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三菱自動車工業
三菱自動車工業株式会社(みつびしじどうしゃこうぎょう、略称:三菱自動車(みつびしじどうしゃ)・三菱自工(みつびしじこう)、; 略称: )は、日本の自動車メーカーである。1970年に三菱重工業から独立した。2003年にはトラック・バス部門を分社化(三菱ふそうトラック・バス)。2016年10月に日産自動車が筆頭株主となり、日産自動車とフランスのルノーと共にルノー・日産自動車・三菱自動車 を構成している。
三菱自動車工業は、日本の自動車メーカーのひとつであり、1970年に三菱重工業から独立した会社である。
2016年の販売台数は92万6000台で、内訳は北米13万8000台、欧州17万9000台、日本8万0000台、アジア31万5000台、その他21万4000台。日本国内での登録台数シェア(≒販売台数シェア)は、2017年で0.9%、2018年で1.1%という企業である。
(日本では、1904年に山羽虎夫によって日本車第1号と言われている「山羽式蒸気自動車」が製作され、1911年には東京府東京市麻布区(現在の東京都港区麻布)に「快進社自働車工場」(日産自動車の源流)が設立され、日本初のエンジンまでも含めた純国産車を開発し、また1916年にはアロー号が製作されたという歴史があるわけだが →日本車#歴史)
三菱のほうは、1917年から『A型』を世に送り出し1921年までに22台生産し、これは日本で初めての「量産乗用車」となった。
現在の三菱自動車工業は、三菱重工業とクライスラー社との合弁事業としてスタートし、1993年までクライスラーと資本提携していた。その後、2000年からドイツに本拠を置くダイムラー・クライスラー(現ダイムラー)と資本提携関係となったが、2005年に解消。クライスラーとの技術提携関係は2009年まで継続されていた。2003年にはトラックやバスなど大型車事業を分社化、2年後にはダイムラー傘下へ譲渡された。
2008年、プジョー・シトロエンとの間で、ロシアでプジョーブランド、シトロエンブランド、三菱ブランドの車両を生産するための合弁事業に関する基本契約を締結した。
2016年10月20日、日産自動車が三菱自動車の株式を34%保有する筆頭株主となった。同年12月14日、臨時株主総会で日産自動車会長兼社長カルロス・ゴーンの会長就任が正式に承認された(CEOは益子修社長が継続)。
2018年11月26日に開かれた臨時取締役会で、金融商品取引法違反容疑で同月19日に逮捕されたゴーンの代表取締役会長職の解任を決議した。
(本業では)三菱自動車は、2009年7月に世界初の量産型EV(量産型電気自動車)となる『i-MiEV』を発売したメーカーである。
(なお厳密には本業以外で、販売推進的な活動としては)、古くからモータースポーツ事業にも力を注ぎ、世界ラリー選手権 (WRC) やダカール・ラリーに参戦。前者は「ランサー」、後者では「パジェロ」により総合優勝をはじめとした好成績を多く残して、2009年ダカールシリーズまで「レーシングランサー」で活動を続けていた。またサッカーJリーグ・浦和レッドダイヤモンズの親会社でもあった。日産自動車との資本提携に伴い、新たに三菱重工業が共同で浦和レッズに出資することとなり、三菱自動車の出資比率は大きく引き下げられた(沿革の項を参照)。
三菱金曜会 及び三菱広報委員会 の会員企業である。
2019年3月現在、生産拠点はロシア以外すべてアジアに存在している。
これらの医療機関は企業立病院であるが、三菱自動車工業関係者以外も利用可能。
エンブレムは当初からスリーダイヤを用いているが、1976年 - 1982年頃までは、三菱のイニシャルであるアルファベット“M”を模したエンブレムをつけていた。しかし形状からいすゞ(の当時のエンブレム)と間違えられがちだったため、1980年代前半 - 1990年代中頃には英文社名からの略「MMC」をシンボルマークとしていた。その後1987年10月以降からはスリーダイヤが順次復活し、MMCロゴと併用されるようになったが、1993年10月以降から日本国内でも順次、スリーダイヤとMITSUBISHIのロゴを使うようになった。
インターネットでのドメイン名「mmc.co.jp」が同じ三菱グループの三菱マテリアルに先に使われたこともあって2016年現在、MMCはMMCレンタカー等一部でしか使われていない(前述のように三菱マテリアルとの混同を避けるため、「三菱自動車の」という前書きが添えられている。MBM (現: MFBM) ではMMCロゴが2003年頃まで窓ガラスに使われていた)。
上記記載の通り、1982年のCI導入のころから1993年頃までは「MMC三菱自動車」、2000年以後は「MITSUBISHI MOTORS」(協賛読みに関しては2009年以後「三菱自動車」)として協賛クレジットをアナウンスしている。
1996年、アメリカ合衆国において289人へのセクシャルハラスメントとパワーハラスメントがあり、アメリカ合衆国連邦政府機関雇用平等委員会 (EECO) が集団訴訟に踏み切る。これに対し自社から3時間離れたEECO支部まで、地元市長など約3000人をバスで送迎し抗議デモを行わせた。これにより、全米女性機構や公民権運動の指導者なども強く反発、ボイコットや不買運動に発展し、三菱自動車工業が和解金を支払うまで続いた。
1997年(平成9年)、総会屋利益供与事件により、総会屋の2名と三菱自の3名が逮捕される。 同時に系列7社も、総会屋に株主総会対策で送金していた事が判明する。
