が生産・販売する乗用車である。
レガシィが従来の主力車種であったレオーネより上級な車種へと移行したために開いた穴を埋め、世界市場、特にヨーロッパにおけるCセグメント市場を狙ったスバルの世界戦略車としての役割を担った。発売から現在に至るまで標準モデルよりスポーツモデルの販売比率のほうが高い。
パッケージングはCセグメントのセダンと5ドアハッチバックそのものだが、ハッチバックはステーションワゴンとしての使い勝手を盛り込んだ上で、新たに「スポーツワゴン」として訴求した。
なお、セダンはレオーネの廉価モデルであるセダン1600(マイア/マイアII)の後継車も兼ねる
また、年次改良や特別仕様車の積極的な投入により、日本の小型車としては異例の8年という非常に長期に渡るモデルサイクルを通じて、高い商品力を維持した。
レガシィRSに代わり世界ラリー選手権(WRC)参戦車両として最高性能が与えられたモデルには「WRX」の名が冠された。エンジンもレガシィRSに搭載されていたEJ20型・DOHCターボ(240PS)がヘッド周りを一新して搭載された。
ボディ・デザインはスバル内部によるものである。「フローイングライン」と名付けられたなめらかなシルエットなど、ほぼすべての角が丸められた柔らかなイメージを特徴としている。
車体(シャシー)は、初代レガシィの車体を基準に開発され、全長で200 mm、ホイールベースで60 mm狭められ、全高を10 mmかさ上げしている。ホワイトボディで175 kgと、初代レガシィの200 kgに対し25 kgの軽量化、車両重量では80 kgの軽量化を実現している。
トランスミッションは、NA車用として5速MTとE-4速ATが用意され、ターボ車用は、5速MTがノーマルレシオとクロースレシオ、それにE-4速AT、VTD-AWDトランスミッションが用意された。
「WRX type RA STi」、「WRX type R STi」には、「DCCD(ドライバーズコントロールセンターデフ)」が機械式リアLSDとの組み合わせで用意された。DCCDとはシフトレバー脇に設置されたダイヤルで前後輪のトルク配分を任意調節出来る機構である。作動原理は、電磁式クラッチを応用したものである。合わせて、後輪のデフがR180にサイズアップされ、機械式LSDが組み込まれる。また後輪のドライブシャフト径とパーキングブレーキ用ドラム径も拡大されている。
サスペンションは、前方がL型ロアアームのストラット式、後方が2本のラテラルリンク(パラレルリンク)とトレーリングリンクを組み合わせたパラレルリンクストラット式で、初代レガシィと共通である。セダン「WRX」のMT車にはバネ下重量軽減のため、アルミ合金製鍛造フロントロアアームを新たに採用している。
ブレーキは、ベンチレーテッドディスクブレーキが前輪に全車標準装備されており、「WRX」では後輪にもおごられている。また、D年改以降の「STiバージョン」にはフロントに対向4ポットキャリパーと16インチ対応ディスクロータ、E年改以降の「WRX type RA STi」、「WRX type R STi」にはさらにリヤ対向2ポットキャリパーと15インチ対応ディスクロータが採用された。
エンジンは、全グレードに水平対向4気筒「EJ」型を採用している。それを細かく区別すると4種類が存在する。詳細は下記を参照。
なお、同型の生産終了以降、平成24年(2012年)3月28日発売されたBRZに至るまでの間スバルに2ドアクーペはラインナップされなかった。
STIによりチューニングされたEJ20エンジンは、最高出力300PSとなった。また、サスペンションやエクステリアも、STIの技術が注ぎ込まれていた。300台限定で、価格は390万円だった。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は27万7910台
ボディデザインは初代を引き継いでセダンとスポーツワゴンが用意されたが、スポーツワゴンが5ナンバー枠に収まるのに対し、セダンはスポーツ走行での安定性を考慮しブリスターフェンダーを備えた3ナンバーサイズとなった。また、スバルブランドがイメージ模索に迷走するあおりを受けて、そのライフスパンの中で大きく2度に及ぶ大幅なフェイスリフトを受けた。スポーツワゴンは一時期、サーブ・9-2Xとして北米市場にOEM供給された。
2代目開発当時、各メーカーで盛んに叫ばれていたいわゆる「衝突安全ボディー」の設計に注力され、「新環状力骨構造」の採用、また前面衝突時の衝撃を効果的に吸収するサブフレームが前端に追加された。「STi」では剛性の確保が根本的に見直され、サイドシルの断面積拡大、ストラットボックス、クロスメンバー部の補強などが行われた。
2.0 Lターボ車は、スバルのターボ車として初めて吸気側に可変バルブタイミング機構(AVCS)を採用した(2 L NAモデルはGC・GF 型で採用済み)。
