トヨタカローラアクシオの中古車
販売期間:2019年10月から販売中
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トヨタカローラアクシオ |
トヨタ自動車のモータースポーツ
トヨタ自動車のモータースポーツでは、トヨタ自動車のモータースポーツ活動の歴史について記述する。レクサス、サイオン、GRなどの同社のブランドや豊田自動織機などトヨタグループの企業の活動に関してもここで述べる。
トヨタ自動車のモータースポーツ活動の最大の特徴は、ジャンルを問わない幅広さである。1960年代から今日に至るまで、プロトタイプカー・ツーリングカー・GT・ラリー・フォーミュラカー・オフロード・ストックカー・ダートオーバル・ドラッグレース・ヒルクライム、ドリフトなどあらゆる四輪競技に競技者あるいは支援者の形で関わり、数多の勝利とタイトルを収めてきた。
世界選手権においてはWRCで3度、WECで1度マニュファクチャラーズタイトルを獲得。また北米ではデイトナ500、インディ500、デイトナ24時間、セブリング12時間、パイクスピーク・ヒルクライム、バハ1000といった主要レース全てで総合優勝したことがあり、インディカー、NASCAR、IMSA、フォーミュラ・ドリフトなどシリーズ戦でもマニュファクチャラーズチャンピオンにも輝いた。
自らもドライバーとしてニュルブルクリンク24時間レースなどに参戦する豊田章男が社長に就任して以降は、トヨタのモータースポーツ活動はTOYOTA GAZOO Racing(TGR)のブランドのもとに「もっといいクルマづくり」「クルマファンづくり」の象徴として市販車開発とも強く関連づけられるようになった。その姿勢の原点として、創業者である豊田喜一郎の言葉が引用されている。
1960年代の体制はトヨタ自動車工業(自工)とトヨタ自動車販売(自販)の2系列に分かれていた。自工では第一回日本グランプリをきっかけに、自工・自販・ダイハツ・ヤマハ発動機・日本電装(現デンソー)のレース好きが集まる第7技術部(通称「ナナギ」)が発足。第7技術部は市販車の改造に加えてスポーツプロトタイプを開発し、ワークス格の「チーム・トヨタ」が日本グランプリなどの主要イベントに参戦した。自販はトヨペットサービスセンター特殊開発部(通称「綱島」)がツーリングカーのチューニングを行い、若手ドライバー主体のセミワークス的な活動を行った。
1971年にはワークス活動からクラブチームのTMSC-Rを支援するセミワークスに切り替えたが、オイルショックの影響で1974年に国内のレース活動を休止する。一方で海外では世界ラリー選手権 (WRC) に参戦する「トヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) 」への支援を継続した。
2000年には富士スピードウェイを買収し、約200億円を投じて近代化改修を行い、2007年と2008年にはF1日本グランプリを開催。2012年からはWECを招致している。
なお1981年にレース活動を再開してからは、系列3部門が各地域のモータースポーツ活動を担当した。これらの部門の統括は従来本社のモータースポーツ部 (MSD) が担当していたが、2014年の組織改編でMSDは「モータースポーツユニット開発部」と名称を変更して技術系の業務に専念することになり、マーケティングについてはトヨタ全体のマーケティングを担当するトヨタモーターセールス&マーケティング(TMSM)に移管され分裂。
しかし2015年には組織改編で再びモータースポーツ活動全般の機能をトヨタ本社に集約することになり、新たに設けられた「モータースポーツ本部」が開発・マーケティングの双方を統括、「GAZOO Racing」の統一名称で活動を行うことになった。
1957年(昭和32年)、オーストラリア1周ラリーに招待され、クラウンで出場して完走、総合47位(外国賞3位)となった。これがトヨタのモータースポーツ活動の原点であるとされる。
その後、1973年(昭和48年)から1999年(平成11年)まで世界ラリー選手権(WRC)にトヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) がカローラレビン、セリカ、スープラで参戦していた。1975年(昭和50年)の1000湖ラリー(フィンランド)での、カローラレビンによるWRC初制覇に始まり、TA64型セリカで1984年(昭和59年)、1985年(昭和60年)、1986年(昭和61年)とサファリラリー3連覇を達成した。
1988年(昭和63年)、WRC王座獲得を目指すべくツール・ド・コルス(フランス)でグループA規定のST165型セリカをデビューさせ、当時最強を誇っていた王者ランチアに挑み、熾烈な戦いを繰り広げることになる。そして1990年(平成2年)、ついにランチアを打ち破ってカルロス・サインツ/ルイス・モヤ組が日本車初のドライバーズチャンピオンを獲得する(スペイン人としても初)。またST185型セリカにスイッチした1992年(平成4年)にもサインツはチャンピオンになる。
1993年(平成5年)には日本の自動車メーカーとして初めてマニュファクチャラーズタイトルを獲得(ドライバーズとの2冠)、1994年(平成6年)も続けてダブルタイトルを制覇した。1994年(平成6年)のサンレモ・ラリーでは、ユハ・カンクネン/ニッキー・グリスト組により、ST185型セリカに変わってST205型セリカがデビューした。
1995年(平成7年)はST205の開発がうまくいかず、わずか1勝と苦戦。そしてラリー・カタルーニャでエンジンの吸気量を制限するリストリクターに意図的に細工を施すという行為が発覚した。エアリストリクターが装着されたトランペット状の部品単体では問題ないが、エンジンに取り付けると吸気の負圧でパーツがスライドして隙間ができ、その隙間から空気を吸入しパワーを上げるというものだった。国際自動車連盟 (FIA) は1995年(平成7年)シーズンのドライバー及びマニュファクチャラーの全ポイント剥奪と1996年終了までの出場停止処分を発表した。トヨタ側はこの処分を重く受け止め、さらに一年間活動を自粛したが、後にトヨタ復帰を願う声を受けて1997年の終盤にテストを兼ねて参戦を再開した。
このときセリカ譲りの3S‐GTEエンジンを搭載した、よりコンパクトなカローラWRCへとスイッチしており、このWRカーはすぐにタイトルを争う戦闘力を発揮。1998年(平成10年)はオリオールに加えて、サインツがフォードから移籍。サインツが開幕戦で優勝を飾るなど2勝をマークし、マニュファクチャラーズランキング2位でシーズンを終えた。最終戦はサインツがタイトルまであとわずか数百メートルというところでエンジンブローという悲劇的なものだった。
1999年(平成11年)は優勝こそチャイナ・ラリーのみだったもののコンスタントに上位入賞を繰り返し、5年ぶり3度目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。しかし、サンレモラリーの直前にTTEはWRC撤退とF1参戦を発表、27年にも及ぶ日本最大のマニュファクチャラーのラリーへの挑戦は7度のタイトルと43度の勝利を持って幕を閉じた。
2015年(平成27年)1月30日にトヨタはWRCへの復帰を表明し、2017年(平成29年)からヤリスWRCで参戦開始。シャーシ開発とオペレーションをトミ・マキネン・レーシング、エンジン開発はTMGが担当する。開幕前はマシン開発の遅れが懸念されていたが、フォルクスワーゲンから移籍してきたヤリ=マティ・ラトバラ/ミイカ・アンティラ組が復帰初戦ラリー・モンテカルロで2位表彰台、2戦目のラリー・スウェーデンで早くも優勝を果たした。2018年には後半にオィット・タナック/マルティン・ヤルヴェオヤ組が3連勝を達成して終盤にマニュファクチャラーズランキング首位に浮上し、そのままタイトルを手中に収めた。
2018年終了時点の通算成績はドライバーズタイトル4回、マニュファクチャラーズタイトル4回、勝利数50勝である。
1983年にカール・ウェルズのPPI(Precision Preparation, Inc.)を支援する形で、北米のラリーレイド及びクローズドで開催されるオフロードレースに参戦。初年度でのドライバー・メーカータイトルを獲得した。以降1984年から1999年までオフロード界を席巻し、のマニュファクチャラーズタイトルを11連覇した。その後もタンドラ・タコマがトラックを用いたオフロードレースで現在に至るまで圧倒的な活躍を見せ、MTEG、、などの各団体で圧倒的な数の総合タイトルをさらっていった。また1992年と1999年にはバハ1000で総合優勝を果たしている。
北米以外では、1995年からはトヨタ車体がTLC(チーム・ランドクルーザー)を組織してランドクルーザーでダカールラリーに挑戦しており、市販車無改造のディーゼル部門において1996年から2018年までの21回の開催中、6連覇を3度含む18回のクラス優勝を手にしている。
2012年からは南アフリカ法人のトヨタが改造したハイラックスで最高峰クラスに挑戦、2019年に8台体制を敷いてきたMINIのワークス勢を破ってナッサー・アル=アティヤ/マシュー・バウメル組が念願の総合優勝を果たした。。このハイラックスはクロスカントリーラリー・ワールドカップにも参戦しており、2016・2017年にアル=アティヤ/バウメルによってドライバー・チームタイトルを獲得している。
