元東映の嵯峨健四郎投手を知ってますか? 1966年 嵯峨はこの日、自宅(世田谷区南山荘アパート)を出るとき、タンスの上においてあるダルマをにらんだ。
このダルマは正月一日、貞子夫人、理智ちゃん(二つ)の家族と早朝に起きて群馬県高崎まで買いにいっている。
1勝すれば右目にスミを入れ、20勝したら左目と、両目があくように心がけていた。
一昨年はプロ入り初めて開眼(21勝)したが、昨年は片目(2勝8敗)に終わった。
「パパやるわね」と貞子夫人にいわれた嵯峨は「絶対勝ってみせる」と力強くいい残して後楽園へ向かった。
「完封するとは思わなかったけれど、勝つ予想はものすごくした。
だから、マウンドに立ってもあわてなかった一試合後、予想していた勝利とニッコリ。
気の弱いので有名だが、この日は勝てるという自信が投げる前からあったわけだ。
そのきっかけは三月二十七日の対巨人オープン戦。
このとき、ステップを小さくし、ボールに体重がのるようにピッチング・フォームを直し、みごとに成功した。
六イニングを投げて1安打。
それからは、日増しに一昨年の好調なピッチングに戻り「これならいける」と確信を持ったそうだ。
しかし、珍しくテレビのインタビューを受けた嵯峨は「スピードはあまりなかったスね。
緊張していたから。
なにがよかった?さあ、わからないっスね。
スライダーがよかったじゃないスか」郷里の秋田弁を丸出しにしてとぼけたようなことをいった。
だが、ひとしきり囲んだ報道陣から解放されると、はじめて「どんなもんだい」と小声でつぶやいた。
一週間前に開幕投手という声が流れたとき、あるスポーツ記者から「阪急に昨年1勝しかしてないじゃないか。
開幕投手なんてガラじゃないよ。
ピッチングもそうよくなっていないよ」と面と向かってけなされた。
さすがに人のいい嵯峨も、このときは黙っていたが、いまにみてろと誓った。
それだけに「こんなにうれしいことはない。
金山さんの期待も裏切らなかったし一生懸命がんばった自分にも満足できる」と勝利の味をかみしめていた。
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