2.0 Lターボ車に新たにTGV(タンブル・ジェネレーション・バルブ)が採用され、燃焼効率の向上、触媒の二重化による始動直後の排出ガスレベルの低減を実現し、STiを除く全車が平成12年度基準排出ガス25%低減レベル適合(G-LEV)した。また、2.0 Lターボ、2.0 L NAが「良低排出ガス車(☆)」、1.5 Lが「優低排出ガス車(☆☆)」に適合し、「グリーン税制」対象車となっている。
四輪駆動モデルでは5速MTにVCU(ビスカスカップリング)方式LSD搭載ベベルギア方式センターデフを、E-4速ATに「MP-T」を用いたアクティブトルクスプリット4WDを採用している。四輪駆動ターボ用には、5速MTとして従来のTY75型(VCU方式LSD搭載センターデフ)を引き継いでいる。E-4速ATとしてレガシィと共通の、遊星歯車式センターデフ+「MP-T」によるVTD-AWDトランスミッションが搭載された。STiには、今回は全くの新開発のスバル内製「TY85」型6速MTが搭載された。先代ではガラスのミッションと酷評されたが、この代から搭載されたミッションは強度が見直された。
前述の通り2度のフェイスリフトを実施しており、ヘッドランプの形状から順に「丸目」・「涙目」・「鷹目」と呼ばれている。デザイン・マネージャーを務めた石井守によると、デビュー当初「丸目」としたのは会社の意向であり、抵抗を感じつつもポルシェ・911のような格好良さを目指したという。デザイナー側としてはできるだけライトを寝かせたかったが、エンジンルーム内における部品配置スペースの確保(特にバッテリー)や整備性(ランプ球切れ時の交換のし易さ)を求める技術者側の要望を反映した結果、市販モデルはライトが前方に突出かつ直立気味となり、自動車メディアやWRXオーナーから不評を買った。スバル・アルシオーネのデザイナー・碇穹一は、当時は初代インプレッサ開発時代と異なり「モデルを数だけ造って、その中からいいのを選べばよい、という安直な雰囲気があった」(引用)とし、「どのモデルにも迫力がなかった。(略)最有力案といわれるモデルの丸目のライトの設定のどこに走りのイメージがあるというのだろうか」(引用)と嘆いた。続く「涙目」はラリー車両を担当していたイギリス人デザイナーが手直しを行ったもので、男性客の反応は上々であったが、一方で女性客は離れる結果となった。最後の「鷹目」は航空機をモチーフとしたスプレッドウィングスグリルを採用し、シャープかつスポーティに仕上げた。
全国の警察の機動捜査隊に後期型WRXが覆面パトカー(リアウイング・レス仕様)、栃木県警や埼玉県警,広島県警などの高速隊に中期型WRXが白黒パトカーとして配備されている。日本国外でもフランス国家憲兵隊では、高速道路での取り締まりで使用されている(ライバル車のランエボもイギリスなど、欧州の警察で採用されている)。
なお、WRX,WRX STIはスピードメーターの最高が180km/hから260km/h表記になった。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は18万3652台。
4ドアセダンと5ドアハッチバックの2モデルとなった。日本では5ドアハッチバックの販売が先行し、4ドアセダンは約1年遅れて市場に投入された(2008年10月8日)。いずれも全幅が1,700 mmを超えるので3ナンバーとなり、全長も拡大しコンパクトからミドルクラスへとクラスアップした。シャシーは、BL/BP系レガシィのプラットホームを基にした「SI-シャシー(Subaru Intelligent Chassis)」を新たに採用し、リアサスペンションの形式が従来のストラット式からダブルウィッシュボーン式へと変更された。ドアもサッシ付ドアに変更された。
エンジンについては、1.5 Lモデル「15S」はEL15型DOHC16バルブ、2.0 Lモデル「20S」はNA仕様がEJ20型SOHC16バルブであり、ツインスクロールターボ仕様「S-GT」がEJ20型DOHC16バルブである。国内向け2.0 Lターボ車のグレード名は「WRX」から「S-GT」となったが、国外モデルのターボ車(全て2.5 L)は先代同様「WRX」のグレード名を使用する。
2007年(平成19年)11月20日、新型インプレッサはアメリカの保険団体の衝突安全テストで最高評価を獲得し、2008年(平成20年)4月21日国土交通省などが、安全性能の評価が最も高い車に与える、2007年度の「自動車アセスメントグランプリ」に選ばれるなど、安全性の高い車種として評価されている。
発売当初からしばらくセダン投入の動きは見られず、富士重工は「日本市場の様子を見てセダンの販売を検討していく」としていたが、同年11月29日、日本国内でもセダンを投入すると報じられた。
当初は2008年(平成20年)初頭の発表が噂されたが、報道から約9か月後の同年10月8日に「インプレッサアネシス」の名で発売が開始された。