耐久性の高いトヨタ車はプライベーターチームの間でも人気があり、ランドクルーザー、ハイラックス、スターレット、カリーナ、カローラレビンなどが古くから参戦した。1982年には久保田勝/内田正洋組がカリーナ1500で市販車無改造・2輪駆動・バギー・マラソンの4部門において優勝するという快挙を成し遂げた。
また2017年のダカールは、四輪車部門79台のうち36台がトヨタ車という人気ぶりであった。
ヴィッツの生産を担当している豊田自動織機がチームを組織して、ヴィッツによるラリー活動を行っている。同社の社員でもある天野智之/井上裕紀子組が猛威を振るい、同チームは9年連続でクラスチャンピオンを獲得している。
また「凄腕技能養成部」を編入したTOYOTA GAZOO Racingが2015年から参戦し、スポーツCVTの研究やヴィッツGRMNによる挑戦をしている。
トヨタが初めてスポーツプロトタイプのレースに参加したのは1966年(昭和41年)の第3回日本グランプリである。ただしマシンは市販前の2000GTで純粋なレーシングカーではなく、プロトタイプカーのポルシェ906やプリンスR380に後れを取っていた。
トヨタは1967年の第4回日本グランプリを欠場して、翌1968年(昭和43年)に自社初のプロトタイプレーシングマシン、3リッターV型8気筒エンジン搭載のトヨタ・7をデビューさせる。5月の'68日本グランプリでは日産・R381に敗れたものの、その他のレースで勝利を収める。日産が日本グランプリ以外に消極的であったのに対して、トヨタは耐久レースに積極的に参戦したため「耐久のトヨタ」と呼ばれた。
翌1969年(昭和44年)には5リッターV型8気筒エンジンを搭載するトヨタ・7の第2期モデルが登場する。このマシンもデビュー戦の7月の富士1000kmで勝利を収め、続く8月のNETスピードカップも日産R381を破り優勝。また11月の第2回日本Can-Amも制するが、肝心の10月の日本グランプリでは6リッターV型12気筒エンジンを搭載する日産・R382の前にまたも涙を飲んだ。
翌年に向けてトヨタは日本初の5リッターV型8気筒エンジンにターボチャージャーを装着した第3期モデルのトヨタ・7を開発するが、日産が1970年の日本グランプリの欠場を表明したため、トヨタも欠場することとなる。トヨタの目は世界に向けられ、トヨタ・7ターボでのCan-Amへの挑戦を決意するが、それが決定したまさにその日、鈴鹿サーキットでトヨタ・7ターボをテスト中の川合稔が事故死、これによりトヨタ・7のプロジェクトは白紙にされてしまう。以降1980年代までトヨタはプロトタイプカーのレース活動を中断することになる。
1975年(昭和50年)にはシグマ・オートモーティブ(SARDの前身)にエンジンを供給し、シグマ・MC-75がル・マン24時間レースに参戦した。また、1973年にマツダのロータリーエンジンを搭載したシグマ・MC-73のリアウィングには「TOYOTA」のスポンサーロゴが書かれている。
1982年(昭和57年)に世界耐久選手権(WEC)の日本ラウンド (WEC-JAPAN) が初開催されると、童夢とトムスが共同開発したグループCカー、トムス童夢・セリカCにWRC用エンジンをベースにした4気筒ターボエンジンを供給した。
1983年(昭和58年)から始まる全日本耐久選手権(1987年(昭和62年)より全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権=JSPC)にも参戦。童夢とトムスの共同開発によるトムス・83C(1983年) - 88C(1988年(昭和63年))を経て、8気筒ターボエンジンを新開発し、88C-V(1988年) - 92C-V(1992年(平成4年))を送り込む。1987年(昭和62年)からはトヨタの名を冠した「トヨタチームトムス」として参戦を開始。TRDが開発を主導することになり、マシン名も「トムス」から「トヨタ」となり、オイルショック以降中断していたワークス活動の事実上の再開となった。
1985年(昭和60年)からはル・マン24時間レースにも参戦を開始し、1989年にはイギリスのトムスGBを拠点として世界スポーツプロトタイプ選手権 (WSPC) にもフル参戦する。ル・マンには1990年(平成2年)まではターボエンジン車で参戦し、1992年、1993年には当時のF1と同じ規定で造られた自然吸気3.5リッター10気筒エンジンを搭載したTS010で参戦。1992年のスポーツカー世界選手権 (SWC) 第1戦のモンツァで、日本人の小河等が優勝している。同年のル・マンでは関谷正徳が日本人で初めて総合2位表彰台に上がった。
1993年にはサードの93C-VがC2クラス優勝を獲得している。1994年にはサードが92C-Vを改造した94C-Vで出場、しかしポルシェ962CをGTとして改造した掟破りとも言えるダウアー962GTの前にまたも2位に終わる(LMP1/C90クラス優勝)。1995・1996年には続けてサードがスープラでGT1クラスに参戦したが、クラス8位・15位に終わった。
1998年(平成10年)から1999年(平成11年)にかけては、TTEを中心に開発したToyota GT-One (TS020)でル・マンに参戦。マシン性能は他社に比べて優れていたが、マシントラブルのために最高成績は1999年の総合2位止まりに終わる(LMGTPクラス優勝)。
その後10年以上はF1参戦のため途絶えていたが、2012年にハイブリッドエンジンを搭載するTS030 HYBRIDで、ル・マン24時間を含むFIA 世界耐久選手権に復帰。オペレーションはTMGとオレカがジョイントして行うことになった。日本人ドライバーとして石浦宏明が参戦する予定であったが、腰を痛めていたこともあり中嶋一貴が代わりに参戦、そのままレギュラーとなった。
TS030はル・マンでは途中首位を奪うシーンもあったものの、2012年は2車ともリタイヤ、翌2013年のル・マンは2位と4位に終わった。しかしWECでは活躍し、2012年のFIA 世界耐久選手権6戦と2013年のFIA 世界耐久選手権全8戦の計14戦中5勝を挙げた。
2014年からはトヨタ初の四輪駆動LMP1であるTS040 HYBRIDを投入した。ル・マンでは中嶋一貴が日本人で初めてPPを獲るものの、豪雨でのクラッシュとマシントラブルで3位に終わった。一方WECでは全8戦に出場し5戦で優勝したことによりマニュファクチャラーズランキングとドライバーズランキング(トヨタ2車が同点優勝)の両方で悲願のスポーツカーの世界選手権タイトル獲得を果たした。
2015年は、大量の開発費を投入してル・マンで5秒ものタイムゲインをしたポルシェ・アウディについていくことができず、良いところ無く一年を終えている。
2016年はル・マンで勝利することのみを主眼に置いたTS050を、突貫で開発し一年前倒しで投入。その甲斐あってル・マンでは終始有利な展開で進めたが、残り数時間で2位争いをしていた小林可夢偉がスピンし、ポルシェに2位を盤石にされる。さらに残り6分でトップ快走中の中嶋一貴のマシンに駆動系トラブルが発生、ホームストレート上にストップし、ル・マン制覇の悲願は露と消えた。またWECでは苦戦を強いられたが、富士では戦略とこの年デビューした小林可夢偉の頑張りによって2秒差でアウディから逃げ切って約二年ぶりの勝利を挙げた。
2017年のル・マンは三台体制となり、3台目に前年スーパーフォーミュラ王者の国本雄資がエントリーした。ル・マンでは小林可夢偉がコースレコードを更新する走りで予選ポールポジションを奪取。決勝も最初の6時間を1-2体制でレースを支配したものの、3台ともトラブルに見舞われた。特にトップを快走していた7号車のトラブルは、夜間のSC中のピット出口の赤信号で止まっていたところ、マーシャルと同じ橙色のレーシングスーツを着たアマチュアドライバーが応援のためにサムアップしに来たのを、発信可の合図と勘違いした結果起きたという信じられないアクシデントによるものだった。結局この年は8号車が総合8位(クラス2位)に入るにとどまった。WECシリーズを通してはル・マン以降は劣勢であったもののその後挽回し、タイトルには届かなかったが、優勝回数でポルシェを上回った。
2018年のル・マンはTS050二台体制で出場し、セバスチャン・ブエミ、フェルナンド・アロンソ、中嶋一貴の8号車が優勝、小林可夢偉らの7号車が2位となり、20回目の挑戦にして初めてル・マン総合優勝を成し遂げた。日本メーカーとしてはマツダ(マツダ・787B)以来27年ぶり2度目、日本人ドライバーとしては荒聖治(チーム郷、アウディ・R8)以来14年ぶり3度目のル・マン総合優勝であり、日本メーカーの車両に日本人ドライバーが搭乗して優勝するのは初めてであった。
1968年SCCAに2000GTが参戦したのが、トヨタの北米スポーツカー初参戦となる(年間クラス4位)。その後はトヨタ・7での北米進出を目論んだが、前出の通り頓挫した。
1981年にIMSAのGTUクラスにセリカを投入。1983年にはダン・ガーニー率いるオール・アメリカン・レーサーズ (AAR) と提携し、1985年にGTOクラス初優勝を経て、1987年に日本メーカーとして初めてGTOクラスタイトル獲得した。