2000年と2004年に発覚したリコール隠し、不適切な改修による火災事故は、三菱リコール隠しを参照。
詳しくは2005年のオイル漏れの不具合に関する三菱自動車・3G83エンジンに関する問題を参照。
2016年(平成28年)4月20日17時、日産自動車との合弁会社であるNMKVで開発した軽自動車のJC08モード燃費試験について、燃費を実際よりも良く見せるため、国土交通省に虚偽のデータを提出していたことを明らかにした。
該当の車両は、三菱ブランドでは「eKワゴン」「eKスペース」、日産ブランドでは「デイズ」「デイズルークス」であった。協業先に当たる日産自動車が、前記該当車の燃費を実際に測定したところ、届出値との乖離がみられ、燃費不正が発覚した。
実際よりも、5 - 15%程度良い燃費を算出しており、軽自動車の業界基準であるJC08モードで30 km/L以上という水準に見せかけていた。該当車種は即日販売及び出荷停止となった。
相川哲郎社長は、4月26日に石井啓一国土交通大臣への報告後の記者会見で改めて謝罪し、三菱自動車工業について「会社の存続に関わる程の大きな事案」と述べた。低排出ガス車認定制度(エコカー減税)について、高市早苗総務大臣は「燃費が変わった場合は、その差額(自動車重量税や自動車取得税)を納めて頂く」と述べている。
さらに、軽自動車に限らず1991年(平成3年)以降に発売した全て車種において、違法な方法で燃費試験をしていたことも明らかになった。さらに後日、1991年(平成3年)から25年間に渡り、10・15モード燃費で計測した燃費データの偽装をしていたことが発覚した。詳しい車種及び台数は現時点で調査中とするものの、今後さらに増える可能性がある。
軽自動車においては、以下の違法行為が明らかになっている。
1991年(平成3年)以降に、三菱自工が製造した全ての車両において、以下のいずれかまたは、複数の違法行為が行われていた。なお当該車両については、開発段階において正規の走行試験を行っていなかったものの、事件発覚後に行った惰行法による燃費測定の結果、差異が3%以内に留まったことから、三菱自工は販売停止等の処置は行わないとしていた。
しかし、3パーセントの乖離を重く見た国土交通省は、三菱自動車が改めて提出するデータを「信用できない」として、5月2日から独立行政法人交通安全環境研究所で独自に測定を行った結果、9車種中8車種において最大15%の差が生じており、三菱自工による再測定のデータを、8月30日に国土交通省に提出したレポートにおいても、不正計測が行われたことが発覚した。これを受け、三菱自工は販売停止等の処置をとることとなった。
軽自動車の不正では、三菱自動車は燃費目標達成業務を、子会社の三菱自動車エンジニアリング (MAE) に丸投げしていたほか、子会社が実施した試験方法が「高速惰行法」であったこと、さらに、試験結果が意図的に低い値を抽出した捏造であることを知りながら、その内容を承認していた。この件について、益子会長は力のない子会社に、レベルの高い車の開発を丸投げしたことが、事件の背景にあると述べている。
この一連の燃費不正問題について、該当車種の所有者を始めとした24都道府県の88人が、総額約1億3,000万円の損害賠償を求め、三菱自工を相手取り2016年(平成27年)12月16日に大阪地方裁判所に集団訴訟を提起して、係争中である。
法務省と厚生労働省は、三菱自動車工業岡崎製作所(愛知県岡崎市)において、溶接作業を学んでもらうため受け入れたフィリピン人の技能実習生27人に対し、本来の計画になかった、自動車の組み立てなどに従事させていたことが2018年5月に明らかになった ことを受けて、法務省は2019年(平成31年)1月25日付で、三菱自動車の実習計画認定を取り消す行政処分を下した。
2017年(平成29年)11月に施行された技能実習適正化法に基づく措置であり、三菱自動車は2019年から2024年までの5年間、外国人技能実習生の新規受け入れが出来なくなった。
2020年6月、三菱自動車に勤めていた男性社員(当時47歳)が2019年2月に自殺したのは、長時間労働により発症した精神疾患が原因だったとして、三田労働基準監督署が労災認定していたことがわかった。
遺族の代理人弁護士によると、男性社員は1993年に新卒で三菱自動車に入社。エンジニアとして長く商品開発に携わっていたが、2018年1月からそれまで経験のなかった商品企画部に配属され、日産自動車と共同開発した軽自動車(eKワゴン・eKクロス)の商品企画を担当。単身赴任して住んでいた社員寮では平日の夜も会社のパソコンで仕事をしており、休日に妻と娘がいる自宅に帰った際も近くの図書館で仕事をしていた。両社の意向を調整する業務に従事する中で、板挟みになり強いストレスを抱えていたという。2019年2月7日、男性社員は社員寮で練炭自殺した。
遺族から労働災害の申請を受けて労働基準監督署が調査した結果、亡くなる直前の1か月の残業時間が「過労死ライン」と言われる100時間を超える139時間以上にのぼっていたことが分かった。男性社員は休日もパソコンを使って働くなどしており、実際の労働時間はさらに長かったとみられる。健保組合から支給されたスマートウォッチの記録では、亡くなる前の1カ月のうち22日は睡眠時間が6時間に満たなかった。三田労働基準監督署は男性社員が自殺したのは残業が急増するなどした結果、精神疾患を発症したのが原因だったとして、2020年5月28日付で労働災害と認定した。
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