アネシスの特徴としてゴルフバッグを4つ積載できるトランクルームを備えるとともに、光輝タイプのヘッドライトや専用フロントグリルにより、ハッチバックとは異なるフロントマスクとなっていることが挙げられる。インテリアは上級モデルにパールスエードと本革を組み合わせている。エンジンは1.5 LNAのEL15型DOHC16バルブと2 L自然吸気のEJ20型SOHC16バルブの2種で、ターボ搭載のS-GTや先代のWRX系は設定されない。また、アネシスと同じくハッチバックにも一部改良が実施され、新フロントグリル、LEDサイドターンランプ付きドアミラー(2 Lのみ)、ブラックトリムと後席中央3点式シートベルト&ヘッドレストを装備する。
2010年6月、インプレッサの一部改良と同時に登場した、クロスオーバーモデル(詳細は別項を参照)。
2007年10月24日に発売された。先代までのセダンボディから、ショートオーバーハングの5ドアハッチバックボディとなった。型式はCBA-GRBである。
エクステリアには、大きく張り出しエッジを効かせた前後フェンダーを採用。これにより、標準インプレッサシリーズとは別の専用ボディとなり、車両型式も専用となった。
インテリアでは、新たにレカロ社製フロントバケットタイプシートをメーカーオプションで設定。本革巻3本スポークステアリング、3連式のレッドルミネセントメーターや、テレスコピックステアリングも採用された。
走行性能面では、SI-DRIVEやマルチモードDCCD、マルチモードVDCなどのメカニズムが新たに採用された。先代に続きツインスクロールターボを採用した新開発のEJ20エンジンは280PSの自動車馬力規制を超え最大出力308PSとなり、同時に低・中回転域のトルクも向上したほか、可変バルブタイミング機構・AVCSが吸気、排気の双方に設けられ、「平成17年排出ガス基準50%低減」を達成した。
2010年(平成22年)7月1日より4ドアモデルが追加され、同時に5ドアモデルについても4ドアモデルと同一のフロントグリルやバンパーなどでフェイスリフトを行いマイナーチェンジ。グレードはともに2.0 Lターボに6MTの組み合わせの「WRX STI(型式 GRB/GVB)」と2.5 Lターボに5ATの組み合わせの「WRX STI A-Line(型式 GRF/GVF)」の2種で、後者にはサンルーフやタン色本皮革シートが選べる「プレミアムパッケージ」を用意。また、この年次改良から、カタログやスバル公式ウェブサイトでの掲載および店頭等での表示車名が「スバル インプレッサ WRX STI」から「スバル WRX STI」に省略変更され、インプレッサシリーズから独立した車種となった(正式車名は「スバル インプレッサ WRX STI」のままである)。なお、標準モデルがフルモデルチェンジした2011年11月30日以降も、本モデルは2014年8月25日にフルモデルチェンジされるまで継続生産・販売された。
4代目はフルモデルチェンジに併せて、5ドアハッチバックタイプは「スポーツ」、4ドアセダンタイプは「G4」にそれぞれサブネームを改めた。
先代とほぼ同等のボディサイズに、ホイールベースを25 mm拡大し、ドア構造を見直したことで室内スペースが広められたことで、ショルダー&エルボースペースや後席足元にゆとりを持たせるとともに、Aピラー下端を200 mm前に出したことで視界確保を両立。インパネの高さを抑え、ドア窓肩部を低くし、フロントドアに三角窓を追加したことで視界や開放感を高めた。トランクスペースは、「G4」ではスペースそのものを拡大するとともに6:4分割式トランクスルー機能を採用し、「スポーツ」ではルーフ後端構造の見直しやパンク修理キットの採用で床面高を下げ、さらにサブトランクを追加した。
エンジンは2010年秋に新世代「BOXERエンジン(水平対向エンジン)」が採用され、1.6 L車はFB16型(1.6 L)を搭載。3代目から100 ccアップした排気量分をトルクアップに使用。先代2.0 L車と遜色ない加速を実現するとともに、1.5 L車と比較して約20%の燃費向上も実現した。2.0 L車はフォレスターに採用のFB20型に置換。従来型に比べ、約27%の燃費向上を実現するとともに、中速領域のトルクも向上したことで、2.5 L車並のアクセルを軽く踏み込むだけでも素早い加速が感じられるレスポンスの良さを実現した。トランスミッションは時代遅れであった4ATから、既にレガシィやエクシーガ等で採用しているチェーン式CVT「リニアトロニック」で、パーツやレイアウトを最適化した改良型を搭載。2.0 L車にはパドルシフト式6速マニュアルモードも備える。さらにリニアトロニック車(「1.6i」を除く)にはアイドリングストップシステムも搭載。飛び込み式スターターにタンデムソレノイドを搭載したことでアイドリングストップが作動してエンジンが完全に止まる前でも再始動を可能にした。1.6 L車の四輪駆動車・5MT車と「1.6i」の前輪駆動車を除く全グレードで「平成22年度燃費基準+25%」を達成した。