1989年よりIMSA最高クラスのGTPクラスにステップアップ。1991年にはトヨタの2.1リッター直4ターボエンジン(3S-G改)を搭載するイーグル・マークIIIを投入。ライバルが戦意喪失して撤退するほどの勝ちまくりぶりで、1992年と1993年にドライバーズ(ファン・マヌエル・ファンジオ2世)とマニュファクチャラーズタイトルを連覇、1993年デイトナ24時間レースと1992・1993年セブリング12時間レースでも勝利を収めた。なお1993年のタイトルは全戦全勝で収めている。
2004年から2009年にもレクサスのエンジンを供給する形でグランダムのロレックス・スポーツカーシリーズに参戦、チップ・ガナッシとともにデイトナ24時間を3連覇、2008年のドライバーズタイトルを獲得している。
ニュルの耐久レースに始めて参戦したのは、1973年のセリカ1600GTが初であった。6時間耐久であったこのレースには、後に豊田章男の人生の師となる成瀬弘もドライバーとして参戦していた。ピットのガレージを用意してもらえず、傘をさして屋外で作業するなど過酷な環境の中2リットルクラスで優勝(総合6位)し、会場から拍手が巻き起こった。なおこのセリカは同年スパ24時間にも参戦し、クラス優勝(総合9位)を獲得している
2005年にはハイブリッドカーのレクサス・RX400hで参戦。完走させることに成功した。
2007年にはTeam Gazooとして当時のトヨタ副社長である豊田章男が社員だけで構成されたチームを率いて、SP3クラスにアルテッツァRS200二台で参戦。当初は「トヨタ」を名乗ることが許されなかったというが、豊田が社長に就任してからも差別化のためかあえて「トヨタ」を名乗らずに活動を続けた。なお、現在も用いられている黒と赤の「GR」のロゴは2010年から使われている。
2008年には発売前のLFAがSP8クラスに参戦。以降2009~2011年にLFAの2台体制で参戦、2010年にクラス優勝した。なお、このとき同じピットであったアストンマーティンのCEO・ベッツと章男は親交を深め、2012年のVLNのコラボレーション参戦や、トヨタ・iQをベースにしたアストンマーティン・シグネットの誕生が実現している。
2012~2013年はLFAを1台に減らし、代わりにこの年発売となった86を2台採用した。2013年にLFAがSP8、86がSP3クラスで優勝を飾った。
2014年はLFA、86各1台に加えてLFAの特別仕様車「LFA Code X」がSP-PROクラスに参戦。3クラス全ての参戦車両がクラス優勝を収めた。
2015年はLFA Code XとレクサスRCの二台体制で、LFA Code Xが前年に引き続きクラス優勝した。
2016年はレクサス・RCとRC-Fに加え、2005年以来となるSUVのC-HR Racingが参戦。これに市販車C-HRの開発責任者も乗り込み、燃料計算のミスなどはあったものの完走。半年後の発売に向けて実りあるテストになった。
2017年はSP3TクラスにRC一台のみで参戦。スバル・WRX、アウディTT RS2との三つ巴の戦いの中、スバルを上回るクラス2位を獲得した。
2018年はSP-PROクラスに研究開発目的のレクサス・LCを投入。トラブルに見舞われながらも完走を果たした。
フォーミュラにおけるトヨタは、1974年にイタリアのノバ社がチューニングしたトヨタ2T-GエンジンがヨーロッパのF3界を席巻したことに始まる。特にイギリスF3では9年連続でチャンピオンエンジンになる強さを見せた。このエンジンは日本にも逆輸入され、1979年から始まった全日本F3選手権でも他メーカーを圧倒した。そのため中嶋悟が1978年にイギリスF3に参戦した際もトヨタエンジンを用いている。
1980年代にはトムスがチューニングした3S-GEエンジンが登場し、こちらもライバルの無限を圧倒して多くのタイトルを獲得している。またマカオGPでも通算7勝を挙げる活躍を見せており、1983年にアイルトン・セナがマカオGPを制したときのマシンもトヨタエンジンを搭載していた
。全日本F3へのエンジン供給は現在まで続いており、最もチャンピオンを輩出しているエンジンとなっている。また1989年から2005年までフォーミュラ・アトランティックにTRD USAのチューニングした4A-GEエンジンを供給したり、1991年から2007年までフォーミュラ・トヨタを、2005年から現在までオセアニアでトヨタ・レーシング・シリーズを開催するなど、育成としてのフォーミュラには特に積極的である。またトヨタは関わってはいないが、ユーロフォーミュラ・オープンでも前身であるスペイン選手権の2001年以来現在までトヨタエンジンが使用されている。
トヨタ初のビッグフォーミュラ参戦は1996年(平成8年)アメリカのチャンピオンシップシリーズ (CART) である。エンジン供給の形で、IMSAでもジョイントしていたAARと参戦したが、当初は戦闘力も信頼性も無くエンジンの熟成には時間を要した。しかし2000年(平成12年)にはファン・パブロ・モントーヤのドライブでCART初勝利を達成。2002年(平成14年)にはドライバーズ(クリスチアーノ・ダ・マッタ)、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。
2003年(平成15年)からはホンダと共にインディカー・シリーズへ転身し、世界3大レースのひとつであるインディ500を日本メーカーとして初めて制覇。さらに参戦初年でドライバーズ(スコット・ディクソン)、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。しかし2005年にNASCARに集中するとして撤退した。
F1にはシャーシ・エンジンとも自製するフルコンストラクターとして2002年(平成14年)から参戦。エンジンはウィリアムズにも供給された。しかしリーマン・ショックの影響で2009年(平成21年)シーズン終了後に撤退を表明した。ポールポジション3回と13回の表彰台を獲得したが、コンストラクターズランキングは最高4位に留まり、優勝は一度も達成できなかった。
国内では2006年(平成18年)より現在までフォーミュラ・ニッポン・スーパーフォーミュラにエンジンを供給している。2018年現在までトヨタ勢はホンダ勢を圧倒し続けており、13年間のうちにドライバータイトル10回・チームタイトルを12回獲得している。
1963年(昭和38年)に初開催された日本GPにパブリカ、コロナ、クラウンが出場。「レースには積極的に関与しない」という国産メーカー間の紳士協定の裏で、トヨタ自工は密かにチューンした「裏ワークスマシン」を投入して出場3クラスを制覇した。その成績を大々的に宣伝したことがプリンスなど他メーカーを刺激し、ワークス対決のきっかけとなる。
市販車ベースのレースでは、2000GTと1600GTやS800が活躍した。1966年の鈴鹿1000kmレースでは二台の2000GTでワンツーフィニッシュ、翌年も鈴鹿500kmレースで優勝、1967年の富士24時間レースではスポーツ800とともに3台揃ってデイトナフィニッシュする完勝を収めた。1600GTのプロトタイプは「RTX」の名で自工ワークスが使用し、ツーリングカーの公認を得てからはプライベーターにも愛用され、日産スカイライン2000GTの牙城を崩した。
1970年代はカローラ / スプリンター、セリカ、スターレットなどが活躍。ワークス活動休止後はプライベーターに放出され、マイナーツーリングレースで激戦を展開した。1982・1986・1987年にはイギリスツーリングカー選手権(BTCC)でカローラがドライバーズ王者マシンになった。1991年から1995年にはワークスで参戦し、多くの勝利を挙げたもののタイトル獲得はならなかった。
1994 - 1998年には全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) に参戦し、ドライバー部門で2度、チーム部門で1度タイトルを獲得。1994年(平成6年)第4戦からは全日本GT選手権(JGTC:現・SUPER GT)に参戦。GT500クラスでは2005年までスープラで4回、2006~2013年はレクサスSCで3回、2014~2016年はRC Fで1回、2017~2018年はLC500で1回ドライバーズチャンピオンを獲得している。
GT300クラスにもレクサスISやMR-Sで参戦、MR-Sではaprの運用により3回のドライバーのドライバーズタイトルを獲得した。2009年からはカローラアクシオ、2012年よりプリウスに車両が変わっている。また2015年よりLM corsaによってRC F GT3が参戦している。また開発・生産には関わってはいないが、2015年から導入されたマザーシャシーに86の外観が用いられている。
2017年からはレクサス RC-F GT3で海外にも戦場を求め始めており、IMSAのGTDクラスと欧州のGTオープンにセミワークス参戦を開始。2018年にIMSA及びブランパン耐久で初優勝を挙げている。
2000年(平成12年)、アメリカのストックカーレースであるNASCARのグッディーズダッシュシリーズにV6エンジンのセリカで参戦したのが最初である。2001年、2002年と総合2位になった後、2003年には初めてNASCARの主催するシリーズでドライバーズタイトルを獲得した。