ボディに超高張力鋼板を採用し、骨格を見直したことで全方向において高い衝突安全性を実現。さらに、「2.0i」・「2.0i-S」にはレガシィに採用されている「EyeSight(ver.2)」搭載グレードを設定。衝突被害軽減ブレーキを搭載した。この「EyeSight」は2014年11月のマイナーチェンジでレヴォーグから順次導入されている「EyeSight(ver.3)」に更新されている。
2015年6月には、スポーツにスバルのハイブリッド車としてはXV HYBRID以来2車種目となる「SPORT HYBRID」を発表した。シンメトリカル四輪駆動車の構造をベースに、モーターアシストによる加速性能と低燃費を両立した独自のAWDハイブリッドシステムを採用。ハイブリッドシステム用バッテリーは制御変更を行うことで回生頻度を向上させ、積極的にバッテリーを使用することで燃費向上を図り、トランスミッションは既存のリニアトロニックにハイブリッド用の駆動モーターを一体化した専用品を採用することでフリクションを低減し、トルクコンバーターの流体特性を変更することで「平成32年度燃費基準+10%」を達成。一方でインバーターやDCコンバーターなどの高電圧部品とバッテリーをワンユニット化してラゲッジルーム下に収めることで荷室はフラットとした。併せて、フリクションを抑えて初期応答性を高めたダンパーの採用や足回りセッティングを最適化、タイヤはガソリン車の205/50R17から幅広の215/50R17に変更され、遮音材や吸音材の最適部位への設定・強化や専用の液体封入エンジンマウント採用により振動や騒音を低減した。EyeSightはver.2が採用されているが、全車速追従機能付クルーズコントロール作動時にEV走行と回生ブレーキを最大限活用することで実用燃費の向上を図るECOクルーズコントロールを備えた。また、HYBRID専用装備として、フロントやサイドシルスポイラーに専用品を採用。ルーフエンドスポイラーとリアコンビランプはLEDを採用。内装にはブルー加飾のアクセントが加えられた。
また、3代目にラインナップされていた派生モデルのXVは2012年9月25日に、WRX STIはボディタイプを4ドアセダンのみに集約の上2014年8月25日に、順次モデルチェンジされたが、車種名を「XV」及び「WRX STI」に改め、「インプレッサ」シリーズから独立した車種となった。詳細はスバル・XV及びスバル・WRX VAをそれぞれ参照。
なお、G4には桐生工業が手掛けた教習車仕様が存在する。
5代目は新世代プラットフォームである「SUBARU GLOBAL PLATFORM」を初めて採用。これにより操舵応答性と操舵安定性が飛躍的に向上するとともに、衝突時のエネルギー吸収量を先代モデルの1.4倍としたことで乗員保護性能を高め、ボディ構造の最適化と高張力鋼板の適切配置により重量の増加を抑えながら全方位(前面・後面・側面)においての衝突安全性も向上した。併せて、ボディはフレームワークの一新、プラットフォームと上屋骨格の結合強化、リアフレームとサイドシルの結合構造の見直し、構造用接着剤などを行い、サスペンションはフロントにおいてクロスメンバーの構造を変更し、リアにおいてはサブフレームブッシュの形状変更を行ったことでボディやサスペンションの剛性を大幅に向上。温度空間の均一化と静粛性の向上を実現するため空調ユニットにヒーターブロアユニット一体型を採用した。キャビンスペースも拡大され、ステアリングのチルト・テレスコストロークを拡大したほか、フロントシートの構造も刷新している。
ボディサイズは、「インプレッサSPORT」、「インプレッサG4」ともに、先代モデルに対して全長は+40 mm、全幅は+35 mm、ホイールベースは+15 mmとそれぞれ拡大。また、全高は「インプレッサSPORT」が+15 mm、「インプレッサG4」は-10 mmとなった。なお、最小回転半径は先代と同様、5.3 mを維持している。
安全性能では、日本車で初採用となる「歩行者保護エアバッグ」を全車に標準装備。バンパー内部の圧力センサーにより歩行者との衝突事故を検知し、瞬時にフロントガラスとAピラーの下端をエアバッグで覆うことで、歩行者の頭部へのダメージ軽減を図る装備である。
また、先代モデルでは一部グレードにメーカー装着オプションとしていたSRSサイドエアバッグ+SRSカーテンエアバッグに加え、前面衝突時にドライバーの下肢へのダメージ軽減を図るた運転席SRSニーエアバッグを初採用。デュアルSRSエアバッグと合わせ、合計7つの乗員保護用エアバッグを標準装備とした。
運転支援システムEyeSight(ver.3)は、前輪駆動車にも拡大展開し全車標準装備とした。新たに「車線中央維持機能」を採用するとともに、ACC(全車速追従機能付クルーズコントロール)の機能強化を実施している。
また、自車の後側方から接近する車両を検知し、ドライバーに注意を促すことで安全運転をサポートする「スバルリヤビークルディテクション」(後側方警戒支援システム)、ステレオカメラで先行車や対向車などの灯火を検知して、ハイビームとロービームを自動で切り替える「ハイビームアシスト」を新採用。これらは「アドバンスドセイフティパッケージ」として、全グレードにメーカー装着オプションとした。
そのほか、コーナーや交差点で、ステアリング操作に合わせてヘッドランプ光軸を左右に動かす「ステアリング連動ヘッドランプ」(2.0i-S EyeSightに標準装備、その他のグレードにメーカー装着オプション)、コーナリング時でのライントレース性を向上する「アクティブ・トルク・ベクタリング」(2.0i-S EyeSightに標準装備)も新採用した。
エンジンは先代モデルから継続搭載となる、水平対向4気筒1.6 Lの「FB16」型と、同2.0 Lの「FB20」型を採用。
2.0 Lエンジンの「FB20」型は燃料システムを直噴化し、約80%の部品の設計を見直すとともに、先代比約12 kgの軽量化を実現したことで、燃費と実用域トルク両方の向上を実現。また、エンジン本体の高剛性化と固定点の追加によって振動騒音を低減した。最高出力は、+3kW(4PS)向上し、113kW(154PS)を発生。なお、最大トルクの数値は196 N・m(20.0 kgf・m)で、先代からの変更はない。
1.6 Lエンジンの「FB16」型は出力性能を維持したままで環境性能の向上、振動騒音の低減、大幅な軽量化を行い、静粛性と操縦安定性、燃費向上を実現している。最高出力、最大トルクの数値は先代と同一の数値だが、それぞれの発生回転数の数値が異なっている。
トランスミッションは、先代モデルの1.6 L・四輪駆動車に設定されていた5MTを廃止し、全グレードがリニアトロニックのみの設定となった。構造は全面的に改良され、チェーンのさらなるショートピッチ化とレシオカバレッジ(変速範囲)の拡大(6.28 → 7.03)によって発進加速性能と高速巡航時の燃費を向上させた。さらに、トルクコンバーターの小型化とケースの肉厚最適化により、先代モデル比約7.8 kgの軽量化を実現した。また、マニュアルモードは先代の6速から、7速に多段化している。
デザインにおいては新デザインフィロソフィーである「DYNAMIC × SOLID」をスバルの量産モデルで初めて全面採用。
「インプレッサSPORT」はサイドのフロントガラスを傾斜させるとともにルーフ後端を下げ、ウィンドウのショルダーラインとドア下部のキャラクターラインに加えて、前後のフェンダーから流れる「ダイナミックブレード」と呼ばれる新たなキャラクターラインを採用。リアはリアコンビランプを左右に大きく張り出し、大型ルーフスポイラーや翼端板の採用、リアバンパーをフィン形状にすることで空力性能も高めた。
一方、「インプレッサG4」は、クーペの様な流麗なルーフラインとハイ&ショートデッキの組み合わせ優れた空力性能とスポーティさを備えたセダンフォルムを実現。リヤスタイルは、キックアップしたトランクリッドやリヤバンパーによるシャープなシルエットにより、スポーティセダンらしいデザインとした。
インテリアでは、インパネにステッチを施し、加飾パネルをはじめ、コンビメーターやステアリング、シフトノブ、ベルトリングなどの重要なパーツの周囲を金属調のパーツで囲う「ケーシングモチーフ」を採用した。
なお、本モデルより、北米仕様は北米スバル オブ インディアナ オートモーティブ インク(SIA)で現地生産されることとなった。(詳細は、下記年表「2016年11月2日」を参照。)
本車はラリー、各種オンロード競技など様々なレースシーンで用いられる車種の一つである。初代は「ガラスのミッション」とさえ呼ばれるほどそのパワーに対してトランスミッションの許容値が低く破損しやすいことが挙げられ、後のモデルのミッションを流用するなどして大容量化を図るケースもあった。
インプレッサは初代から一貫してモータースポーツ、特にラリー競技と切り離せない関係にある。世界ラリー選手権(WRC)ではシトロエンやプジョーと互角の闘いを繰り広げ、国内イベントでも常にチャンピオン争いに絡む活躍を見せてきた。2.0 Lクラスのラリー競技用車両としては、日本はもちろん世界的にも三菱自動車工業のランサー・エボリューションと並び称され、特に近年までのグループNクラスはほぼこの2車種が独占していたなど、スバルの世界的なブランド・イメージの構築に大きく貢献した。
また競技本番用としてだけでなく、ラリーステージの下見(レッキ)を行う際の車として、高性能な四輪駆動市販車を持たないメーカーのチームでも使用されることがある。
世界ラリー選手権(WRC)ではこれまでマニュファクチュアラーズチャンピオン3回(1995年、1996年、1997年)、ドライバーズチャンピオン3回(1995年、2001年、2003年)を獲得している。
2008年(平成20年)12月16日、スバルは世界的不景気の影響と3年以上勝利が遠ざかっていたこともあり、当初の目的はおおむね達成したとの判断から、2008年末で卒業するとしてWRC参戦の終了を発表し、これに伴ってワークスインプレッサのWRC参戦は終了した。
ホモロゲーション名は「インプレッサ555」。