2004年(平成16年)にはNASCAR三大シリーズの一つであるクラフツマントラックシリーズ(現・キャンピング・ワールド・トラック・シリーズ)にタンドラでステップアップ。三年目の2006年(平成18年)にはドライバーズ、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得。その後2017年に至るまで当シリーズで最もマニュファクチャラーズタイトル獲得数の多いメーカーとなって猛威を振るっている。
トヨタ北米進出50周年でもある2007年には、最高峰にあたるネクステルカップシリーズ(現・モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ)とブッシュシリーズ(現・エクスフィニティ・シリーズ)へカムリでデビュー。翌年の第4戦アトランタで、外国車メーカーとしては1954年(昭和29年)のジャガー以来、日本車メーカーとしては初となる最高峰カテゴリーでの優勝を果たした。
2015年にはカムリを駆るカイル・ブッシュが骨折により開幕戦から11戦目まで欠場という絶望的な状況を大逆転し、日本車初の最高峰でのドライバーズタイトルをもたらした。2016年にはデニー・ハムリンがやはり日本車初となるデイトナ500優勝、シリーズでも日本車初(アメリカ以外の自動車メーカーとしても初)のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。なお2016年はエクスフィニティ・シリーズでドライバー・マニュファクチャラー・オーナー・ルーキー、キャンピング・ワールド・トラック・シリーズでもマニュファクチャラー・オーナー・ルーキータイトルを獲得しており、三大シリーズ戦のマニュファクチャラー部門全てをトヨタが制す大成功の年となった。また同年トヨタのマーティン・トゥーレックス・ジュニアがコカ・コーラ600で全400周中392周、588マイルというリードラップ最長記録を達成している。
2017年はシーズン前半は苦労したが、後半からトゥーレックス・ジュニアとブッシュが2人で13勝(トヨタ全体では19勝)を挙げる活躍を見せた。最終戦ではトゥーレックス・ジュニアが優勝し、ドライバー・マニュファクチャラー・オーナー・ルーキーの四冠を同時に達成した。
ドラッグカー最大のシリーズであるNHRAに2002年からTRD USAの開発したセリカベースのマシンで、ファニーカークラスから参戦を開始。2004年に初勝利を挙げ、2008年にソアラ、2015年にカムリでクラスタイトルを獲得した。最高峰のトップフューエルクラスにはマルコ・ツールズとジョイントして2010年に転向、その年にタイトルを獲得。その後2011年・2012・2015・2016年にもドライバーズタイトルを勝ちとった。
パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムにも参戦しており、TRD USAが開発したセリカGT AWDターボをロッド・ミレンがドライブし、1994・1996・1997年に総合優勝。1998~1999年はタコマにマシンを替えてこれも連覇、合計5度の総合優勝を成し遂げている。なお1994年のコースレコードは、2007年に破られるまで最速タイムであった。2012年にもTMGの開発したEVユニットを搭載した『EV P002』が哀川翔率いるチームのもと参戦し、EVクラス優勝(総合6位)を果たし、コースレコードも樹立した。
フォーミュラ・ドリフトでは若者向け北米限定ブランドサイオンのチーム『サイオン・レーシング』を組織して2008年から参戦。マシン開発及びらの支援をして、4度のマニュファクチャラーズカップを獲得した。サイオンブランドが廃止になって以降もトヨタ・レーシング名義で参戦している。
日本のD1グランプリではワークスでは関わってはいないが、OTGモータースポーツは2013年から86にTRD USA製のNASCARのV8エンジンを搭載している。
ダートオーバルにも参画しており、2006年からUSACの主催するミジェットカー・スプリントカーレースにエンジンを供給している。
2018年11月に初開催された第1回グランツーリスモ選手権マニュファクチャラーシリーズに参戦し、レクサスとトヨタで1-2フィニッシュを飾った。
2019年にTOYOTA GAZOO Racingはe-Motorsportsに本格的に参入することを表明し、手始めにグランツーリスモSPORTとの協力により、新型GRスープラを用いたe-Sportのワンメイクレース『GR SUPRA GT Cup』を開催するとしている。
アマチュアおよびモータースポーツ入門者向けのカテゴリとして、大規模なワンメイクレースの運営を行っている。1981年には国内初のワンメイクレースとして「スターレット・グランドカップ」を創設。2000年にはこれを引き継いで、ヴィッツやアルテッツァで参加する「ネッツカップ」を開催。ヴィッツレースは趣味で参加できる「ナンバー付き車両レース」として2018年現在も人気を博している。
2013年には86及びスバル・BRZによって争われる「GAZOO Racing 86/BRZ Race」もスタートさせ、多数のプロドライバーやタイヤメーカーが参入する一大カテゴリに成長している。
フォーミュラカーでは1991年(平成3年)より2007年(平成19年)までジュニア・フォーミュラシリーズとしてフォーミュラ・トヨタを主催。2006年(平成18年)~2013年(平成25年)には日産・ホンダと共同でフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)を運営していた。また若手レーシングドライバー育成プロジェクトとしてフォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)やトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)を運営。中嶋一貴、小林可夢偉をF1ドライバーとしてデビューさせた。また2004年からニュージーランドで、若手育成のためにF3相当のを開催し、ブレンドン・ハートレイ、アール・バンバー、ニック・キャシディらを輩出している。
またラリーでも2000年から、ワンデイ開催の初心者向けラリーシリーズである「ラリーチャレンジ」を自動車メーカーで唯一開催している。2015年にWRC復帰を発表した後はWRCのための育成プログラムを立ち上げ、全日本ラリー王者の息子勝田貴元と新井大輝、コ・ドライバー王者の足立さやかを欧州で修行させている。
豊田章男が社長になって以降は特にモータースポーツを広報活動に積極的に用いており、地上波でTOYOTA GAZOO RACINGのCMが流れることが一般的になった。豊田自身も「モリゾウ」名義でGRラリーチャレンジや新城ラリーに参戦してファンと交流したり、TV番組やトークショーにも出演してモータースポーツをアピールするなど、顔の見える経営者として知られる。またJスポーツと提携して、GAZOO RACINGのホームページ上でル・マン24時間やニュルブルクリンク24時間レースを無料ライブ配信している。
社員の研修にモータースポーツを用いることにも熱心で、全日本ラリー選手権に選りすぐったメカニックたちで組織した「凄腕技能養成部」を送り込んだり、5大陸走破プロジェクトで社員にステアリングを握らせて様々な道を経験させている。
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トヨタ・カローラ
カローラ(COROLLA)は、トヨタ自動車が1966年より製造・販売している乗用車のブランド(商標)、および車名である。
本稿ではカローラシリーズの基本形となるセダンを中心に、以下のモデルについても便宜上記述する。
なお、以下の車種についてはそれぞれの記事を参照のこと。
1974年に車名別世界生産台数1位、1997年には累計販売台数でフォルクスワーゲン・ビートルを抜いてギネス世界記録を樹立。現在も年間世界販売台数1位を記録し続ける、トヨタが世界に誇れる自動車でありブランド(商標)である。2013年には世界生産台数累計4000万台生産を達成したが、これはトヨタが創業以来生産した自動車の4台に1台がカローラであり、また初代登場以来世界で10秒に1台カローラが生産されている計算である。2018年6月現在、日本の小型大衆乗用車のブランドとしては11代51年と最も息が長く、同時点において日本市場に現存する大衆向け小型普通自動車全体のブランドでは1963年登場のマツダ・ファミリア(乗用車は2004年までだが商用車は継続中)に次いで2番目の長命ブランドとなっている。
基本形のセダンに加え多くの派生車を擁し、1969年度から2001年度までの33年間、ホンダ・フィットにその座を明け渡すまで長期に渡って車名別日本国内販売台数第1位を維持し、トヨタのシェア1位確立と日本のモータリゼーション促進に貢献してきた。その圧倒的な実績は、トヨタの販売チャンネル(トヨタカローラ店)にも唯一名前が残っていることからも分かる。現在もプリウス・アクアや軽自動車などに押されがちであるが、それでも月販ベスト10を常に争う安定した売り上げを見せている。2015年には日本国内販売台数累計1000万台を達成した。
初代から日本国外にも輸出あるいはノックダウン生産されており、トヨタの急速な世界展開の原動力になった。現在は世界16ヶ所で生産され、154か国で正規販売されている。現在カローラが最も売れている地域は一番が中国、次いで北米となっている。なおアメリカや中国南部では若者が買うスポーティセダンというイメージが強く、ブラジルやタイでは高級車の部類に入るという。
またカローラアクシオは基本的に日本国内専用車として開発されているが、格上の同じく日本国内専用車であるアリオンやプレミオなどとともにロシアやモンゴル、マレーシア、インドネシアなどの各東南アジア、ミャンマーやバングラデシュなどの開発途上国、オーストラリアやニュージーランドなどオセアニア地域などへそれぞれ並行輸出されている。また中古車も人気が高く、特にアフガニスタンではカブール市内を走る乗用車の9割はカローラといわれており、「国民車」扱いを受けているという。
カローラのキャラクターは初代の開発主査であった長谷川龍雄の「80点+α主義」という思想に基づいている。これは質素・低価格を追求したパブリカの失敗から生まれた教訓で、あらゆる部分でその時代の基準から見て80点のものを確保し、プラスアルファで魅力的な先進的技術も導入するというものである。この思想はやはり初代で日産・サニーに対して排気量を100cc大きくした「100ccの余裕」とも言い換えられており、パブリカやターセル/コルサといった下級セダンより一つ上の贅沢を得られるカローラは、庶民の一つの憧れであった。こうした歴史から、現在も「カローラ」というブランドそのものに絶対の信頼と愛着を持つリピーターを多く抱えている。
コアな車好きにとっては凡庸で退屈な車というイメージが強いが、フロア式マニュアルトランスミッションを初代から現行まで欠かさずラインナップしている他、モータースポーツではWRCやBTCC、SUPER GTなどで優勝した実績も持つ。またクーペ版であるカローラレビンも安価で改造しやすいスポーツカーとして人気を博した。
車名のCorollaはラテン語で「花で作った冠」、英語では「花冠」(花弁の集合的呼称)を意味する。これはトヨタの主力セダンであるクラウン(王冠)、コロナ(太陽冠)に続いて「冠」を象徴し、なおかつアルファベットのCで始まることに由来する。日本以外では「コローラ」もしくは「コロラ」と発音することが多い。
800cc級エントリーモデルのパブリカと、1,500cc級乗用車であるコロナの中間の車種として企画された。主査の長谷川龍雄は、機能主義に徹したパブリカが商業的に成功を収められなかったことへの反省から、大衆ユーザーの上位志向に応じた「デラックス感」のある内外装を備えつつ、「乗る楽しさ=スポーティ性」を追求し、高速道路の整備進展に伴う、十分な高速巡航性能を備える小型大衆車の開発を目論んだ。開発は、様々な面での評価において一定以上の水準を満たし、実用性に嗜好性・高級感を加えるなど、トータルでの高い完成度を追求する「80点主義+α」の思想で展開された。当初から輸出も含めた大量生産が企図され、トヨタは本拠である豊田市内に、カローラ専用の大規模新工場となる高岡工場を建設する。
エンジンは新開発の水冷直列4気筒、ハイカムシャフト方式で5ベアリングのクランクシャフトを用いた1,077ccOHV K型エンジンで、最高出力60PS/6,000rpmであった。5ベアリング式として高回転に備え、前方部分の投影面積をできるだけ小さくするため、エンジンの重心を低くすることを前提にボンネット内にコンパクトに収める目的で、最初からシリンダーヘッド部を正面から見て約20°傾斜させた格好で設計されている。当初は1,000cc車として企画されたが、開発後期に至って日産自動車が1,000ccの競合モデル(のちの初代サニー)を開発中である情報が伝わり、その営業施策における辣腕で「販売の神様」と呼ばれた当時のトヨタ自動車販売社長・神谷正太郎の強い要請で、排気量を急遽1,100cc級に拡大するスペック向上を図った。短期間での変更であったため、決死の努力を東郷平八郎のZ旗になぞえ、エンジン名『27E』を『27E-Z』に変更している。
日本国内では同クラス初のフロアシフトによる4速マニュアルトランスミッション、日本製乗用車としては初のマクファーソン・ストラット式の前輪独立懸架など、30以上に及ぶ新機構が取り入れられた。当時3速式主流の中での4速化は高速化時代への対応、フロアシフトは操作性向上とコストダウンが目的である。当時フロアシフトはトラックのイメージが強かったため4速式コラムシフト仕様も用意されたが、実際に売り出すと顧客の多くは4速フロアシフトを選んだ。コンパクトなストラット式懸架は、以後日本メーカーの多くが小型車分野で追随して採用した。細かいところでは丸型メーター、後退灯、「ドアキーの上下関係なく施開錠できる鍵」なども日本では初代カローラが最初に取り入れている。
当時の大衆車が軒並み1,000ccであったことに対し、プラスアルファ部分を強調したキャッチコピー『プラス100ccの余裕』を採用し発売を開始したカローラは、市場において競合モデルのサニーよりも2.2万円高い価格設定ながら装備と価格のバランスが良く、そこそこ高級感と割安感が高かったことが受け入れられ、サニーを凌駕する人気を獲得、意図したとおりの商業的成功を収めた。CM出演者は竜雷太・早川雪洲。浜口庫之助がCMソングとして「恋のカローラ」「いとしのカローラ」などを作詞・作曲している。
発売翌年の1967年2月には二台のカローラで北米大陸を横断する実験を行った。極寒のロッキー山脈を超える必要があったが、当日は天気が良くマイナス10度くらいにしか下がらなかったため、無事1万1,000kmの横断を遂行した。次にはさらに北上し、マイナス32度のカナダのフリンフロンからトロントまでの耐久実験を行い、これも完遂した。
生産台数は77万2002台
発売前年の東名高速道路全線開通など「ハイウェイ時代」を迎えた事などから「東京ICから西宮ICまで無給油で走れる」前提で商品を開発、燃料タンクなどは先代より大型化している。キャッチコピーは『ALL NEW カローラ』、『ちょっとうれしいカローラ』。CM出演者はマイク真木・前田美波里。販売終了前月までの新車登録台数の累計は146万439台
来る3代目はカローラの地位を確固たるものにするため、また同時期排気ガス規制もあったため万全の力を入れて臨んだ。なお3代目カローラの開発に関しては、同じく3代目であった徳川三代将軍・家光を研究した話が有名だが、開発主査の佐々木紫郎によると「図書館で調べたのは事実であるが、あとからくっつけた様な話」であるという。2代目カローラは廉価さを求めて若干質を落としたことへの反省から、主に振動・騒音・エアコン・ヒーターなど快適性・質感の向上に力を入れた。この頃から海外への輸出も本格化する。CMではジェリー藤尾が、妻の友子(現:渡辺友子)、娘の美紀・亜紀と一緒に出演した。
レビンと合算した販売終了前月までの新車登録台数の累計は119万2537台
バン、ワゴンを除き:1979年 - 1983年
キャッチコピーは『いい友、誕生。』。レビンを含むクーペ系モデルを除いた場合としては歴代最後の後輪駆動車となり、カローラとしては唯一の丸型4灯式ヘッドランプが採用され(ハードトップおよび3ドア系形式は規格型角型2灯式を採用)、ボディはカローラとして初めて空力特性を本格的に取り入れ直線基調のデザインとした。エンジンは新開発のSOHC1.5L 3A-U型を新規で搭載。この代でようやく全車にフロントディスクブレーキが標準装備となった(「1600GT」に限りリアブレーキもディスクブレーキ化)。リアサスペンションは2ドアセダンとバン、ワゴンを除き4リンク・リジット(固定)式のコイルスプリングに統一。2ドアセダンとバン、ワゴンには先代から引き続きリーフリジッドが採用される。スポーツモデルには従来通りDOHC1.6L 2T-GEU型(115PS)を搭載する「1600GT」を、4ドアセダン・3ドアリフトバック・2ドアハードトップにそれぞれ設定。いずれも車体型式はTE71型。クーペは2T-GEU搭載車のみ「レビン」を名乗る。特にセダンの1600GTはラリーフィールドで用いられた。ステアリングギアボックスの形式は、デビュー当初は1.3L車のみラック&ピニオンであったが、1981年のマイナーチェンジで1.5L車にもラック&ピニオンが採用。中堅グレード以上のグレードにウレタン樹脂を用いた大型バンパーが標準装備。クーペはこの代より3ドア化。初代モデルからの伝統であったOHVヘッドを用いたガソリンエンジン、および2ドアセダン、最廉価グレードの「STD」(スタンダード)の各種設定に関してはこの代を以って最後となる。また、2016年現在ではほぼ一般常識となっているメーカーオリジナルの特別仕様車の設定に関してもこの代からとなる(日本国内仕様のみ)。CM出演者は前期はジェリー藤尾一家。後期は伊武雅刀。販売終了前月までの新車登録台数の累計は105万9274台
キャッチコピーは『素敵に、スポーティーハンサム。』。CM出演者は郷ひろみ、CMソングは「素敵にシンデレラ・コンプレックス」。歴代カローラで初めて前輪駆動(FF)化され、四輪独立懸架が採用された。2/3ドアのクーペ(この代より車名がカローラレビンに統一)は従来通り後輪駆動を採用。ホイールのPCDに関してはセダン系は100.0mm、クーペ系は114.3mmとなる(両者共に4穴)。上級モデルには一部カラードウレタン樹脂製バンパーが採用されたが、下級モデルはポリプロピレンの素材色のままであった。国内向けとしてはこの代よりドアミラーを採用。5ドアリフトバックを新規に設定。1.6L 4A-ELU型エンジン搭載車(当初は5ドアリフトバックのみ)には電子制御4速AT(ECT-S)搭載車とオプションとしてカローラ初のデジタルメーター・オートドライブが設定された。特にセダンに関しては先述の通り4代目まで存在していた「STD」の設定が廃止されたため事実上、全車にトリップメーターが標準装備となった。バン/ワゴンは4代目のまま5代目シリーズの意匠に合わせたマイナーチェンジをして1987年9月まで継続販売。販売終了前月までの新車登録台数の累計は70万754台