WRC(世界ラリー選手権)には、1993年シーズン終盤の第9戦「1000湖ラリー」からレガシィに代わって投入され、アリ・バタネンのドライブにより初参戦にして2位という鮮烈なデビューを飾った。1994年には1990・1992年チャンピオンのカルロス・サインツがトヨタから移籍。その繊細なセッティング能力によって戦闘力が向上、第6戦「アクロポリス・ラリー」で初優勝を果たし、マクレーの手による2勝と併せてマニュファクチャラーズポイントでも2位を獲得した。1995年には8戦中5勝を挙げて、スバルは本格参戦から6年目にして、マニュファクチャラーズ及びドライバーズ(C.マクレー)のダブルタイトルに輝いた。続く1996年もドライバーズタイトルこそ三菱のトミ・マキネンに奪われるものの、マニュファクチャラーズタイトルを2年連続で獲得。グループA最強のラリーマシンとして認知され、欧州におけるスバルのブランディング向上とインプレッサの販売および日本におけるラリー人気の拡大に大きく貢献した。
グループA規定が緩和されたワールドラリーカーの導入にあたってスバルは2ドアのリトナをベース車に選択。1997年にもドライバーのポイントの積み重ねでマニュファクチャラーズタイトルを獲得。日本メーカーでは唯一の3年連続のマニュファクチャラーズタイトルを達成した。だが1998・1999年は三菱や復帰してきたトヨタの後塵を拝し、さらにプジョー・シトロエンの参戦もあってタイトルからは遠のいてしまう。2000年には2代目インプレッサへの移行を見越した大々的な改修が施された。
2001年にはリチャード・バーンズが、2003年にはペター・ソルベルグが、それぞれWRCドライバーズタイトルを獲得。2004年初開催となったラリージャパンではペター・ソルベルグが記念すべき初代勝者に輝いた。さらに、2005年にはプロダクションカーWRC(PCWRC)で新井敏弘がシーズン・チャンピオンを獲得した。しかし、ライバルチームの戦闘力向上に追いつかなくなった2006年、2007年に、スバルは屈辱的な年間未勝利に終わった。
フルモデルチェンジに伴い、リアオーバーハングが短くホイールベースが長いハッチバックボディになったため、ようやくシトロエン、フォードなどのライバルと同等のボディ・次元で戦えるようになった。
しかし、タバコスポンサーの撤退に伴い資金が豊富なシトロエンやフォードに比べテストが不足、開発・オペレーションを担当していたプロドライブにおける度重なるトップエンジニアの更迭・引き抜き・解雇などに端を発する開発現場の混乱も手伝い、マシンの開発や熟成に時間がかかるといった問題が新型へスイッチされてもなお、改善されなかった。またWRカーのレギュレーションはエンジンの搭載位置および搭載角度は規定内で変更可能であり、横置き直列エンジンならエンジンを後傾させてマシン中央部に寄せるなど、重心を大幅に改善する設計が可能だが、水平対向エンジンを縦置きにレイアウトするインプレッサにはほとんど改造の余地がなく、グループA・Nでは絶大だったロードカーとしての素性の良さを生かせないWRカー規定自体がインプレッサにとっては不利であった。
2008年(平成13年)12月16日に、同年をもってWRCから撤退することが正式に発表され、1993年の1000湖ラリー(ラリーフィンランド)以降14年にわたって維持されてきたインプレッサによるワークス・エントリーの歴史に終止符が打たれた。同一車名による14年間連続ワークス・フルエントリーは、WRC史上最長記録となっている。
世界ラリー選手権(WRC)以外のラリー競技では、でのケン・ブロックとトラビス・パストラーナらが活躍し、ライバルを圧倒し続けた。
インプレッサはラリー以外の分野でも活躍している。
全日本ツーリングカー選手権(JTCC)には、1996年と1998年にSYMSレーシングから初代スポーツワゴンで出場していた。レギュレーション上、駆動方式の変更が認められていたためFRとし、同一メーカー製造のエンジンであれば換装可能であったので、EJ18をボアアップし、EJ20のDOHCシリンダーヘッドとドッキングさせた、2.0 L NA DOHCエンジンが搭載された。
SUPER GT(旧:JGTC)には、クスコ・レーシング(キャロッセ)が1997年の最終戦より初代2ドアクーペで出場し、2002年より2代目4ドア車が特認車両として出場していた。当初は、四輪駆動車には最低車重が上乗せされるレギュレーションであったため、四輪駆動によるトラクションより車重を抑える方が得策との判断からFRが選択されていた。その後、駆動方式による最低重量区別がなくなった2006年の途中から四輪駆動仕様が参戦している。また、インプレッサの活躍もあってか2008年(平成13年)より4ドア車も認められ、同年第4戦 マレーシアにおいて、4ドアそして四輪駆動車として初優勝を飾った。しかし、2009年はチームが活動を縮小したため、参戦していない。
スーパー耐久では2002年と2005年、2013年から2016年は四連覇でST2クラス(旧クラス2)のシリーズチャンピオンを獲得している。
ニュルブルクリンク24時間レースではWRX STIが2011年にSP3Tクラスでクラス優勝(総合21位)し、翌2012年にも同クラスでクラス優勝(総合28位)している。
D1グランプリにチームオレンジのマシンとして初代、2代目(涙目、涙目改鷹目GDB)が使用されていた。スバルの水平対向4WDは縦置き故にセンターデフの小加工でFRにでき、比較的早く四輪駆動改後輪駆動仕様が製作された。無論、後輪に全出力が集中するため、後軸周りを中心とした駆動系の強化は必須となる。
2017年にTOYOTA GAZOO RACINGが公開したCMでは、トヨタの豊田章男社長が佐藤健をインプレッサの助手席に乗せてドリフトをして見せ、車メーカーの枠にこだわらない車好きをアピールした。
インプレッサの名称、IMPREZAとは、「紋章」「金言」などの意を持つ英語IMPRESAからの造語である。
ハイパワーモデルの呼称であるWRXとはWRCの「WR」とレオーネのスポーツグレードで採用されていた呼称「RX」を掛け合わせた造語である。
ちなみに3代目セダンのサブネームであるアネシス(ANESIS )とはギリシャ語で「安心」「リラクゼーション」を意味し、4代目以降のセダンのサブネーム「G4」の「G」は英語で「本物の、正真正銘の」を意味する「Genuine」の頭文字と「4」は4ドアを意味する。
また、クロスオーバーモデルのXVはCrossover(=X-over) Vehicleを意味する。
詳しく見る
左右にスクロールして スバルインプレッサのグレード別のスペックが確認できます。
車種 | エンジン | タイヤ | 燃費 | 中古車 | 評価•レビュー | ボディサイズ | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
インプレッサ
2.0 WRXタイプRA リミテッド 4WD
1998年11月から 1999年08月 2,399,000円 セダン |
エンジン:
水平方向4気筒DOHC 排気量: 1994cc 型式: GF-GC8 馬力: 280ps トルク: 34.5/4000 ミッション: 5MT |
前輪:
205/50R16 後輪: 205/50R16 駆動: 4WD 最小回転: 5.2m タイヤサイズ |
燃費(JC08):
- 燃費(10•15): 10km/L 燃料: ハイオク 実燃費: 6.42から 14.54 |
158万円から
169万円 2台 買取価格相場 車を売る |
外観:
4.28点 内観: 3.19点 スペック: 4.46点 エンジン: 3.65点 乗り心地: 4.19点 燃費: 3.37点 価格: 4.37点 |
高さ:
1405 車幅: 1690 全長: 4350 定員: 5人 |
販売期間:1998年11月から1999年08月
140件のスバルインプレッサの中古車
スバルインプレッサの最新情報まとめ
新車情報、モータースポーツ、イベント情報など車・バイクで知りたいことがあれば、こちらから検索してみてください。
ついにプレミア価格はここまで来た?スバル・インプレッサ22B STiバージョンが1400万円で販売中
2019-10-26 197
スバルはBRZ/インプレッサ/XVに、トヨタは86他車種、そしてレクサスはCTにリコール/改善対策届け出。スバルは約14万台が影響
2019-10-18 148
【動画】マルタ島で発見された「30年以上閉鎖されたまま」のスバルティーラーその後。今なおアルシオーネやインプレッサ”当時の”新車が眠り続ける
2019-10-14 1192
スバル インプレッサを大幅改良|アイサイト・ツーリングアシストを全車標準装備
新型SUBARUインプレッサの情報が先行公開、予約も開始。新旧モデルでどこがどう変わったのかを比較してみよう
2019-08-29 109
スバル、今秋マイナーチェンジの新型インプレッサを専用サイトで事前公開
マツダ MAZDA3 vs スバル インプレッサ どっちが買い!? 徹底比較
スバル インプレッサ・XVが国内予防安全評価で最高ランクを獲得
インプレッサG4外装画像インプレ【スポーツと見た目に違いはある?】
2019-05-13 178
インプレッサのブラックレザーの本革シート画像【標準装備と比較】
2019-05-13 217
インプレッサスポーツのインパネ画像【先代と変わった5つの注目装備とは?】
2019-05-10 236
インプレッサスポーツ外装画像レビュー【実車を一足早く見てきた】
2019-05-10 150
スバル インプレッサ スポーツの内装【注目ポイントは?】
2019-05-10 133
【1.6と2.0の価格差は?】インプレッサスポーツの見積もり貰ってきた
2019-05-10 240
視認性が良くなった理由とは?新型インプレッサのメーター徹底レビュー
2019-05-10 155
【実際に座った感想】インプレッサスポーツ後部座席の広さはどうだった?