キャッチコピーは『ニッポンの自動車の新しい物語が始まります。』(前期型)、『続・ニッポンの自動車の新しい物語。』(後期型)、2代目E2#型でも使われた『ALL NEW カローラ』。スタイリングは基本的にE8#型からのキープコンセプトとなるが、全高がやや低くなり、丸みを帯びた滑らかなデザインとなる。1.5L以上のガソリンエンジンは、すべてDOHC16バルブ(ハイメカツインカム)となった。
先代の5ドアリフトバックは廃止され、スプリンターシエロが後継車種となった。なお、レビンもこの代で前輪駆動化され、ボディタイプもノッチバックの2ドアクーペのみとなった。またカローラとしてはこの代より、ボディの下塗り塗装にカチオン電着塗装が用いられ、ホイールのPCDに関してはこの代より全て4穴・100.0mmに統一された(後述する日本国外仕様を含む9代目のE12#系まで継続)。
最上級グレードとして「SEリミテッド」が新設される。パワーウィンドウ、電動格納式ドアミラーなどが標準設定されたほか、GTにはデジタルメーター、TEMSがオプション設定される。エアコンは全グレードで販売店装着オプションとされた。
当時のバブル景気と重なり、上級車種に迫る高品質と装備が好評を得たことで、1990年には年間新車販売台数30万8台を記録した。この記録は、2010年に3代目プリウスに抜かれるまで国産車の最多販売記録を誇っていた。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は92万4592台
セダン:1991年 - 1995年、バン・ビジネス(→アシスタ)ワゴン:1991年 - 2002年
日本のバブル景気中に設計された為、金メッキ端子を用いたハーネスの採用、ボディの80%以上に亜鉛メッキ合金を用いた防錆鋼板の採用など、内外装や装備も含め至って高品質なモデルであった。キャッチコピーは『大きな、愛のようなカローラ』。CMキャラクターは東ちづる・イッセー尾形(両者共に後期型のみ)
車体設計にフルラップ衝突対応の「CIAS(サイアス)」を採用。また、国内向けのカローラとしてはこの代より全車にサイドドアビームが標準装備。1.6L 4A-GE型は1気筒あたり5バルブのDOHC20バルブとなる。その他のガソリンエンジンはバン並びにビジネスワゴンを除き全てDOHC16バルブ。ディーゼルエンジンは2C-III型2.0Lに統一。1.5L 5A-FEエンジン搭載車のMTが全て5速化。上級グレードのSEリミテッドは、発売当初SE-Lという名称を用いていたが、古くから類似した名称を使用していたメルセデス・ベンツ(例:560SEL)からクレームが入り、名称を変更した経緯がある。「SE」系グレードにはパワーステアリング、パワーウィンドゥ、エアコンなどが標準装備。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は67万7359台
日本仕様:1995年 - 2000年
キャッチコピーは『ずっといいですよ。』。この代から日本国内向けと海外輸出向けで大幅に異なる外装デザインが採用されるなど、市場に合わせた作り分けが始まる。
基本構造は先代と同じで、リベット溶接の採用、防錆鋼板の使用比率を約88%に拡大するなど耐久性の向上をおこなった。しかし日本のバブル崩壊後に設計されたことから、内外装の低廉化(トランクルーム内の鉄ヒンジむき出し、一部無塗装のバンパー採用)など、大幅なコストダウンが図られた。
国内向けはセダンのみ。1.5L 5A-FEエンジン搭載車のATは全車4速となった。CM出演者は前期は刑事コロンボ(ピーター・フォーク・声:石田太郎)、後期は藤本義一。
レビンと合算した販売終了前月までの新車登録台数の累計は92万4045台
プラットフォームや内装に関しては日本国内仕様と共通なものの、丸型ヘッドライトや横長リアコンビランプなどを採用した欧州・オセアニア仕様など、日本国内仕様とは全く別の外装デザインが採用された。オセアニアではオーストラリアやニュージーランドでE100型の現地生産が1998年頃まで行われていたため、E110型の投入が他の市場より遅くなっている。
日本仕様:2000年 - 2006年
日本向けの無印カローラ、および各国共通プラットフォームを採用したカローラとしては一旦この代で最後となり、10、11代目は日本向けにはカローラアクシオ(後述)として別プラットフォームを採用する。開発主査(以下CE)は東南アジア専売小型セダンであるソルーナ(今日のヴィオスの源流となった車種)のCEを歴任した吉田健。プラットフォームやエンジンが一新され、セダンのGT系グレードおよびカローラレビンなどのスポーツモデルは廃止された。
本代より掲げられた新コンセプト「New Century Value」(NCV)と『変われるって、ドキドキ。』という登場当初のキャッチコピーが示す通り、この9代目を最も特徴付けるのはこれまでのカローラとは一線を画す革新的なデザインである。特にセダンのエクステリアデザインの原型はトヨタの欧州デザインスタジオの「EDスクエア」(旧・EPOC)の手によるもので、前進させたキャビンとやや短めのリアオーバーハングを持った塊感の強い造形が特徴であるフロントグリルのエンブレムは、それまでのカローラ(花冠)マークからNCVを図案化したものに変更。前輪駆動車用のリヤサスペンションは軽量化と合理化、走行安定性向上のため、カップルド・リンク方式のトーションビーム式となり、四輪駆動車用にはヴァイザッハ・アクスル方式のダブルウィッシュボーン式独立懸架となる。サイズは大型化され、ホイールベースは2,600mmに延長された。4ドアセダンのCd値は前期型、中期型、後期型共に0.29を達成した。カローラにとっては初の横滑り防止機構(VSC)やトラクション・コントロール(TRC)といった安全装備が採用されたほか、燃費のさらなる向上を前提とし1.5L車(四輪駆動は除く)と1.3L車にそれぞれ電動式パワーステアリングが採用された。 車体下部に用いられるアンダーコートに関しては、この代よりボディの軽量化を図る目的でこれまでのアスファルト系ソルから塩ビ系ソルに変更され、ボディの塗装に関しても油性系塗料による塗装から水性系塗料による塗装に変更されている。搭載するエンジンに関しては、ガソリンエンジンは全て新開発となっており、1.3Lの2NZ-FEおよび1.5Lの1NZ-FE、1.8Lの1ZZ-FEがそれぞれ用意され、いずれもVVT-iに対応したDOHC16バルブ機構を採用する。カム駆動はタイミングチェーンを採用している。また、ディーゼルエンジンは直動式バルブ機構を用いたSOHC8バルブ機構を採用し、吸排気レイアウトが変更された2.2Lの3C-Eが設定された。ガソリンエンジンは当初、全て「平成12年度排出ガス基準25%低減レベル(G-LEV(☆))」を達成していた。オートマチック車は全て電子制御(Super ECT)化され、「1.8 LUXEL(ラグゼール)」には同社の小型クラス初のゲート式シフトレバーが採用されている。四輪駆動車はこの代よりMT仕様がすべて廃止された。外装関係に関してはこの代よりドアアウターハンドルの形状がこれまでのフリップ式に代わり、グリップ式が採用されるようになった。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は107万138台
※2004年4月発売型での場合。なお、2000年8月発売型のパワーウィンドウに関しては全仕様で運転席のみオート開閉対応となる。
ボディタイプはセダンのみ。日本国内仕様のカローラアクシオと大きく異なり、3ナンバーサイズで全長が130mm、全幅が65mm、全高が30mmとそれぞれ拡大されている(中国仕様)。仕向け地や生産設備の都合で型番がE140型とE150型に分かれている。E150型はオーリスのプラットフォームをベースにしている。日本・英国・ドイツ・フランス・イタリアの計5国を除く世界各国で導入される。E140型で導入されているのは北米、中華圏特別行政区(香港・マカオ)、台湾、シンガポール、インドネシア、UAE向けなどである。英国・ドイツ・フランス・イタリア以外で販売される一部の欧州仕様車(主に東欧向け)は1.4L 4ZZ-FE型VVT-i型および1.6L 1ZR-FE型DUAL VVT-i型の各ガソリンエンジンに加え、1.4L1ND-TV型SOHC8バルブおよび2.0L 1CD-FTV型DOHC16バルブの各インタークーラーターボ付直噴式ディーゼルエンジンを搭載する。日本向けのアクシオを除く日本国外仕様のカローラセダンはこの代より全て5穴ホイールとしPCDを140型は100mm、150型は114.3mmとしている。南アフリカ仕様車に限りE170型が発売後も『カローラクエスト』とサブネームが付けられ、E170型カローラの廉価版として年次改良を繰り返しつつ、2016年現在も引き続き生産されている。搭載エンジンは1.6Lの1ZR-FE型Dual VVT-iエンジンのみとなる。