2019-05-10 259
【小物入れは多くなった?】インプレッサスポーツの収納スペース
2019-05-10 132
【パナソニックCN-LR820D】スバルインプレッサ専用ナビを徹底レビュー
2019-05-10 317
【ラゲッジは広い!】インプレッサスポーツの荷室アレンジを見てきた
2019-05-10 205
【スポーツよりも広い!】インプレッサG4のトランクを徹底チェック
2019-05-09 365
2016年試乗をして良かったクルマ&感動をしたクルマ3選
2019-05-08 209
次期トヨタ86/BRZはスバルのプラットフォームを使用しない?現在スバルの持つ「スバル・グローバル・プラットフォームはFRに対応できない」
2019-04-20 191
【実車画像レビュー】スバル新型XV 1.6リッターモデルの外装インプレッション
2019-04-15 185
新型XVの2.0Lの見積もりを公開【インプレッサとの乗り出し価格の差は】
2019-04-14 126
インプレッサとの僅かな違いが…|スバル新型XVのメーター画像インプレ
2019-04-14 109
新型XVの収納スペース&小物入れを徹底チェック【使い勝手は悪い!】
2019-04-14 194
スバル新型XV 1.6Lモデルの見積もりを大公開【お得感はあり?】
2019-04-14 108
新型XVの1.6と2.0リッターの内装比較【8つの違いをどこよりも詳しく紹介】
2019-04-12 134
【専用装備は何がある?】スバル新型XV 2.0i-Sの外装画像レビュー
2019-04-12 225
【配置や数を確認してみた】新型XVのドリンクホルダーは使いやすい?
2019-04-12 162
新型XVの試乗はいつからできる?【試乗後に購入するデメリットとその解決法】
2019-04-11 126
【新型XVがヴェゼルはどっちがおすすめ?】新型XVの方が優れているところとは?
2019-04-11 171
【新型XVとCX-3の違いを比較】XVの方が良いと思った2つの注目ポイント
2019-04-10 141
新型XVにルーフレールって必要?【装備モデル/非装備モデルを画像で比較してみた】
2019-04-11 114
CX-3と比較して、新型XVが劣っていると思ったデメリット&欠点とは?
2019-04-10 177
新型XVとインプレッサの内装の違いを検証|インパネやシートなど徹底比較
2019-04-10 147
【購入するならどれ?】スバル新型XVのおすすめグレードは何?
2019-04-10 356
【グレードによる違いや装備を確認】新型XVの後部座席の実車画像レビュー
2019-04-09 375
スバル新型XVの新色【クールグレーカーキとサンシャインオレンジの実車画像
2019-04-09 366
【スバル新型XVと先代モデルの外装比較】3つの主なの変更点は?
2019-04-09 121
新型XVの専用ナビ”パナソニックCN-LR820D”の画像レビュー【装備するメリットは?】
2019-04-07 227
新型XV 2.0i-Lの見積もり【人気モデルの乗り出し価格はいくら?】
2019-04-07 294
スバル新型XVとインプレッサスポーツの荷室比較【どっちが使いやすい?】
2019-04-06 200
スバルが全世界で230万台規模のリコールを実施、日本国内でも30万台が対象に。不具合の内容は「ブレーキランプ」「イグニッション」
2019-03-03 176
スバル XV 新車購入ガイド|車両価格から燃費、オプション装備まで一挙に紹介
スバル フォレスターで確認した、雪道における「e-BOXER」のメリット・デメリット
2019-02-22 236
3月2~3日開催のモースポフェス2019にスバル登場。スーパーGTのBRZ、WRC戦ったインプレッサなど走行
2019-02-14 132
スバル「インプレッサ / XV / フォレスター」、マツダ「ロードスター」にリコール。スバルはパワステ関連、マツダはATのシフトプログラム不具合
2019-02-01 226
スバルブースではSTIとコラボレーションしたフォレスターやインプレッサを展示【東京オートサロン2019】
2019-01-16 264
車の暖機運転をしている人の割合はどれぐらい? 調べてみた | する理由・しない理由も調査【みんなの声】
2019-01-12 180
こんなコンセプトカーもあった。スバルR1ベース、インプレッサのエンジンを搭載した「プロドライブP2」。発売されれば600万円程度、GT-Rのライバルになり得たクルマ
2019-01-04 959
スバルも東京オートサロン2019の展示概要を公開。「2トーン」のオシャレなインプレッサ、エアロ付きの過激なフォレスターも登場
2018-12-25 208
フェラーリF1、マクラーレン・セナなどのデモラン実施。『大阪・万博記念サーキット2018』10月28日開催
2018-10-26 73
長い信号待ちでブレーキ保持が不要に|スバル インプレッサ改良モデルを発表
2018-10-12 257
スバル、インプレッサとSUBARU XVを改良。インプレッサに『オートビークルホールド機能』追加
2018-10-11 206
トヨタ カローラスポーツ VS スバル インプレッサスポーツどっちが買い!?徹底比較
2018-09-28 254
日本市場は見捨てられた!?新型カローラが3ナンバー化した理由
2018-09-18 186
【スバル新型インプレッサ最新情報】C型マイナーチェンジ2018年9月発表!STIスポーツやG4の発売日、スペックや価格は?
2018-07-18 189
内装スペシャリストがスバル・インプレッサのインテリアをチューン!豪華&スポーティー
2018-06-29 314
スバルに23万台の大量リコール。対象はレガシィ/インプレッサ、最悪の場合は走行中にエンジン停止
2018-06-15 290