2018年のニューヨーク国際オートショーで、ショートファストバックスタイル(いわゆる2ボックススタイル)のハッチバックモデル(カローラスポーツ)を初披露した。
これまでのカローラは世界ごとに仕様を大きく作り変えておりプラットフォームも異なっていたが、この代では全てにTNGA(GA-Cプラットフォーム)が導入され、世界でほぼ統一したカローラとなる。ハッチバック・セダン・ステーションワゴンの3タイプがメインで、後にステーションワゴンをクロスオーバーSUV風に仕立てた「トレック」も登場している。
米国では2018年7月にカローラiM(旧「サイオンiM」)の、欧州では2019年3月にそれぞれオーリスの後継モデルとして発売が開始されている。
欧州仕様のセダンはカローラ・リムジンの名で販売されている。
2018年10月のパリモーターショーでは、欧州地域で販売されていたオーリスツーリングワゴンの後継車種であるステーションワゴンタイプの「カローラツーリングスポーツ」が、同年11月の広州国際モーターショーではセダンタイプの「カローラ」がワールドプレミア。広州では兄弟車のレビンも登場し、従来同様カローラがプレミアム(公式呼称:プレステージ)モデル、レビンがスポーツティモデルという棲み分けがされることになった。
日本では2018年6月からカローラスポーツが、セダン・ワゴンに先駆け、オーリスの後継車として登場。本車はカローラ3兄弟中唯一グローバルモデルと同じサイズで国内販売される。
遅れて1年後、2019年9月17日にセダン・ワゴンもフルモデルチェンジ。セダンは国内では13年ぶりとなる「カローラ」無印のネーミングが復活した(ワゴンでは「ツーリング」という新たなサブネームが与えられた)。キャッチフレーズは「あなたの真ん中へ。この世界の真ん中へ。」。グレード体系はガソリンエンジン車・ハイブリッド車共通で、「G-X」・「S」・2代目アクシオから継続の「W×B」の3グレード(ハイブリッド車は「HYBRID G-X」・「HYBRID S」・「HYBRID W×B」のグレード名称となる)となった。
車両骨格にはグローバルモデルと同じGA-Cプラットフォームが与えられて3ナンバー化された一方、ボディは国内専用設計となり、全高はグローバルモデルと同一としながら、全長で135mm・全幅で35~45mm(北米仕様と一部欧州仕様は70.1inch=1780mm)それぞれ短く、ホイールベースも60mm(セダンに限っては一部欧州仕様は国内仕様と同じ)短くなった。併せて、ドアミラーの取り付け位置も変更したことでミラー格納時の車幅は2代目アクシオと同等とし、最小回転半径は15インチタイヤ装着車で2代目アクシオと同等の5.0mを実現した。なお3ナンバー化を決断した背景には、5ドアセダンの3・4代目(30系・50系)プリウスが、3ナンバーながら大成功を収めていることがあった。
外観はフロントデザインを大型台形のロアグリルフレームとメッシュグリルに統一。ヘッドランプは光源がLED化され、ラウンドを強めた一文字形状を採用する。リアデザインはコンビネーションランプを水平基調とした。ボディカラーは「G-X」系グレード・「S」系グレードは新規開発色の「セレスタイトグレーメタリック」を含む7色、「W×B」系グレードは新規設定色の「スパークリングブラックパールクリスタルシャイン」を含む3色が展開される。内装はインストルメントパネルが薄型・ワイド化され、Aピラーを細形化。「W×B」系グレードはフロントシートをスポーティーシートに、リアシートはトランクスルーも可能な6:4分割可倒式が新規採用された。
パワートレインは刷新され、ガソリン・CVT車とハイブリッド車は排気量を1.5Lから1.8Lにアップし、ガソリン・CVT車は2ZR-FAE型に、ハイブリッド車は2ZR-FXE型にそれぞれ換装。ガソリン・MT車は反対に1.2Lへダウンサイジングされ、カローラスポーツと共通の8NR-FTS型に換装された。またハイブリッド車は2代目アクシオでは設定されなかった4WD車が新たに追加され、電気式4WDシステム「E-Four」が搭載されている。また、ガソリン・MT車はカローラスポーツと同じ自動ブリッピング機能を備える「i-MT」となり、6速へ多段化された。WLTCモード走行による排出ガス並びに燃料消費率に対応(ハイブリッド車はJC08モード走行による燃料消費率も併記)しており、ハイブリッド車は「平成30年排出ガス基準75%低減レベル(☆☆☆☆☆)」認定を取得している。
足回りにはこの車格ではお馴染みとなったバネ上制振制御、これまでレクサスのみで採用されていた曲がる際前内輪にブレーキを掛けてハンドリングを向上させるACA(アクティブ・コーナリング・アシスト)が標準装備。加えて新たにレクサス/トヨタ車では初の試みとなる、運転者の目線の動きを計算したチューニングが施され、ストレスの少ない走りを実現している。なおこのチューニングはセダン・ワゴンのみならず、同時にマイナーチェンジされたカローラスポーツからも採用される。
さらに、日本国内のトヨタ車で初となるディスプレイオーディオが全車に標準装備されており、SmartDeviceLink・Apple CarPlay・Android Autoの対応によってスマートフォンとの連携が可能なほか、エントリーナビキットまたはT-Connectナビキットのどちらかを選択することで車載用ナビ機能を利用することも可能である。カローラスポーツと同様にDCM(車載通信機)も標準装備されており、コネクティッドサービスの利用も可能である。
旧型となった2代目カローラアクシオだが、中高年者に高齢者や法人需要は依然として高いため、グレード体系を刷新して販売が続行されている(後述)。
2020年5月13日に特別仕様車「G-XPLUS」、「HYBRID G-XPLUS」が発売された。「G-X」・「HYBRID G-X」をベースに、ベースグレードではメーカーオプション設定となるインテリジェントクリアランスソナー[パーキングサポートブレーキ(静止物)]とバックガイドモニターが特別装備され、リアドア・バックウィンドウガラスはUVカット機能付ソフトプライバシーにグレードアップ。内装はメーター周りやステアリングホイールなどにシルバー塗装が施され、レジスターノブはサテンメッキ加飾とした。
2020年10月1日に一部改良された。ハイブリッド車全車にアクセサリーコンセント(AC100V・1500W/コンセント2個/非常時給電システム付)のオプション設定が追加され、「HYBRID S」と「HYBRID G-X」は充電用USB端子を2個増設し、3個とした。「S」と「HYBRID S」には、切削光輝+ミディアムグレーメタリック塗装の17インチアルミホイールが設定された。
カローラ アクシオ(COROLLA Axio )は、シリーズ10代目以降から登場したカローラセダンの日本国内の道路・交通事情に特化した車種として登場した小型自動車規格(5ナンバー)専用の派生車種である。カローラシリーズは便宜上、当車種についても本稿で扱う。なお、メディアによってはカローラアクシオが10代目・11代目と紹介される場合もあり、それも追記する。
キャッチコピーは『新しい尺度。』。この代より国外仕様のカローラと袂を分かち、更にプラットフォームが異なる車種となり、日本国内向けセダンはこの代よりサブネームが付いた「カローラ アクシオ」となる。Axioは「品質」「価値」を意味するギリシア語の「AXIA(アクシア)」に由来する造語である。国内向けワゴンは9代目に続き「カローラ フィールダー」の名称を継続する。全長、および全幅、ホイールベースに関しては後期型E120型セダンとまったく同じ寸法に据え置かれており、外観は先代のE120型のイメージを踏襲しつつ、よりスタイリッシュにアレンジしたデザインとなった。ボディのCd値は先代のE120型同様、0.29。アクシオとフィールダーは先代120型カローラのプラットフォームを改良の上流用。国内目標月間販売台数は6,000台(フィールダーと合わせて12,000台)と発表。エンジンは今回からすべてローラーロッカーアーム式に統一された1.5L車用の1NZ-FE型(VVT-i対応、110PS(四輪駆動車は105PS))エンジンが継続され、1.8L車用には新開発の2ZR-FE型(DUAL VVT-i対応、136PS(四輪駆動車は125PS))エンジンが搭載。パワーステアリングは前輪駆動車、四輪駆動車問わず全車に電動式パワーステアリングが採用され、オートマチックトランスミッションは全車Super CVT iが採用された。このうち、1.8L車には7速のスポーツシーケンシャルシフトマチック付のSuper CVT iが採用される。また、1.5Lモデルの前輪駆動車に5速MTも用意される。四輪駆動車はアクシオの最上級グレードの「1.8 LUXEL αエディション」を除く全てのグレードに設定されている。これにより「平成17年基準排出ガス75%低減レベル(SU-LEV(☆☆☆☆))」を全車で達成するとともに1.5Lの前輪駆動のCVT車に限り「平成22年度燃費基準+10%」を同時に達成した。発売当初は法人向けの「1.5 X ビジネスパッケージ」を除き、全車にカラーバックモニター機能付5.8インチ液晶ディスプレイとCDオーディオ、前後ドアスピーカー(1.5L車は4スピーカー、1.8L車は6スピーカー)が標準装備されていた。メーカーオプションのHDDナビゲーションシステムは、バックモニター機能付6.5インチ液晶ディスプレイとなる。アクシオの場合、車体製造に関しては高岡工場のほか、今回より関東自動車工業(現・トヨタ自動車東日本)に代わりセントラル自動車(現・トヨタ自動車東日本)が車体製造を担当。また、国内専用のカローラシリーズはこの代よりフィールダーから先行開発されることとなり、事実上、フィールダーの逆派生車扱いとなる。
販売終了前月までの新車登録台数の累計はフィールダーと合算して54万8858台
※2010年4月以降
キャッチコピーは『コレカラカローラ』。フィールダーとともにフルモデルチェンジ。型式は先代をベースとした輸出仕様がE150型を名乗るため、E160型となる。国内目標月間販売台数は3,000台(発表当時。フィールダーは同4,000台)。国内向けの(のち香港・マカオ向けも)カローラとしてはこの代よりコスト削減および小型・軽量化を前提とした理由でこれまでのMCプラットフォームからヴィッツ系プラットフォームのBプラットフォームに変更された。先々代のE12#後期型および先代のE14#型のボディサイズがミドルセダンの下限値に達するほど大型化してしまった反省から、先代と比べて全長を50mm短縮させた。全長を短縮させたのはカローラ史上初のことである。このことから先代アクシオ以上に国外向けのカローラとは完全に独立して独自の進化を遂げていくことになる。最小回転半径は4.9mにし取り回し性を向上。ボディのCd値は0.28を達成しており、エンジンは1.3Lにはダイハツ工業と共同開発した新開発(当時)の1NR-FE型直列4気筒DOHC16バルブ・Dual VVT-iガソリンエンジンが搭載され、1.5Lには改良を重ね着実に熟成された自社オリジナルの1NZ-FE型直列4気筒DOHC16バルブ・VVT-iガソリンエンジンが先代アクシオから引き続き搭載。このうち、1.5Lの前輪駆動車に限り5速MTも選択できた。四輪駆動システムはアクティブトルクコントロール4WD。インテリアではインパネ・Gグレード以上のドアトリム上部のソフトパッドが廃止されたほか、「1.5LUXEL」以外の下位グレードのリアシートの形状がヘッドレスト付きのローバックリアシートからヘッドレスト一体化のハイバックリアシートに変更され、内装そのもののコストダウンが顕著となっている。「1.3XG EDITION」を除く「X」系グレードにはタコメーターが省略された1眼メーターが標準装備となる。前期型では端正だがやや寸詰まり感の強いスタイリングと質感が低下したインテリアが不評となり、翌年のハイブリッドモデル追加や2015年3月のマイナーチェンジと、大幅にテコ入れされることとなる。先述の通りこのE160型アクシオはBセグメント用プラットフォームが用いられたため、結果的にかつて同社から発売されていたターセルセダン/コルサセダン、およびプラッツ、ベルタや現在日本国外専売車種として発売されているヴィオス、およびヤリスセダン/サイオン・iA(2017年モデルよりヤリスiAに改称)、エティオスなどのクラスとほぼ同じ位置づけとなっている。
生産拠点は先代モデル(E140型カローラアクシオ)の後期最終型から引き続き、宮城県のトヨタ自動車東日本大衡工場(本社。旧・セントラル自動車大衡工場)が担当する。当初は後述のベルタの廃止に伴いカローラ店も含めたトヨタ全店で販売する計画であったが見送られた。
2021年3月末にトヨタ・プレミオとトヨタ・アリオンの生産終了に伴い、以降は国産乗用車で唯一新車で購入できる5ナンバーサイズセダンとなる見込み。
非ハイブリッド車(ガソリンエンジン車)の「X ビジネスパッケージ」(1.3L、1.5L)、「X」(1.3L、1.5L)、「G」(1.5Lのみ)、およびハイブリッド車の「HYBRID」、「HYBRID G」の計5グレードの構成となっている。先述の通り、2012年5月発売型ではこれらのグレードのほか、「1.3X G-EDITION」と「1.5LUXEL」がそれぞれ存在していた。2017年10月発売型では、2016年5月に特別仕様車で設定された「1.5GWxB」、「HYBRID G WxB」がカタロググレードに昇格した。
1975年11月から1977年12月までH-KE26V、1984年9月から1987年7月までE7#V型、E7#G型、1987年6月から1991年9月はE9#V型、E9#G型、1991年6月から2002年6月までE10#V型、E10#G型がダイハツでやや少量だが委託生産された。また、カローラベースでシャルマンとして同社より発売されていた。初代シャルマンはE2#型セダン/同E2#型バンがベースとなっており2代目シャルマンはE7#型セダンがベースとなっている。
当初はパブリカ店扱いであったが、1969年にパブリカ店がカローラ店に改称され現在に至る。なお、ディーゼル店でも併売されていたが、ディーゼル店の他系列への吸収により販売は終了した。
東京都では、以前はトヨタ東京カローラとトヨタ西東京カローラで取扱っていたが、2019年4月1日の販売チャネル制度廃止に伴い、東京都内の全販売店(トヨタモビリティ東京、トヨタ西東京カローラ、ネッツ店系列のネッツトヨタ東都とネッツトヨタ多摩)で取り扱う。
2020年5月1日に東京都を除く全ての地域での全車種併売化に伴い、トヨタ店、トヨペット店、ネッツトヨタ東都・ネッツトヨタ多摩を除くネッツ店でも取り扱われるようになった。
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左右にスクロールして トヨタカローラアクシオのグレード別のスペックが確認できます。
| 車種 | エンジン | タイヤ | 燃費 | 中古車 | 評価•レビュー | ボディサイズ | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
カローラアクシオ
1.5 EX
2019年10月から 販売中 1,515,000円 セダン |
エンジン:
直列4気筒DOHC 排気量: 1496cc 型式: DBA-NRE161 馬力: 109ps トルク: 136(13.9)/4400 ミッション: CVT |
前輪:
185/60R15 後輪: 185/60R15 駆動: FF 最小回転: 5.5m タイヤサイズ |
燃費(JC08):
- 燃費(10•15): - 燃料: レギュラー 実燃費: 9.66から 18.87 |
円から
円 台 買取価格相場 車を売る |
外観:
0点 内観: 0点 スペック: 0点 エンジン: 0点 乗り心地: 0点 燃費: 0点 価格: 0点 |
高さ:
1460 車幅: 1695 全長: 4400 定員: 5人 |
|
カローラアクシオ
1.5 EX
2019年10月から 販売中 1,406,000円 セダン |
エンジン:
直列4気筒DOHC 排気量: 1496cc 型式: DBA-NZE161 馬力: 109ps トルク: 138(14.1)/4400 ミッション: 5MT |
前輪:
175/65R15 後輪: 175/65R15 駆動: FF 最小回転: 4.9m タイヤサイズ |
燃費(JC08):
- 燃費(10•15): - 燃料: レギュラー 実燃費: 9.66から 18.87 |
円から
円 台 買取価格相場 車を売る |
外観:
0点 内観: 0点 スペック: 0点 エンジン: 0点 乗り心地: 0点 燃費: 0点 価格: 0点 |
高さ:
1460 車幅: 1695 全長: 4400 定員: 5人 |
|
カローラアクシオ
1.5 EX 4WD
2019年10月から 販売中 1,646,000円 セダン |
エンジン:
直列4気筒DOHC 排気量: 1496cc 型式: DBA-NZE164 馬力: 103ps トルク: 132(13.5)/4400 ミッション: CVT |
前輪:
175/65R15 後輪: 175/65R15 駆動: 4WD 最小回転: 4.9m タイヤサイズ |
燃費(JC08):
- 燃費(10•15): - 燃料: レギュラー 実燃費: 9.66から 18.87 |
円から
円 台 買取価格相場 車を売る |
外観:
0点 内観: 0点 スペック: 0点 エンジン: 0点 乗り心地: 0点 燃費: 0点 価格: 0点 |
高さ:
1485 車幅: 1695 全長: 4400 定員: 5人 |
|
カローラアクシオ
1.5 ハイブリッド EX
2019年10月から 販売中 1,930,000円 セダン |
エンジン:
直列4気筒DOHC 排気量: 1496cc 型式: DAA-NKE165 馬力: 74ps トルク: 111(11.3)/4400 ミッション: CVT |
前輪:
185/60R15 後輪: 185/60R15 駆動: FF 最小回転: 4.9m タイヤサイズ |
燃費(JC08):
- 燃費(10•15): - 燃料: レギュラー 実燃費: 9.66から 18.87 |
円から
円 台 買取価格相場 車を売る |
外観:
0点 内観: 0点 スペック: 0点 エンジン: 0点 乗り心地: 0点 燃費: 0点 価格: 0点 |
高さ:
1460 車幅: 1695 全長: 4400 定員: 5人 |
販売期間:2019年10月から販売中
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